TUP BULLETIN

速報814号 パレスチナ農業救済委員会(PARC)の報告書

投稿日 2009年2月12日

 ◎イスラエルの攻撃が残す災禍、ガザの環境破壊を憂う

 

「戦争は最悪の環境破壊である」としばしば言われます。今回のイスラエルのガザ侵攻もその例外ではありませんでした。実際、イスラエルの戦略において、ブルドーザーが大きな役割を果たしているのは、今回の侵略に限ったことでもありません。農地、緑地地帯を破壊するのはいとも簡単なことなのに対し、厳しい中東の気候の中、その回復にはどれほどの忍耐、努力、コストが必要になるか、考えただけでも気が遠くなりそうです。
 
以下、パレスチナ農業救済委員会による、主に戦争の環境被害について述べた報告書の邦訳です。ガザのアブデルワーヘド教授が送って下さったものです。
〔共訳: 坂野正明(前文とも)・岡真理/TUP〕
 

※凡例: (原注) [訳注]
 

戦火のガザ―― 人々は殺され、生活は打ちのめされ、土地は占領される

[パレスチナ]農業救済委員会 (PARC)
 
2008年12月27日土曜日正午、イスラエル空軍はガザ地区の何箇所か、なかでもガザ市の複数の箇所を中心に、攻撃を開始した。そして攻撃初日からイスラエル軍はすべての幹線舗装道を避けて農地の中に進軍した。そしてその農業用地に軍事基地を建設した。そしてその農地の上に新たに軍用道を築いた。これらは主に、ガザ市東部、あるいはガザ市北方にあるベイト・ラヒア村とジャバリーヤ村の付近の話である。実用的には、イスラエル軍は保安緩衝地帯の幅をもとの 50〜100メートルから 3000メートルに拡げた。場所によってはそれよりもさらに広い、つまり、時には軍用地はそれよりもさらに広くなった。そういった仕事が済んだあと、無人偵察機、ヘリ、F16戦闘爆撃機の支援のもと、イスラエル軍は重戦車、軍用車、ジープ、大砲に軍艦までも動員して大規模な地上攻撃を開始した! 結果、住宅地に甚大な損害がでて、何千人もの民間人が死に、負傷し、精神的に深い強烈な傷を負い、困惑し、あるいは住み家を失った。
 
現在まで 22日間昼夜にわたり、ヘリコプターや F16 戦闘爆撃機や戦艦による監視行動と爆撃とに、前日あるいは前夜から何らかの変化があったことは一度もなかった。イスラエルが民家や子供の遊び場や公園を狙ったあと、その地でひっくり返らなかった小石一つ残らない。たとえば、アル=ナーセル地区では夕べ、少なくとも 9軒の家が F16に攻撃された! いずれも高層ビルのアパートだった。1月14日水曜日には、F16のミサイルがシュイフ・ラドワーン墓地に着弾し、17個の墓を破壊し、[そこに埋められていた]死体を掘り起こした! こういう行動を見ていると、イスラエルはあとどこを攻撃するのだろうという疑問が出てくるし、軍指揮官は他にどこを破壊しようと考えているのかと訝ることになるだろう。ガザ市の医療当局は、死者数 1300でうち子供が420人、女 118人、高齢者 118人で、それに加えて 5500人が負傷したと発表した。イスラエルの侵略により精神的外傷を負ったり恐慌を来した人の数は当然含まれていない。助けの手も救助する人もなく瓦礫の下や農地のただ中で死んだ人々の数も当然含まれていない! 医者の言葉によると、何百人もの負傷者は二度と回復することもなければ、ふつうの暮らしに戻ることもないという! 何百人もが身体障碍者として生きることになる。マスコミや衛星テレビはシファー病院からの報告として、一本のヴィデオの映像を流した。そこに写っていたのは、両脚をひざの上から切断された 15歳の少女、片脚しか残っていない少女、両目を失った少年、そしてほかの人々……。[病院の]外科手術室の数は限られ、使える設備も貧弱な中、住民の健康状況はどんどん悪化している。パレスチナ人の外科医を支援しにアラブ諸国といくつかのヨーロッパの国々から駆けつけた 60〜70人の医師が助けになってくれているが、しかしそれでもなお、ガザにはいかなる治療も受けることができないでいる負傷者がいる。……また、13人の救急医療隊員が、勤務中に命を落とした。何台もの救急車が、負傷者を救出し遺体を運ぼうとしている最中に撃たれているのだ! ガザ地区で何が起きているのか語ろうとするとき、すべて感嘆符つきになる!
 
