TUP BULLETIN

速報762号 ハワード・ジン「選挙の狂騒」

投稿日 2008年5月11日

DATE: 2008年5月11日(日) 午後2時01分

◎大統領選挙より大事なものとは? 米国民主主義を問う


その昔、中学校の公民のテストの典型的な一問題はこんな感じ だったのをおぼろに覚えています。 「二大政党制の長所と短所と一つづつ書きなさい」 長所 ―― 政権政党の入れ替わりが起きやすい 短所 ―― どちらの政党が政権を取っても政策は似通いやすい 満点!?

アメリカは二大政党制の代表的な国です。今、日本でもよく報道さ れるように、米国のマスメディアは、連日、大統領選挙の話題でも ちきりのようです。実際、90年代以降、大統領は、共和党、民主党、 共和党ときて、次は民主党に再び入れ替わる可能性が少なからず あります。公民のテストの通りでしょうか。

確かに、選挙や投票が重要なことは言を待たないでしょう。しかし、 同時にその「狂騒」の中で本質的な点を見失ないかけていないか、 と『民衆のアメリカ史』の著者、ハワード・ジンが問いかけていま す。どちらの政党が政権を取るに関わらず、していかなくてはいけ ないことがあるだろう、と。ザ・プログレッシブ誌 3月号への氏の 寄稿を訳出しました。
<邦訳: 坂野正明/TUP; 凡例: (原注) [訳注]>


 「選挙の狂騒」

ハワード・ジン 2008年 3月号

フロリダに一人、もう何年にもわたり、私に手紙を書き送ってくる 人がいる(便箋10枚、手書き)。会ったことは一度もないのだが。 手紙には、どんな職についてきたか、ということも書き綴られて いる。警備員、修理工、などなど。今まで、家族をかつかつでも 何とか養うために昼夜問わずあらゆる勤務シフトで働いてきた、と いう。彼の手紙はいつも怒りに満ち、この我々の資本主義社会構造 が労働者に"生命、自由、幸福の追求" [アメリカ合州国独立宣言内 の有名な文句] の権利を保証できていないと非難している。

ちょうど今日、手紙が届いた。手書きではなかったので私はほっと した ―― 彼は電子メイルを使うようになっていた。 「本日お手紙差し上げますのは、とても耐えられないほど悲惨な 今のこの国の状況に、もの言わずにはいられない、とたまらず 筆を執った次第です。今の不動産ローン危機に対して、私は怒りに 燃えたぎっています。アメリカ人の大部分が永続的な借金生活を 余儀なくされ、多くの人がその重みにあえいでいるこの状況に、 腹が立ってなりません。えい、畜生、ほんとに怒りに狂いそうで、 狂いそうで、とても思いを全部書き伝えることができないほど です……。今日は、警備員の仕事で、差し押さえられて競売に かけられた家の警備をしました。競売の間、家は参加者に公開され ていて、私がその警備にあたったわけです。そのすぐ近所では他に 3人の警備員が、それぞれ別の 3軒の家で同じ仕事をしていました。 仕事の合間に時間が空いた時には、私は腰かけて休みながら、 この家から追い出されたかっての住人はどんな人で、今はどこに いるんだろう、と思いを巡らせていたものでした」

この手紙を受け取った同じ日、ボストン・グローブ紙の一面の 大見出しはこうだった。「2007年の抵当流れ物件、数千軒に」

小見出しは、「差押さえられた家 7563軒、2006年の 3倍近く」

数日前の夜には、CBSテレビがニュースで、75万人の障碍者が社会 保障を受けるのを何年も待っている、と伝えた。予算不足で関連 当局の係員の人員が絶対的に不足していて申込みを処理し切れない ためで、緊急性の高いケースさえその例外でない、という。

このような記事がマスコミに採り挙げられることはなくはない。 しかし、一瞬にして表から消え去ってしまうのが常だ。消えること のないトピック、つまりマスコミが連日採り挙げて嫌でも耳に 入ってくるトピック、それが今の大統領選挙の熱狂的盛り上がりだ。

