書評 「会うことのない人びとに」立木 菜ーー本のメルマガ
出典 : 「本のメルマガ」2009.09.15.発行 vol.369 [ 読書の秋の気分です 号]
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日常の延長線上に政治があると実感したのは、予備校に通っているときだった。
退屈な受験勉強を続けていることに変わりはないのだけれど、 学校という安全地帯でありまた枷とも思える生活圏から開放されたように感じ、大学生の一歩手前の扱いを受けることで新聞などに書かれた事にごく自然に関心が向かったのを覚えている。また、親からすればあいまいな立場にのんびりされては困るということか、家事をそれまで
以上に手伝わされることが多くなった。そうして過ごしていたある秋の夜、洗濯ばさみに留めた洗濯物ごしのテレビの中で、外国の高層ビルに飛行機が突っ込んでいた。
そこから、何がどうなり、今どのような状況にあるかは周知のことで、空爆も開戦宣言も電撃訪問も大統領選も全てはニュースとして食卓に届き、片目でそれを見やるような「毎日のこと」になった。つまり、自分の日常に突然
飛び込んできたことが少しずつ遠い世界の出来事となった。ただ、そのニュースで伝えられる、家族と過ごす食卓に突然、銃を構えた迷彩服の人が押し入り、家族を連行し、家中をめちゃくちゃに捜索して、暴力まで振るわれる
という「掃討作戦」に、私は素直に恐怖を抱いたし、大きな疑問を感じた。
それは、誰でもほんの少しの想像力があれば考えられることだ。でも、それが日常にかき消されるように、当たり前に紙面の、映像の一部となったのはいつからだったか、私は思い出せない。世界に関心があっても、目の前の出来事にとらわれてしまうのは仕方のないことだろう。でも、忘れてはいけないのは、私が笑ったり憤ったりうつらうつらしている時、世界のどこかで誰かが理不尽な暴力の下にさらされているということだ。表現が足りないけれど、それだけは変えようのない真実である。
・・・ということを、今またはっきりと意識できたのは、『冬の兵士 イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』(岩波書店)を読む機会に恵まれたからだ。読んでいて、ああやっぱりか、と思った。私ですら想像できるこんな単純で効果に疑問がある作戦を兵士たちはさせられていたのかと。そしてまた、彼らが任意で選んだ道が、彼らの想像を超える過酷さだったということを私は初めて知った。なぜだろう、兵士たちも同じ人間であり、作戦の実行にその後も苛まれるという事実を知ってこそいたが、彼らの「今」の状況には思い至らなかった。前線で実際に戦う兵士はとても若い。証言の一つひとつに写真と略歴がある。想像に難くない「アメリカの若者」が、戦場で見てきただけでなく、命令により戦闘に参加してきたという告白・告発。ページを捲っても捲っても、なお続く戦場で彼ら
の見てきた真実。正直、つらい。途中で読み止めることが出来ず、背中が硬くなっていた。
だからといって、一括りに被害者と加害者を規定することも出来ない。
「命令に従って非人道的なことを笑いながら行ってきた」という告白に単純に嫌悪を向けることには意味がない。ここに載っている告白は「会うことのない人々に」向けられているからだ。それは彼らの「仲間」であり、イラク・アフガンの人々であり、私たちであるから。情緒に偏ってしまっては何も解決はされないし、未来につなげることはできない。
また、私が読み進めたところまでに、明確な和平の方法は書かれていないし、告白する兵士にそれらを語る義務もないと思う。この本は証言集なのだ。その証言一つひとつが解決への和平への道であり、方法は読んでいる者の内に宿るものだと思う。そういった証言やそこから生まれた知恵を持ち寄ることで和平は築かれるはずだ。責任の所在はいずれ明確に立ち現れてくる。それが歴史である。
この本が新刊の棚から移動した後、どこに何とともに並べられ、誰の手に取られるのか、そしてどこに行き着くのか、見守っていきたい。私たちと同じ、ここに証言を載せた人々と、遠い空の下にいる人たちの生活が安定したものとなるように。
そう、周りを見渡せば、そこに世界も政治もつながっている。
そのことを私に気づかせてくれてくれた本である。
『冬の兵士 イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』
反戦イラク帰還兵の会 アーロン・グランツ TUP
(岩波書店、2009年8月18日発行)
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