TUP BULLETIN

TUP速報1011号「少なくともあの強制収容では…」という言葉を口にする日がまた来るとは:ジョージ・タケイ

投稿日 2018年7月8日

◎人道的に非難されるゼロ・トレランス政策




ジェフ・セッションズ司法長官は4月6日に「移民の犯罪的入国へのゼロ・トレランス(寛容なし)」措置を発表した。不法移民は容赦せず、国境をビザなしで越えようとするものは刑法違反として起訴し、最高6カ月の実刑を課すというものだ。起訴された家族の親は刑務所へ、子は保護施設へと別々にされる。
難民も違法越境者として扱われ、難民申請は受けつけられず送還される。難民保護法に批准しているはずの米国が難民申請も受け付けず難民審査もせずに強制送還するというのは前代未聞のできごとだ。親子の引き離しに米国内でも非難が沸き上がり、さすがのトランプも6月20日に親と子を別々にしないと大統領令に署名した。
しかしいったん保護施設に入れられた子どもたちはすでに里子に出されているケースもあり、4月から6月までに親から引き離されたおよそ3000人の子どもたちが親と再会するの難しく、いつまでに家族が再び一緒になれるか未だに目途は立っていない。


米国の人気番組だったスタートレックのカトー役で知られる俳優のジョージ・タケイさんは、子どものころに日系人収容所に収監された経験がある。日本の真珠湾攻撃で第二次世界大戦中に敵性外国人とされた日系人たちはアメリカ国籍を持っていても収容所に強制収容された。日系人の強制収容は、現在起こっている不法移民の収容とはその意味では異なるが、まだ親がこの世のすべてである子どものころに政治的な理由で収容所に収監されたという経験から、タケイさんが今日の国境で親と引き離された子どもに自分の経験を重ねて語り、「ゼロ・トレランス」政策の非人道性を訴えます。
(前文、翻訳 キム・クンミ/TUP)

「少なくともあの強制収容では…」という言葉を口にする日がまた来くるとは

私はたった5歳で収容所へ送られた。しかしあの時ですら、子どもたちは家族と離されはしなかった。

ジョージ・タケイ

2018年6月19日

こういう場面を想像してほしい。何千もの人びと、ほとんどが子どもをもつ家族が政府から国家を脅かすものというレッテルを貼られ、日和見な政治家に政治的道具として使われ、推定有罪で市民権や人権をはく奪されたあいまいな存在となる。何千もの人びとが、にわか作りの収容施設や敷地を連れまわされ、新しい収容者の人間性よりも結論を重視した収容所に投げ込まれる。

それが今のアメリカの、亡命希望者とビザのない移住者らが越えようとしている南の国境だ。しかしそれはまた、真珠湾攻撃の余波を受けた1941年後半のアメリカでもある。爆弾を落とした人びとに類似しているからと、私のコミュニティ、家族、そして私自身は、一夜にしてアメリカの敵とされた。それでも、ある核心に置いて、今のほうが恐ろしさにおいて勝っている。日系アメリカ人の強制収容では、少なくとも私や他の子どもたちは両親から引き離されることはなかった。母親の腕のなかからもぎとられ叫び声をあげることはなった。子ども同士で、より小さい子どものおむつを替えなくてはならない状況にはなかった。

今日に見られる、檻の中や収容施設に入れられた子どもたちの写真は、元大統領夫人のローラ・ブッシュがワシントン・ポストの寄稿欄で厳しく類似を言い当てたほど戦時中の過去を強く喚起させる。「これらのイメージは、現在米国史上最も恥ずべきエピソードの一つと考えられている第二次世界大戦での日系人強制収容所を彷彿とさせます。このような扱いはトラウマを与え、日系人収容者は心血管疾患に罹患する可能性が2倍高く、収容されていない人よりも早期に死亡する可能性が高いのです」とブッシュ夫人は書き、そのような収容所が収容者に暗い結果をもたらすことを思い出させた。

政府が特に、力がなくて蔑まれた集団に対して気まぐれな行動をとるとき、その恐怖と不安を言葉で説明するのは難しい。唯一救える力をもつ人間は、自分たちに向けて銃や犬を訓練しているのでどこにも逃げ場はない。権利もなく起訴や裁判なしに収監される。天地はひっくり返り、情報はなく、人々はあなたの苦境に無関心か、敵対的ですらある。

だけれども私は、いまわしい皮肉を込めて「少なくともあの強制収容では…」と言おう。

少なくともあの強制収容では、たった5歳だった私は両親から引き離されることはなかった。私の家族は数週間、馬小屋で暮らすために競馬場へ送られたが、それでも家族全員が一緒だった。少なくともあの強制収容では、両親は、目の当たりにしている恐怖と私の子どもなりの状況理解の間に身を置くことができた。両親は「休暇を馬と一緒に暮らす」のだと子どもたちに説明した。そしてローワー・キャンプ(訳注1)に到着すると、両親が再び恐怖への盾となってくれたおかげで、自分たちが放り込まれた蚊の襲う沼地の恐ろしい現実をはっきりと自覚せずに済んだ。少なくともあの強制収容では、家族が一緒にいることができたおかげで、不当な収容で魂の傷を深めることはなかったことだけは評価することができる。

訳注1)ローワー・キャンプ:当時10カ所あった日系人収容所の一  つでアーカンソー州につくられた収容所

自分の子ども時代に両親がいない収容所に放り込まれることを一瞬でも想像することができない。それを思うと今起こっているこのことで私は怒りと悲しみでいっぱいになる。怒りは最も基本的な人間性さえも失ったような政治的リーダーシップに対し、そして深い悲しみは影響を受けた家族へ。

