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速報980号 イスラエルによる空爆の性質を現地調査 ー ヒューマン・ライツ・ウォッチ7月16日付け報道(後半)

投稿日 2014年7月29日
イスラエルによる空爆の性質を現地調査 ― ヒューマン・ライツ・ウォッチ7月16日付け報道(後半)

◎  戦争法規と国際人道法に違反する攻撃の結果、犠牲者の77%は市民(国連発表)

記事後半翻訳: 金里砂

ヒューマン・ライツ・ウォッチが調査した4つの攻撃の詳細については下記を参照してください。


ファンタイムビーチ・カフェへの空爆

2014年7月11日午後11時30分、ガザ南部ハーン・ユーニスの近くのビーチにある、ファンタイムビーチ・ カフェへのイスラエルの空爆で、2名の15歳男児を含む9名の民間人が殺され、重症の13歳を含む3名が負傷、と生存者とその家族はヒューマン・ライツ・ウォッチ(以下HRW)に語った。

ニューヨーク・タイムズ紙は、イスラエル軍報道官ピーター・ラーナー中佐が、軍が行ったのは“精密照準爆撃”であり”ターゲットはテロリスト”であったと述べたが、ターゲットの身元や混雑したカフェへの空爆のタイミングについての情報を提供しなかったと報じた。

HRWによれば犠牲者のいずれかが武装集団のメンバーであったことや地域の軍事的な目的があったことを示す証拠はなかった。

空爆の1時間ほど前に、常連客や従業員は約150メートル離れた同じくラヤーリー・カフェがミサイルで攻撃されるのを目撃した。彼らはそこまで歩いていって、発生したボヤを消し、ワールドカップの放送をみるためにファンタイムビーチ・カフェに戻った。客たちはミサイル攻撃がイスラエル海軍による誤爆または無計画の攻撃だろうと考えていたと、攻撃の少し前に犠牲者と話した生存者と犠牲者の親戚は語った。

犠牲者の親戚や生存者は犠牲者が頻繁にカフェに通っていたと語った。ハーレド・カヌアーン(30)は空爆が彼の2人の弟、アラビア語を専攻する学生ムハンマド(25)、魚屋店員イブラーヒーム(28)を殺したとHRWに語った。2人の犠牲者の義理の兄弟ラマダーン・サッバーフ(37)は次のように語った。

彼らはいつもビーチカフェに行っており、7月8日にこの作戦が始まってからも、毎日行っていました。ハーン・ユーニスより安全だと思うと言っていました。しかし、そこにはシェルターとなるものは何もありませんでした。椅子や布だけ。我々が遺体を見つけたとき、目に見える怪我はありませんでした。イブラーヒームは小さな切り傷しか受けていませんでしたが、遺体が発見されたのは約200メートル先です。ムハンマドの遺体はアスファルト上にありました。道路は爆発で割れています。

HRWは7月12日と13日に現地を訪問したが、この空爆に使用された兵器を特定することができなかった。ある犠牲者の親戚が遺体を探そうと大掛かりな掘削をしていたためだ。

空爆によってアスタル家の3名が死亡: アフマド(18)、スレイマーン(15)、およびムーサー(15)は病院への搬送中に死亡し、ナイーム(13)が重症だと、犠牲者の親戚は語った。HRWはナイームと簡潔に話をしたが、「目が覚めたら病院にいました。どうして自分たちがやられたのかわからない。」と彼は語った。

ラマダーン・アル=アスタル(19)、スレイマーンとアフマドの兄 はHRWに次のように語った。

試合を観戦しにカフェに行く途中で、乗っていたバイクが動かなくなりました。そのことを伝えようと午後11時07分に電話しました。トランプをしている人が4人と、3人(亡くなったアスタル家の犠牲者)がいるとのことでした。家に向かって歩き始めたときに爆発音が聞こえました。電話をしましたが誰も応えなかったです。私は叔父とそこに向かいました。犠牲になった3人はまだ生きていましたが、病院に向かう途中で死亡しました。巨大なクレーターが、カフェがあった場所にできました。海水が浸透していました。遺体を掘り起こしたときに服が焼失していました。私はなぜカフェを目標としたのか理解することができません。おそらく爆撃機は、みんながラヤーリー・カフェでぼやの始末をしたあと戻って きて発電機をつけたときの光を見つけたのでしょう。

