TUP BULLETIN

TUP 速報 1004 号 日本はNSAと世界的監視を拡大した秘密の取引を行っていた

投稿日 2017年5月11日
4月24日、NHKの番組「クローズアップ現代+」と米国の調査報道非営利機関「インターセプト」は、エドワード・スノウデンが告発したNSA秘密文書の中で特に日本に関する13の文書に基づく報告を各自同時に公開した。

NHK の番組では、スノウデンおよびその他の米国政府内部告発者の重要な発言が吹き替えや字幕の翻訳のオミッションで焦点がぼかされているが、スノウデンの発言内容から、NHKによるインタビューは2016年半ば頃に行われたものと推測される。文書の分析および番組公開までに随分と時間が経っている。問題案件が ずっしり詰まっている文書であるが、番組放映後も日本の主要な報道機関各社は現時点では突っ込んだ調査報道記事を出していない。

一方、インターセプトの記事にはソース文書がリンクされており、文脈の検証に有益である。

日米の軍事諜報活動の実態、日本のグローバル戦争への関与、および世界的な地政学的環境における日本の立ち位置と歴史的文脈を包括的に把握するために、ぜひ多くの日本市民にインターセプトの記事およびリンクされているNSA内部文書をじっくりと読んでいただきたい。

(前書き:宮前ゆかり、翻訳:宮前ゆかり、荒井雅子)

 

〔  〕:訳注

 

日本はNSAと世界的監視を拡大した秘密の取引を行っていた

ライアン・ガラハー:インターセプト

2017年4月24日、3:00 a.m

NHKとの提携

スノウデン文書アーカイブ:SIDTODAYファイル

 

 

それは 旅客機定期便の旅として、いつものように始まった。ニューヨーク市ジョン・F・ケネディ空港搭乗口15番では、ボーイング747型機への搭乗を待つ200人以上の男女や子供たちが立ち並んでいた。この人たちは韓国の首都ソウルに行くところだった。しかし誰一人として目的地に到達することはできなかった。離陸して約14時間後、日本の北方からそれほど遠くない地点で高度約1万メートルを巡航速度で飛行中に、この飛行機は撃墜された。

1983 年9月1日に起きた大韓航空007便の撃墜は、冷戦の最も衝撃的な事件のひとつであった。旅客機は航路から逸れ、少しの間ソビエトの領空内に入った。サハリンのドリンスク-ソコル空軍基地ではソ連の基地司令官は迎撃戦闘機を二機発信させ、「侵犯機を撃墜せよ」と命令した。空対空ミサイル一発が命中して旅客機は海に真っ逆さまに落ち、搭乗客および乗員は全員死亡した。ロナルド・レーガン大統領はこの事件を「人道犯罪」であると宣告し、米国とソ連との関係に不安定な新時代の幕開けを特徴づけることとなった。緊張は、その20年前に世界を核戦争の瀬戸際まで追いやったキューバ・ミサイル危機以来見ることがなかったレベルにまですぐさまエスカレートすることになった。

敵対する二国間の国際上の対立が公然と展開していた最中、もうひとつの問題、これまで一度も明らかにされていなかったことが、密室で繰広げられていた。米国と、その同盟国のひとつである日本は、極秘の諜報活動に関する論争に巻き込まれていた。ソ連の高官たちは航空機撃墜に何の関与もしていないとにべもなく否定していた。しかし、日本国内の諜報基地では、ソ連軍が犯人であることを証明する通信が傍受されていたのだ。米国はそのテープのコピーを要求したが、先ず「G2 アネックス」として知られる謎めいた日本の諜報機関のトップからの承認を得る必要があった。

多少の官僚的な応酬の末に、ついに日本は録音テープの引き渡しを認め、極秘の録音はワシントンに送られた。テープはそこからニューヨーク市に転送され、米国のジーン・カークパトリック国連大使がそれをマンハッタンの国連本部に持ち込んだ。大韓航空機が撃墜されてからたった五日後の9月6日、カークパトリックは国連安全保障理事会の会議に出席し、ソ連が旅客機の撃墜に関して「嘘、ごまかし、言い訳ばかり」を言っていると激しく非難した。カークパトリックは続けて「日本政府の協力で」証拠が提示された、と明言して、傍受された会話のコピーを再生した。

ソ連に対するカークパトリックの告発は反論の余地がなく、のっぴきならない証拠だった。しかし、日本の傍受能力は、その瞬間に露呈してしまい、日本の高官は不快感を示した。「G2 アネックス」は米国への協力を制限する新しい命令を受け、少なくとも1990年代初期に冷戦が終焉するまでNSA と日本側の対応組織(カウンターパート)との関係に10年近くも影響を及ぼした。

