TUP BULLETIN

速報532号 トム・エンゲルハート 「シンディ・シーハンの戦争」 050824

投稿日 2005年8月23日

FROM: gitani
DATE: 2005年8月24日(水) 午前4時05分

☆クロフォード牧場の決闘、またはアリがゾウをたじろがすための実戦教本★
ブッシュ大統領が長期夏期休暇を過ごすテキサス州クロフォードのブッシュ
家の牧場から8キロメートル地点の道端に張られたキャンプが、にわかに全米
の注目を集めています。イラクで息子を殺された一女性の闘いが、ブッシュの
戦争マシーン全体を揺るがしかねない勢いを生みだしました。トム・ディスパ
ッチの健筆編集者が、イラクの治安情勢、米軍上層部の言動などの大状況のな
かに視座を据えて、シンディ・シーハンの闘いを論評します。
TUP速報連載中、ドナ・マルーハンのキャンプ・ケイシー訪問記と併せて
お読みください。井上

凡例: (原注)[訳注]〈ルビ〉《リンク》
お願い: URLが2行以上にかかる場合、全体をコピーしてください。
===============================================================
トムグラム: シンディ・シーハンの戦争
道端の側溝に押しこめられた
シンディ、ドン、そしてジョージ
――トム・エンゲルハート
トム・ディスパッチ 2005年8月14日

退役した四つ星の陸軍将校、バリー・マキャフリーが、タイム誌に次のように
語る《*》――「陸軍の車輪は今後24か月のうちに脱落するだろう。今、わ
が国は戦略上の重大な難局にある。ラムズフェルドが自分の言い分にこだわる
あまり、職務を抜けるわけにはいかないと言ったからだ」
http://biden.senate.gov/newsroom/details.cfm?id=230543

ダウニング・ストリート・メモに関するジョン・コニアース下院議員主宰の公
聴会《*》において、シンディ・シーハンは次のように証言する――「私の息
子、ケイシー・オースティン・シーハン技術兵はバグダードのサドルシティに
おいて2004年4月4日に戦死しました。L・ポール・ブレマー(連合国暫
定当局長官=当時)がシーア派民兵の反抗を煽った結果、ケイシーと6名の勇
敢な兵士たちが待ち伏せ攻撃に遭い、悲劇的な死を遂げましたが、その日にな
るまで彼はイラクに2週間駐在しただけです。あの恐ろしい日に殺された兵士
たちのひとり、マイク・ミッチェルのお父上、ビル・ミッチェルはここに私た
ちと同席しておられます。これは、ケイシーが生後7か月のときの写真です。
殺害される当日まで、彼が自分の財布に忍ばせていた写真を引き伸ばしたもの
です。私どもにイラクから返送された彼の遺品に混じってそれがありました。
このように、彼はいつも二本指をしゃぶっておりました。産道を通ったせいで、
平べったい顔で生れ、エドワード・G・ロビンソン[1893-1973 ギャング役で
名を馳せた映画俳優]そっくりだったので、略してエドワード・Gと私たちは
呼んでいました。あなたがたのうちの何人ほどが、若いのに棺桶に入った息子
さんや娘さんを見られたでしょうか? それは、ショッキングでとても痛まし
い姿です。棺〈ひつぎ〉に横たわるケイシーを見て、私にとって最もひどく胸
が張り裂けるのは、彼が筋肉の張りを失って、顔がふたたび平らになっている
ことでした。彼は揺り篭に横たわる赤ん坊のときのように見えました。最も悲
劇的な皮肉は、ダウニング・ストリート・メモが真実であると分かれば、ケイ
シーや何千人もの人たちは今も生きているはずだったということです」
http://www.lewrockwell.com/sheehan/sheehan9.html

2005年3月、下院軍事委員会においてドナルド・ラムズフェルドはこう証
言した――「これまでの3年半の間に、世界は、米国のアフガニスタンに進入
する能力を目撃しました……しかも、2万、いや1万5000人の兵力がアフ
ガニスタン人と協力し、20万人のソ連人が10年かかって達成できなかった
ことをなしとげたのです。世界は、米国および同盟軍のイラク進入を目撃しま
した……そのことが人びとに対する抑止効果をもたらすに違いません」(ア
ン・スコット・タイソン「ラムズフェルド主張、米国は戦争で世界の敬意を獲
得」ワシントン・ポスト2005年3月11日号《*》)
http://www.tbrnews.org/Archives/a1454.htm

2004年6月17日、シンディ・シーハンとその夫をはじめ、戦死者遺族た
ちに面会するために到着したジョージ・ブッシュ《*》はこう言った――「そ
れで、ここでは私たちは誰を崇めるのかね?」
http://www.juancole.com/2005/08/party-over-on-cindy-sheehan-bob-
harris.html

「陸軍に行こう」サイト《1》の「キャリアと仕事」画面のアイコンが「割り
増し賃金、月400ドルはいかが?」と誘う。これ《2》をクリックすると開
くコンテンツの一部を紹介すると――「適格で意欲的な陸軍新兵は、今日の世
界規模の責任を遂行するために重大な任務を担う、陸軍指定の優先部隊に配属
されることに同意するならば、月額400ドル、最長36か月、最大1万44
00ドルに達するAIP(任務褒賞給)を支給される資格があります」
1. http://goarmy.com/JobCatList.do?fw=careerindex
2.
http://goarmy.com/ListJobsByGroup.do?id=45&fw=assignment_incentive_pay

溝にはまっているのは、誰?

