TUP BULLETIN

速報617号 レベッカ・ソルニット「このありえない世界に、ようこそ!」 060716

投稿日 2006年7月16日

FROM: hagitani ryo
DATE: 2006年7月16日(日) 午前11時19分

☆困難な課題です。でも、不可能な課題ではありません★
卒業式講演にしては、いささか時期が過ぎてしまいましたが、『暗闇のなか
の希望』の行動派作家、レベッカ・ソルニットが若い世代に贈ったメッセー
ジを紹介します。解説は不要でしょう。ジョージ・オーウェル『1984
年』の21世紀版、まるでデジタル仕掛けのビッグ・ブラザーがメディアに
君臨しているかのような情況にあっても、訳者としては、私たちのひとりひ
とりが彼女の言葉のなかに希望の来歴を読み取ることを望むばかりです。井

凡例:(原注)[訳注]〈ルビ〉《リンク》
———————————–

レベッカ・ソルニット
カリフォルニア大学バークリー校英文学専攻科・卒業生たちを祝福する――
このありえない世界に、ようこそ!
トム・ディスパッチ 2006年5月14日

[トム・エンゲルハートによるまえがき]

昨年の5月30日、マーク・ダナーに協力をお願いして、読者の皆さんに
(バークリー校英文学専攻科クラスの学生諸君といっしょに)卒業していた
だいた《*》。そのおり、私は「トム・ディスパッチが卒業式にかかわるの
は、当面、これが最後」とお約束した。結局、その「当面」は暦の1年にも
届かないことになる――が、バークリー校英文学部が、学生諸君を寒く冷た
い世界に送り出すために、トム・ディスパッチ作家に来ていただきたいと言
い張ったとき、はたして断れただろうか? ジョージ・ブッシュのアメリカ
における今年、卒業生たちには、例年よりもちょっぴり大きな励ましが必要
だと学部は考えたに違いなく、空気中にちょっぴり輝きを加え、歩みに
ちょっぴり弾みをつけるために、改訂増補されたばかりの“Hope in the
Dark”[『暗闇のなかの希望』](および最新刊“A Field Guide to
Getting Lost”[未訳『迷子実践教本』])の著者、愛すべき希望の作家、
レベッカ・ソルニットを招いたのである。彼女の語りは例のとおり。じっさ
い、彼女は次のような講話を語り、私はこれを読者諸氏にお届けしないわけ
にはいかなかった。だから、皆さんには、今年ふたたび、厳しい鍛錬、まぜ
こぜの暗喩、風変わりな類推を履修したインターネット大学の栄えあるトム
・ディスパッチ校・卒業生になったのだと考えていただきたい。ソルニット
の語り口を楽しもう。そして、コンピュータの電源を切って、春の外気の香
りを味わいに出かけよう! トム
[カリフォルニア大学バークリー校英文学専攻科2005年度卒業式講演
速報512号 マーク・ダナー「虚実の間――それであなたはどうするの
?」]
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/557

このありえない世界に、ようこそ
――レベッカ・ソルニット

本日、学位を授かる皆さんは、世界を探求し、大義を求めて働くためだった
り、あるいは学費を稼ぐためだったりして、寄り道なさった向きもおられる
でしょうが、たいてい、高等学校から現役のまま進学なさったのでしょうか
ら、たぶん1984年のお生まれであると思われます。1984年、この4
桁の暦年をジョージ・オーウェルが全体主義の同義語に定めたとき以降の3
6年間、人類にのしかかっていた不吉な年に誕生なさったということは、な
にを意味しているのでしょうか? 仮想のおぞましい未来の果てに高くそび
える壁のてっぺんで生を受けたということは、なにを意味しているのでしょ
うか?