大韓航空事件の詳細は、インターセプトが内部告発者エドワード・スノウデンから取得した国家安全保障局(NSA)の文書に明らかにされている。日本の報道機関NHKと共同で月曜日に公表された文書には、60年以上もの間NSAが日本との間に維持してきた複雑な関係を明らかにしている。日本はNSAに対し、領土内に少なくとも三カ所の基地を維持することを容認しており、NSAの施設および運営のために5億ドル以上もの資金援助をしてきた。その見返りとして、NSAは日本のスパイに強力な監視ツールの装備を与え、情報を共有した。しかし、このパートナーシップには二枚舌的側面がある。NSAは日本側の対応組織との友好関係を結び、寛大な財政的優遇を受けてきたが、同時にNSAは日本の政府高官や政府機関を秘密裏に見張ってきた。

NSAはこの記事に対するコメントを控えた。

長崎市と広島市に米国空軍機が二発の原爆を投下し、10万人以上〔実際には合計20万人超〕の人々を殺戮してからほんの数日後の1945年8月14日(米国時間)に、日本は無条件降伏を表明した。戦争は終ったが、和平合意の一部として、日本は米軍による占領に合意した。ダグラス・マッカーサー将軍が指揮する米国軍は、日本の新しい憲法の草案を考案し、議会制度を改革した。1952年4月に日本の主権は回復したが、米国は日本国内に大規模な駐留軍を維持し続け、そこからNSAの物語が始まる。

NSA(国家安全保障局)の文書によると、日本との関係は1950年代に遡る。日本におけるNSAの駐留は、長年の間、ハーディ・バラック〔ハーディの兵舎、命名は朝鮮戦争で死んだエルマー・ハーディ伍長に由来、公式名称は赤坂プレスセンター、港区六本木の青山墓地に隣接する23区唯一の米軍基地〕と呼ばれている、東京都心部、港区の米軍の敷地内にある「偽装事務所」により管理されてきた。NSAはそこを拠点に、彼らが「日本の電波傍受(SIGINT)総局」と呼ぶ日本の監視機関〔防衛省情報本部電波部〕との緊密な関係を維持してきた。

当初は、NSAは日本で控えめな姿勢を維持し、その駐留に関する詳細を秘匿し正体を隠して活動していたようだ。しかし日本との関係が深まるにつれ、それは変わった。2007年には、NSAは「秘密の活動はもはや必要なくなった」という判断をし、日本の本部事務所を東京の米国大使館内の一室に移転した。NSAは2007年10月の秘密報告書で「NSAの日本との協力関係はますます重要になってきている」と述べており、さらに日本を「米国の諜報協力者として次のレベルに」進める計画であることを付け加えた。

東京の他にも、現在NSAは、日本国内に複数の駐留施設を持っている。これらの中でも最も重要な施設は、東京から北に約644キロの米空軍三沢基地内にある。NSAが「三沢セキュリティ・オペレーション・センター」と呼んでいる場所で、コードネーム「レディラブ(LADYLOVE)」と名付けた、ある作戦を遂行している。この施設は、巨大なゴルフボール様の白いレーダードームに収容されている十数基の強力なアンテナを使い、アジア太平洋地域で衛星を介して伝達される通信、すなわち電話、ファックス、インターネットのデータも含む、全てを傍受している。

2009年3月時点で 「標的となっていた16機の衛星上で8000件以上の信号」を監視するために三沢基地が使われていた、とNSAの一文書に記されていた。同時に、当時のNSA長官キース・アレキサンダーが設定した課題である「すべてを収集する」、つまりできる限り多数の通信を集めるという目標に応じることができるように、NSAはこのスパイ拠点のシステムの強化に取り組んでいた。三沢基地のNSA職員は、より多くの衛星信号を自動的に監視および処理する技術を開発することで、アレキサンダーの命令に応じた。三沢駐在のNSAのエンジニアの一人は、この基地がすぐに「“すべてを収集する”に一歩近づく」ことを予測し、「数多くの可能性がある」と報告した

