TUP BULLETIN

速報332号 拘束された豪州女性の手紙No.7  04年7月3日

投稿日 2004年7月2日

DATE: 2004年7月2日(金) 午後4時26分

《豪州NGO女性ドナのファルージャ拘束報告No7》
 


イラクのファルージャでは、米軍の包囲網作戦が2004年4月5日から、4 月の末に米軍が複数の陣地から撤退し始めるまで続いていました。11日には 「一時停戦」が成立したとはいわれたものの、実際には激しい戦闘が行われて いました。そんな中、オーストラリア人女性ドナ・マルハーンさんは、4月1 3日に3人の外国人同行者と共に、戦火の中、救援活動のためバグダッドから ファルージャに向かいました。その帰り道、ファルージャ郊外で地元ムジャヒ ディンに20数時間拘束されました。その顛末を、8本のメールにしたためた マルハーンさんの文章を紹介します。本稿は、その7本目です。戦争とはどん なものなのかを知る手がかりになればと思います。

翻訳 TUP/福永克紀 (翻訳・再配布了承済み)
 


ファルージャ7:道路封鎖 ドナ・マルハーン 2004年5月9日

そこで、私たちは、がら空きの埃っぽい封鎖道路を、これを見張っている兵隊 がいるコンクリートブロックとレザーワイヤーの塊に向かって歩き始めた。

私たちの後ろには、ファルージャの一般市民を満載した数百台の車の列が並ん でいる――恐怖にかられ、なんとか安全地帯に逃れようとする人たち。もうす でに数台が、もうこれ以上近づくなと警告する米兵の射撃に、あきらめて引き 返してしまっていた。

ファルージャは流血の監獄になってしまっていた――だれも、入ることも出る こともできない。

米兵の姿は確認できないものの、まず数日前と同じ手続きに従った:私たちが 西洋人であることを見せるためにヒジャーブをはずして顔を見せる、腕は上に あげる、手にはパスポート、そして拡声器で呼びかける:「ハーイ、米兵さ ん、私たちは非武装の外国人市民です、ファルージャから出て行きたいんです ――撃たないでください」

これを数回繰り返し、私たちはゆっくりと検問所に向かって歩いた。目を細め て遠くをよく見てみても、自分の声のこだまが返ってくるばかりで、向こうの ほうには何の動きもない。無人地帯の道を半分ほど進んだところで、ついに遠 くのほうに一人の兵士の人影が見えてきた。メッセージを繰り返すと、男のか すかな返事が聞こえてきた。「撃ちはしない。前進しなさい」

ほっとして、私たちはその男に会いに残りの道を歩いていった。彼は、私たち を見て驚いていた、そして少し緊張していたが、愛想よく挨拶してくれた。ほ かにも10人ほどの兵士が、マシンガンを手に、少し当惑ぎみの様子で私たち のまわりにうろうろしていた。

私たちは援助物資を運んで配る手助けにファルージャに行っていたこと、今バ グダッドに帰ろうとしていることを説明した。検問所責任者の下士官は、私た ちの車2台の通過を許可してくれた。いいニュースではある、しかしそれでは 十分ではない。

「ほかの人たちはどうなるんです?」と私たちは聞き返した。この「ほかの 人」たち、自分たちの町を突如襲った地獄から何とか逃れようと、暑いすし詰 めの車の中で待っている、この数百家族のファルージャの人たちは。

そこには、不安な女性たち、怯える子供たち、手足の不自由な老人たち、そし て戦いに加われる年齢だが、戦いを好まない若者たちがいる。

「この人たちも通すべきです」と私たちは訴えた。「あの人たちは、ただ安全 なところに行きたいだけなんです」

責任者のその下士官は、躊躇していた。

「彼らは、ほんの少しの身の回りの物を持って、暴力から逃げたがっているだ けの一般市民なんです」と説明した。

さらに5分くらいねばっていると、ついに下士官は答えた。

「わかった、女子供はいいだろう」と、まるで大した譲歩でもあるかのよう に、彼は告げた――しかし、何の役にも立たない譲歩を。

この下士官は現地の文化を何ひとつ理解していないようなので、私が悟らせて やらなければならなかった。「女性は運転しないんですよ。もし、一人か二人 でも運転できたとしても、家族の男とはなれて一人で行くことなんてありえな いんです」と私は穏やかに話した。

彼の譲歩では、列に並んだこの数百台の車は、一台も通れない。

彼はうなずいた。「わかった、老人もいいだろう」。これもまた、ほんの数台 を通すことにしかならない。

私には、若者は通さないという理由がわからなかった。そこで彼に尋ねた。

「あの人たちは町を出たいだけで、あなた方と戦いたくないのです。通してや らないとだめですよ。でないと、彼らはあなた方から身を守るために銃を持た ざるを得なくなるでしょう?」

検問所責任者の下士官は大きな声では返事をしなかったが、周りにいたうちの 一人が、たぶん私たちに聞かせるつもりもなく、こんなことを言った。

「あそこに固まっててくれる必要があるんだ。一発でやつらを全部片づけられ る。そのほうが簡単なんだ」

もし責任者の下士官が彼の指令を即座に繰り返さなかったら、信じがたいこの 発言を私は冗談と受け取っていたかもしれない。

「だめだ。男は出さない。そう命令を受けている」

私たちは車の列に戻っていった。人々は期待の表情で、辛抱強く私たちを待っ ていた。

通訳が説明した。「女性と子供は行けます。それにお年よりの方も」

私の横に立っていた、身だしなみのいい40代の男性が私の腕をつかんだ。彼 の腕にはまだ赤ちゃんの娘が抱かれていた。「私はいけるんでしょうか?」 と、彼は必死で聞いてきた。