ここでお話しするようにとのお招きを受けた瞬間、私はこのことに思いあた
り、1948年、スコットランドの麗しいジュラ島にて、オーウェルがこの
殺風景きわまりない反ユートピア小説を書いた時点と、現実の1984年と
の間に横たわる大きな隔たりについて、また、現実であれ、仮想であれ、1
984年と現在の時点との間に横たわる、それに勝るとも劣らず圧倒的な隔
たりについて考えました。こうした隔たりを考察するのは、完璧に文字どお
りの意味で、予測は完全に不可能であると認識することなのです。これを認
識するのは、急激に変化する世界が、不確実さを、言い換えれば、書物の世
界で奔放な展開のひねりと呼ぶ状況を、当てにならない予言の才能と少なく
とも同じ程度に評価する能力を求めていると実感することなのです。

私は、これらのことを、私たち英文学専攻生が世の中に出ていくために携え
る道具――遺伝子を切り貼りしたり、橋を延ばしたり、富を積んだりするた
めの道具ではなく、あるいは検証抜きで受け売りする概念の寄せ集めではな
く、分析したり、パターンを調べたりして、自前の哲学を獲得するための道
具であり、生計を立てるためではなく、たぶん生きるための道具――ととも
に思いつきました。功利主義から最も遠くかけはなれた教育は、皆さんに、
世界を理解し、たぶん意味を構築する準備を促しています。というのも、私
たちの時代――広告と販売戦略の意味や、他者による快楽と恐怖の定義の意
味を日常的に鵜呑みにするように強制される時代――の大がかりな闘争を記
述する唯一の道は、意味の消費者ではなく、意味の生産者になることですか
ら。

意味を構築すること、世界を変えること、あるいは(これじたいが謀反であ
りうるのですが)世界を徹底的に読むこと……これほどまでに心機一転しな
ければならず、可能性を考えなおし、さらに繰り返し考えなおさねばならな
いほどに、私たちの世界が積載過剰になり、急速に転変し、驚きで充満して
いることはありませんでしたし、これほどまでに注意深い読みこみを必要と
したこともありません。私じしんの場合、批判的な読みこみの方法を、まず
書物との、ついで美術作品との付き合いから学び、そこから国立公園、原子
爆弾、革命、デモ行進、歩く行為へと応用――私の執筆活動を育むだけでな
く、世界に分け入る私の道を太くするように技術を応用――できるようにな
りました。

時には書物そのものが世界をもろに変えます。ディドロ『フランス百科全
書』、『共産党宣言』、『種の起源』、アプトン・シンクレアの『ジャング
ル』といったノンフィクションを話題にすることもできますし、執筆時から
ずいぶん時間がたってはじめて大いにものを言うことになった論稿、ヘン
リー・デイヴィッド・ソローの『市民的不服従』や、実践上の衝撃の大きさ
をじっさいに測ることができるかもしれないソロー系列の例の本について語
ることもできます。

1975年のことですが、エドワード・アビーは、今なら本土安全保障省が
国内テロ・グループと名指すのでしょうが、魅力的な一団が活躍する小説
“The Monkey Wrench Gang”《*》を出版しました。この小説は、破壊工作
を意味する動詞として「モンキーレンチ」を慣用句にするという小さな変更
を英語に加えただけでなく、それ以上のことをなしたのです。(私は英文学
専攻者であり、だから、世に知られぬ情報の断片が大好きな人間として、サ
ボタージュ[破壊行為]という言葉じたいの語源が、フランスの労働者たち
――じっさいには土地から引き剥がされたばかりのお百姓――が履いていた
木靴だったと言わせていただきます。産業革命から時間がそれほどたってい
ないころ、彼ら労働者たちは、自分の木靴“サボットsabot”を機械に投げ
入れ、動かなくして、壊しました) さて、小説『モンキーレンチ・ギャン
グ』の主人公たちは、巨大でありながら、結局はグランド・キャニオン上流
のコロラド川を絞め殺している無用の長物、グレン・キャニオン・ダムの爆
破を計画します。
[『爆破――モンキーレンチ・ギャング』片岡夏美訳、築地書房]
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9974774039

この小説が、アース・ファースト![地球第一!]――環境保護において、
常に完璧というわけではありませんが、時には有益で、果敢でさえもあって
きた団体――の創設を促す一助になりました。1981年になって、アース
・ファースト!は、粉砕されたグレン・キャニオン・ダム壁を描いた長大な
プラスチック・シートを垂らし、それによって、このダムは不変のものでな
く、不可欠なものでもないことを表明することによって、現場に登場しまし
た。60年代初期における築造から当時にいたるまで、そのダムは不変・不
可欠なものと思われておりましたが、その時以降、水門を開き、野生の川を
再生することを夢見、考え、あるいは行動することすら、あながち現実離れ
したことでも、望みのないことでもなくなりました。