戦略上、日本はNSAにとって最も価値の高い協力者の一つである。日本は、中国やロシアなど主要な米国のライバルへの距離が近いため、これらの国々に対する諜報活動の足場として利用されてきた。しかし、日本でのNSAの活動は近隣の敵国への監視に限定されていない。三沢基地では、NSAは中東や北アフリカ全域でインターネットにアクセスしている人々の居場所を正確に示すアパリション(悪霊:APPARITION) およびゴーストハンター(幽霊ハンター: GHOSTHUNTER)と呼ばれているプログラムを配置した。NSAの英国基地メンウィズヒルでのゴーストハンター配置の詳細を説明するNSA文書には、この計画は殺人攻撃を支援するために使われており、テロリスト容疑者に対する「かなりの数の捕捉・殺害作戦」を可能にしていると記述されている。2008年11月の文書の一つには、三沢基地はアフガニスタンやパキスタンのテロ容疑者を追跡するために特に有益であることが分かったと記されており、インドネシアの標的を特定する取り組みにも使われていた。

過去10年間、NSAの戦術は劇的に進展しており、NSAは新しい、より問題の多い方法を展開してきた。インターネットの人気が急騰する2010年には、NSAは電話の盗聴など長い伝統のあるスパイ戦略に焦点を当て続けていたが、標的のコンピューターのハッキングなど、次第により攻撃的な方法を採用するようになっていった。

三沢基地では、NSAはサイバー攻撃手法を能力範囲の中に組み込み始めた。NSAがそのような方法の一つとして基地で展開したのは、「クァンタム・インサート (Quantum Insert) 」攻撃と呼ばれる、監視対象となっている人々のインターネット閲覧の習慣を監視した後に、密かに悪意のあるウェブサイトまたはサーバーにその人たちを誘導し「埋め込みプログラム」に感染させる、というものだ。その後、そのプログラムは感染したコンピューターからデータを集め、分析のためにNSAにデータを返送する。「標的に、何かのウェブブラウザーで我々のサイトを閲覧させることができれば、多分彼らをモノにすることができるだろう」。ハッキングのテクニックを説明する文書の一つで、NSA職員はこのように主張している。「唯一の限界は訪問“手段”だ。」

もう一つの米軍基地である横田空軍基地は、奥多摩山系の麓近くに位置する福生市近郊にある。この基地は東京の中心から西に車で約90分のところにあり、3400人以上の人員がいる。米空軍によると、横田の役割は「米国の抑止体制を強化し、必要であれば航空攻撃作戦用の戦闘機および軍の空輸支援を提供する」ことである。しかし、横田基地はさらにもう一つの、もっと秘密の目的を担っている。

NSAの文書では、横田基地はNSAが技術支援施設と呼ぶ施設の所在地であり、そこでは世界中の監視作戦のために使われる設備を提供していることが明らかにされている。2004年に、NSAによればアフガニスタン、韓国、タイ、バルカン諸国、イラク、中南米、そしてキプロスなどの地域で使われる監視アンテナの修理や製造のために、サッカー場の半分ほどのサイズ、 32000平方フィート〔約3000平方メートル〕の大きな施設を新設した。この建設経費660万ドル〔約7億円〕のほとんど全額を日本政府が支払ったと2004年7月のNSA報告書に記されている。この施設では、合計37万5000ドル〔約4000万円〕の給与を受け取っている7人の設計者、機械工、その他の専門家を含む人員についても、日本が資金を拠出していると当該報告書は記述している。

横田から最も離れて南西へ約2000キロメートル、 日本におけるNSAのスパイ施設が、沖縄本島の大規模海兵隊基地キャンプハンセンの中に位置している。この施設もまた、日本からの巨額の資金注入によって大きな恩恵を受けている。2000年代初め、NSAは沖縄本島に最新鋭の監視施設〔通称「ダチョウの園」〕を建設したが、NSAの文書によれば、約5億ドル〔約530億円〕に上るその費用は、日本が全面的に負担した。敷地は、以前海兵隊がジャングル戦訓練に使用していた「オストリッチ〔ダチョウ〕着陸帯」と呼ばれる「密林の丘陵地帯森」を切り開いたところにある。スパイ任務用の「アンテナフィールド」を備えるこの施設は、目立たずに周囲に溶け込むよう設計されている。NSAが以前もっていたスパイ施設〔2007年まで読谷村楚辺にあった「楚辺通信所」通称「象の檻」を指す。〕」が不快であるとの沖縄県民の訴えを受け、その旧施設に替わって建てられた 。この遠隔操作の盗聴施設の役割は、「ステーククレーム」STAKECLAIMと呼ばれる任務の一環として高周波通信信号を傍受することである。NSAは沖縄には大勢の職員は配置していないようであり、その代わりハワイにある「24時間収集作戦センター」からこの沖縄の施設を遠隔操作している。

