TUP BULLETIN

速報894号 シリーズ「パレスチナの女性の声」 【3】ー後編 [居住権の侵害-2]

投稿日 2011年3月4日

◎ 女たちの証言--占領下パレスチナで生きるということ
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このシリーズ「パレスチナの女性の声」はWCLAC(女性のための法律相談センター)の2009年報告書の翻訳です。「空間的扼殺(スペシオサイド)」とも形容される占領下で、日常的暴力と人権侵害に苦しむ女性に対する聴き取り調査に協力した19人の女性の証言をお届けしています。


今回は、イスラエル政府の恣意的政策がパレスチナ人が東エルサレムに住むことに対し深刻な影響を与えている現実を紹介します。


報告書はこのあと、最後の章「家屋の取り壊し」へと続きます。


シリーズ全体の前書き:岡真理、向井真澄/TUP(TUP速報869号をご覧 ください)


翻訳:岡真理、キム・クンミ、寺尾光身、樋口淳子、藤澤みどり、向井真澄/TUP


凡例 [ ] :訳注 
〔 〕:訳者による補い

パレスチナ女性に対するイスラエルの人権侵害報告書―2009年度版
シリーズ【3】-居住権の侵害と引き離される家族 後編

東エルサレムでの居住権に関する特殊事例

イスラエルは、1967年に西岸とガザを占領した際、東エルサレムに居住しているパレスチナ人に永住者の資格を与えました。1995年12月、イスラエル内務省は、永住権は市民権とは違って個個人の生活状況に左右されるものであり、これらの状況が変われば永住許可証は失効する、と予告なしに通告しました。その結果エルサレム市外に何年間か住んだことのあるパレスチナ人は全員、市内に居住する権利を失い、内務省は彼らに立ち退きを命じました。

このように解釈された資格は、一定条件の立証が可能であれば何千人ものパレスチナ人の居住権の取り消しをイスラエル内務省に許すための、実務的法的根拠となっています。つまり、実際問題として次のことを意味しています。
○ 東エルサレムのパレスチナ人住民で、7年以上イスラエルを離れている者はすべてエルサレム居住権を失う。その意味から、エルサレム以外の西岸(たとえばラーマッラーとかナーブルス)あるいはガザの居住者は、外国に居住しているものとみなされる。
○ エルサレムのパレスチナ人住民で、どの国であっても他国の市民権あるいは永住権を取得する者はすべてエルサレム居住権を失う。
○ この何年間でイスラエルは、遊学中の、また海外で就労あるいは居住する何千人ものパレスチナ人の居住権を取り消してきており、したがって、それらのパレスチナ人はエルサレムに戻って住むことができない。

このような政策を実施した結果、内務省は2008年、東エルサレムの4577人のパレスチナ人住民―99人の未成年者を含むーのイスラエル居住権を取り消しました。この数は、1967年から2007年にかけての居住権取り消し総数のおよそ半分に当たります。

このことは、エルサレムに関するイスラエル政府の主たる目的、つまり、エルサレムにおけるイスラエルの主権を維持するための人口比率と地理的環境を作り上げること、をくっきりと表しています。イスラエルの人権団体ブ・ツェレムはこう言い切っています。「イスラエル政府はこの目的を達成するために、エルサレム市に住むユダヤ人の数を増やしパレスチナ人の数を減らすための政策を実行してきている」

イスラエルの対東エルサレム政策においては、西岸身分証を持つパレスチナ人が東エルサレムの「永住者」資格を取得するのはほとんど不可能です。パレスチナ人が東エルサレム居住の配偶者と同居することは可能ですが、そのためには、市民権の一部しか保障しない許可証が必要であり、煩雑なお役所手続きを経なければなりません。

エルサレム居住者が自分の家族のために家族同居申請を行い、認可を得ることが年を追うごとにますます困難になってきています。飽き飽きするほど長たらしい手続きを経て認可が取れたとしても、基本的人権の行使を制限されてしまうという結果に陥ってしまいます。

