TUP BULLETIN

速報898号 チュニジア:進歩的イスラーム主義と中東に広がる革命

投稿日 2011年3月15日

 リベラルなイスラーム主義の見解を知ることの大切さ


チュニジアの若者の焼身自殺による抗議を発端に、ドミノ式に中東に広がったジャスミン革命。長期に渡る独裁、圧政に対するたまりにたまった庶民の不満が一気に吹き出した結果と言えるでしょう。これらの革命は、イスラーム勢力も含むさまざまなバックグラウンドの庶民たちが起こしたものと伝えられています。その中でも チュニジアのイスラーム運動指導者、ラシード・アル=ガンヌーシー氏はリベラルなイスラーム主義の立場を取り、チュニジアだけでなくイスラーム圏では広く知られた人物です。日本のメディアでは、中東政治というと「イスラーム原理主義」、「テロリスト」といったイメージが先行しがちですが、同氏のようなリベラルな意見を持つ人々はイスラーム諸国に大勢おり、彼らの意見に耳を傾けることは中東政治を理解する上で重要です。



同氏は2011年1月末、22年間の英国での亡命生活に終止符を打ち、チュニジアに帰国しました。このインタビューは、イラン人ジャーナリスト、マーハーン・アベディンが同氏の帰国直前にロンドンにて行ったものです。なお、このインタビューに答えたガンヌーシー氏は、チュニジアのベン・アリー政権崩壊後に短期間後を引き継いだムハンマド・ガンヌーシー前首相とは異なる人物です。



(前書き、翻訳:法貴潤子)

(注釈:岡真理、法貴潤子)



( ):原文中の補足、[ ]:訳者による補足、 * :訳者による注釈

 チュニジア:進歩的イスラーム主義*の到来

ラシード・アル=ガンヌーシーとのインタビュー
 
マーハーン・アベディン
2001年1月30日
 
1月30日日曜日、69歳になるチュニジアのイスラーム運動指導者ラシード・アル=ガンヌーシーが、長期に渡るロンドンでの亡命生活後、祖国に戻った。各国のメディアはガンヌーシーの帰国を、チュニジアでここ数週間のうちに起こった劇的な変化の中でも最も重要なシンボルとなるものだと伝えている。
 
ガンヌーシーは、アラブ・イスラーム政治における最もリベラルで進歩的な一派を代表する人物として広く知られている。1941年にカービス州(南チュニジア)で生まれ、カイロ、ダマスカス、そしてパリのソルボンヌで高等教育を受けた。1981年、ガンヌーシーはアル=イッティジャーフ・アル=イスラーミー(イスラーム潮流)を創始し、それは1989年にアル=ナフダ党(ルネッサンス党)と改名された。
 
ガンヌーシーは1980年代初めから、チュニジアの独裁政権に対する抵抗の最前線に立って来た。彼のチュニジアへの帰国は、祖国だけでなく広くは北アフリカ、もしくはそれを越えた地域へも重要な変化をもたらすと思われる。この地域における最近の政治的展開(特にエジプトの政情不安)と重なり、これを機に北アフリカの国々でイスラーム主義者たちが政治に大手を降って参加できるようになるかもしれない。
 
*イスラーム主義:イスラーム理念の社会的実現を理想とし、イスラーム法に基づいたイスラー国家の実現を目指す政治運動。「イスラーム復興運動」、「政治的イスラーム」と呼ばれることもある。
 
このインタビューはマーハーン・アベディンが2011年1月27日にロンドンで行ったものである。
 

 
マーハーン・アベディン(以下アベディン):チュニジアにおける今回の革命のスピードに驚かれましたか?
 
ラシード・アル=ガンヌーシー(以下ガンヌーシー):チュニジアで革命が起こる事は予期していましたが、こんなスピードで起こるとは思っていませんでした。
 
アベディン:変化が起こる事をだいぶ前から予期していましたか?
 
ガンヌーシー:過去数年間にも、例えばチュニジア南部のガフサやベンガルダンといった場所で蜂起はありました。私は数ヶ月前、アル=ジャジーラ・ネットにこのような反対勢力の連鎖は首都にも到達すると書きました。長年私が言って来たのは、チュニジアの政権が内部から改革されることはなく、変化は政権抜きでやってくるということです。
 
アベディン:その点についてですが、未だに既得権益を持った者達が権力にしがみつこうとしているように見えます。我々は真の革命を目撃しているのでしょうか、それとも巧妙に仕組まれた変化なのでしょうか?
 
ガンヌーシー:これは革命の瞬間です。あなたもチュニジアの人々と話してみれば、本物の革命が起こったことを感じるでしょう。人々はここ数週間にもたらされた成果を、自らの命をかけて守る準備ができています。人々はRCD*(立憲民主総会)党や前政権につながるシンボルは何一つ見たくないと思っています。
 
*RCD:フランス語名、Rassemblement Constitutionnel Democratique の略。1988年に前身の政党からRCDと改名され、ベン・アリー前大統領政権下のチュニジアで、今回の革命まで与党として君臨してきた。政教分離やナショナリズムを掲げ、ベン・アリー政権の独裁政治を長年に渡り支えてきた。
 
アベディン:この革命の複雑な力関係- 例えば軍や治安警察、外部の勢力、つまり新しい政権誕生のリスクを負うより既存政権のまま改革をコントロールしたい欧米勢力の役割 – を考える時、あなたの望むような早さで意味のある変化が訪れると思いますか?
 