前世紀1910年代に建設され、いまひとりの著述家の胸を潰したことで有
名になった、もうひとつのダム、シエラネヴァダ山中、ヨセミテ国立公園内
のヘチヘチー・ダムについても、同じことが言えます。山岳礼賛者にしてシ
エラ・クラブ創立者、ジョン・ミューアはその築造を嘆きました。あなたが
た、若いカリフォルニア住民は、目の黒いうちにその撤去を見るかもしれま
せん。私たちがそのような事態にたどりつくと想像した人は、ぜんぜんいな
かったとはまでは言えませんが、ほとんどいなかったとは言えますし、たぶ
んミューアやアビーでさえ、そうなるとは思ってもみなかったでしょう。

もう一冊の本、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』にも触れさせていた
だき、「ありえないことは、信じろと言われても無理ですもん」というアリ
スの訳知り顔の断言を聞きとがめた赤の女王の言い草を引きあいに出してみ
ましょう。「言いたくはございませんが、どうも練習が十分でないごようす
ですわね。わたくしがあなたくらいの歳には、毎日三十分必ず練習したもの
でございますよ。ときには、朝飯前にありえないことを六つも信じたくら
い」《*》と女王は言い返します。
[山形浩生訳、版権切れ文献を翻訳・公開するプロジェクト杉田玄白・参加
作品]
http://www.genpaku.org/alice02/alice02j.html#toc

皆さんは赤の女王を見習いたいと思われるかもしれません。というのも、私
たちは、ありえない――あるいは少なくとも、つい最近まで大多数の人びと
にとって思いも寄らなかった――世界のありえない住民だから。1984年
の視点から見た2006年という年は、1948年から見た84年よりも、
確かにもっと思いも寄らなかったものです。いまの時点の私たちの世界を、
科学的・遺伝学的・社会的・政治的、環境的、それに性的に転換をとげ、溶
解し、変異し、汚染され、それでもなおこのような希望をたたえた世界とし
て、そうですね、1954年、あるいはもっと先の74年の時点で語ったと
すれば、それを信じる人はいたでしょうか? さまざまな形で、合州国の破
綻と抑圧が予想されて久しいですが、大きく動き、大きな声を上げるラテン
系住民、同性結婚、急進的な食生活実践主義については、どうだったしょう
か? とても奇妙なことですが、SF小説は、このような予期せぬ変化を予
想することを教えるのに特に優れているとは私は思いませんが、おそらく、
総体としてのフィクションは、そして詩は、予測がありえないことについて
教訓を与えてくれます。

私にとって、ノンフィクション執筆の大きな楽しみのひとつは、小説では書
けそうもないような奇遇や激動を、実生活が提供してくれることです。小説
『1984年』の驚くべき点は、オーウェルが、真実省、ビッグ・ブラ
ザー、思考犯罪、メモリー・ホール[歴史的事実の無視]を創案しえたこと
ですが、それでも彼の本のなかでは、女性たちが布オムツを物干しにかけた
りしていました。世界政治状況は洗濯事情よりも予測がたやすいですが、私
たちの暮らしはその両方により成りたっているのです。そして、フィクショ
ンと詩は、それに映画や音楽、会話もそうですが、革命や変革としてではな
く、人びとがみずからの日常の暮らしや行為について、どのように考える
か、その様相における変遷としての変化――ここで私が意味したいのは、単
に感性の変化だけではなく、人びとがなにを消費するか、だれを支持し、抱
きしめ、愛しさえするか、そうしたことをひっくるめた変化――を創りだす
のを助けてくれます。例えば、芸術が、ホモ嫌い、その他の類の不寛容に対
する戦いを先導してきたのを、皆さんは見ることができます。サンフランシ
スコの詩人、ダイアン・ディプリマ《1》は「肝心な唯一の戦争は、想像に
対する戦争」《2》と好んで言っていますが、創造の営みのひとつひとつ、
思慮深い吟味のひとつひとつ、心開くことのひとつひとつが、その戦争にお
ける私たちの側の勝利なのです。
[イタリア系、1934年ニューヨーク生まれのビート詩人]
1 http://www.interq.or.jp/sun/raintree/rain17/diane.html
2
http://www.angelfire.com/mn2/anarchistpoetry/Diprimadir/Diprima7.html

