TUP BULLETIN

速報767号 1968年:フランスの民衆運動

投稿日 2008年5月29日

FROM: tup_bulletin
DATE: 2008年5月29日(木) 午後11時06分

民衆の力と未来の可能性

1968年は「民衆蜂起」の年だった。1月には北ベトナム人民軍と南ベトナム解放民
族戦線がアメリカ大使館とアメリカ軍基地に対して行ったテト大攻勢。5月にはフ
ランスで起きた学生・労働者による大規模なゼネスト。10月にはメキシコシティ
・オリンピックの表彰台で人種差別に抗議するアメリカの黒人選手たちが拳を高
く掲げた示威行為があった。これらは遠く離れた地域で個別に起きた出来事だっ
たのだろうか。それとも世界歴史の深い脈絡をつなぐ出来事だったのだろうか。
そしてその40年後の今、私たちは何を学び、何を実現し、何を失ったのであろう
か。人類は共存し、自らを平和に治める能力があるのだろうか。

社会学者ジョージ・カシアフィカスは、数々の民衆蜂起の現象を研究してきた人
物だ。何百万人にもおよぶごく普通の人々が突然政治的弾圧と搾取に反逆し、無
秩序のごとく立ち上がって短期間ながら平等で自由な自治能力を発揮してきた現
象を「エロス効果」と名づけ、世界的にも歴史的にも民衆の普遍的な可能性を包
括する現象であると主張している。5月14日に放送された「デモクラシーナウ!」
のインタビューを紹介する。

翻訳=宮前ゆかり/TUP

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1968年、あれから40年:学生、労働者の抗議行動がフランス全土を席巻し、国内
外に忘れがたい影響を残した

米デモクラシー・ナウ!
エイミー・グッドマン独占インタビュー

2008年5月14日放送

1968年5月はフランスにとって重大な転換期となった一ヶ月でした。学生および労
働者の抗議運動が国中に広がり、フランス社会を根本的に変えました。新著『(
仮題)ニューレフトの想像力:1968年の世界的分析』を含む多くの著書をお書き
になったジョージ・カシアフィカス氏にお話を伺います。

エイミー・グッドマン:

今日は「1968年:あれから40年」をお届けします。1968年5月はフランスにとって
重大な転換期となった一ヶ月でした。学生および労働者の抗議行動が国中に広が
り、フランス社会を根本的に変えました。

これは女子学生寮訪問の権利をめぐる紛争に対し、パリの大学生たちがパリ大学
のソルボンヌ校とナンテール校のキャンパスを占拠したことから始まりました。
この抗議運動はより広範な大学改革と個人の自由を求める運動へと広がり、3週間
におよぶ大規模なデモに発展したのです。数十万人もの人々が街頭に繰り出し、
威圧的な警察の対応に抗議しました。フランス労働者の3分の2にあたる1000万人
の労働者が連帯を表明してストライキを起こしました。フランス史上最大のゼネ
ストとなりました。

これからご紹介するのは、1968年の学生リーダーのひとりがパリの記者会見で質
問されている様子です。

レポーター:

ここに来られた目的をお話してください。

ダニー・コーンベンディット:

政治的な(不明)を続けること。

レポーター:

フランス、アメリカやドイツの資本主義政府打倒を求めているのですか?

コーンベンディット:

そうです、あらゆるところで。

レポーター:

暴力を使ってですか?

コーンベンディット:

またその質問ですか!さっき、イギリス人のお仲間にお話したとおりです。資本
主義体制側がその特権を守るために暴力を使うのなら、それを打倒するために私
たちは暴力で自分たちを防御すると言ったのです。分りましたか?

 **

エイミー・グッドマン:

フランス抗議運動の盛り上がりは、シャルル・ドゴール大統領に、不穏状況に対
処するための軍事作戦本部を創設させるまでになります。彼は国民議会を解散し、
総選挙を要請しました。

ジョージ・カシアフィカスはボストンのウェントワース工科大学の人文学および
社会学の教授です。彼は『(仮題)ニューレフトの想像力:1968年の世界的分析』
を含む多くの著書をお書きになっています。消防署スタジオ(注)にお招きしま
した。『デモクラシーナウ!』にようこそ。

ジョージ・カシアフィカス:

番組に招待してくださってありがとう、エイミー。

グッドマン:

フランスで1968年に起きたことについてお話してください。背景を説明してくだ
さい。

カシアフィカス:

