TUP BULLETIN

速報569号 リバーベンドの日記12月5日 サダム裁判はめちゃくちゃ・・・ 051209

投稿日 2005年12月8日

DATE: 2005年12月9日(金) 午前8時38分

怒号と罵声と大混乱に終始した法廷に見えたもの


戦火の中のバグダッド、停電の合間をぬって書きつがれる若い女性の日記 『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、女性としての思 い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、検問が日常、女性は外 を出ることもできず、職はなくガソリンの行列と水汲みにあけあけくれる毎 日。「イラクのアンネ」として世界中で読まれています。すぐ傍らに、リバ ーベンドの笑い、怒り、涙、ため息が感じられるようなこの日記、ぜひ読ん でください。(この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携に よるものです。転送転載大歓迎です。)  http://www.geocities.jp/riverbendblog/ (TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里)


2005年12月5日月曜日

究極の裁判・・

今日の裁判の始めのところは見られなかった。ネズミが出たというので、みん なで台所に集まり、ネズミの穴を探していたのだ。そこへ、リビングルームから 吠え声が聞こえてきた。

法廷の罵り怒鳴る声があふれる中で、いとこがテレビの前に立って音量を調節 していた。まだ始まったところ――被告側弁護人が法廷から引き上げようとして いた。ラムゼー・クラークが英語で発言することを認められなかったためらしい。 法廷の自主独立性と外国語で発言することの不適切さをめぐって何かしら問題と なったのだ(この国全体が他国の占領下にあることを考えると、ちょっと皮肉な 眺め)。弁護人たちは後で戻ってきた――そこも見ていないのだけれど。

[サダム・フセインの特別法廷は、10月19日から始まり、12月5日は3回 目の審理。前回11月28日の審理は、その前に弁護士2人が殺され、1人が国 外へ脱出するという事態になっていたため、新たな弁護士選任までの休廷を宣言 して閉廷したため、実質的審理はこの日から。このたびの裁判では、バグダード 北方60キロのドゥジャイルで1982年にサダム・フセイン暗殺未遂事件を口 実に148人が殺され、拷問もあったとされる事件について、サダム・フセイン ほか7名が起訴されている。また、1991年のシーア派とクルド人の蜂起に対 する弾圧、1988年のクルド人掃討を目的とするアンファル作戦、1980年 から88年までのイラン・イラク戦争、1990年のクウェート侵攻についても 今後罪を問われる可能性がある。]

ちゃんと見たのは、最初の証人が入廷したところから。この証人は最初の原告 でもある。ドゥジャイルの事件を語る彼の証言は、詳細で感情に訴えるものだっ た。が、証人が、当時15歳だったことを考えると、この詳細はひじょうに興味 深い。証言そのものの問題点は、その多くが伝聞であることだ。ある人にこれこ れが起こったと誰それから聞いた――というふうに。そう、私は弁護士じゃない けれど、「プラクティス」のファンだし、ディラン・マクダーモットを観て何か を学んだとしたら、それは伝聞は証拠とは認められないってことね。

[「プラクティス」は、アメリカ、ボストンの弁護士事務所が舞台のテレビドラ マ。ディラン・マクダーモットはその主演男優。]

2番目の証人は、それよりは要領を得ていたけれど、事件当時10歳で、この ことは彼の証言に有利には働かなかった。最後に、判事が誰を告訴するのかと聞 くと、彼は誰も告訴してはいないと答えた。と思ったら気が変わって、今度は被 告の一人を告訴しているという・・・続けて、自分は誰であれ有罪とされた者を 告訴していると言った・・・そして、結局「当時のバース党員全員」に対する告 訴であるということになった。

もっと信頼性の高い証人はいなかったのかしらね。 当時15歳と10歳だっ たなんて、滅茶苦茶だ。

途中で、弁護人たちが、向こうにいる警備要員(警察官だが)が明らかに自分 たちを脅した、つまり威嚇のポーズをして見せるなどしたと言って、またもや退 席しようとしたので、判事は退廷するよう求めた(警備要員に対して、よ)。そ のとたん法廷は上へ下への大騒ぎとなった。サダムは何事か叫び始め、弁護人た ちは糾弾しており、バルザーニは立ち上がって、画面では姿が見えない誰かに向 けて怒鳴り始めた。

法廷は大混乱だった。わめき叫ぶ声、くどくど言い募る声、がなり声の演説、 責め立てる声・・・判事が気の毒だった。判事は、ほんとうに懸命に事態を収拾 しようとしているように見えた。しかし、誰もが彼にそうさせまいとし、逆にあ れこれ命令していた。判事は丁重で辛抱強い人で、家庭裁判所の離婚担当だった らうまく務まっただろう。だが、サダムの公判を何とかできるほど断固たる人で はないと思う。ただこの法廷をしかるべき状態に保つ能力を持っていないという だけなのだ。

まったく裁判とは思えなかった。見ていて「ファシル」を思い出した。ファシ ルは、部族同士がもめたとき、部族のシャイフ(長老)たちが設定する場のこと。 双方の部族長ともめ事に関係する家族の中心メンバーが呼び集められる。そして 叫び声、非難の応酬、罵倒のあげくに、問題を解決しようとし始めるのだ。今日 の裁判はまさにこれ。お互い相手をつぶし合い、唾を吐きかけ合うことさえあっ た。なんてことだとあきれてしまう――それに、一人前の大人とはいえないわね。

証言を聞いていて衝撃を受けたことがある。ドゥジャイルでの暗殺未遂の後、 次々と起こったことのほとんどは、まさにいまイラクのさまざまな所で起こって いることなのだ。果樹園が隈なく根こそぎにされたと、そのときの様子が証言さ れた。ムハバラート(秘密警察)が、サダム銃殺未遂犯はここの出身で果樹園が 隠れ家になっていると考えたのだ。これは、米軍が暴徒が隠れていると考えて、 去年ディヤラの果樹園をなぎ倒したのと同じだ。また、男も女も子どもも拉致し 去る大量拘束についての証言もあった。これはまるで、現在ただ今のラマディや ファルージャのことが語られているかのようだった。狭い所にぎちぎちに詰め込 まれ、拷問されるさまは、アブグレイブで捕らわれていた人々の証言とそっくり だ。

ということは――ブッシュ、ラムズフェド、チェイニーやその他の面々が法廷 にお目見えする日があるってことかしら。あ、被告人として、よ。

午後8時25分 リバー

[椰子園を米軍がブルドーザーで踏みにじった話は、2003年10月13日に 出てくる。http://www.geocities.jp/riverbendblog/riverbendblog10.html]

(翻訳:TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里)