書物はだいじです。物語はだいじです。人びとは、たちの悪い物語のゆえに
死に、新しい物語によって再生し、みずからを匿〈かくま〉うために物語を
作ります。ポストモダニズムは物語が構築物にすぎないと教えましたが、だ
からこそ物語は家であり、皆さんの特定の奪うことのできない諸権利と測り
しれない価値をたたえた物語、暴力や競争に替わるものがある物語、女が人
間である物語は、避難所としてもっと重要になりえます。時には、人は書物
のなかにみずからの生命を救う物語を見つけます。

私たちが拠って生きる物語は、それじたいが書物の登場人物みたいです。私
たちよりも長生きする物語もあります。裏切るものもあります。喜びを与え
てくれるものもあります。思いも寄らなかった場所に導いてくれるものもあ
ります。ジョージ・オーウェルの『1984年』は避難のための物語ではな
く、ドアを荒あらしく開け、私たちを歴史の強風のなかへ突き出す魂胆を
もった物語でした。物語の形式をもった警告だったのです。エドワード・ア
ビーの『モンキーレンチ・ギャング』は、物語の形式をよそおったお誘いで
したが、その作家でさえ、私たちがその招きに対応するやりかたや、また2
006年ごろ、グレン・キャニオン・ダムが消える運命を思わせる相貌を帯
びるようになることなどは想像しませんでした。急進的なアメリカの[女
性]詩人、ミュリエル・ルーカイザー[1913-80]は「宇宙は、原子ではな
く、物語でできている」と言いました。物語を認識し、読み、語るというこ
とは、単に生計を立てるということではなく、命を経験するために必要なこ
となのだと私は信じています。これは、あなたがたが授かったはずの装備な
のです。

1984年生まれのいい点は、そのことが、皆さんが郷愁病に対抗するため
の予防接種になることです。現実の1984年は牧歌的な白日夢の世界では
なく、平穏無事なユートピアではありませんでした。1984年は、金色ど
ころでない霞〈かすみ〉のなか、あの時代に漂っています。1984年のい
まごろ、ロナルド・レーガンが無力な民主党候補を相手に再選運動を戦って
いました。ポーランドからフィリピンにいたる国ぐにで、民主・人権運動家
たちは、あえて独裁よりもましなものを要求したために、投獄されたり、そ
うでなくても弾圧されたりしていました。AIDSは、のっぴきならない新
しい病気であり、政治問題になっていましたが、有効な治療法はありません
でした。全米いたるところで、規制緩和された貯蓄・融資制度が破綻に向か
い、それに伴い、人びとが汗水たらして築いた貯えを奪っていました。関連
した政策のおかげで、70年代にはほとんど存在していなかったアメリカの
下層集団、ホームレスと呼ばれる大量の人びとが出現しはじめました。米国
は、中央アメリカの政治に考えうるかぎり最悪の方法で忙しく干渉していま
した。中央アメリカは、ロナルド・レーガンにとって、息子ブッシュにとっ
ての中東に相当し、人権を容赦なく無視しつつ、米国の力を行使する場に
なっていました。

イラクのアブグレイブ監獄で拷問の下手人になったアメリカ人は、あきれか
えった新手の逸脱行為を犯した一部の連中だと思われる方がたは、1984
年のエルサルヴァドルとグアテマラにおいて、最大限に醜悪な類の拷問が広
範に行使されていたことを思いだす必要があります。一般的に言って、これ
らの拷問は米軍部隊が直に手を下したものではなかったのですが、米国によ
る訓練と資金供与によって、またしばしばCIAの指示によって、実行され
ていました。ところが、それと同時にアメリカには、米国が後ろ盾していた
ニカラグアの独裁者、アナスタシオ・ソモサを打倒したサンディニスタ政府
の権利、それにグアテマラとエルサルヴァドルの反抗勢力、残虐な体制に血
まみれの内戦で反逆した人びとの権利、これらの擁護を掲げた強力な干渉政
策反対運動が存在していました。