第2週、イスラエルの攻撃ヘリコプターは、すべての人権と国際協定を公然と無視して、白燐弾を使った攻撃を開始した! イスラエルは国際社会のことなど何一つ気にしていない。これらの爆弾は負傷者に火傷を負わせる。実際、それによって多くの負傷者が命を落とした! マッツ・ギルバットという名のノルウェーの外科医がガザに数日間滞在し、シファー病院の救急部で外科手術を執刀した。ギルバット医師は 2009年1月12日に発って帰国した。同医師は次のように語った。「ガザで負傷したり死亡した民間人の数は、イスラエルが住民全体を計画的に攻撃していることを証明する。……(中略)……病院は能力の限界に達している。すべての医者が昼夜なく手術を行なっていて、しかもまだ何千人もの人が治療を受けられずにいる。……(中略)……これは、ガザ地区のパレスチナ民間人に対する全面的戦争だ。……(中略)……檻の中の 150万人の人々を爆撃している。」この証言は、同医師へのスカイ・ニューズ[英国のニュース局]によるインタビューとして以下から参照できる。
http://www.youtube.com/watch?v=Ev6ojm62qwA&eurl=
 
また、侵攻第2週には、外科医をはじめとした各国からの医師が、病院で支援するためにガザに入ることを許された。一方、シファー病院の外科で何日も働いていたノルウェーの医療チーム(外科医 2名)はガザを去って帰国した。エジプト、ヨルダン、アルジェリア、サウジアラビア、ギリシャ、スーダンからも医師が駆けつけている。スーダンの医療団はまだ到着していないが、スーダンの人々が献血してくれた血液バッグをもってガザに向かっている途中だ。
 
食料品や生活必需品や燃料といった何千トンもの寄付の品々がラファを通ってガザに運ばれるよう、手はずが整えられた。そうして運ばれた物資は、UNRWA[国連パレスチナ難民救済事業機関]により、ガザ市内の UNRWA本部構内に保管されていた。ところが予想外のことに、1月15日に突然、全世界が驚き衝撃を受けることになった。イスラエルの航空機の攻撃により倉庫が燃やされたのだ。倉庫全体が炎に包まれた! 誰もが攻撃を非難した! この攻撃の結果、家を追われたり避難してきた何千人ものガザ地区の人々が人道の危機に見舞われることになった。
 
控え目に言っても、毎日、新たな日が訪れるたびに、死者の数も負傷者の数も家を追われた人の数も、破壊被害の数々も、都市部、農村部の両方で増加の一途をたどっている。夜が訪れるたびに、何千人もの子どもたち、女性とその一家がよくない夢、悪夢にうなされている! ガザの通りひとつひとつに痛ましい物語があり、家族ひとつひとつに痛ましい物語がある、そういう状況を想像して頂きたい。すべてが大災害、混乱、地獄と破壊に覆われている。そのうえ、病院をはじめ多くの場所にも知られざる物語と痛ましい情景とがある! タル・エル=ハワー地区では、イスラエル陸軍は、アル=クドゥス病院の一棟から有無を言わせず患者を避難させ、戦車で砲撃した。およそ 10台の救急車もイスラエルの戦車で破壊された。イスラエルは 3台の救急車を破壊したうえで、タル・エル=ハワーで軍事用バリケードとしてそれらを使ったのだった。
 