ケイシー・シーハンは、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の言う「人びとに
対する抑止効果をもたらすに違いない」、イラクにおける「今日の世界規模の
責任」の遂行のため、こまごまとした「重大な任務」のひとつを担っていた。
ところがあいにく、シーハンは不意に[相手側の]抑止の憂き目を見た兵たち
のひとりになり、他の1846名の米兵たち《*》と同じように埋葬され、肝
っ玉母さん・シンディに、ブッシュ政権の言う「現今の世界規模の責任遂行」
に潜む恐ろしさや危険に対し、アメリカ国民を覚醒させる重大な任務を担わせ
ることになった。
http://antiwar.com/casualties/

これまでの2年間、文武を問わず政権高官たちは、“終わりの見えないイラク
戦争”における「曲がり角」だとか「転換点」、それに「画期的な成果」だと
かを話題にして、口を閉ざす気配もない。シンディ・シーハンの自発的な反戦
行動――テキサス州クロフォードに向かい、休暇でくつろぐ大統領に食ってか
かり、息子の死の説明を求める決意――が、イラク戦争におけるアメリカの本
物の転換点をもたらすのも、今ではあながち不可能ではないようだ。

無数のニュース記事やテレビ報道が伝えるように、彼女は、目的地であるクロ
フォードの大統領“牧場”の手前8キロメートル地点で前進を阻まれ、失礼に
もテキサス州道の側溝に追いやられ、野営を余儀なくされた。それでもどうし
たわけか、ニュース性は別にして無力な彼女が合州国の大統領を人質に取り、
大統領のクロフォード隠遁場をバグダードにあるグリーン・ゾーン[米軍租
界]のアメリカ本国版にしてしまった。不思議なことに彼女のせいで、8月の
トップ・ニュースは、大統領が共和党献金者たちに会いに行くさい、ヘリコプ
ターで彼女のキャンプを飛び越えていくか、それとも(実際にそうしたよう
に)着色窓ガラスの黒塗りシボレーSUV[スポーツ汎用車]に乗って通りす
ぎる[*]か、どっちにするかの選択の話題にさらわれてしまった。
[AP通信「〔バーベキュー・パーティー出席の〕行き帰りに大統領の車列が
キャンプ近くの道路を通ったが、そのまま通り過ぎた」毎日新聞8月13日]

シンディ・シーハンは、ブッシュの政治力およびメディア権力に対峙して不釣
り合いな闘争の極限版を展開してきたし、さらには、彼女の人格、彼女の物語、
彼女なりの「戦争の代価」《*》を賭けて、現在という時代の緊張の多くを引
き寄せてみせた。この経過のうちに彼女が暴いたものは、ブッシュ政権の衰弱
と混乱なのだ。テキサス州道の側溝に閉じこめられたのは、彼女なのか――そ
れとも合州国大統領なのか、結局どちらになるのか、現時点において、議論の
余地のある状況のままである。

軍上層部に見る混乱

先週、ワシントン・ポストのエレン・ニックマイヤー《1》は、「米軍将校が、
イラク憲法起草の最終期限が迫るにつれ、武力攻撃が激しさを増しそうだ……
と語った」と伝えた。この言い方は、これまでの2年にわたりアメリカの高官
たちが将来の批判に予防線を張るために用いてきた、ごくありふれた予告の口
振りそのものだ。この将校の言った「憲法起草」を、「サダム・フセインの息
子たちを殺害したあと《2》」(2003年7月)、「主権の委譲に向けて」
(04年6月)、「新しいイラク政府代表の選出に向けて」(05年1月)で
も――まだ先のことだが、「憲法承認投票」(05年10月)、あるいは次の
「新しいイラク政府代表の選出《3》に向けて」でも――なんでも適当な言葉
に置き換えるだけでいいし、未知の同じような「画期的な事件」《4》で置き
換えても一向にかまわないだろう。もっとも、つい最近、クロフォード休暇の
開始時、わが国大統領がに明言した《5》ように、アメリカはイラクで「最後
まで初志を貫徹する」と言い張るかぎり画期的になるはずはないが。
1. http://www.washingtonpost.com/wp-
dyn/content/article/2005/08/10/AR2005081000289_pf.html
2. http://www.here-now.org/shows/2003/07/20030723_1.asp
3. http://www.defense.gov/news/Nov2004/n11152004_2004111511.html
4. http://www.whitehouse.gov/news/releases/2005/08/20050804-2.html
5. http://www.defenselink.mil/transcripts/2005/tr20050809-
secdef3642.html

毎回の「武力攻撃の頻発」のあと、いつもの「転換点」ごと、「曲がり角を廻
る」度ごとに、ブッシュ政権高官たちや軍司令官たちは反抗を抑えると予告し
ては、さらなる武力攻撃の「頻発」に待ち伏せされるだけである。例えば、イ
ラクで実施された選挙の余波として、武力攻撃が頻発し、退潮してから3か月
以上もたった今年5月《1》、統合参謀本部議長、リチャード・マイヤーズ将
軍は「最近の武力攻撃の頻発は……イラクの新政府と内閣の信用の破壊をねら
う企てに違いない」と新しい説明をやってみせた。反抗勢力による攻撃が短い
小康状態にあっても(多くの場合、これは作戦の変更を示唆するにすぎず)、
イラク反抗勢力がぐらついたり、しくじったり、抑えこまれたりしている明白
な証拠にならないとしても、攻撃の激化は、反抗勢力の「最後のあがき」であ
り、ブッシュ政権の政策の成功がすぐそこに近づいている証拠と言い張る始末。
6月が終わるころ、チェイニー副大統領がCNN[ケーブル・ニュース・ネッ
トワーク]のウォルフ・ブリッツァーに言って聞かせた、あの悪評高い「最後
の苦しみ」《2》も同じ類。
1. http://www.globalsecurity.org/military/library/news/2005/05/mil-
050512-afps03.htm
2. http://www.globalsecurity.org/wmd/library/news/iraq/2005/06/iraq-
050624-afps01.htm