1968年には一方に反米、反資本主義の世界規模の運動があり、また同様にソ連と
ソビエト型社会主義にも反対する世界規模の運動がありました。それらの運動が
相互に結びついたことが、フランスで爆発的な運動が起きた大きな理由のひとつ
だったのではないかと思います。実際のところ、1968年新年の演説で、ドゴール
は世界中のあらゆる国の中でフランスは平和と社会的安定のお手本であると述べ
ました。しかし68年5月には、フランス史上最大のストライキ、資本主義打倒を求
める非合法で暴動を伴うゼネストが勃発したのでした。

本質的には、子供ではなく成人としての扱いを求めていた学生たちに対する懲戒
尋問が、警察による前例をみない残忍行為へと発展し、学生たちは自分たちへ向
けられた暴力を甘んじて受け入れることを拒絶したのです。フランス全土の学生
自治会執行部は、懲戒裁判にかけられた学生たちを支持することを可決し、リー
ダーたちがパリに集合すると、警察は彼らを逮捕しました。そのとき、バークレ
イにおける言論の自由運動(訳注:1964年の校内政治活動禁止令に端を発し、70
年代初頭まで続いたカリフォルニア大学バークレイ校での運動)のときと同じよ
うに、逮捕された学生を連行しようとしたワゴン車を人々が取り囲みました。ワ
ゴン車のうち1台はそこから逃れることができませんでした。逮捕されていた学生
たちは解放されました。そこで警察が攻撃したのです。学生たちが反撃し、カル
チェ・ラタン地区の住民が学生たちを支援しました。1958年の労働者スト後に設
けられた特殊機動隊が動員されたので、労働者たちは本能的に学生側につきまし
た。

その直後、2、3週間のうちにフランス中で1000万人もの労働者がストに突入しま
したが、誰も何を要求したいのか定かではありませんでした。共産党は社会にお
ける自分たちの存在意義を発揮しようと政府と交渉し、100万人以上の労働者に対
する35%の賃上げ、10%の一般賃上げ、週間労働時間の削減、福利厚生の充実、
退職年齢の引き下げなどを取り付けたのに、労働者たちはそれを却下したのです。
労働者たちはやじって彼らを演壇から退場させ、弁当やビール瓶を投げつけ、
「いや、私たちは資本主義をおしまいにしたいんだ。いくらかの生活用品を得る
代わりに一生工場で働かなければならないような生き方はしたくない。私たちは
自由な社会が欲しいんだ」と主張しました。このような状況をどう理解すればい
いのか、誰もわかりませんでした。

グッドマン:

でもシャルル・ドゴールは再選されましたね。

カシアフィカス:

そのとおり、彼は再選されましたが、それは人口のほんの一部が参加した選挙で、
しかも投票所でのたった1分の行動ですむことだったし、そのとき他に何か代り
になるような明確なアイデアがなかったからでもあります。ダニー・コーンベン
ディットのような学生リーダーたちは、いざとなったときに政府を乗っ取ること
ができるとは考えていませんでした。証券取引所は放火されましたが、何十万人
もの人々がデモ行進で通り過ぎた議会の建物は、暴動が起きる前のまま残されて
いました。

グッドマン:

去年ニコラス・サルコージが大統領に出馬したとき、彼は「1968年」という経験
が絶対的な真理や価値観の否定と快楽追求の個人主義をもたらした元凶だと非難
しました。

カシアフィカス:

そうです。そしてこのアメリカ合衆国でも、リチャード・ニクソンやジョージ・
ブッシュのような人物たちから同じようなコメントを耳にしています。実際、
1968年の遺産には、女性たちや同性愛者たちの自由の拡大があります。

グッドマン:

当時、同性愛は犯罪でした。女性は職場にズボンをはいていくことを許されてい
ませんでした。銀行口座を開くにも、夫の承認が必要でした。

カシアフィカス:

そのとおりです。

グッドマン:

テレビチャンネルもひとつで、ニュースを放送するにも政府の承認を必要として
いました。

カシアフィカス:

人工妊娠中絶の権利。これは、学生たちの人生を永遠に変える出来事でした。若
者の自由が拡大しました。フランス国内の少数派の人たちは、いろいろな困難が
あったとはいえ、あちこちの工場のスト委員会に歓迎され、初めてフランスを我
が家だと感じたと言いました。現実に起こったことは、文化の根底からの転換で
した。

さて、資本主義は世界的体制であり、行く手を阻むあらゆる叛乱を栄養にしてき
ました。1830年(フランス7月革命)、1848年(フランス2月革命)、パリ・コミ
ューン、ロシア革命でさえも、振り返ってみれば、世界資本主義体制を強化する
結果になったことがわかります。ですから、68年の5月の出来事もまた、他の出来
事と同じように、資本主義体制を強化する効果があったわけで、レジス・ドブレ
の言葉を借りると、フランス資本主義を「アメリカ化」することになりました。

グッドマン:

抗議運動はどのように終わったのですか?