遺族の家族によれば、ほか2名の生存者は、腰が骨折した建設作業員ターメル・アル=アスタル(27)とカフェオーナーのビラール・アル=アスタルである。

カメル・サワーリー(37)は空爆によって弟イブラーヒーム(28)、ハムディ(20)、およびサリム(24)を殺害され、サリムの体はいまだ発見されていない。4人は過去5年間ビラール・アル=アスタルから借りていたカフェを一緒に運営していた。サワーリーは次のように語った。

空爆15分前の午後11:15に彼らと話し、ラヤーリーにいってきたことについて語りすべては問題なかったのです。空爆する理由はありません。カフェはごく普通でした。一部の人々はラマダンあけに訪れたものもいれば、漁師や子供もいました。最悪なのはサリムがみつからないことです。再びビーチを捜索できるようイスラエル軍との調整を赤十字にお願いしました。

兄弟の父、 ベダーヤ・サワーリー(61)は「3人の息子を失った。カフェで失った金銭被害については気にしないが、いまだ、ひとりがみつからないのです。」と語った。

アムナ・シルワーナ(45)は、息子ムハンマド(18)はカフェで勤務中に殺害された、と語った。「彼はこの3年間毎年夏に働きました。息子にラマダンを家で一緒に過ごすように言いましたが、多くの人が試合を観戦するために来るカフェの雰囲気が好きだと言っていました。」


ブレイジ難民キャンプにおける殺戮


7月11日午後12時30分、目撃者や物的証拠によるとイスラエルの空爆はブレイジ難民キャンプの車を襲った。目撃者や犠牲者の親戚は空爆によって車内にいた自治体職員の2名、マーゼン・アスラーン(52)とシャハラム・アブル=カーズ(43)が殺害され、また現場近くの自宅の玄関先にいたシャヒード・ジルナーウィー(8)、および姉サルワ(9)が重傷を負ったとHRWに語った。犠牲者の親戚や目撃者はどちらの男性も何らかの武装集団と関係したことは無いと語った。HRWは空爆現場付近に軍事目標はなかったと明らかにした。

アスラーンは自治体職員で、彼の妻ウンム・ハーレド(45)は「通常、夫はキャンプのさまざまな場所への水の流れを調節するために水のバルブを管理していました。そして、緊急時は、イスラエルの攻撃から瓦礫を片付ける従業員を監督するために自治体のジープで出勤していました。」とHRWに語った。アスラーンはイスラエル軍攻撃が始まった7月7日以来、毎日午前10時に作業を開始し、使用していたジープマグナムは白く塗られ、自治体のロゴと小さな旗が描かれていた、彼の妻は語った。

7月11日、アスラーンは、先日の空爆で瓦礫の片付けが必要になった道路まで、アブー・カーズが操作するブルドーザーに同行してジープを運転した。アスラーンの妻は次のように語った。

でも、彼は常時携帯が必要な自治体公式雇用書類を忘れていたので、家にとりにくると電話をしてきたのです。ジープにのって帰宅していて、一緒にアブー・カーズもつれてきていました。私は用紙を渡そうと外出するところでしたが、夫の車は通りを少し先へ行き、そしてミサイルに撃たれました。ジープはひっくり返りました。ミサイルは夫を直撃しました。彼と認識するようなものは何ものこっていませんでした。爆撃する理由はありません。戦争時に常に外で仕事していました。これは三度目の戦争です。(2008-09年および2012の紛争を含む)

HRWはアスラーンの雇用書類(写真)を確認し、空爆のシーンを視察した。目撃者が語ったように、ミサイルがジープを襲った通りに小さなクレーターが見え、通りに面した家の外の壁に乾燥した血のようなものがあった。

アブー・カーズの兄弟イスマーイールは、その日の朝、彼に次のように語った。

シャハラム・アブル=カーズとマーゼンは瓦礫を片付けるために出かけて行った。シャハラムはジープの後ろでブルドーザーを運転し、その後二人は、戻って来ていました。アブー・カーズは、自治体の駐車場でブルドーザーを駐車し、ジープに乗り込みました。いつもどおりの行動でした。彼は交換作業の監督担当者に送ってもらっていました。その日も珍しいものは何もありませんでした。

目撃者は爆発の力で車の屋根が吹き飛び、 シャヒードとサルワが座っていた玄関に飛び込んだと語った。兄 イヤード・ヒルメ・ジルナーウィー(22)は7月12日のインタビューで次のように語った。

