TUP BULLETIN

速報428号 ドナのイラク報告(12) 赤新月社事務所で難民を迎える 041221

投稿日 2004年12月21日

DATE: 2004年12月21日(火) 午後10時01分

ファルージャの惨劇は、自然災害などではない。誰かが始めた。誰かが計画した。誰 かがこれを実行した。


 4月、米軍包囲下のファルージャに、人道救援活動のために入り、その帰路、地元 のレジスタンスによる拘束を経験したオーストラリア人女性ドナ・マルハーンが、11 月24日に再びバグダッド入りし、そこから送っている現地報告をお送りしています。 今回は、ファルージャ難民支援の件で、赤新月社を訪れたときの話しです。 (翻訳:福永克紀/TUP)


ドナ・マルハーン ファルージャ 難民の惨劇 2004年12月14日

ホワイトボードに書かれている統計は、恐るべきものに見える。縦の欄には黒色でア ラビア語が、横の列には鮮やかな赤でいろいろな数字が書いてある。*印や、矢印 や、チェックマークや、×印などがついている。

ホワイトボード上のその殴り書きが表しているのは、いかにも、めちゃくちゃで、ど うしようもない状況のようだ。しかし、それですら、ファルージャ難民の惨状を伝え ているとはいえない。

私たちは、イラク赤新月社の事務所にいる。この団体は今、戦時下に町全体がホーム レスとなってしまうという惨状に、必死で取り組んでいる――大惨事の中にさらに大 惨事が起こっているのだ。

私の助手を務めてくれている友人のイラク人ライドは、ファルージャの人々を助ける 活動の開始を待ちきれない様子だった。

「これがイラクで今やるべき一番いい仕事です」と、いつでもすごく情熱的な彼が、 いっそう熱をこめてこぶしで宙を突いている。

「イラク人は、ファルージャの人々のことを思うと、いても立ってもいられない気持 です。オーストラリアの人々もそうですよね」

33歳のライドは、今年、3ヶ月間オーストラリアに滞在して、オーストラリア人が イラク人に対して深い関心を持っているのを知っている。このオーストラリア人の気 持を、最も被害に苦しむ同胞、特にファルージャの人たちに、ぜひ伝えたいと言うの である。

オーストラリアからの募金があれば、私たちのささやかな組織、「我が家―イラク」 は、この人たちの一部分ではあっても支援を実施することができる。

そのため私たちはまず、口先だけでなく実際に事態をよく知っている人たちに助言を 求めた。イラク赤新月社は、最も状況を把握し、最善の援助方法を知っている団体 だ。

赤新月社の事務所に到着した私たちは、事務所の外で待ち続けていたおおぜいの女性 と子供にワッと取り囲まれて、即座に、自分たちがしようとしていることがどんなも のなのか実感することになった。

「助けてもらえませんか?」と聞いてくる。「ファルージャから来たんです。何もか もが足りないんです…」

顔にはストレスのあとが刻み込まれ、絶望的な目をして、着ているものは薄く汚い。

「どうか助けてください、町を出たときはまだ暖かかったのですが、今はもうとても 寒くなったのにヒーターもないのです」

中に入ると、国際関係担当者のマジン・サルーム氏が説明してくれた。赤新月社の職 員の推算では、20万人以上のファルージャ市民が「国内難民」となっている。

これは、ニューカッスルやウロンゴングの人口より多い! (訳注:ニューカッスル  豪州シドニーの北156キロにある都市: ウロンゴング シドニーの南81キロにあ る都市)

彼によると、大多数の人たちがファルージャ周辺の4、5箇所の町に避難所を求めた という。多くの人は川を泳いで渡るか、延々歩いて来た。その他の人たちはバグダッ ドにたどり着いたという。

オーストラリアで言えば、ニューカッスルの住民が、死に物狂いでハンター川を泳い で渡ったり、イングランドハイウェイを歩いたりして、セスノックやメイトランドや カリーカリー・ウェストンやレイモンド・テラスに押し寄せてくるようなものだ。

これらの町で難民たちが寝泊りしている場所は、木の下の地面から、間に合わせのテ ント代わりや、モスクや学校や空きビルの床まで多岐に渡っていると、サルーム氏は 言う。

「みんな、テント暮らしなんかいやなんですよ」と、彼はことさらに、これだけは間 違いないという口調で言ったが、その必要はなかった。私も、当然そう思っていたか らだ。以前ファルージャに行ったことがあるが、快適で居心地のよさそうな大きな家 をいっぱい見てきた。私だって、それを冷たいコンクリートの床に寝ることと交換し たいとは思わない。