元内閣府個人情報保護推進室の政策企画専門家で現在は中央大学准教授の宮下紘は、米国の諜報活動への日本の資金拠出は、国家機密に関する法の下情報公開の対象から除外されていると本誌に語り、そのことを批判した。「これは私たちのお金、つまり日本の納税者のお金です」と宮下は言った。「日本での諜報活動にいくら支出されたのか、私たちは知る必要があります」。また、日本でのNSAの活動は、国内にある米国の軍事施設に治外法権を認める合意によって、日本の国内法の管轄外にあると私は理解している、と宮下は語った。「監視機構は何もありません。基地内の活動についての情報は限られています」

2013年の時点でも、NSAは日本側の対応組織と「強固な」協力関係を維持していると主張していた。NSAの監視活動に関連して日本には2つの対応する組織がある。防衛省情報本部電波部と警察庁である。日本は近隣諸国の通信の傍受に関してNSAと緊密に協力してきており、また、北朝鮮によるミサイル発射に関して米国の提供する諜報に大きく依存しているようだ。2013年2月の時点で、NSAはサイバーセキュリティ問題に関して日本側の対応組織との協力を強めつつあった。そして2012年9月日本は、ハッカーが使用する特定の種類の「悪意のあるソフトウェア」の同定に使用できる情報をNSAと共有し始めた。日本がこうした種類のデータを共有するのはこの時が初めてであり、NSAはこれを非常に価値のあること、「きわめて重要な米国の企業情報システム」へのハッキング攻撃を防止あるいは探知することにつながりうるものとみなした。

その見返りとしてNSAは、日本のスパイに訓練を提供し、またNSAのもつ最強の諜報ツールの一部を提供した。2013年4月の文書は、NSAが日本の防衛省情報本部電波部に「エックスキースコア」XKEYSCORE を提供したことを明らかにしている。エックスキースコアは大量監視システムであり、NSAによれば、コンピューターネットワークからのデータ収集に関してNSAのツールの中で「もっとも広範囲をカバーし」、「ふつうの利用者がインターネットで行うことはほぼ一つ残らず」監視するという。

市民的自由の問題を専門にする弁護士の井桁大介は、エックスキースコアのことが明るみに出たことについて、日本にとって「非常に重要だ」と言う。日本政府がこのシステムを使用するのは、プライバシーの権利を保障する日本国憲法に違反する可能性がある、と井桁は本誌に語った。また、日本では監視の問題を扱う法的枠組みが限られているとも言った。その理由として、これまで、政府がどのような監視活動を行っているかが公開され、議論され、裁判で判決を受けたことが一度もないということが大きいという。「日本の市民は、日本政府による監視活動についてほとんど何も知らないのです」と井桁は言った。「非常な秘密主義です」

日本による監視活動の監督官庁である防衛省はコメントを拒否した。

NSAは、英国やスウェーデンからサウジアラビア、エチオピアに至るまで世界中の国々で様々な対応組織と協力している。しかし、日本とのパートナーシップはNSAにとってもっとも複雑なものであり、1983年の大韓航空機事件後の劇的な出来事が際立たせた、一定の不信感が尾を引いているようだ。

2008年11月の文書の中で、当時日本にいたNSA高官の一人が、NSAと日本との関係に関する見方を示している。この高官は、日本人のことを信号諜報収集分析に関して「非常に優秀」だと言った一方で、秘密主義の行き過ぎを嘆いていた。日本のスパイは「依然として冷戦時代のやり方に囚われている」と高官は書いている。「彼らは信号諜報収集分析を特別アクセスプログラム(SAP)(通常の機密情報より厳格なアクセス制限を設けるプログラム)、すなわちもっともデリケートな情報を扱うプログラムとして扱っている。その結果、10年ほど前のNSAがそうだったように、連携を欠く状態になっている」

NSAは「太平洋信号情報高位級会談(SSPAC)」に参加している。参加国には、オーストラリア、カナダ、英国、フランス、インド、ニュージーランド、タイ、韓国、シンガポールの監視当局がある。SSPACはアジア太平洋地域のセキュリティ問題を監視するもので、日本にとっては地理的位置からして非常に関心のある問題だ。しかし、日本はSSPACへの参加を拒否した。「実際に参加を持ちかけられたのに拒否した国は日本だけだ」と、NSAの職員が2007年3月の書類に書いている。「当時、日本は、参加が思わぬ形で公表されるリスクが高すぎるという懸念を表明したが、他にも理由があった」

こうした問題の中には、NSAの作戦に直接影響を与えているものもある。NSAの文書によれば、日本は長年、「クロスヘア(十字照準線)」CROSSHAIR という監視プログラムに参加していた。高周波信号から収集された諜報を共有するプログラムである。しかし2009年、日本はこのプログラムへの参加を突然止めた。