また同時に、レーガン大統領が核兵器開発競争を激烈化したばかりであり、
その瞬間、多くの人びとが、世界終末核戦争、つまりレーガンのいう悪の帝
国、ソヴィエト連邦に対する戦争がいつ起こってもおかしくないと考えまし
た。この思いが強力な反核兵器運動を呼びおこし、世界中でかなり多くのも
のごとを変えましたが、冷戦が終結を迎えたとき、残念なことに、この運動
は消えてなくなり、私たちは、かの名高い“平和の配当”の奪取に失敗しま
した。ソ連の唐突な消滅は、赤の女王が朝飯前に想像したもののなかでも、
最もありえない事件のひとつでした。

1984年生まれの皆さんは、ソ連が解体し、冷戦が――単に対テロ戦争と
して再生することになるまで――一時停止したとき、第2学年に進級すると
ころだったはずです。さて、その当時、私たちはどの位置にいたか、また
今、どちらに向かっているのか、この物語を私は二通りに展開することがで
きます。ひとつは、たぶん皆さんよくご存知のもの、うんざりするほど卒論
ゼミにご出席だった場合、退歩論者の話法と言ってもおかしくないとおわか
りにもなっているものです。レーガンは悪かった。ブッシュはいっそう悪
い。野生、極地の氷、生物種、降雨林、戦闘、独立メディア系列、家族農場
などなどが多分に失われた。一方で、兵器システム、マーケッティング戦
略、TVチャンネル、遺伝子改変生物、自動車道路を多分に獲得した。これ
はすべてほんとうであり、私じしん、滅多なことで、わざわざこの物語を口
にしようと思わない理由は、とても多くの左翼側の私の同志たちによって、
うんざりするほど、とても調子よく語られているからです。大作家、ジョン
・バージャー[美術評論家、小説家、脚本家]が言っていることですが、
「もうひとつの話法」があり、もっと多くの物語があります。

世界の状況を考察するとき、私はディケンズの小説に立ち戻りますが、そこ
にはとても多くの人物が登場しますので、たったひとつの結末はありえない
のです。多くの意味でディケンズの小説のなかで最も純粋に悲劇的な作品
『大いなる遺産』《*》を考えてみますと、ピップとエステラは永遠に離れ
ばなれであり、彼らが学んだ過酷な教訓で永遠に悲しんでいます。(少なく
とも原作の甘くはない結末ではそうです) 私の学部課程の素敵な英文学教
授が私に申しましたが、悲劇は流浪で終わり、喜劇は結婚で終わります。だ
が、ディケンズは幅広い気前のよさを発揮して、一冊の本で多くの物語を私
たちに提供していることをお忘れなく。なんといっても、『大いなる遺産』
において、ビディとジョーは、ジョーの親友、ハーバートと彼の恋人と同じ
ほど幸せにその後ずっと暮らしたのです。『大いなる遺産』は悲劇ですが、
それは主要な登場人物にとってだけの話であり、このところの新千年紀の歳
月は、米国、それにロシアのような他の少数の大国にとっては悲劇ですが、
すべてのもっと小さな国ぐににとってはそうではありません。例えば、ボリ
ヴィアとチリは花開こうとしており、インドはきわめて確かなことに最善と
最悪が揃った時代を迎えています。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102030018/503-9478468-9545546

他の国ぐにや他の場所では、パラダイスでなくとも、奇跡の時代になってい
ます。あなたがたは“60年代”について、おそらく、まったくもって多く
の神話化された物語をお聞きになっているでしょうが、1970年代末から
80年代のお生まれであるあなたがたは、80年代と90年代の、粗暴で、
しかも時には強力だった活動については、ほとんどじゅうぶんには耳にして
おられないでしょう。1984年そのものにはノスタルジックなところはほ
とんどありませんが、80年代末期には懐かしい響きがあり、この世界がか
つて遭遇したなかでも最大の革命の季節であるとじゅうぶん言えます。確か
に、1989年は1789年[フランス革命]や1848年[フランス2月
革命、ドイツ3月革命]に比肩しうる年です。1984年には抑圧されてい
たポーランドやフィリピンの活動家たちは、ほどなくして勝利しましたし、
韓国民たちも、下の方からの積みあげで、とても長きにわたり抑圧していた
軍事独裁政権からデモクラシーを奪取して、勝利しました。米国が後ろ盾に
なっていた独裁者のフェルディナンド・マルコスは、統制を離脱した陸軍、
そして、今年の春、20年前の「民衆の力」と言われた大衆行動によって打
倒されました。