カシアフィカス:

工場がひとつひとつ作業開始を強いられていき、それにつれて抗議運動は終息し
ました。いくつは抵抗しましたが、大規模な警察の動員により、労働者たちは占
拠していた工場から撤退しなければなりませんでした。ただし、このストライキ
は突然勃発したものだったことを忘れてはなりません。この運動が発展していく
過程で、経営陣のオフィスのドアを溶接して封鎖し、経営陣を人質にして自分た
ち非合法スト実行者との交渉に応じさせてしまう事例もでてきました。しかし、
ほとんどの人々はそこから先どのように進んでいったらいいのか、わからなかっ
たのです。社会は停止状態に陥り、人々が納得できるような方向性に導く力を持
つ社会的に正当な主導権がある連合体は存在しませんでした。

グッドマン:

カシアフィカス教授、これを世界的な観点から説明してください。

カシアフィカス:

1968年を振り返ると、世界の歴史は東洋から西洋へ移っていくというヘーゲルの
解釈が正しかったことが分ります。ベトナムのテト攻勢では、主要なアメリカ軍
事基地のすべてが突然の一斉攻撃を受けました。北ベトナム軍のゲリラ隊はアメ
リカの味方について戦っていた南ベトナム軍が旧正月の休日で帰省中のタイミン
グを狙い、アメリカ軍を直接攻撃して圧倒することに成功しました。結果的には
惨敗したとは言え、世界的な動きを起こすきっかけとなりました。そしてそれが
世界中に広がり、中国の文化革命、インドのナクサライト運動、チェコスロバキ
アのプラハの春などで. . .

グッドマン:

それは何ですか?

カシアフィカス:

それはチェコスロバキアで起きたソ連支配に対する叛乱で、50万人におよぶロシ
ア軍がチェコスロバキアを占領するために動員された事件です。フランスの5月の
出来事は、セネガル、スペイン、イタリア、メキシコシティなどの各地の運動の
きっかけとなりました。

グッドマン:

セネガルやスペイン、その他の土地で何が起きたのですか?

カシアフィカス:

セネガルでは学生ストがありました。スペインでは学生と労働者のストがありま
した。イタリアでは、学生たちはフランス大使館を攻撃し、連帯を直接行動で示
しました。。メキシコシティでは、学生たちがフランスで起きたことをお手本に
した行動を起こしました。1968年のオリンピックが開催される前、10月にメキシ
コシティでは何百人もの学生たちが殺されたのです。その年は. . .

グッドマン:

もちろん、そのオリンピックでは米国の黒人選手たちによるあの有名なブラック
パワーの[団結・連帯・抵抗を示す]拳を突き上げる敬礼がありましたね。

カシアフィカス:

そのとおりです。そしてこの年は米国でマーチン・ルーサー・キング・ジュニア
が暗殺された年でもあります。150以上の都市で暴動が起きました。ワシントンD
Cでは、1812年の米英戦争中にイギリス軍がこの街を攻め落としたときに与えた
被害より大きな被害がありました。ペンタゴンは、ベトナム戦争を戦いながら国
内の治安も維持するとなると兵力が足りないという予測を出しました。この年は、
世界規模で歴史的な年だったわけです。

米国での運動の頂点、つまり、フランスにおける68年5月に匹敵するわが国での出
来事は、1970年の5月から9月に起きました。州立ケント大学と州立ジャクソン大
学で殺戮事件がありましたが、これに対する反動としてアメリカ史上最大のスト
ライキ、400万人もの学生たちと50万人もの大学教員たちのストライキがあちこち
の構内で勃発しました。平和を求め父権制に反対する女性たちのストライキがニ
ューヨークであり、ロサンジェルスではジャーナリストだったルベン・サラザー
が警察に殺された8月29日のチカノモラトリアムが起きました。そして、それだけ
にとどまらず、米国の新しい憲法を書こうというブラックパンサー党の呼びかけ
に応えて1万人以上の人々がフィラデルフィアに集まったのです。この新しい憲法
は国際主義的な内容でした。常備軍を廃止し、人民軍に置き換えることを求めま
した。女性の完全なる解放を要求し、子どもが自由でいられる共有スペースを確
保することを求めました。これはフランスで1968 年5月に起きた出来事と同じよ
うに、既成の体制と全面的な決別を意味していました。

グッドマン:

それで結局はどうなったのでしょうか?