この選挙こそ、4年ごとに国中を差し押さえるものだ。というのも、 自分たちの運命は投票にかかっていて、投票所に行ってお膳立て されている二人の凡人のうちの一人を選ぶことこそ一市民ができる 最重要な行動だと、信じるように私たちは皆教育されてきたからだ。 しかし、大統領選挙は選択肢が二つしかない、形だけの選択問題だ。 こんな「選択」問題は、まともな教師なら学生に出そうとも 思わないレベルの代物だろう。

そして残念ながら、この大統領競争は、進歩派、革新派という人々 までも虜にしてきた。皆、例外なくこれには振り回されている。

この昨今、友人と会った時に、いったい大統領選挙の話題を避ける ことができるだろうか?

マスコミが国民を洗脳していると今まで批判してきた、こんな状況 を誰よりもよく理解しているはずの人々までも、新聞を読みふけり、 テレビに釘付けになっている。そして、おしゃれに着飾った大統領 候補の面々が笑顔をふりまき、まるで叙事詩を朗読するような 荘重な口ぶりで、つまらない常套句を雨と降らす姿に見入っている。

いわゆる左派の雑誌でさえ、有力候補を微に入り細を穿って精査 した記事の数々が常規を逸した量になっていると言わざるを得ない。 時には、思い出したように他の候補に関する記事が載ることがない わけではない。とはいえ、我らが素晴らしい民主的政治制度のもと では、そんな泡末候補には全く可能性がないことは皆の常識だ。

念のために言っておくが、私は、選挙など完全に意味なく、道徳的 純潔を守るため投票自体を拒否すべき、と主張するいわゆる超左派 の立場には立っていない。実際、候補の中には他よりも多少はまし な人々もいるし、国家的危機の時期(たとえば 30年代、あるいは今 現在)には、二つの政党の間の微妙な差が決定的に重要な意味を 持つこともあるだろう。

私が言いたいのは、この選挙の狂騒の中でバランス感覚が失われて いないか、という点だ。かくいう私は、候補者の一人を対抗馬より も支持するか? ええ、しますとも、2分間は ―― つまり投票所で 票を入れるのにかかる時間のことだが。

しかし、その 2分間の前も後も、私たちには、自分の時間も精力 も費やしていくべきことがある。それぞれの職場や地域や学校で、 友人として市民を啓発し、揺り動かし、そして組織することだ。 市民運動を盛り上げ、いかに骨折りでも粘り強く、かつ精力的に 活動していく。その運動が広がり、大きなうねりとなるとき、 ホワイトハウスや議会に居座っているのが誰であれ、国家方針を 平和と社会正義実現の方向に揺り動かせるようになる。私たちは、 そのような運動の実現こそを目標とすべきだ。

どちらかの候補が「まし」と判断できる場合もあろう(そう、 フーバーよりもルーズベルト、あるいは誰であれジョージ・ ブッシュよりはまし)。でもそういう時でさえ、ホワイトハウス の住人が無視するのは危険だと感じるほどに、民衆の要求を実力 で突きつけなければ、ふたりの候補者の違いなど何の意味も 持たない、ということを肝に銘じておこう。

[ルーズベルト政権下の]ニューディール政策では斬新な政策の数々 が打ち出された。社会福祉、失業保険、雇用の創造、最低賃金、 住宅購入時の補助など。これらは、単にルーズベルトの進歩主義 のおかげというわけではない。ルーズベルトが政権の座に着いた時、 国は混乱状態にあった。[前大統領の]フーバー政権の最後の年 [1932年]には、ボーナス行進[ボーナス・アーミー]という反抗があっ た ―― 何千人もの第一次大戦の退役軍人がワシントンに押しかけ、 家族が食べていけないから、と議会に援助を求めた事件だ。同じ頃、 デトロイト、シカゴ、ボストン、ニューヨーク、シアトルでも 失業者による暴動が起こった。

ルーズベルト政権の初期にあたる 1934年には、全米でストライキ が巻き起こった。ミネアポリスのゼネスト、サンフランシスコの ゼネスト、南部の紡績工場での何十万人ものストライキなど。国中 で失業者協議会が結成された。追い詰められた人びとは自ら立ち 上がり、家を追い出された人の家具を警察権力に反抗して家に 戻したり、何十万人もの人々が集まって自助組織を作ったりした ものだった。