ポーランドの連帯労働組合運動は、大胆さの大きな高まりの一部にすぎず、
それが、ハンガリー、チェコスロヴァキア、東ドイツ、ポーランドを解放し
た、息を呑むような一連の事件を通して、1989年秋、最終的にソヴィエ
ト帝国を崩壊させ、その2年後には、ソ連の完全解体として結実しました。
ソ連の唐突な消滅は、赤の女王の想像がおよぶなかでも、最もありえないで
きごとのひとつでした。東欧やロシアの作家、アーティスト、組合幹部、そ
の他は、ソ連解体を夢に見て、実現のために団結したのにもかかわらず、C
IA、その他の米国諜報機関のプロたちは、そのようなことが起こるとは一
瞬たりとも予測しませんでした。1989年の夏、北京の天安門広場におけ
る学生蜂起は、戦車隊やオーウェル流弾圧によって終息しましたが、それが
発した火花は消えていないかもしれません。

1992年は、さらに遠い過去にまで届く、もっと深い革命、私じしんの想
像の扉を大きく開ける革命をもたらしました。この革命は――コロンブスの
尊大ぶったアメリカ両大陸到着の500周年を、砂糖をまぶした征服記念か
ら反植民地主義反乱に転換した、先住諸民族の偉大な再生だったので、先住
民を中心とする――学者や詩人たち、部族の長〈おさ〉や祭の長老たち、消
滅が危惧される言語の語り部たち、運動組織者や活動家たちの情のこもった
手作り作品でした。その当時、アメリカ両大陸の原住民たちは、征服され、
沈黙させられ、絶滅したとさえ考えられていました――私たち非・原住民の
多くは、彼らがそうだったと教えられて育ち、とりわけあなたがたよりも早
い時期に育った私たちは、先住カリフォルニア社会の言語や文化の類まれな
豊かさを無視して、先住民たちを、尖らせた棒で地虫を掘り出して食べる穴
掘り原始人と貶めるような古い教科書で習っていたのです。物語はだいじで
あり、今ここに、信じられないまでに、物語と状況とはすっかり変わりまし
た。

1994年のこと、メキシコで最も貧しい最南端の州、チアパスの僻地〈へ
きち〉、ラカンドン密林から先住民族軍が徒歩で現れ、同国におけるイン
ディアンの地位だけにとどまらず、革命の本質にまでおよぶ革命を演出しま
した。彼らは、もっと昔のメキシコの革命児、エミリアーノ・サパタにちな
んでサパティスタを名乗っていました。彼らの広報係は、マルコス副指令と
自称する非・先住民であり、この男は――語るべきもうひとつの物語を見つ
け――政治の言語を、どこか詩的で逆説的、茶目っ気のあるものに変革しま
した。1994年、あなたがたが10歳になろうとしていた年の1月1日、
その日に発効した北アメリカ自由貿易協定(NAFTA)に対抗して、サパ
ティスタたちは世界の舞台に踊り出ました。この協定は、とても多くのメキ
シコ国民を、ずっとひどく絶望的に貧しくさせ、今日、当地に到来する何百
万ものメキシコ人移住者たちに全面的に関連しています。

サパティスタのNAFTAに対する反抗は、企業のグローバル化に対する、
目覚しく予想を超えた、いまだに燃えさかっている戦争の手始めでした。お
りよくも、彼らは、先住諸民族がコロンブス500周年を問い直す15か月
前に決起を促していました。ガブリエル・ガルシア・マルケス[コロンビア
の作家]の魔術的リアリズム[*]でさえ、サパティスタを予測できません
でしたが、ウルグアイの歴史詩人、エドゥアルド・ガレアーノやジョン・
バージャーは彼らを歓迎しました。そして彼らが登場したとき、ありうるも
のごとの物語が変わりました。
[即物的描写により非日常・非現実的な存在を浮かびあがらせる表現手法]

