TUP BULLETIN

速報487号 リバーベンドの日記 4月9日 法王と英皇太子の話題の蔭にかすむイラク 050413

投稿日 2005年4月13日

DATE: 2005年4月14日(木) 午前1時42分

砂埃の中で迎えた2度目の占領記念日


 戦火の中のバグダード、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の 女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、 女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、 検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列 と水汲みにあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で読ま れています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため息が 感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、T UPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 (転載転送大歓迎です)

(TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里) http://www.geocities.jp/riverbendblog/


2005年4月9日土曜日

残酷な月・・・

今日、国中で何千人もの人々がデモをした。バグダードの多くの地域では 交通が遮断されていた。治安確保とデモ隊に対応するため、と思う。スンニ 派のデモもいくつかあったが、参加者の大多数は実はシーア派とアル・サド ルの信奉者たちだった。参加者はバグダード中からやってきて、フィルドス 広場に集まった。解放広場とされているところだ。何千人という規模だった のにどのニュース局もまったく報道しなかった。アル・ジャジーラは昼のニ ュースで抗議行動を断片的に伝えたが、ほかはどの局も別のニュースにかま けていたようだ。E(弟)が以下のリンクを教えてくれた。このサイトで抗議 行動をしっかり見てほしい。  http://bellaciao.org/en/article.php3?id_article=5723

BBCとユーロニュースは、チャールズ皇太子とあのぞっとするカミラとの結 婚式にかかりきりだった。CNNは法王の葬儀を放送していた。バグダードやモ スルやアンバールや南部のデモなんか気にするものはなかった。何十万人もの シーア派が「アメリカ、ノー。テロ、ノー。占領、ノー。 生き地獄にノー。 イスラエルにノー」と叫びながらデモをしていて、その数は恐ろしいほどだっ たというのに。

クルド人のジャラル・タラバニが大統領に指名されてからというもの、多 くのシーア派は荒れている。大統領職はただの象徴でなんの意味もないなん て説明では納得させられない。イラクで言う「La izayid we la inaqis」、 つまり「それで増えも減りもしない」。みんな政府のポストは「象徴」だと 思っているのだ。だから、どうしてシーア派が最高の象徴であるポストに就 けないんだ?――というわけなのだ。クルド人がどうやって血塗れた手の人 物を戴くことに合意したかということも不安をかきたてる。タラバニは、ト ルコ、イギリス、アメリカなどと取引しているといわれ、これまで同じクル ド人のバルザニと勢力を争い何千ものクルド人を死に追いやってきた。

今はもう暖かい。蒸し暑い空気を少しでも動かそうと天井の扇風機を点け ることも多くなった。世界のどこでも4月は新たなスタートの月だけれど、 イラクでは違う。4月は最良の月ではない。蒸し暑く砂埃がたちこめ、その 上今は占領下。この4月は砂埃で明け、家具は砂色におおわれて光沢を失っ てしまった。ここ数日息をしても食べても飲んでも砂埃だった。大気は少し 澄んできたが、それでも何もかも少しばかりうらぶれて汚れてみえる。この 国の今の空気に似つかわしい。

2年が過ぎ、再び占領記念日がきた。この1年、何が変わったのだろう。 2004年の4月と同じ顔ぶれ、だが、2005年のこの4月、並び方が違 っている。チェスの駒たちは動かされ位置を決められ、誰もがこのゲームに うんざりしてしまった。

4月は残酷な月だと言ったのは誰だったかしら? そう言った人はよくわ かっていたのだ・・・

午後11時19分 リバー

(翻訳:TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里)