特にエルサレム居住者にとっては、西岸あるいはガザの身分証を持つ配偶者との同居を申請し、無事認可を取得するのは困難です。2002年5月、政府は被占領地の住民が提出した家族同居申請書類の処理を凍結し、2003年7月、その決定を「市民権とイスラエル入国に関する緊急法〔仮訳〕5763-2003」として法制化しました。この法律は、被占領地居住者と結婚したイスラエル国籍の人、あるいは、法律の施行後に被占領地居住者と結婚するイスラエル国籍の人が配偶者とイスラエルで同居することを禁止しています。その政策は、イスラエルの人権団体ブ・ツェレムが次のように強調するように、明らかに差別的であり人種差別です。「政府は、国のユダヤ性を保つために国内のアラブ人人口がこれ以上増加することを防ごうとしている。政府が人口統計をこの法律の公式根拠にすることを避けようとしているのは、そのような根拠は違法な人種差別であり、違憲立法審査で無効と判断されることを知っているからである」[訳注9]

 [訳注9]
http://www.btselem.org/English/Family_Separation/East_Jerusalem.asp
から抜粋
イスラエル政府は、被占領地居住者の入国そのものがイスラエルの人々にとって脅威であるとし、安全保障上の理由からこの法律が必要なのだと主張する。この主張に根拠はなく、真の理由を隠蔽するためにごく最近になって持ち出されたものだ。政府は、国のユダヤ性を保つために国内のアラブ人人口がこれ以上増加することを防ごうとしている。政府が人口統計をこの法律の公式根拠にすることを避けようとしているは、そのような根拠は違法な人種差別であり、違憲立法審査で無効と判断されることを知っているからである。

証言12
リマーズ・ファリード・アワド・カサーブレの証言
場所: 西岸、ザバーブデ
聴き取り日時: 2009年7月29日

リマーズ・カサーブレは西岸北部のザバ―ブデ村出身の33歳のパレスチナ人女性です。東エルサレム出身の男性と結婚し、同居するためにエルサレムにある夫の家族の家に引っ越しました。リマーズは、エルサレム身分証が無いためエルサレムで夫と「違法」に同居する西岸出身者が、13年間の結婚生活で日々被る試練について語りました。イスラエル当局は不法にも、資格ある西岸出身の配偶者に対し身分証を発行しないのです。彼女が提出した家族同居申請はいまだ手続きが終わっていません。イスラエル当局が彼女の申請を処理し、東エルサレム居住者に交付される身分証を発行しない限り、彼女は仕事に就くことができず、夫の車を運転すること、タクシーに乗ること、西岸の実家を訪ねることもできません。さらに、手ごろな保険料の健康保険など、エルサレム居住者であれば認められているその他多くの恩恵を受けることもできません。

リマーズは、ICCPRの第12条と第17条で保障されている権利をイスラエルによって踏みにじられている、エルサレムに住む何千人ものパレスチナ人女性の一人です。

「リマーズ・カサーブレです。年は33歳です。西岸北部、ジェニーンの近くにあるザバーブデ村の出身で、パレスチナ身分証を持っています。1996年、エルサレム居住者でエルサレム身分証を持つガッサーンと結婚し、3人の子どもをもうけました。サリームは12歳、サーリーは10歳、セリーナは6歳です。

結婚後、私たちは東エルサレムのベイト・ハニーナ近辺にある夫の家族の家に同居しました。夫も私も、家族同居申請を出して私がエルサレム身分証を取得するのは簡単ではないことがわかっていました。イスラエル当局がそのような申請の処理をしていないことを知っていたのです。そのため、申請書は数年たってから提出しました。何年に提出したか正確には覚えていませんが、提出してからエルサレム当局が処理をするのに何年もかかりました。

結婚したとき、私はまだアル=ナジャーフ大学の学生で、大学を続けることを希望していました。ベイト・ハニーナの自宅から大学のあるナーブルスまで通うことは可能でした。自宅は検問所の手前、西岸の町ラーマッラー側にあり、毎日通うのになんら問題はなく、エルサレム身分証の必要性は感じませんでした。