バグダード監視の任にあたる第三歩兵師団の副司令官、カール・ホースト陸軍
准将《*》は、当時、彼の配下の兵たちが巻きこまれていた苦闘そのものを予
言していたことを自慢して、最近、(別に苦闘している風でもなく)お手上げ
の体〈てい〉で次のように語ってみせた――「これまでの2,3か月を調べて
みると、反抗勢力は攻撃を維持することができていなかったが、連中は4週間
かそこらごとに大きく勢力を伸ばす傾向がある。われわれはそういう時期のま
さしくただなかにあるのであって、これはかねてから予測していたことだ……
連中が憲法制定過程に介入するつもりなら、彼らに残された時間は数日のみで
あり、われわれは攻撃が続発すると紛れなく予想している」
http://www.boston.com/news/world/middleeast/articles/2005/08/10/more_t
han_20_die_in_attacks_on_iraqi_police_us_troops/

公的資格のある誰かが、イラクでは暴力が激発するばかりだと遅かれ早かれ判
断することだろうと、読者の皆さんは思われるかもしれない。

ブッシュ政権が米国の歴史上で最も秘密主義的、統制的、上意下達的な政府で
あることは、私たちの時代の周知の事実。ところが、この2週間、大統領とお
友だち連中にとって、なんというタガの外れよう! 大統領の支持率《*》は
歴史的どん底にあるか、近いかであるし、彼のイラク戦争政策に対する支持は、
40パーセントをうかがうか、割り込みかねないありさま――世論というもの
は、なんと言っても、アメリカのデモクラシーのいまだ健在な部分を大きく映
す掲示板なのだ。記録的な長期にわたる大統領のクロフォードご静養の準備段
階で、ジョージとその随員たちは、わが国が遂行しているのは、「暴力的過激
主義に対する世界規模の闘争」なのか、それとも対テロ世界戦争なのか、意見
の一致にすらいたっていなかった。(大統領は最終的に戦争のほうを選んだ)
もちろん、彼はワシントンに特別法律顧問団を残したが、これは政権に招集さ
れながら、今ではその統制を超え、主要な大統領補佐官たちの頭上に司法のダ
モクレスの剣を振りかざす権限を与えられている(し、皆と同じように、下落
する大統領支持率を解析することがたぶんできる)。
http://www.prnewswire.com/cgi-
bin/micro_stories.pl?ACCT=617800&TICK=NEWS&STORY=/www/story/08-06-
2005/0004083721&EDATE=Aug+6,+2005

イラクは、もちろん――外出中も放置しておくわけにはいかず――少なくとも
2003年5月2日以降、ブッシュ一派が振り落とすことができなくなったも
のすべての核心にある。あの日(不吉にも、ファルージャで7名の米兵たちが
手榴弾攻撃により負傷した日)、わが国大統領はジェット戦闘機の副操縦士席
に乗りこみ《*》、(ドックに入っていれば、歩いて乗りこむしかないので)
サンディエゴ沖合に泊めおかれた米海軍航空母艦エイブラハム・リンカーンの
甲板に降り立った。彼は、全身を軍服で決めて、「任務達成」と書かれたホワ
イトハウス制作の横断幕の下に立ち、「主要な戦闘」の終結を宣言した。その
時からずっと、ジョージはあの(未)達成任務に就いたままであり、イラクは
ブラックホール以外のなにものでもないと判明し、ネオコンの夢やありとあら
ゆる類の野心的な計画ともども、彼の政府と米軍とを吸い寄せている。
http://www.cnn.com/2003/WORLD/meast/05/01/sprj.irq.main/

存在しなかったはずの――あるいは少なくとも、何千人とも知れない雑兵たち
が米兵に殺されたり拘留されたりして《*》死滅したはずの――イラク人反抗
勢力が、厄介なことに、8月初旬の日び、どうやら米兵殺害地帯を出現させて
しまった。オハイオの同じ部隊からやってきた16名の在郷海兵隊員たちが2
日間のうちに殺された。7名のペンシルベニア州軍兵士たちが、やはり2、3
日のうちに殺された。大統領ご静養期間の最初の11日間のうちに、37名の
アメリカ人がイラクで死亡したと伝えられ、連日連夜、米兵戦死報道がテレ
ビ・ニュースのトップになっている。それでも、政権は力なく傍観しているだ
けのようであり――大統領と随員たちは今でも対ベトナム戦教本に従って舵取
りしている始末で――“思いやり”のためであっても、オハイオであれ、ペン
シルベニアであれ、悲しみに打ちひさがれた地域社会を訪問したり、大統領が
死なせるために外地に送った未成年男女のだれかの葬式に出席して引っ掛かっ
たりしないという、大統領決定から一歩でも譲ることを拒否してきた。それな
のに、大統領はニューメキシコのサンディア国立研究所へ飛んでいってエネル
ギー法に署名したり、牧場を離れ、百万長者の共和党パトロンたちと懇談しに
行ったりはしたのである。
http://www.wpherald.com/storyview.php?StoryID=20050808-124515-9860r