妹たちは爆風が屋根を吹き飛ばしたとき廊下に座っていました。シャヒードはひどく負傷しました。誰もが彼女は死んだと思いました。腸が体の外に出て、頭は開いていました。3回手術し現在ICU(集中治療室)にいますが、どうにか生きています。ガザ市のアル=シファー病院にデイル・アル=バラフ
のアル=アクサー病院から転院させました。サルワは負傷しましたが、一日か二日うちに退院できるでしょう。

三人目の目撃者、20歳の大学生サーレム・アブドゥルハリール・ジマーウィーは、近くを歩いているとき、爆発に襲われ、負傷したと語った。「午後12時30分頃、ジープマグナムが通り過ぎ、突然、自分が全身血まみれなことに気づきました。体の一部に破片を見つけ、洗い、誰かがアル=アクサー病院に連れて行ってくれました。何も起こっていませんでした。なぜ攻撃したのかわかりません。」HRWはジルナーウィーの喉や頭のけがを確認した。


アル=ハッジ・ファミリー殺害

7月10日午前1:15ハーン・ユーニス難民キャンプへのイスラエル空爆はマフムード・ロトフィ・アル=ハッジ(57)の家を破壊し仕立て屋のアル=ハッジ、妻バスマ(48)、その子供たちファトメ(12)、サアド(17)、ターレク(18)、オマル(20)、アスマー(22)、およびニジュレ(29)が殺害されたと、犠牲者の親戚がHRWに語った。

AP通信は、イスラエルの報道官ラーナー中佐が事件は調査中であるが、イスラエル軍は「攻撃するため民間施設を利用する」武装集団のメンバーを標的前に警告しなかったと語ったと引用した。HRWは犠牲者のいずれかが攻撃するためハッジ家を活用したという証拠は確認できなかった。

オマル・アル=ハッジは数ヶ月前にハマスの武装組織カッサーム旅団に参加したが組織のランクを持っていなかったと親戚の1人はHRWに語った。オマル・アル=ハッジが想定されたターゲットだったとしても、攻撃が民間人と財産に及ぼす犠牲は予想されるいかなる直接的な軍事利益をも上回る、ということを、イスラエルは合理的に知っていたはずであり、したがって攻撃は、無差別とまでは言えないにせよ、過剰であったことになる。

近所にすむアブドゥッラー・クラブは2つのミサイルがハッジ家に爆撃したのをみたとHRWに語った。難民キャンプの住人は3つのミサイルがその家に命中したと語った。別の隣人、ホセイン・ナーディは「爆発を見た時、爆発の力によって窓から吹き飛ばされ」気を失ったと、語った。

アル=ハッジの息子ヤズィード(24)は、その家に住んでいたが空爆が発生したときに外出していたと語った。「歩いて帰宅中に爆発が起こったのです。わずか数百メートル離れていました。家についた時、まだ崩壊していました。」ヤズィードは同日、前もってイスラエルの治安部隊から自動電話を受けたと
語った。「それは一般的な自動音声メッセージでした。”カッサームに近付くな、”なので無視しました。」

国連当局者は、7月7日以降、数十万のガザ住民が無作為に、自動化された電話を受けていると思われると、HRWに語った。電話は、自宅に武器を格納しないよう住民に警告し、ハマスを紛争の原因として非難し、イスラエル軍は民間人に害を与えたくないと述べているという。

ヤズィード・アル=ハッジはハマス政府‐最近、パレスチナ”統一”政府の発足に伴って解散した‐によって雇用されていたと語った。ラファでエジプトとの国境下の密輸トンネルの民間人警備員として雇われたのであり、ハマスの軍事組織とは関係がなく、いかなる武装組織にも参加していないという。武装集団はガザに武器を密輸するためにトンネルを使用しているが、ヤズィードの話は、元ハマス政府が密輸トンネルの安全と課税を管理するため に”トンネル当局”を設置し、消費財密輸用のトンネルに民間人警備員を雇ったという事実と一致する。イスラエルは、犠牲者のいずれかが爆撃の目標となったのか確定していない。