大学卒業後、東エルサレムにある私立学校のひとつ、シュミット・スクール[訳注10]に就職しました。すぐに仕事が見つかってとても喜んでいました。問題は、逆方向の通勤であり、学校に着くまでにイスラエルの検問所を通らなければならなかったことです。私は、イスラエルの法律ではエルサレムに入ることが許されていない西岸身分証を持っていて、通勤は年が経つにつれますます困難になりました。これは2001年のことでした。エルサレム身分証を持っていないため、検問所でイスラエル兵士から戻るように言われたことは何度もありました。そこでシュミット・スクールは、私が被雇用者であることを書いたカードを発行してくれましたが、それほど役には立ちませんでした。私は検問所を避けて砂利道を歩き、丘を越えて通い、学校に時間通りに到着したことはほとんどありませんでした。冬はずぶぬれになって凍え、夏は暑くて汗びっしょりでした。いつも着替えの服と履き替えのための靴を一足余分に持っていましたが、車無しでこんな荷物を持ち歩くことはたいへんでした。

[訳注10]シュミット・スクール
東エルサレムにあるドイツ系ミッション・スクール。1886年の創立で、東エルサレム、および西岸周辺のパレスチナ人のキリスト(カソリック)教徒とイスラーム教徒の女子生徒が教育を受けている。

2003年、西岸住民がエルサレムに入ることを妨げるために、イスラエル当局は新たな規則を施行しました。たとえば、エルサレム出身のタクシーやバスの運転手が西岸出身の客を乗せることは違法となりました。タクシー運転手は、エルサレム身分証であることを確認するために、客一人ひとりにいちいち身分証の提示を要求するのです。エルサレム身分証でない場合、運転手はその人を車に乗せませんでした。

私にとって、勤め先に行くのもエルサレム市内のどこに行くのもますます難しくなりました。買い物に行けなかったし、友だちのところに行くこともできませんでした。子どもたちを学校に送り届けたり、医者や病院に連れていくこともできませんでした。夏休みに私が子どもたちといっしょにどこかに行くなんて不可能でした。同い年の子たちが参加するサマーキャンプがあるのですが、子どもたちをそこに連れていくこともできませんでした。私は、多忙を極めている夫に全面的に頼るしかありませんでした。このことは子どもたちにも影響を及ぼしています。子どもたちは、友だちの母親は友だちをいろいろなところに連れて行ったり、ドライブに連れて行ったり、いっしょに街でいろいろなことをしているのに、なぜ自分たちの母親が同じようにできないのか、理由がわかりませんでした。幼すぎて理解できなかったのです。ときたま、私のことを恨んでいるように感じました。私たち家族にとってとてもつらかったです。

たびたび、私は危険を冒しましたが、他に方法がなかったのです。ある日、学校に行こうとしていました。朝の7時半で、正確な日にちは覚えていません。お腹の中には9ヶ月になる娘のセリーナがいて、エルサレムまで行くのにタクシーに乗ったのですが、エルサレム身分証を持っていないことを運転手に言いませんでした。突然、イスラエル警官が車を止め、運転手と私に身分証を要求しました。私が適切な身分証を持っていないとわかると、警官は運転手に車を道の片側に寄せるようにと言い、運転手の名前と免許証番号を書きとめ、そして、この次に西岸出身者を乗せているところを発見されたら車を没収されるだろうと伝えました。次に警官は私の腕をつかんで引っ張り出しジープに押し込もうとしたので私は抵抗し、妊娠していてジープの中に座っていたくないと言いました。すると警官は、運転手に、ネヴェ・ヤコヴのユダヤ人入植地に連れていくようにと言いました。ファイルを確認して夫がエルサレム出身であることがわかると2時間後、私を解放しました。警察は私に、今後イスラエル国内を移動しません、と書いた1枚の紙に署名させました。イスラエル国内とは、彼らの定義ではもちろん私が住んでいる東エルサレムも含みます。