こうしている間に、怒りをますます募らせているイラク駐在の軍司令官たちと
本国のワシントンにいる政府高官たちとの間に見られる関係性の亀裂がだれの
目にも露わになりはじめた。問題の核心は、嫌気がさした軍将校たちにとって
――シンディ・シーハンにとってと同様――全志願制の兵士たちが車両や装備
一切合財もろともイラクの崖っぷちから落っこちる前に、一体全体、いかにし
て米軍をイラクから撤収するのかである。

7月が終ると、イラク駐留米軍の最高司令官、ジョージ・W・キャシーが、来
春までに米軍をかなりの規模で――たぶん、その時に数万単位で、2006年
末までにさらに数万単位で――(数多くの仮定条件付きで)撤収しはじめるこ
とができると公言し《*》、ドン・ラムズフェルドも、どこかイラつきながら
も、最初のうちこそ彼に同調した。続いて、ラムズフェルドは[撤退発言の]
制止にかかったが、さらに多くの軍人たちが、イラク駐留兵力の削減の可能性
について、ありとあらゆる類の暴露や見解を携えて、メディアの騒ぎの渦中に
跳びこみ、ますます不人気になる戦争のなかで追いつめられた政権の撤退戦略
についての第一面記事が突然の集中豪雨のように紙面に溢れかえった。ところ
が一方、ややこしいことに、実は、あの武力攻撃の新たな“激発”が予想され
ることから、政権は12月の選挙の前にイラク駐留の米軍兵力を1万ないし2
万人規模で増強すると示唆する報道が表にではじめた。
http://www.washingtonpost.com/wp-
dyn/content/article/2005/07/27/AR2005072700431_pf.html

最終的に、先週、クロフォードでおこなわれたラムズフェルドおよびライス
(ペンタゴンおよび国務省)各“チーム”合同の作戦会議のあと、大統領
《*》は(ひとつにはシンディ・シーハンに対処する目論見の)記者会見をお
こない、アメリカ国民に撤退時期を説明するために、広告じみた単調きわまる
と言っていい談話を大急ぎでやってみせた。すなわち、彼は「イラク国民が立
ちあがるなら、われわれは降りるだろう」と唱えた。
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2005/08/20050811-1.html

だが、イラクにおける兵站〈へいたん〉の任にあたる米軍将校《*》が、米軍
輸送部隊に対する路傍爆弾攻撃が過去1年の間に倍増したと公表したのと同じ
週では、こういう言葉は空しく聞こえる――反抗勢力が相変わらず果敢に戦っ
ている一方で、新編成のイラク軍は、どんな形であれ急いで“立ちあがる”様
子がなく、わが国じたいの司令官たちが、イラク軍はまとまった数で立ちあが
ることなどないだろうと信じていると示唆する報道が聞こえてきたりするので、
なおさらのこと。それなのに、人里を隔絶した桃源郷のわが大統領は、イラク
における「前進」を公表できて嬉しいと記者会見の場で数回にわたり口にして
くれた。(「それに、われわれはイラク人の訓練において前進しています。ア
ッ、その前進がアメリカの誰かには見えにくいのは私に分かっていますが、わ
れわれは前進しているのです」)
http://www.boston.com/news/world/middleeast/articles/2005/08/12/roadsi
de_bombings_in_iraq_are_increasing?mode=PF

(8月に未曾有の数の死傷者《1》を出し)もはやウィークエンド戦士ではな
くなった州兵たちや予備役たちの負担を軽減する企てについても彼は語った。
彼はこう言う――「また、われわれはわが国の州兵およびわが国の予備役の招
集手続きの改善措置を講じました。われわれは彼らにこれまでよりも早く通知
してあげるようにしました。彼らの滞在期間について、これまでよりも確実に
教えてあげるようにしました。われわれは期間延長と再派遣の数を最小にして
あげるようにしました」。あいにくちょうどこの時、マイアーズ統合参謀本部
議長が兵たちを三度目のイラク派遣任務に呼び戻す可能性をこう語っていた―
―「確かに、兵員が三度目の駐留任務をこなしに戻る可能性はある。いつでも
そうだ。われわれは戦争中なんだ」
1.
http://www.guardian.co.uk/worldlatest/story/0,1280,-5205830,00.html
2.
http://www.estripes.com/article.asp?section=104&article=30033&archive=
true

大統領が記者会見で撤退問題に言及したとき、「兵を退〈ひ〉けば、敵にとん
でもないシグナルを送ることになります」と主張した。さらに彼は兵力削減作
戦を「憶測やウワサ」と言って切り捨て、記者たちに大統領配下の軍人たちの
言動を突きつけられると、「あなたがたが聞いたことは、イラク人が敵との戦
闘を担えるか否かにかかわらず、イラクでだれかが目にしている前進にもとづ
いた憶測ではないかと私は思います」と言い足した。

