TUP BULLETIN

速報333号 拘束された豪州女性の手紙No.8(最終回) 04年7月4日

投稿日 2004年7月3日

DATE: 2004年7月3日(土) 午後9時17分

《豪州NGO女性ドナのファルージャ拘束報告No8》


イラクのファルージャでは、米軍の包囲網作戦が2004年4月5日から、4 月の末に米軍が複数の陣地から撤退し始めるまで続いていました。11日には 「一時停戦」が成立したとはいわれたものの、実際には激しい戦闘が行われて いました。そんな中、オーストラリア人女性ドナ・マルハーンさんは、4月1 3日に3人の外国人同行者と共に、戦火の中、救援活動のためバグダッドから ファルージャに向かいました。その帰り道、ファルージャ郊外で地元ムジャヒ ディンに20数時間拘束されました。その顛末を、8本のメールにしたためた マルハーンさんの文章を紹介します。本稿は、その最後の8本目です。戦争と はどんなものなのかを知る手がかりになればと思います。

翻訳 TUP/福永 克紀 (翻訳・再配布了承済み)

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ファルージャ8:帰国、そして人間性について ドナ・マルハーン 2004年5月17日


(ファルージャ冒険談、最終回。ファルージャからの帰路での道路封鎖を過ぎ たところからの続き)

私たちの道路封鎖ドラマはそこで終わりではなかった。ファルージャ周辺の田 舎道を車で帰る途中では、しばしば土地の人に止められてこう言われた。 「そっちの方には行けないよ、道端にアメリカ兵が隠れている。安全じゃない よ」

私たちは数回後戻りを余儀なくされて、また最初から始めなければならなかっ た。頭上の戦闘機がうなり声を上げながら飛び交うなか、バグダッドへの帰り 道を見つけようとして、田園風景の中をびくびくしながらジグザグに進んだ。 他にどうしようもなくなって、ついに1本の道に思い切って出てみた。

前方に迫撃砲の発射音が聞こえたので、ゆっくりと停車した。もしこのまま車 が進めば、ロケット弾のひとつが私たちに命中するだろう。家族満載の車はま だ私たちにくっ付いてきていた。

しかし、引き返すこともできなかった。他に行けるところはどこにもなかっ た。

運転手は、期待をこめて私たちを見た――「もう一回できます?」

私たちは車から降りて、以前と同じやり方で軍の間に合わせの野営地のように 見える場所のほうに歩いて行った。それは、長い道のりだった。

歩いていく間ずっと、ミサイルと銃弾が私たちの向かう場所から発射されてい た。近くの農地に着弾すると、私たちの歩いている地面が揺らいだ。ミサイル 発射音が大きくドカンとなるたびに、私は胃が痛んだ。

ここ数日間で私は数回「兵士たちのほうに向かって歩く」ということをした が、このときは、なかでも一番恐ろしくて、何が起こるか分からなかった。拡 声器で呼びかけたものの、返事はなかった。

突然デービッドが訊ねた。「あそこにいるのは、アメリカ兵かね、それともム ジャかね?」 人物の輪郭は見えたものの、私たちが見慣れたアメリカ兵の伝 統的なヘルメットをかぶっていなかった(訳者注:ムジャはムジャヒディン= イスラム教の戦士の略称)。

これで、ますます不安が増大した。はるか先に、私たちのいるあたり一帯にミ サイルを打ちまくってくる戦士がいる。それがだれだか分からずに、そこに向 かって歩いていく私たち。

拡声器でわめきつづけたが、聞こえているに違いないのに、まったく返答はな かった。

「彼らが英語をしゃべれなかったら、こっちの言うことが分からないね」と デービッドが言った。私の心臓は時速100マイルで脈打ちはじめた。私たち はいよいよ、このまま歩いていっていいのか、わからなくなった。撃たれない か、また捕虜になるのか、という思いが私たちの頭に浮かんだ。

しかしここはイラク。戦争中のファルージャ周辺の農地の中で、車には安全な ところに逃げなければならない人たちが満載だ。こんな状況で多くの選択肢は ない、だから私たちは歩きつづけた。

ついに、一人の戦士が腕を振っているのが見えた、右へ行けと合図している。 指示に従うと、ようやく軍のキャンプなるものに着いた。アメリカ軍だった。 私たちにそれがわからなかったのは、特殊部隊、グリーンベレーで、制服が普 通とちがうからだ、と、デービッドが説明してくれた。

用心しながら近づいていくと、もっと近くに来いと手招きした。

私たちはまた事情を説明することになった。自分達がファルージャにいたこ と、ファルージャから出ようとしているが、安全な道を見つけられないこと。

「頭、おかしいんじゃないか?」と、彼らは数人声をそろえて言った。

私は、彼らの戦車やミサイル発射装置やマシンガンを見渡しながら、心の中で ほくそえんだ。おんなじ質問を彼らにしたいぐらいだった。

この男たちはゴリゴリの筋金入りだ。私たちが入り込んだのは、米軍の大きな 攻撃拠点だったのだ。話の途中も、ほんの数メートルと離れていないところで 発射する迫撃砲の衝撃は、足元からなぎ倒されそうなほどだった。