政治指導者はどうやってこのような政策に効力があると確信するのだろう? そんなものがあまりないことは歴史が示している。日本が爆弾を投下した後、誰が政治の犠牲者になるかは明らかだった。アメリカが戦争に向けて準備を整えていた当初は披露できる軍事的な成功がほとんどなかったので、政府当局は日本に対し厳しく対応していることを示す必要があった。日本への厳しい対応はそのまま日系アメリカ人への厳しい対応に読み替えられた。日系アメリカ人のほとんどが日本国籍を持っていなくても関係はなかった。収容されたおよそ三分の二は米国市民だったが、戦時転住局は「ジャップはジャップだ」と明言した。それは彼らの「ゼロ・トレランス」政策(訳注2)だった。

訳注2)ゼロ・トレランス政策:もともとは犯罪学で研究された治安方法。軽微な違反も許さず厳しく処罰を課すものだが、犯罪をなくす効果はそれほどないとされている。トランプ政権は国境での移民取り締り政策に流用した。

しかしどうやって12万人におよぶ徹底的な強制収容を正当化するのか?誰も実際に何か悪いことをしたわけでもないのに?

それをしたのはアール・ウォーレン最高裁判所長官だった。リベラルな最高裁判所を作り上げたと有名なこの人物が事態の推進を助けた。当時カリフォルニア州検事総長だったウォーレンは知事への野望を抱いていて、1942年後半に当選を果たす。ウォーレンは西海岸で日系アメリカ人が破壊活動やスパイ活動をした証拠がないことが、真に隠された邪悪な計画があるに違いない証拠だとその正当性を宣言した。

これは嘘であり、しかも大きな嘘だった。しかし執拗に繰り返され、しっかりと確信をもって宣言されたため全国民がそれに続いた。私たちは当時、人殺しで、凶悪犯で、けだものとされ、悪から善を見分けることができないのだから、国家安全保障の名において皆全員かき集めるほうがいいに違いないと。

国境でとられている措置と第二次世界大戦中の強制収容所を並べて語ればいつも、大統領令9066に署名し強制収容所設立を動議したのは民主党のフランクリン・デラノ・ルーズベルトその人だと「私に思い出させる」コメントがあふれる。これは私のいいたいことを強調しているにすぎないが、合衆国の権威主義との戯れは、どの政党にも結び付いていない。良心をもつ善人であってさえ熱狂の中にからめとられる。アール・ウォーレンは共和党員だったが最終的には強制収容所に果たした彼の役割は最も愚かな過ちの一つだとの見解を公表した。しかしコロラド知事だったラルフ・カーを除いて、当時政府にいた誰もがウォーレンがしたことを間違いだとは思わなかった。

今行動を起こさない限り、私たちは過去の過ちから何も学ばないだろう。再び私たちは強制収容所や金網、人種差別者がイメージする世界に身を投じる。そして嘘は、突き刺すには充分の力を持つ。

今、少なくとも二つの大きな嘘がある。一つは、民主党が通過させた法律があり法務省はそれを施行するしかないということ。この嘘は責任転嫁で、人々を混乱させ、ホワイトハウスの方針に従う忠実な役人に都合のいい論点を提供する。ルーズベルトと同様、ドナルド・トランプは法執行の優先順位を決定する幅広い自由度を持っている。そしてあの当時、孤児院にいた子どもも含めて日本にルーツがあるすべての日本の末裔を強制収容しなければならなかった法がなかったのと同じように、国境において子どもたちに対し「ゼロ・トレランス」でなければならない法はない。

二つ目の嘘は、国境にいる人は犯罪者であり、したがって権利などないということだ。だが国境にいる亡命希望者は全く法律を犯していない。同行している子どもしかりだ。現在の「犯罪者」という言葉は戦時中に言われた「敵」のように私の耳に響く。どちらの言葉も、一度大きな刷毛で塗られたが最後、洗い落とすことはできない。トランプはずいぶんと以前から、メキシコの移住者を麻薬密売者、強姦魔、殺人者、けだものと呼んで彼らの人間性を奪い、自分の支持者にこの日の準備をさせている。けだものは檻の中がふさわしいかもしれない。人間はそうではない。

私のようにこの悪夢を生きたことがある人びとが、二度と警鐘をならす必要がないことを願う。

いつか父が言ったことがあるが、アメリカは偉大な国家だけれども、そこに住む人びとが大きな間違いを犯す傾向があるのと同じように、間違いを犯しやすい。強制収容所の生存者として私は、国境内に強制収容所が建てられることに反対することを生涯の使命としている。

国境を超える人たちを強制収容する初めての収容所がつくられ、現在罪のない子どもたちでいっぱいになっているが、私たちには歴史が完全に繰り返されないことを確実とし、過去から学んでいることを証明し、悪化する本質に確固として立ち向かうチャンスがある。強制収容は恐怖や憎しみから生じるが、また政治的リーダーシップの失敗からも生じる。1941年の収容命令に反対する勇気のあった政治家はほとんどいなかった。私は今日、彼らが立ち上がり、立ち上がるべきであり、立ち上がらなければならず、指導者層や一般の人びとのより多くが声をあげることを願っている。そして将来、またもや盲目的に追従するのではなく、私たちの抵抗の歴史が書き残されることを願っている。


原文

FP
‘At Least During the Internment …’ Are Words I Thought I’d Never Utter
I was sent to a camp at just 5 years old–but even then, they didn’t separate children from families.

BY GEORGE TAKEI | JUNE 19, 2018, 9:00 AM