これは、あいまいな言い回しに聞こえるかもしれないが、それでもなお、(ブ
ッシュ政権の国防長官と同じく、戦地にいる配下の将軍たちの望むことなら何
なりと受け入れるといつも約束する)大統領が公開の場でその将軍たちに異論
を唱える発言なのだ。ケイシー将軍《*》も撤退発言のせいで内密に“叱責”
された口である。イラク現地に駐留する米軍司令官たちは、この戦争における
公的な立場の現実主義者であり、敵対勢力が米軍の武力によって制圧されうる
という考えをずいぶん前から捨てていて、米軍マシーンを動かしながら、「車
輪の脱落」を心配している。
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2005/08/14/wirq14.
xml&sSheet=/news/2005/08/14/ixworld.html

事実として、ブッシュ政権のイラク占領は――先日、ハワード・ジン《1》が
「(わが国は)イラクをサダム・フセインから解放したが、わが国からは解放
しなかった」と事の本質を突いたように――軍事的不均衡をくつがえす、近代
戦史上類を見ない一大破局を迎える恐れがある。現時点で数万人規模と推測さ
れる反抗勢力の雑兵集団が、車庫シャッターの開閉器や携帯電話機を用いて路
傍爆弾を起爆したり、米軍基地付近に車両を置いて、(現場に残って、対抗射
撃を浴びずに済むように)料理用タイマー《2》を使って放火したりして、米
軍を相手に少なくとも互角に戦っている。ここで話題にしているのは、昔むか
しではなく数年前まで、この惑星上のみならず銀河全史を通して最強の軍団と
してもてはやされていた軍隊のことなのだ。
1. http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,5260904-103677,00.html
2.
http://ledger.southofboston.com/articles/2005/08/03/news/news02.txt

これまで、同じような撤退の噂〈うわさ〉が流れたあと、イラク駐留兵力が目
立たない形で増強されてきたが、これなどもやはり世論を操作し、どのように
でもとれるようにする、ブッシュ政権の巧妙な策略にすぎなかったのだろう。
だが現時点では、撤退話しは情報操作ではなく、次に打つ手についての混乱、
不一致、不確実性の表われであるようだ。このように飛び交うイラク撤退にま
つわる「相反する情報」によって世論が混乱したままであれば、「対イラク政
策に関わる政府高官の一部が個人の意見とことわって認めるように、国民の不
安と同じく、政権そのものも不安を抱えている」とワシントン・ポストのピー
ター・ベイカー《1》は書く。名を出さない「ワシントン勤務の軍高官」が、
ニューヨーク・タイムズのアン・E・コーンブルト《2》に対し、いみじくも
「われわれは一つのメッセージを押し通す必要がある。われわれの動揺はアメ
リカ国民に混乱をもたらす」と語った。
1. http://www.washingtonpost.com/wp-
dyn/content/article/2005/08/11/AR2005081101837_pf.html
2. http://www.washingtonpost.com/wp-
dyn/content/article/2005/08/11/AR2005081101837_pf.html

今では政府高官たちでさえも「期待値を大きく引き下げ」《*》、いかにうま
くイラクという沈没寸前の船から飛び降りるかを考えている。大統領は「地上
軍への武力攻撃が続いていても、国民が彼の戦略に忠実であることを」熱望し、
「時間稼ぎをねらっている」とベイカーは評した。だが、時間稼ぎは、何のた
め? この問いが、米国の制御が突如として利かなくなった世界に直面したい
ま、ジョージ・ブッシュの首脳たちを根っこのところで身動き取れなくさせて
いる。
http://www.washingtonpost.com/wp-
dyn/content/article/2005/08/13/AR2005081300853_pf.html

シンディとメディア

さて、仮に事態がそれほど悪くないとしても、シンディ・シーハンがいた。彼
女は、たぶん10台余りの車と、赤、黄、青色[星条旗色]に塗りわけられた
車体に「弾劾ツアー」とぶしつけな文句を書きつけた中古バスとに分乗した小
人数の支援者たちのキャラバンと一緒にクロフォードに向かった《*》。彼女
が携行していたのは、寝袋、いくらかの衣類ぐらいのもので、他にたいして持
っていなかったのは明らかである。彼女は道端に車を停め、テントを張った―
―次に起こったことは誰でも知っている。彼女が大統領に余儀なくさせたのは、
身辺警護官や小役人の類を寄越すことではなく、彼の最高幹部2名、国家安全
保障担当補佐官、ステファン・アドレー、統合参謀本部副議長、ジョー・ハー
ギンの派遣だった。彼らは、反抗的な外国の首脳を相手にした会談を思わせる
様子で、45分間にわたり彼女と面会し、交渉した。彼女は、得意になって引
き下がるようなことをせず、なぜ息子が死ななければならなかったのか、大統
領の説明がいただけるまで、その場で待つと言って、彼らを追い返した。
(「彼らは私の用件を大統領に伝えると言いました。私は『それはけっこう。
大統領本人でなければ、話す気はありません』と応えました」)
1. http://www.commondreams.org/cgi-
bin/print.cgi?file=/headlines05/0807-03.htm
2. http://news.yahoo.com/s/huffpost/20050812/cm_huffpost/005545