「心配は要りません」と一人の兵士が言った。「向こうに撃っているミサイル だから、あなた方に害はありません」

彼のまったく感情をまじえない無頓着さに、私は唖然となった。「そりゃ、私 には害がないでしょうよ。でも誰に当てるつもりなの」と私は思った。

私は彼にミサイルはだれを狙っているのか聞いてみた。

「この地区の叛乱分子を…」

「この地区の何ですって?」 私はまわりを見回した。そこは農地である。小 さな農地の区画のまわりの小さな農家に暮らす人々がいるだけである。私たち は途中の道で彼らに出会った――つつましく、愛想のいい人たち、それがこの 狂気のなかに捕らえられている …

ここには叛乱分子などいない、いるのは老婦人であり、子供たちであり、おじ いさんや、おじさんや、息子たち、この軍隊の大量爆撃から身を守らざるを得 なくなった人たちだ。ある日平和に自分たちの作物を育てていたと思ったら、 次の日にはミサイルにその土地も生活も破壊されてしまったのだ。この家族た ちには、もはやなんの見込みもない。

このグリーンベレーたちは、民間人という概念を考慮にも入れない命令に従っ ているらしかった。

「ズドーン」と、またもお腹をよじるような大音響とともに発射されるミサイ ル …

私は兵隊たちをどなりつけ、最前線まで走って行ってミサイル発射装置をぶち 壊したいと思ったが、その時彼らの一人が水をくれ、もう一人がここを出て行 く道を教えてくれた。一瞬の苦悩と戸惑いのうちに、私は反発の気持を飲み込 んだが、私の表情がなにがしかを彼らに考えさせたと期待した。

私たちは、いくつかの曲がりくねった道を案内されて、ついに幹線道路に到達 した。そこで家族満載の車は別の方向に行った――みんな窓からこちらに手を 振っていた。彼らが安全なところまでいけそうなので、私はほっとした。

私たちは、1時間もしないでバグダッドに帰ってきた。人々が通りを歩き回っ ているのを見ると、不気味なほど人気のないファルージャのあとでは、なんと も奇妙な感じだった。

私たちのアパートに戻ると――友人たちは気も狂わんばかりに喜んだ。私たち の失踪を当局に知らせようとしているところだったのだ。

アパートに着いて座ったときに初めて、すべてが終わったという実感がわい た。私たちは、4人だけで座って、抱き合い、泣きだし、おしゃべりをし、 笑った。

私たちにとっては苦難の終わりだった。しかし、そうしているどの瞬間にも、 ファルージャにいる何千ものイラク人には、新たな苦難が始まっているのだ ――母親が狙撃兵に撃たれ、家を爆撃され、子供が手足を失い …

私たちの帰還のあと、何日かのあいだ、私のしたことに対して批判があった。 危機にある人々を助けるためにファルージャに行ったことに対して、である。

オーストラリア首相は、私のことを、「無謀」で、「ばかな」、「無責任」な 人間だと言った。

奇妙だ、私がファルージャの診療所でけが人を助けたとき、私が経験した感じ は「無謀」というものではない。

私たちが医薬品を救急車に満載したとき、「ばかな」こととは思いもよらな かった。

流血の無意味な暴力から逃れようとする何百人もの人々の安全な通り道を要求 して、私たちが交渉したときも、どんな意味でも「無責任」とは思わなかっ た。

危機にある人を慰め、平和のメッセージを伝達し、メディア不在の状況にある 現地から真実を伝えること …すまないが、これがばかなことだとは今も思わ ない。

紛争相手でもない国を侵略すること。私なら、これをばかなことと呼ぶ。

自国民のためになるような自主的な外交政策を立てるのでなく、攻撃的な超大 国の外交政策に従うこと。私なら、これを無謀なことと呼ぶ。

罪もない人々に対する戦争に参加し、それらの人々も世界中の人々も傷つけ、 恨みを残して、自国民を危険にさらすこと、私なら、これを無責任なことと呼 ぶ。

私は、命は神聖なものだという教えに従う。すべての命がである。それは、 「私の隣人を愛する」ことを私に求める、たとえどの国の隣人でも。それは、 親切な行為に国境はないと教えている。正義を生き、慈悲を愛すことである。

ファルージャに行くにあたって、私は、自分の信念に従うに際し「真実」であ ろうとした。私はただ、自分が呼ばれるところのものであろうとしたのであ る。人間的であること、そしてこの人間性を人々と分かち合うこと。それがす べてだ。

どうしてこれが誰かにとって脅威になるのだろう?

あなたの巡礼者より

ドナ

追伸:ファルージャの難民はどこに行き着いたか? それは次回を …

追追伸:シドニーのお友達へ:どなたか5月から7月にかけて出かける人はい ませんか。大部分の皆さんがご存知のように、私は今、住宅問題に直面してい ます(つまりは、ホームレス)。留守宅の管理は立派に務めます。どなたか、 空き家をお持ちなら、アドバイスください。

追追追伸:もう一回シドニーのお友達へ:帰国時に空港(またはその近く)で やる懇親会に、数人が来てくれることになっています。木曜か金曜の夜になり そうです。追って報告します。まったくの奇蹟で、ライドも私と一緒に行けそ うです。

追追追追伸:「自分の判断を放棄することには、なにか不道徳なものがある」 ――映画「13デイズ」より ジョン・F・ケネディー

原文 http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/87

同行者のジョー・ワイルディングのファルージャ報告 原文 http://www.wildfirejo.org.uk/feature/display/115/index.php 訳文 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404i.html