4年後になってもこの問題はまだNSAに懸念を抱かせていた。2013年2月に防衛省情報本部電波部副部長との間に予定していた会合に先立って、NSAは、CROSSHAIRプログラムについて報告するブリーフィング文書を準備し、議論に関連して「地雷となりかねないもの」について注意を促していた。「過去において、パートナー側は、NSAが[防衛省情報本部電波部に対して]、電波部ではなく米国の技術的解決策を使用するよう強制しようとしたという誤ったとらえ方をしていた」とこの文書は述べている。「そのような事態が発生した際、パートナー側は断固とした否定的な方法で対応した」

しかしNSAの職員は、日本側と面と向かった会合では薄氷を踏む思いをしていたかもしれないが、隠密活動の方面では違ったアプローチをとっていた。2006年5月のNSA文書では、「西ヨーロッパおよび戦略的パートナーシップ」と呼ばれるNSAの一部署が、日本の外交政策と貿易に関する諜報を収集する活動として、日本をスパイしていたことが示されている。その上、2010年7月の時点でNSAは、米国の領土内で日本の官僚および、ワシントンDCとニューヨーク市に海外事務所をおいている日本銀行に対して監視を行えるようにする、国内裁判所命令を得ていたのだった。

NSAは隠密盗聴活動によって日本政府の内密の交渉や取引に関する知識を得ていた。たとえば、2007年5月末、アラスカ州アンカレジ中心部の高級ホテル、キャプテンクックで秘密会合がもたれていた間、そうした活動が行われていた。

このホテルでは国際捕鯨委員会(IWC)の第59回年次総会が開催されており、日本は、商業捕鯨を禁じるモラトリアムを終わらせるためのロビー活動を行っていた。米国の官僚はモラトリアムの維持を支持しており、重要な投票に先立って日本の代表団をスパイする支援をNSAに要請した。NSAはニュージーランドの対応組織と協力して監視を行った。「ニュージーランドはターゲットアクセスをもっており、日本によるロビー活動、および日本が何とかして票を得ようとしていた国々の反応を明らかにする有益な信号諜報を収集、提供した」と、この監視活動を報告した2007年7月のNSA文書に書かれている。

4日間の会期中のある朝、午前7時、ホテルから車で20分のところにあるNSAのアラスカ任務作戦センターに一人のNSAの職員がタクシーで着いた。職員は、日本の通信から収集された情報のプリントアウトのコピーを受け取った。鍵をかけたカバンにそれをしまってホテルに戻り、プライベートな会議室に運んだ。会議室では米商務省の代表団2人、米国務省官僚2人、ニュージーランドの代表団2人とオーストラリアの代表団1人が資料を共有した。官僚たちは黙ったまま資料を読み、指差したりうなずいたりしながら検討した。

77の加盟国からなる委員会は総会で投票を行い、米国、ロシア、グリーンランドの先住民について伝統捕鯨を認めた。日本は、捕鯨は何千年にもわたって日本の文化の一部であると主張し、日本にも同様の理由でミンククジラの捕鯨を認めるべきとする提案を推し進めていた。しかしうまく行かなかった。アンカレジ総会の終幕でモラトリアムは維持され、日本は特例免除措置を何も得られなかった。

日本代表団は怒りをあらわにし、国際捕鯨委員会からの脱退をちらつかせた。「このようなダブルスタンダードがあっては、日本が本会への参加を続ける意義に深刻な疑問を抱かざるを得ない」と森下丈二漁業交渉官は不満を述べた。しかしNSAとしては、仕事は上々の出来だった。総会の間にNSAがどのような情報を収集していたにせよ――その詳細は文書では明らかにされていない――、集められた情報は投票に影響を与え、日本の思惑を打ち砕くのに貢献したようだった。「やった甲斐があったかって? オーストラリア、ニュージーランド、米国の代表団はみな“あった”と言うでしょう」と、この隠密任務に関わったNSA職員の一人は書いている。「クジラも同感だと思いますよ」

原文:

https://theintercept.com/2017/04/24/japans-secret-deals-with-the-nsa-that-expand-global-surveillance/

ソース文書リンク:

 

 

NHKの番組リンク:

クローズアップ現代+「アメリカに監視される日本 スノーデン未公開ファイルの衝撃」1

https://www.youtube.com/watch?v=BW5xMkZzfqU

クローズアップ現代+「プライバシーか?セキュリティーか? スノーデン日本ファイルの衝撃」2

https://www.youtube.com/watch?v=2OHPu2GYgHI