かくして彼女はその場に居座ることになり――コード・ピンク[ロサンジェル
ス基盤の平和団体]の勇敢な女性たち、イラクで息子を失った他の親たち、イ
ラク戦争強行に抗議して辞職した国務省元職員《1》、「政治コンサルタント
《2》と公報専門家集団」、ありとあらゆる反戦活動家たち――彼女に刺激さ
れた人びとが、そしてもちろん報道関係者たちが集まりはじめた。報道記者た
ちは、世論調査に示される政権の弱みを読むのにきわめて有能であり、ろくな
ニュースも期待できないクロフォードに、最低以下の話題を提供する大統領と
ともに閉じこめられていて、体制べったりでないメディアに対する態度が「撃
退」《3》のみである政権に鍛えられ、ブッシュの戦争のせいで悲嘆にくれる
母親に同情していて、じっさいに取材をはじめた瞬間に、自分たちは惹きつけ
てやまないニュース種に密着していると気がついた。
1. http://www.govexec.com/dailyfed/0303/032103wright.htm
2. http://www.washingtonpost.com/
wp-dyn/content/article/2005/08/12/AR2005081201816_pf.html
3.
http://journalism.nyu.edu/pubzone/weblogs/pressthink/2005/07/16/rll_ba
ck.html

文字どおり数百本の報道記事――そのほとんどが、取り乱した母親、その聖別
された子ども、イーグル勲章ボーイスカウトだった亡き息子を共感こめて描く
肖像――があふれだし、一方のシーハンは、たちまちテレビのモーニング番組
や夜のニュースに登場し、「キャンプ・ケイシー」や「クロフォード平和の
家」は、またたくまに流行の立ち寄り先になった。次に起こったことは周知の
とおり。記者会見の席につき、二度目の尻込みを余儀なくされる大統領がいた。
8キロメートル先の道端に、ただ会うためだけなのに招き入れてもらえず、そ
れでも黙って引き下がろうとしない悲嘆の母親がいて、彼に圧力を加えている
というのに、大統領はその彼女に対する「同情」を語ってみせた。(「だから、
わかるでしょ、聞いてもらいたいが、私はシーハン夫人に同情します。彼女は
強く彼女の――彼女の立場を感じています。そして私は――彼女は彼女の信じ
ることを言う断然すべての権利を持っているのです。これはアメリカなのです。
彼女は彼女の立場に対する権利を持っているのです……」)

不均衡な戦争を語ろう。一女性がブッシュの政治体制とその主要メディア連合
(および雑多なブロガーたち)が結集し、天下御免になった勢力に対峙し、そ
の一部がただちに攻撃にかかったが、シンディ・シーハンはたじろがずに踏み
とどまっている。とどのつまり、シーハンは荒野で頑張っているのであり、こ
れが彼女の見せ場なのだった。右翼報道機関が何をしようとも、彼女は受けて
立てた――そしてもちろん、当面の間、主流メディアは彼女に惚れこむことに
決めた。なんと言っても、彼女は完璧だった。アメリカの報道記者たちは、や
やこしい筋書きのない“対決”状況、OK牧場の一対一の決闘が大好きだ。
(「サダムとの対決」と銘打ち、何週間も続いたテレビの果てしない番組を憶
えておられるだろうか?) おまけに――素直に言おう――記者たちは、政権
から自分たちに仕掛けられてきた5年間もの宣撫[せんぶ。手なずけること]
攻勢に間違いなく怒っていた。

しかし、記者たちは、アメリカを惹きつけるためには、シンディ・シーハンは
まさしくどのような人物であらねばならないか、独自の考えを持っていた。彼
らは、すばらしく言行一致し、とても感動的であり、だが完全には正確とは言
えない彼女の人物像を描いた。彼らは彼女を手なずける試みとして、その言葉
を刈りこみ、彼女の名を広めた不敬さだけでなく、言葉の強烈さそのものを剥
ぎとった。彼女はなんのためらいもなく大統領を「邪悪な狂人」「嘘つき小
僧」と名指し、あるいは政府高官たちを「やつら嘘つき小僧」「臆病なタカ」
「戦争屋」「恥ずべき臆病者」「戦争犯罪人」と呼んだ。彼女は大統領の「弾
劾」や政権最上層部の(恩赦なしの)一斉投獄を要求した。彼女は米軍をイラ
クから即時に撤収することを要求した。すると、メディアが描く悲嘆に暮れる
反戦ママという大幅に毒消しされた肖像から、このほとんどが消えてしまった。

それでも、シーハンは、彼女の周囲で興行するメディア曲芸団やイメージ作り
にたじろいでいないようだ。恐怖が婉曲的に言及されたり、上品に描写された
り、わざと無視されたりする世界にあって、彼女はとても希有な芸当をしてみ
せている――彼女は物事を自分の目に見えるままの名前で名指すのだ。メディ
アが仕事のうえで慎重で上品にふるまうとしたら、ジョージ・ブッシュの反対
勢力のほとんどが「反対行動」のうえで単刀直入、無作法にふるまっているよ
うに、彼女は、まさしく自分の任務のうえでそうふるまっている。そして、彼
女に大きな一歩を踏み出させ、悲しい世論調査結果を本格的な反戦運動に転化
させうるものは、彼女の率直さそのもの、物事を現実の名前で名指すことによ
って、ショックを与える彼女の能力なのだ。

次はどんなことが起こるのだろう? 大統領はじっさいに葬儀に参列するのだ
ろうか? シンディ・シーハンは大統領を彼のグリーン・ゾーン世界から追い
出すのだろうか? 突如として、ほとんどなんでも可能になるように思えるよ
うになった。

どのようにメディアが彼女を扱おうとも、彼女は政権が陥った窮地のすべてを
体現している。(イランもそうだが)イラクと同様、政権は意志を通すことも、
彼女を状景から消し去ることもできない。ブッシュと配下の高官たちは、自分
たちの戦争のせいで死んだ息子の母親の力を恐れて、彼女を攻撃したいと間違
いなく思った瞬間、目をパチクリした。そして、きわめて異例なことだが、彼
らは気後れし、態度をコロコロ変えた。彼らは彼女を無視してから、交渉に入
った。彼らは彼女を襲わせるために攻撃犬を差し向けてから、同情を表明した。
何をすべきか、いつも事前に分かっている高官たちは、シンディ・シーハンに
対して何をすればいいのか、なんの考えもなかった。世界で最強の人びと、そ
の彼らが抜き差しならなくなり、孤立無援であると確かに感じた。どういうわ
けか、彼女はジョージの大統領職に伴う魔法のような何かを剥ぎ取り、彼を等
身大に縮めてしまった。現時点で言えば、とてもおもしろいパフォーマンスが
展開してきた。

転換点?