それに、ほとんど凍てつくこの時期に、これだけの人数に対応できる施設はない。電 気もなく、お湯もなく、ガスも灯油もない。

つまり、設備の整った家や建物がどの区画にもまったくなくなったセスノックに住む ようなものだ。祖父母や義理の母や従兄弟と、子供たちもみんないっしょに、こんな 状態で野宿するところを想像してみてほしい――クリスマス休暇もなく、いつまでそ んな暮らしが続くかわからない。しかも、必要なものは何もなく。

ファルージャの人たちはバグダッドではモスクに殺到した――大学構内の芝生に野宿 する人もいたし、親類の家に間借りできた人もいれば、爆破されたビルにもぐりこん だ人もいた。

サルーム氏によれば、一日当たり平均15家族が助けを求めて赤新月社にくるという。

「彼らが特に望むものは、毛布やヒーターや食料です」と、彼は言う。

「彼らがファルージャを出たときは、まだ暖かかった。でも、今はもう寒くなってし まったが、彼らにはこの気温をしのぐ着物も毛布もないのです。走って逃げなければ ならないときに、いろんなものを持ってくることはできませんからねえ」と言う。

それが、ファルージャを逃れた人々の置かれている窮状だ。だが、市内はもっと悪 い。はるかに悪い。

いまだに道に散乱している腐敗する死体を犬が食べていると、赤新月社は報告してい る。処理もされていない汚水があたりにあふれている。電気もなければ水道もない。 みんな飢えている。ある家族は三日間小麦粉を生で食べざるを得なかったという。

スタッフが会った二人の老女は、ファルージャ以外には親戚もなく行くところもない ので、米軍攻撃の前に町を出ることができなかった。彼女たちは生き延びたものの危 篤状態だ。

赤新月社は市内に小さな事務所を設立し、毎日、医薬品と新鮮な食料と水を持ち込も うとした。しかし、たびたび米軍から入域を拒否された。米軍が言うところの「軍事 作戦」という理由で。

私がファルージャ内部の事情をもっと話してほしいというと、サルーム氏はためらっ た。

「問題を起こしたくないんです。たくさんの話があります、でもこの話を公にしゃべ れば私たちには問題が生じるのです」

「問題?」と、私は聞き返した。

「米軍の協力を失うわけにはいかない…」

私はこれ以上、彼にこの問題を尋ねなかった。明らかなことだ。米軍が赤新月社に圧 力をかけ検閲しているのだ。

「これは、自然災害ではないのです」と、彼が言った。

「自然災害には政治的駆け引きなどありません。これは戦争なのです、そしてその 真っ只中に私たちはいるのです」

事務所の建物から出て行くとき、彼の言葉が私の耳の中で鳴り響いていた。

「これは、自然災害ではないのです」

外には、まだ女性たちが待っていた――ますます絶望的な顔で、うつろな目をして。

「これは、自然災害ではないのです」

私たちは女性たちと話をし、詳しい事情を聞き、この人たちの家族に毛布とヒーター と食料を提供すると伝えた。

私たちが帰っていくとき、「ごめんなさい」と、若い母親が英語で言った、恥じ入っ て、顔を伏せながら。

「ごめんなさいですって?」

私は彼女の腕に手を置き、目をしばたたいて涙をこらえた。胸にこみあげるもののせ いで、声を奪われ、ささやくしかなかった――「そんなこと言わないで」

これは、自然災害ではない。

この言葉が、脳裏を激しく打ち始めた。これは、人が起こした災害だ。誰かがこれを 始めた。誰かがこれを計画した。誰かがこれを実行したのだ。

これは、自然災害などではない。

「ごめんなさい」と、別れ際に、私が言った。

皆さんの巡礼者

ドナより

追伸:明日、この女性たちとその家族に、援助物資を(それと友情も)届けます。

追追伸:ファルージャ難民とオーストラリアからの援助の現状について、「話題いっ ぱい」の報道機関発表用の文章を書き上げました。もし、どなたか地元のメディア (どんなメディアでも)に送ってくださる方がおられたらお知らせください、お送り しますので。この話題を、ラジオの聴取者参加番組で取り上げさせましょう、どう?

追追追伸:私の電話番号は(訳注:番号省略)です。

追追追追伸:「世界を知れば知るほど、永続性のあるものを創造するには、暴力は無 力だと確信するようになった」――ナポレオン・ボナパルト

原文:Fallujah – the refugee disaster URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/137