攻撃の結果として、何千人もの人々が自宅から逃げ出すことになった。そういった人々は、空襲や砲撃、爆撃で家を失ったか、命からがらすぐ隣のそれまた戦闘地域に逃げ出したか、あるいはイスラエル軍に自宅から避難するように命令されたかだった!何千人かの人々は、市内や町内で相対的に安全だと思われる地域の親戚や友人を頼って、そのもとへ逃げ出せた。しかし、そんな頼れる親戚がいない人々には、隠れる場所はひとつしかなかった。つまり、UNRWAの学校にすし詰めになった。ところが不幸にして、それら学校のうち 3校がイスラエル軍の標的にされた。ジャバリーヤの UNRWAの学校は、戦車により 3発の砲撃を被った。その攻撃で 67人の避難民が死亡し、40人以上が負傷した。攻撃にあった三つ目の UNRWAの学校はベイト・ラヒア村にあって、少なくとも10人が死亡し、何十人かが負傷した。現時点で UNRWAの 40の学校が、戦争から逃げてきたパレスチナ人をかくまっている。それぞれの学校に 120家族がいて、UNRWAが提供する毛布と一日 3度の食事にたよって、生き延びている。[パレスチナ]農業救済委員会(PARC)も含めて地元の複数の NGOも救援活動に貢献している。
 
戦闘と間断ない空襲のさなかには、環境破壊に目を向けるものはいない。しかし、軍事作戦がやむと、間をおかずその危機が宣言されるだろう。環境問題の中で最小のものは、街角に積もったゴミの山だ。また、爆撃された家々から出る黒煙の厚い雲も健康上有害だ。それを吸いこもうものなら、鼻がブロックされ、胸に痛みを覚えることになる。地区にいて、その匂いをかぐことになる人なら誰でも、それは現実問題だ。さらに深く憂慮すべき心配な問題は、火薬や爆弾の負の副作用だ。白燐弾については言うまでもない。白燐弾は人体、建物、木々に被害を与える。いや、白燐弾は、人間であれ、家、病院、木々、そして他の何であれ、狙ったもの全てを破壊し、焼き尽くす。大気汚染をはじめとした環境汚染や人糞はいたるところに見られ、逃げ出すことは不可能だ。誰もそれらから安全ではいられない。それから、農業は混乱の極みに追いやられてしまった。何千台もの戦車や軍用車が畑を走り回り、イスラエル軍が作戦展開したいところは好き放題、どこもかしこも軍事用ブルドーザーが植物を踏み潰し木々を根こそぎにした! 一方で、イスラエル軍は国境近くに点在する農家に極めて厳しい姿勢を示した。イスラエル軍は国境近くに住むものは誰かれ問わず罰したのだ。そこに住むのは誰あろう、農地や(もし所有していれば)家畜の面倒を見ながら、質素な生活を営む小農家に過ぎないのに! 兵士らは農民を殴り倒し、しかも多くの場合には、服を脱がせ目隠しをし背中に回した手に手錠をかけ、全家族を一緒にして非人道的な状況でひと部屋に長時間閉じ込めたうえで、そのまま立ち去った! 農業関係でもっとも悲愴で重大な襲撃は、木々、収穫物、井戸、電線、温室も含めて全ての農業用地が破壊されたことだ。農業地域が軍事基地や軍用道へと転用されたのも頷ける。くわえて、一例に過ぎないが、ガザ市の東部の約10000ドゥナム[10平方キロメートルに相当;ドゥナムはイスラエルで使われる土地面積単位]の土地が軍用ブルドーザーで意図的に破壊され、不毛で荒れた土地に変わり果てた!
 