私は心を打ちのめされた。赤ん坊と妻と車いっぱいの子供を連れたこのイラク 人が、彼のものである公道を通って、ファルージャの爆撃や砲火や混乱から抜 け出すことが不可能であることを、この私が説明せねばならないのか。

「解放」の名目のもとにやってきた外国の戦車が、この男の自由を、私の目の 前で奪おうとしている。家族を安全なところに移す自由を。平和に暮らす自由 を。ただ単に生きるという自由を。

私はうつむいた。「だめなんです」と私は言った。「彼らは、あなたは行かせ ないでしょう」自分でしゃべりながら、信じられない言葉だ。

「奥さんと子供さんは通してくれるでしょう」と、彼にとってはなんともばか げた話に聞こえることを承知で、私はそう言った。

「どうやったら、妻たちだけで行けるんですか?」と、家族が安全圏に逃げる ためには彼が座らねばならない空っぽの運転席を指差しながら、彼は叫び声を あげた。彼の妻の顔に不安が浮かぶのを見て、私の心は粉々に砕かれた。

そこに列をなしているたくさんの家族も、同じ目にあうのだ。

もうこんなことは我慢できなかった、これらの家族が、どんな運命にあうか想 像もつかない場所へ引き返して行くのを、見るのには耐えられなかった。

もう一度要求してみるため、私たちは兵士たちのところへ戻って行った。兵士 たちに説明して、車はすべて家族連れの男が運転していると言った。彼らを通 さないのは、女も子供も安全なところへ行かせないことになるのだと言った。

「あなたはジュネーブ条約を知っていますか?」と私たちは、ほとんど答も期 待できなかったが、訊ねた。

この一番上官の男は、考え込みなから、しきりに両脚を組み換えていた。私た ちはじりじりと期待しながら息を飲んで待っていた。

「いいだろう」と彼は言った。「男も通っていい、ただし家族連れに限りだ」

やった! これで少なくとも女と子供は出て行くことができるし、男の多くも 出て行ける。

私たちはみんなのところに戻ってこの新条件を説明した。私たちの声が聞こえ ない人には、車を指差し親指を上げてオーケーのサインを送った。

拍手が起こり、喝采がわき、大声がおこった。「ありがとう、神のご加護を」

しかし、兵士らがだれであれ通行を許可したのは、そこで外国人の一団が見て いてジュネーブ条約を思い出させたからだということを考えれば、それは手放 しでは喜べない苦い勝利だった。この人たちはイラク人であり、自分の国の中 を動き回りたいのだから、それだけで通すべきなのに。ほかの検問所ではどん なことが起こっているのか考えると私はぞっとした。

しかも、まだ若者が残っていた。小型トラックの荷台に20代前半の若者がお おぜい乗っていたのだ。彼らは今日ファルージャを去ることはないだろう。私 たちには彼らに筋道の通った理由など説明しようもなかったので、兵士たちの 恐ろしい言葉を伝えることはしなかった。

それから、私たちは自分の車に乗り込み、検問所までの無人地帯をゆっくりと 先導した。兵士たちは車を捜索し、そして進めと案内した。大家族で満載の後 ろの車も通りぬけた。私たちの後ろにぴったりくっついていた。

どうなっているかと、後ろを振り返ってみた。兵士たちはたくさんの車の捜索 を続けていた。このファルージャの人たちには、今日は長い日になるだろう、 だが願わくば安全なところまで行き着いて欲しいものだ。

戦いたくなかったあの若者たち――彼らはファルージャの地獄へ戻り、無法状 態の戦争のうちに捉えられた市民という、まったく何が起こるかわからない状 況に直面しなければならない。

車で去りながら、私は、人々の顔に表れていた恐怖と絶望を思い浮かべ、悲し みに打ちひしがれた。

私は考えずにはいられなかった。なぜ、この人たちは、恐怖のあまり自分の家 から逃げ出すことを余儀なくされるのだろう。

なぜ、自分自身の国で難民になるのか。彼らは、どこに行くのだろうか。彼ら の生活は、いつまでめちゃくちゃにされたまま続くのだろうか。

殺戮が終わり、約束された「自由」がくるまで、どれくらいかかるというの か。

ファルージャを揺るがす新たな爆撃音を後にして離れて行く私たちには、その 答えを見つけることはできなかった。

あなたの巡礼者より

ドナ

追伸:ファルージャの人々の窮状の話はこの次です。

追追伸:いつも私の受信ボックスが満杯でごめんなさい、もし問題があったら  donnainbaghdad@y… を試してみてください。

追追追伸:新入会員の方へ: ファルージャの以前の話は www.sydneypeace.com に、全編は、www.groups.yahoo.com/group/thepilgrim  にあります。

追追追追伸:「何をやっているのか知らないことより怖いものはない」―― ゲーテ

原文 http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/85

同行者のジョー・ワイルディングのファルージャ報告 原文 http://www.wildfirejo.org.uk/feature/display/115/index.php 訳文 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404i.html