ケイシー・シーハンは、駐留任務に就くためにイラクに到着してまもなくの2
004年4月4日に死亡した。彼の母親は、「間違った」戦争《1》、「無辜
〈むこ〉の人びとを殺す」必要があるかもしれず、自分が死ぬかもしれない場
所に息子が行くことなど決して望んでいなかった。(「私は彼に行かないでと
懇願しました。『あなたをカナダに連れていく』と私は言いました……が、彼
は『ママ、ぼくは行かなきゃ。ぼくの義務なんだ。友だちも行くんだ』と言い
ました」) 私たち、子どもを亡くしたことのない者には、いつもながら想像
を絶するが――悲嘆のうちに、この女性は、彼女の天命、それも自分では望み
などせず、他人が彼女に望んだのでもないものを見出した。
1. http://www.afterdowningstreet.org/?q=node/1226
2. http://www.washingtonpost.com/wp-
dyn/content/article/2005/08/11/AR2005081100448_pf.html

彼女は、小さな団体 「平和を求める戦死兵遺族会」を立ち上げ、一年よりも
長い間、大統領は説明すべきだと主張して全米を廻ったが、おおむね世に知ら
れることはなかった――ただし、インターネットは別で、その場では非常に多
くのものが育まれ、後には、それが私たちの主流世界に爆発的に溢れだし、現
在では、ブロッグ上の言語用法をモニターするテクノラチ・コム・サイトで、
彼女の名前は全体で検索頻度が最高になっている。彼女が言った《2》ように、
「私たちにインターネットがなかったとすれば、私たちの誰一人として、ほん
とうは何が起こっているのか、じっさいに知ることもなかったでしょう。これ
は無視できない何かなのです」
1. http://www.technorati.com/
2. http://www.washingtonpost.com/wp-
dyn/content/article/2005/08/10/AR2005081001929_pf.html

3月になって、発展する軍隊と、軍人家族に吹き込まれた反戦運動に関する
ネーション・マガジンの記事「抵抗の新しい顔?」《*》のその顔として、彼
女が――先見の明ある編集者たちのおかげで――表紙に登場した。彼女は、ク
ロフォードに向かうべきだと明確に決心したとき、ダラスで開催された平和退
役軍人会の全国大会でスピーチをしていた。その後の展開は、皆さんがご存知
のとおり。
http://www.thenation.com/docprint.mhtml?i=20050328&s=houppert

わが国の大統領が、イラクにおける「われわれの使命」、それに世界における
「テロリストを打倒する、われわれの使命」について語るのが好きなのと同じ
く、シンディ・シーハンだって自分が使命を負っていることに気づいている。
わが大統領は、イラクで「初志を貫徹する」と断固として言う。これこそは
(そして、疑いなくそれ以上が)、まさしくシンディ・シーハンがクロフォー
ドでやろうと計画していることなのだ。ジョージは、ひるまないこと、退かな
いこと、さらには遺憾であると言わないことさえも自慢にしている。だが、シ
ンディに遭遇するまでは、彼は並外れて幸運だったに過ぎない。大統領歴訪の
旅に出ていても、議事堂にいても、どこにいても、彼は、自説にこだわり、売
り言葉には買い言葉をとことん繰り出す気構えの対抗者や、決してたじろがず、
決して謝罪せず、決して言葉を選ばない、決して人質を取らない心意気の敵対
者に出遭ったことはまったくなかった。今では、彼は出遭ってしまった――し
かも、とても多くの個人的な悪魔の例に漏れず、彼女は、彼自身の戦争のイド
[本能的衝動の源泉を表す精神分析用語]から呼び出された、説明、回答を要
求し、回答しなければ、およそ考えられるかぎり要求しつづけるだろう戦死者
の母親であり、大統領のネオコン同志たちのように、まったくためらわずに急
所を攻める女性なのだ。それに、ビックリすることに、彼女はすでに二度にわ
たり男をたじろがせている。

どれほどメディアが彼女を囲いこんだり、彼女を手なずけようしたりしても、
事実として、彼女は反対運動ルールブックを引き裂いてしまったのだ。彼女は、
最近、共和党が押さえる下院選挙区で勝ち目もなく出馬したイラク戦争復員軍
人、ポール・ハケットの鋳型で鋳造したような女性である。この人は大統領を
ためらうことなく「臆病なタカ」とか「馬の骨」とか呼び、こういうやりかた
ながら、誰もが驚いたことに46パーセントの得票を勝ち取り、ニュート・ギ
ングリッチ《*》をして、この選挙戦は2006年選挙に向けて「共和党員を
目覚めさせる警鐘とされるべきだ」と言わしめた。
http://www.tallahassee.com/mld/democrat/news/opinion/12370503.htm