憂鬱になる話の一つに、ガザ市東部に家族とともに 30年以上在住しているパレスチナ人の農民、フサイン・アル=アイディ氏の話がある。軍がやってくるや、氏の家を 2回砲撃した。氏と妻と子どもたちは、かろうじて隣の兄弟の家に逃げ出せた。家族のうち6人(女 3人と子ども 3人)が、初日の攻撃の爆風で負傷した。58歳のフサイン、82歳の母、父の 2番目の母 80歳、そして他に 27人の人が一緒にいた。フサイン氏の子どもたちと、氏の二人の兄弟の子どもたちだ。家族は、石と硬い岩との間に閉じ込められることになった。周辺全域はイスラエル軍の戦車と装甲車によって制圧されていた。フサイン氏と兄弟の家々は、ガザ市から 3キロ離れた場所にある。全てを残していくという条件のもと、フサイン氏らは家を離れてイスラエル軍制圧下の地を通っていくことを許された。そこで、一同は白旗を掲げ、3キロの道のりをイスラエルの戦車の中を横切って通り、市内の相対的に安全な場所まで着くことができた。そして一同ホームレスとなった! 氏らは力なくUNRWAの学校で寝泊まりしている! 昨日フサイン・アル=アイディ氏は、自宅および母と 2人の兄弟の 3軒の家が、家具の上にただの瓦礫となっているのを見届けた! 全てを失ったのだ!
 
ごく控え目に言っても、ガザの全ては、長期にわたる復興・復帰支援計画が必要だ。それは子どもたちや女性、高齢者に対するものから、病院、学校、住宅、環境、農村部や都市郊外の農業・畜産業に対するものと多岐にわたる。物質的損害は、20億[米]ドル[約2千億円]と推定されていて、その半分は農業に関するものだ!
 
そこで、これら異常でおそろしい、憂鬱な、耐え難い非人道的状況と血生臭い事件の数々を鑑みて、[パレスチナ]農業救済委員会(PARC) は支援活動のための緊急部隊を編成した。それぞれの部隊は各々の地域で招集され、草の根の組織と連帯していく。最初の必須の段階として、PARCは即時実行するための緊急支援計画を出し、次期のための計画も考案した。PARCが緊急に実行した最初の計画は、UNRWAの学校やほかの点在する場所に避難してきたり家を追われてきた人々へ援助物資(食料品以外)を提供することだった。40の UNRWAの学校が、避難民と家を追われてきた人々への避難所となっている。それぞれの学校は、一家族の人数によって違うが、80〜100の家族を収容している。PARCの計画は、使える財源や資源に限りがあるため、限られたものになる。だから、PARCはそれらの全ての学校を援助することはできない。この実行された計画の一つは、洗剤、衛生用品、子どもの社会心理的側面を支援する用具、幼児を含めた子ども用服、スカーフ、タオルを寄贈することだった。この早期処置は、1000家族を目標とした。SDC[The Swiss Agency for Development and Cooperation; 「スイス開発協力庁」――パレスチナ援助を目的としたスイスの公的組織]の協力もあり、計画は完遂された。
 
PARCによる他の緊急計画の中には、主要病院の炊事場に基本的な食料品を供給することも含まれる(入手できる限りだが!)。というのも、ガザの全ての病院は食料品と飲料水の不足に苦しんでいるからだ。この計画は、クウェイトのアラブ財源組織の協力で実行される。PARCは、新鮮な食料品ひとかごを配布していく計画、名付けて「貧乏農家から貧乏家庭へ」を今後とも続けていくつもりである。この計画は、傷ついたり家を追われた家族への支援だ。イスラエル軍が耕作地を広範囲にわたり破壊したため、新鮮な果物や野菜を見つけるのは困難ではある。しかし、PARCは全力を尽くしてできるかぎりのものを入手していく所存だ。この計画は、クリスチャン・エイド[英国の民間組織]と協力して実行していく予定だ。なおこれは恒久的計画であり、都市近郊の 3割の農民を支えるものだ。
 
また、PARCは、ガザ地区の避難民や家を追われた家族に冷凍食品や乾燥食品のかごを届けることも計画している。UNRWAが、食料品関係の輸送経路を確保することを協力してくれる。他の将来計画では、家を追われた家族に新鮮な飲料水を供給することも考えている。加えて、PARCの任務には、荒廃した灌漑網、農道、畜産資産、温室、農業への投入資本などを復興することも含まれている。たとえば、種苗、肥料、灌漑用具、ホース、ビニールシートなどを供給することだ。
 