2003年10月、またタクシー乗車中に見つかってしまいました。このときはひどかったです。というのは、警官は、タクシー運転手への罰として車を3ヶ月の間没収し、免許証を取り上げたのです。つまり、運転手は3ヶ月間、働くことができませんでした。運転手は私をとがめ、たいへんな額の補償金を要求してきました。彼はよく、私が帰宅しようとするころまで学校の門の外で待ちうけ、金を払わなかったら面倒なことになるだろう、と言って脅しをかけていました。彼に何かをされるのではないかと恐れていたのですが、最終的には、近所の人たちが中に入ってくれたこともあり、夫がいくらか支払っていやがらせは終わりました。このことがあって、仕事をやめる決心をしました。こんなふうにして職場に通い続けることはできませんでした。仕事が楽しかった分、とても悲しかったです。また、当時必要だった収入も途絶えました。

今では、エルサレムのほとんどのタクシー運転手は私が誰であるか、どこに住んでいるかを知っていて、私の乗車を拒否します。エルサレム身分証がないため、夫の車を運転することはできず、家に閉じこもっています。隣の家まで歩いていく以外、家を離れることはほとんどまったくと言っていいほどありません。耐え難いです。家にばかりいることには慣れていません。私の家族は西岸身分証を持っていて、検問所を通ってエルサレムに入ることを許されていないため、私を訪ねてくることができません。

イスラエル内務省は、3年半近く前にやっと、私の家族同居申請を承認したと連絡してきました。1枚の書類が渡され、それは1年間有効で、それをもとにエルサレムに入る許可証を申請することができました。正式なエルサレム住民というわけではまだなかったのですが、それでもとてもうれしかったです。少なくとも、タクシーを使っていろいろなところに行くことができるということだったのですから。

これまでに3回、この書類を更新する手続きを繰り返しました。毎回、夫と私は私たち家族がエルサレムで同居している証拠を提出しなくてはならず、水道代と電気代の支払いの証拠を見せ、住民税を支払い、子どもたちがエルサレムの学校に通っていることを証明しなければなりませんでした。内務省に連絡をとって面会日を決めるのにさえ何週間も、時には何ヶ月もかかります。そこでは誰も電話をとらないのです。

3回目に更新した分の有効期限が2008年12月に切れました。面会日を余裕を持って申し込み、当局が要求した証拠書類をすべて提出したのですが、連絡があったのは何ヶ月も経ってからでした。この間、私はまた家に閉じこもっていなければなりませんでした。当局は、私と私の家族の人物調査をしていると言いました。家族とは私の両親、兄弟姉妹、さらに彼らの家族、そして夫の家族のことです。

この問題のために私はとてもつらい思いをしてきています。私の両親が西岸に住んでいるのですが、許可証がないと訪ねることができません。というのは、帰ってくるときに、検問所でエルサレムに入ることを許されないからです。両親が私を訪ねることもできません。私の姉妹が私たちのところからほんの30分のラーマッラーに住んでいるのですが、同じ理由で私は彼女のところに行くことができません。エルサレム身分証の発行を急がせるために夫と私は弁護士を雇いました。弁護士は、私たちからたいへんな額のお金を受け取ってから、内務省はどの申請も処理していないと告げました。こんな状態がいつまで続くのか、検討もつきません。夫と私は結婚してから13年ですが、いまだもって私は夫と子どもたちと普通の暮らしをすることができないのです。同じ問題を抱えている友だちは多いです。私は仕事に応募することさえできないのです。毎年更新しなくてはならない短期滞在許可証でエルサレムに住んでいることがわかっているため、雇ってくれる人など、いません。許可証が更新されるかどうか確証のないことは誰もが知っています。当局が申請を手続きしてくれるまで、許可証無しの生活がまた何ヶ月も続くかもしれず、私は、家の中でただ座って過ごしている間に人生の最高の時期が失われていると感じています」

原文
A 2009 report on Israel’s human rights violations against Palestinian women
http://www.wclac.org/english/publications/book.pdf
 
(次号予告:シリーズ【4】家屋の取り壊し)