ラファに住むアル=ハッジの娘のフィダは、空爆の夜に彼女の両親の家にいなかったとHRWに語った。「その夜、みんなイフタール(ラマダン期間中の食事)の後、叔父の家に行きました。紅茶とコーヒーをいただき、夜中の12時15分または12時30分には帰宅し、30分後に全員殺されました。葬式で使う写真がなかったです。すべては燃えてなくなりました。」

爆風は30メートル先の建物を損傷し、通りの人々を負傷させ、コンクリート、金属製のドア、壁の一部を吹き飛ばした。隣に住んでいるムナ・アル=ハラブ(42)はHajj家が空爆されたときに彼女と4人の子供が家にいたと語った。

何人かの子どもたちはテレビを、何人かはコンピュータを見ていて、すべてが正常に見えました。しかし、その後、大きな爆風を感じました、そして、何かが落ちてきました。娘を見つけることができなかったので叫び恐れていました。瓦礫の下に閉じ込められた18歳の娘を見つけ、外に出しました。家の奥の部分にいたのでラッキーでした。そのおかげで命拾いしたのです。子どもの1人がコンピュータの何かを見るために17歳の娘を呼びました。それは、正確に空爆が起こった瞬間でした、そして壁はそれまで娘がいたところに崩壊しました。爆風のため扉を開くことができませんでした。近所の男性がきてドアを蹴ったため、外に出ることができました。

その爆発は、アル=ハラブ家の玄関の壁を吹き破り、家は今はもう住めなくなっている。全国新聞は、別の隣人、 タウフィーク・アル=ハラブが自宅敷地に犠牲者の身体の一部を発見し、爆発が妊娠五カ月目の妻二ダー(28)を流産させたと語った。

ヨーロッパ病院とハーン・ユーニスのナセル臨床センターの病院関係者は空爆で負傷した約23名を治療したことをHRWに語った。

アーベド・ガフール家殺害と家屋破壊

7月9日午後12:35頃、イスラエル軍は、ハーン・ユーニスにあるガフール家を攻撃し、通りの向こうに住んでいた親戚で妊娠7カ月目だったアマル・アーベド・ガフール(30)、および彼女の1歳の娘ニルミーンが殺害された。犠牲者の親戚が家の奥で、爆風の力によって倒された2つの壁の下から遺体を発見したとHRWに語った。爆発はアマルの夫、 ジューダ・アーベド・ガフール(47)、および3歳の息子ムハンマドを負傷させた。

空爆の少し前に、イスラエルの軍用機はサイード・ガフールの自宅に「屋根にノック」の警告を意味する小さな非爆発性のミサイルを発射したと、目撃者は語った。


HRWは7月13日にその地域を訪問した。空爆が完全にサイード・ガフールの家を破壊し、左右にある2つの家と反対側にある家を破壊した。住民らは別のイスラエルの空爆が7月11日にガフール家の裏の平地を攻撃したと語った。

ガフールの弟で、パレスチナ自治政府の元職員のマーゼン(40)は、警告ミサイルが午後12時30分頃に爆撃されたと語った。「4つのミサイルが直撃するまで5分未満しかなかったのです。すべての区画から撤収するには十分な時間ではありません。隣にある両親の家に逃げました、なぜなら私の家より頑丈で奥深くにあるからです。」

HRWはサイード・ガフールが武装集団戦闘員であるかどうかを確定することはできなかった。民間人の死傷者があったので、イスラエルはなぜ家屋への空爆が軍事目的であったかの情報を提供すべきである。

ムハンマド・ガフール(19)は、空爆の際サイード・ガフールの建物から約30メートル離れた自宅にいたと語った。「ミサイルは私たちの窓を吹き破った。ここは非常に混雑した区画で、どの建物もアパートで、5または6つのアパートが建物ごとにあり、すべての家族は5または6人の子供がいます。(7月9日に)サイードの家を4回攻撃した。被害に驚きました。私たちは、家をターゲットとするとき、その周りではなく、その家だけを破壊するものだと思っていました。」


いくつかのビデオがオンラインで公開され大爆発が起きて建物を破壊する前に、小さなミサイルが建物の屋根を攻撃しているのを確認できる。ビデオのひとつ、ガザで大混雑したアル=ブレイジ難民キャンプのブロック12で撮影されたと思われるビデオは、小さな爆発の1分以内に大規模な爆発があったとみられる。HRWはビデオの日付を確認できなかった。

原文
http://www.hrw.org/news/2014/07/15/israelpalestine-unlawful-israeli-airstrikes-kill-civilians