PARCの処置計画は、たかだか数千人の人々に供するに留まる。PARCは活動において、一切の努力を惜しまず、尽くし、可能な限り援助の対象を広げていく所存だ。しかし、PARCの能力も使える資金も限られている。ガザの壊滅的状況は、世界の NGO人道組織と寄贈者の方々の揺らぎない援助を必要としている。そのため、PARCは、この状況の改善のため、一歩踏みだしてきて支援下さるよう、全ての人道組織に要請する。
 
2009年1月16日金曜日、ガザ市の PARC本部は攻撃を受けて、被害を被った。主要事務所のあるビルには、通常、30人ほどの職員と数十人のボランティアが働いている。
 
控え目に言っても、ガザのどこでも、子どもたち、女性、高齢者への、長期にわたる精神的また社会的な復帰支援計画を必要としている。また、病院と学校の再建は緊急の課題だ。環境、農村部と都市郊外の農業、畜産業のすべての面での復興も緊急の課題だ。
 
 
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緩衝地帯について ―― 懸念とおそれと憂慮
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PARCは、イスラエル軍がガザに侵入してきたことに対し、深い懸念と憂慮を表明する。10年前、イスラエル人は 50〜100メートルの国境緩衝地帯を設定した。今、イスラエル人はそれを、ガザ地区の東部で 1000メートルに、北部国境地帯で 2000メートルに拡張した。PARCは、イスラエル人が軍事地帯を東部で 2000メートルかそれ以上、北部で 3000メートルに拡張し、それを既成事実として固定化しないかと恐れている。かくして、すでに狭いガザ地区の農業地帯はさらに縮小されることになる(ガザの耕作可能面積は 175000ドゥナム[175平方キロメートル]。50000ドゥナム[50平方キロメートル]が侵攻前にすでにイスラエル軍の制圧下にあった。今やほとんど 50パーセントの耕作可能地がイスラエル軍によって制圧されている)。したがって、50パーセントの農民が財産を失った。何千人もの農民とその家族とが生産者からホームレスの失業者へとなり果て、[地域]経済に負担をかける羽目になった! 国境地域はガザ地区の中でもっとも肥沃な土地だ。PARCは、ガザ地区の食料庫である農地[の現状]について、強い憤りを覚える。それは、周辺全域の人々にとって、食糧安全保障を担うものである。農民が普通の生活に、土地に、水源に、そして自宅に戻れるようにならなければならない。我らの農業部門は、世界のNGOと政権による強力なロビー活動と支持とを必要とする。
 

最新情報

この報告を発表する直前に、我々は PARCの本部とゼイトゥーン地区西部にある主要事務所を訪れた。そこで見たものは衝撃だった。イスラエル軍は建物を攻撃し、被害を与えていた。そのあと、イスラエル軍は軍用駐屯所として使うため、建物を占拠した。イスラエル軍は、全てのコンピューター、テーブル、事務机、棚を破壊した。無傷な家具は一つもない。PARCの書類は破られ、建物から外へと投げ捨てられ、あたり一面に散乱しているありさまだった。また、イスラエル軍は、PARCのテレビ会議室を完全に破壊した。同テレビ会議室は、PARCの西岸支部と連絡をとる唯一の手段だったものだ。これらの損害は、20万[米]ドル[約2000万円]相当と見積もられる。

 
加えて、PARCの庭もブルドーザーで破壊された! 全ての木々、植物、温室、水源、電線、そして他のあらゆる農業設備が荒され、破壊された。PARC職員のうち 2人の自宅も攻撃を受けた。ひとつは、PARCのガザ副支部長のアブドゥルカリーム・アシュールのガザの家で、イスラエルの砲撃で焼けた。もうひとつは、農学者のマスウード・キシュタのラファの家で、やはり粉々にされた。
 
これらの損失と悲惨な状況にもかかわらず、この朝、あるだけのものでできるだけの仕事を再開すべく、PARCはガザ市内のアパートの一室を借りた。
 
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原文: The Agricultural Relief Committees (PARC) 発信の文書。
Prof. Abdelwahed から送られてきたもの。
※全文をつける限りにおいて、御自由に転送・転載なさって下さい。
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