このことには教訓がある。アメリカ人は、一般論で言うなら、人間の基本と考
えられるような、右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい流儀の国民で
はない。アメリカ人は、自分が票を投じたり支持したりした人たちが殴られた
ら、最低限、踏ん張って、殴り返すだろうと期待したい。かつてシンディ・
シーハンがどのような人間であったかは知らなくても、息子の死という試練の
金床のうえで打たれて、今の人物像に鍛造されたのだ。(「米国がイラクを侵
略したとき、私は唖然とし、ガッカリしました《*》。私は侵略に賛成しませ
んでした。侵略が正当だと思いませんでしたが、ケイシーが殺されるまで、抗
議したこともありません」) ダウニング街メモに関するコニアーズ公聴会に
おける彼女の証言の一節が、この精神をよく捉えているので、ここに引用する
に値する――
http://www.thenation.com/docprint.mhtml?i=20050328&s=houppert

「アメリカのあちこちの幾人かの方がたと、ここにおられる証人仲間のお二人
は、私が、ケイシーの謀殺による死を思うあまりの怒りと苦しみのせいで、悪
態の言葉をいくつか口にするのではと、理由のある心配をなさっています。と
言うのも、この主題について話すさい、私がそうしてしまうことは周知のこと
ですので。コニアーズ様、あなたを心から尊敬いたしますので、またここにい
らっしゃる他の下院議員、私の証言者仲間たち、この歴史的な会合の聴衆の皆
さん、私は不敬な言葉をいっさい用いずに証言をやりおおせることができまし
た。でも、誰かが怒って、不敬な言葉を使っても当然であるとすれば、その誰
かは私です。わが国の指導層における誠実さの明白な欠如のせいで、ケイシー
と人道がこうむったことは、あまりにも神を汚すものであり、私の語彙能力す
らも超えています。アメリカ国民としての私たちは、罵倒の言葉よりも、この
政権の不敬行為によって深く傷ついているはずです。私たち皆は、行ないは言
葉よりも声高に語るという古い格言を聞いていますし、ケイシーと私たちの他
の大事な子どもたちのために、偽りの言動の説明責任をどこまでも追及なさる
ようにお願いします」

先週、ペンタゴンは四つ星将軍を司令官職から解任したそうだ《*》。妻と別
居中に、軍や政府と無関係の女性と不倫したせいである。それにしても、アブ
グレイブにおけるアメリカの行ない、わが帝国全域にはびこる殺人と拷問、グ
アンタナモのわが国の監獄における拷問と虐待、あるいはイラクにおける惨禍
のせいで、(スケープゴートにされたジャニス・カーピンスキー准将は別だ
が)政権幹部や高級軍人の誰一人として火の粉をかむっていない。このような
状況のなか、イラクで殺害された子どもの母親、引き下がったり、サッサと止
めにしたりするつもりのない女性が発する「説明責任をどこまでも追及する」
という言葉――さて、これはじかに大統領の政治生命の息の根を止めに向かっ
ていく。これは対決の時であり、私はこの政権がやりかねないことを決して見
くびるものではないが、怒れる母親のすさまじい力を過小評価することもしな
い。ブッシュ政権は、イラクで、ワシントンで、クロフォードで厄介なことに
なっている。
http://www.boston.com/news/nation/washington/articles/2005/08/11/gener
al_lost_post_in_adultery_inquiry_lawyer_says/

[筆者]トム・エンゲルハートは、ネーション研究所のトム・ディスパッチ
(「抗マスメディア毒消し常備薬」)を主宰し、アメリカ帝国プロジェクト
《1》の共同創設者、”The End of Victory Culture, a history of American
triumphalism in the Cold War” 《2》[『勝利文化の終焉――冷戦期におけ
るアメリカ勝利至上主義の歴史』]の著者。
1. http://www.americanempireproject.com/
2. http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1558491333/250-7234547-
4680232

(出所メモ: シンディ・シーハンは、注目度ナンバー・ワンの重要なイン
ターネット現象になっている。2004年以降の彼女の書き物をお読みになる
には、常に活発な自由意志論者サイト、ルーロックウェル・コム《1》にある、
彼女のアーカイブス《2》を訪れるべきだ。〔ロックウェルは、カレン・クィ
アトコウスキー退役中佐《3》の書き物も掲載しているので、強い女性を専門
にしているようである〕 シーハン現象の現状を知るには、新しいサイト「シ
ンディに会おう」コム《4》をチェックなさるといいが、続いて必見サイトの
「ダウニング・ストリート以後」コム《5》に行くべきだし、ここには、とて
もおもしろい、どんどん更新される「シーハン」ペイジ《6》がある)
1. http://www.lewrockwell.com/
2. http://www.lewrockwell.com/sheehan/sheehan-arch.html
3. http://www.lewrockwell.com/kwiatkowski/kwiatkowski-arch.html
4. http://www.meetwithcindy.org/
5. http://www.afterdowningstreet.com/
6. http://www.afterdowningstreet.org/?q=taxonomy/term/13
=================================================================
[翻訳]井上利男 /TUP

Tomgram: Cindy Sheehan’s War
By Tom Engelhardt
posted at Tom Dispatch on August 14, 2005;
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=12740
Copyright 2005 Tom Engelhardt TUP配信許諾済み
================================================================
[翻訳]井上利男 /TUP