国家的危機 ―― 経済的困窮と民衆の反抗 ―― がなければ、ルー ズベルト政権がこのような大胆な改革を実施したとは考えにくい。

現在、民主党は、国民からの強い突き上げがない限り、今の状況を 大きく変えようとしないことは間違いないと言える。民主党の 大統領候補の座を争うトップの二人とも、もし大統領に選ばれたと して、イラク戦争をすぐに終わらせることもないし、全国民への 無料医療制度を制定することもない、と明言している。

二人とも、現状を変える何らの革新的政策を打ち出していない。

二人とも、底辺で必死にあえいでいる人々が懇願していることを 公約に採り入れようとしていない。たとえば職が必要なすべての人 に政府が雇用保証すること、すべての家庭への最低収入の保証、 家の立ち退きや差し押さえに直面している人への救済措置、などだ。

二人とも、軍事費の大幅削減や税制の抜本的な改革については提案 していない。もしこれが実現すれば、数十億、いや数兆もの巨額が 浮いて、我々の生活を一変させる福祉事業に費やすことができる だろうに。

しかし、いずれも驚くには当たらないというべきだろう。民主党は 過去にはその伝統的保守主義、金持ちへの迎合、戦争の偏愛と いった姿勢を翻したこともあったとはいえ、それは下からの反抗に 直面した時、たとえば 30年代や60年代に限られることだった。 だから、11月の本選挙で勝利したとしても、今のこの国の二つの 根本的な病、すなわち貪欲な資本主義と軍国主義、を少しでも 変えることになろうとは期待できない。

だから、左派も含めて社会全体を巻き込んでいる今のこの選挙の 狂騒から、私たちは自身を解放する必要がある。

そう、2分間だ。その 2分間以外、前も後も、私たちは生命、自由、 幸福の追求を妨げるものを取り除くための直接行動にこそ注力 すべきだ。

たとえば、住宅ローンによる差し押さえで、何百万人もの人々が 家を追われる現状 ―― これは、独立戦争の後、小規模農家が税金 を払えず、農地や家を失う危機にさらされたことと似ていないか? そんな農家の男の多くは独立戦争の兵士であった(今、実に多く[の 復員軍人]がホームレスになっているように)。彼らは何千人も 裁判所に集結して、[抵当処分の]競売を始めさせなかったもの だった。

今日、家賃が払えずに立ち退きの憂き目にあっている人々がいる。 それは、30年代に人々が何をしたかを思い出すいいきっかけでは ないか? 彼らは組織立って公然と権力に歯向かい、立ち退かされ た家族の家具一式をアパートに運び戻したのだった。

歴史的にみれば、政府は、共和党であれ民主党であれ、保守であれ 革新であれ、本来の責任を果たしてこようとはしなかった。例外が 直接的行動によってそう強いられた時だ。たとえば、黒人の人権を 求めての座り込み抗議とフリーダム・ライズ[1960年代の米国での 黒人解放運動のうねりの中の象徴的事件のひとつ]、労働者の権利 を求めてのストライキと行動拒否[ボイコット、つまり不買運動や 業務拒否など]、戦争を止めるための兵士の上官への反逆や脱走、 などがそうだった。投票行動は簡単だし、それなりに有益ではある。 しかし、民主主義の柱としては不十分だ。民主主義には、心ある 人々による直接行動こそ必要なのだ。

ハワード・ジンは、 "A People’s History of the United States" [訳注: 邦訳『民衆のアメリカ史』 (TBSブリタニカ社)、さらに原 著増補版まで含めたものが明石書店から同名で出版されている]、 "Voices of a People’s History" [仮訳: 民衆の歴史の叫び] (アンソニー・アーノウヴと共著)、 そして最近では "A Power Governments Cannot Suppress" [仮訳: 政府をして抑圧できない権力] などの本の著者。


原文: "Election Madness" by Howard Zinn The Progressive, March 2008 Issue URI: http://progressive.org/mag_zinn0308 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━