12年後、今年の1月22日、国民の大部分が先住民である貧しい国、ボリ
ヴィアで、初の先住民大統領、エボ・モラレスが選出されましたが、これ
は、ハッピー・エンドではないとしても、少なくとも、幸先よく大胆な、新
たな出発点に514年を経て到達した物語なのです。モラレス大統領は、1
00年前や50年前、あるいは20年前にはありえない存在であり、そのこ
ろには、赤の女王だけが彼を信じていたことでしょう。

メキシコからチリにいたるラテンアメリカでは、1970年代中ごろから8
0年代末期にかけて、たいがいの国は、軍政評議会や独裁者たち、つまり民
衆の意思を踏みにじるためにテロや拷問に訴えた政権に統治されていまし
た。これまでの22年のあいだに、ひとつ、またひとつと、このような体制
は打倒されたり、選挙で葬られたり、段階的に改革されたりして、かつて虐
殺と恐怖の大陸だったラテンアメリカは、今では、世界の他の地域にとっ
て、希望の灯を掲げていて、そこの政府の多くは企業活動のグローバル化に
対して戦っています。こんなことは、1984年にはありえない事態でし
た。

それでは、まだたいへんお若いあなたがたがこれから生きていって、200
6年時点でありえないことが、じっさいにどうなるか、見ることになるので
しょうか? 非道なことももっと起こるでしょうし、奇跡や衝撃ももっとあ
るでしょうが、今、その多くは想像することもできません。

F・スコット・フィッツジェラルドに、次のような有名な言葉があります
――「第一級の知性を試すテストは、同時に二通りの反対概念を頭のなかに
保持する能力をもち、しかも機能する能力を維持することにある」。世界の
状況はつねに反対概念の寄せ集めであり、叛乱と鎮圧とのごたまぜなので
す。忘れられてはいますが、フィッツジェラルドは次のように言葉を継ぎま
す――「人は、例えば、ものごとを絶望的であると見て、それでもそうした
ものごとを別のものにすると決意することができるべきである」

絶望はひとつの物語ですし、別のものはもうひとつの物語です。あなたの山
でも、研修先でも、あるいはどこでもかまいませんから、あなたの向かう場
所に着いたら、そう言ってごらんなさい。でも、あなたがたは、物語を解体
する方法、物語を問う方法、物語を比較・対照する方法、おそらく時には物
語を創造し、あるいは創りなおす方法をご存知だということをお忘れなく。
これは死活的に重要です。と言うのも、この卒業の時を限りとして、私たち
高齢者が授けなければならないものから解き放される若人としての皆さんの
仕事は、宇宙を、物語で織りなされた宇宙を創りなおす――物語を変革し、
物語を埋葬し、物語に生命を与える――ことなのですから。困難な課題で
す。でも、不可能な課題ではありません。あなたがたが、本読みになって
も、学者になっても、すでに私たちはありえない世界の住民であるというこ
とをお忘れにならないかぎり、不可能ではありません。

[講演者]レベッカ・ソルニットの著作、トム・ディスパッチ掲載稿を再編
集した“Hope in the Dark: Untold Histories, Wild Possibilities”
《1》は、改訂増補版が発売中。最新著作は“A Field Guide to Getting
Lost”《2》。
1.『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』井上利男訳、
七つ森書館
内容(「BOOK」データベースより)――
アメリカン・ラナン文学賞、全米批評家協会賞受賞。多彩に行動する作家レ
ベッカ・ソルニット。1989年ベルリンの壁崩壊、1994年メキシコの
サパティスタ蜂起、1999年WTOシアトル、2001年9・11、20
03年地球一周反戦平和行動。時代の変革のその時々に立ちつづけてきた女
性が語る希望の礎。現在のあり方は、未来のあり方ではない。一寸先の未来
に何が起こるか、わたしたちはまったく知らないという事実を抱きしめるこ
と―これが希望の新しい地平なのだ。

原書新版

2.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0670034215/qid=1149822562/sr=1-24/ref=sr_1_0_24/250-0982068-5823449

(本稿は、カリフォルニア大学バークリー校英文学部の2006年度卒業式
の講演録)

[原文]
Tomgram: Solnit on Our Impossible World and Welcome to It!
posted May 14, 2006
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=83153
Copyright 1984/2006 Rebecca Solnit.

[翻訳]井上利男 /TUP

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