カシアフィカス:

米国では多くの都市で人種差別のない教育システムの中で新らしい世代が育って
います。もちろん社会的に人種差別が続いているので、これは全国で起こったと
は言いかねますが、米国内での少数派の人権が強化されたことは確かです。米国
における女性の地位や立場が大幅に変わり、人工妊娠中絶の権利はそのひとつを
示すにすぎません。同性愛者の解放は今や一般的に受け入れられるようになって
います。もちろん、いろいろな場面で一部そのような影響を受けていない場所が
残っています。しかし、一般的に見て、異なる立場の人々や他の人とは違うと見
られている人々にとって自由が拡大される文化的な変化があったことは確かです。

グッドマン:

ジョージ・カシアフィカスさん、あなたは現在、韓国にお住いで、人々の抗議運
動について、アジアの民衆運動について、次の著書に取り組んでいらっしゃるん
ですね。過去に、韓国ではどのようなことが起きていたのですか?

カシアフィカス:

1980年に韓国光州(クワンジュ)で軍事独裁政権に対する叛乱が起こり、何百人
もの人々、いや2000人もの人々が殺されたとも言われています。しかし事件の真
相は、人々が火炎放射器や機関銃に向かって角材やショベルで立ち向かい、つい
には市街から軍隊を撤退させ、1週間もそれを維持したということだったのです。

その週は何万人、時には何十万人にもおよぶ人々が毎日会合を持ち、全員参加型
の民主主義に基づいて意思決定を行い、市の行政にたずさわりました。市内の警
察官たちの多くが蜂起勢力に加わり、同市の警察長官は市民に対する発砲を配下
の警察隊に命じることを拒否したため、軍隊が彼を逮捕して拷問を加えました。
自動車や装甲車を製造していたアジア・モーターズ社の労働者たちは叛乱勢力側
に新しく生産したばかりの装甲車を提供したのです。羅州(ナジュ)の繊維工場
の女工たちが何台ものバスに乗ってクワンジュの外の警察署から持ち出した武器
を届け、和順(ワスン)の鉱夫たちがダイナマイトや爆破ヘルメットなどを持ち
込み、軍隊の侵攻を阻止しました。人々は武器の一部を交換することで拘束され
た人々の解放について交渉することができました。さらに死者のためにお棺を用
意する交渉も行いました。しかし、米国に支援を受けた軍隊によって彼らは最終
的には制圧されてしまったのです。

ようやく7年後にクワンジュのニュースが韓国の大多数の人々に伝わると、数十万
人にも及ぶ人々が街頭に出て19日間連続して非合法デモが展開され、軍隊はつい
に直接投票による大統領選挙を容認せざるを得なくなりました。1968年の場合と
同様に、私が「エロス効果」と呼ぶ国際的な反響がありました。つまり、クワン
ジュで起きた運動はアジア全体の運動のきっかけとなったのです。86年にはフィ
リピンで、87年には韓国と台湾で、88年にはビルマでの叛乱があり、そこでは何
万人もの人々が殺されました。89年にはチベットで叛乱が起こり、天安門事件が
ありました。90年にはバングラデッシュやネパールで、 92年にはタイで叛乱が起
きました。これらの運動はそれぞれ独自の成功と失敗にまつわる話があります。

グッドマン:

ジョージ・カシアフィカスさん、ありがとうございました。アジアでの大衆叛乱
についての新著を楽しみにしています。彼の新書は『(仮題)ニューレフトの想
像力:1968年の世界的分析』です。

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原文URL:
http://www.democracynow.org/2008/5/14/1968_40_years_later_student_worker

参照リンク:
● 消防署スタジオ
注:デモクラシーナウ!のスタジオは、ニューヨーク市チャイナタウンの旧消防
署の建物にある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Democracy_Now

● エロス効果
http://www.eroseffect.com/
「エロス」という言葉は「感性、本能、生への衝動」などの意味を含む語で、こ
こでは支配・統制・管理する抑圧的ロゴスに対峙する力を意味する。危機に直面
した民衆の抑えがたいエネルギーが、連鎖的に爆発する現象を指す。

● 1968年メキシコ・オリンピック
http://doraku.asahi.com/special/gorin/1968/smith.html