ガンヌーシー:チュニジアの民衆は、表面上だけの生半可な素振りに満足することはありません。彼らは積極的にエリート層に多大な圧力をかけ続けています。今までチュニジアのエリート層は人々の意思を反映することに失敗し、RCDの組織抜きで民主的な政権を打ち立てることができませんでした。もうひとつの問題は、国際社会がチュニジアの既成政権続投のために介入してきたことです。彼らは政権のうわべだけを変えたいのであり、中身は変えたくないのです。
 
アベディン:あなたの個人的な状況を説明してください。チュニジアに帰国する恩赦は与えられましたか?
 
ガンヌーシー:昨日(1月26日)在ロンドンのチュニジア大使館に行って自分のパスポートを取ってきました。過去22年間、私はチュニジア大使館の前で抗議を続けてきましたが、中に入ったのは昨日が初めてです。大使館員は我々を暖かく迎えてくれましたが、夕方になって息子に電話で、私に対する恩赦は与えられないと連絡がありました。大使館員が言うには、もし私がチュニジアに帰るのであれば、それは私の一存によるものだとのことでした。
 
アベディン:チュニジアに22年間帰っていないのですか?
 
ガンヌーシー:はい。
 
アベディン:大使館があなたの[チュニジア]帰国に際し、逮捕される可能性があることを示唆したのは、既存の治安勢力がまだ力を持っていることの現れだとは思いませんか?
 
ガンヌーシー:私は彼らが私を逮捕するとは思いません.彼らの力はかなり弱まっているし、国民から正当性を認めてもらう必要があります。攻勢に出ているのは国民の方です。もし政権側が私を逮捕したとしても、彼らのためになることは何もありません。
 
アベディン:なぜもっと前に帰国しなかったのですか?
 
ガンヌーシー:私は独裁政権によって亡命を余儀なくされていました。それが今チュニジアの政権は崩壊、あるいは崩壊しつつありますから、帰国するのです。
 
アベディン:帰国の準備はされていますか?
 
ガンヌーシー:私は日曜日(1月30日)に帰国します。朝8時半便で出発です。
 
アベディン:今回の民衆デモで、なぜイスラーム主義者達は目に見えた役割を担わなかったのでしょうか?デモに繰り出した人々は、ひげ面の左派やおしゃれなベールをしたトレンディーな人たちが大半だったようですが?
 
ガンヌーシー:イスラーム主義者たちもトレンディーですよ!チュニジアのイスラーム主義者は他のアラブ諸国のイスラーム主義者と違っています。彼らは今まで長年に渡って過酷な嫌がらせを受け抑圧されてきたため、イスラーム主義的な装いをすることを避ける傾向にあります。彼らは過去22年間、イスラーム教徒としてのアイデンティティを、スカーフ を被ったり髭をのばしたりする代わりに心にしまい込んできたのです。
 
アベディン:ゼイン・エル=アービディーン・ベン・アリー[チュニジアの前大統領]を政権から追放した民衆デモにおいて、あなたはイスラーム主義者たちが主要な役割を担っていたとあくまでおっしゃるつもりですか?
 
ガンヌーシー:この革命がイスラーム主義者、あるいは共産主義者、またはいかなる特定のグループによって主導されたものだなどとは誰も言えないでしょう。これは民衆による革命であり、チュニジア政治におけるあらゆる政治グループが参加しました。それと同時に、チュニジアではイスラーム主義者は最大の政治勢力であることも確かです。前政権はすべてのグループを抑圧してきましたから、今この過渡期においてこれらすべてのグループは体勢を立て直そうと懸命なのです。
 
アベディン:あなたは国際的なイスラーム主義の流れの中で、改革派として知られています。1月22日のアル=ジャジーラとのインタビューで、あなたは民主主義を擁護し、イスラーム的なカリフ[宗教と政治の両方に権限を持つ指導者]制度をきっぱり否定したように思われました。これはあなたのイスラーム主義改革派としての最たる思想といえますか?
 
ガンヌーシー:これはれっきとした現実的な見解です。ヒラーファ(カリフ制)という概念は、一部のグループが主張するような宗教的なものではありません。これはある時代を反映するものにすぎません。
 
アベディン:あなたの民主主義擁護は戦略的、あるいは戦術的なものですか?
 
ガンヌーシー:戦略的なものです。民主主義は、社会の中で異なったり敵対したりする利益でさえ調整、調停できる極めて重要なものです。イスラーム教は民主主義的な精神にあふれていますし、他の宗教や社会、政治的な違いを尊重します。イスラーム教は、独裁的な権力を決して擁護しません。イスラーム教徒たちは歴史的に、イスラーム教の単独・絶対主義的解釈を強制することに異議を唱えてきました。ひとつの解釈しか認めないといった試みは、結局すべて不安定
か一時的なものとして終わってきました。
 
アベディン:最近のイスラーム主義は、モラルの問題やアイデンティティのからむ政治により重点を置き、社会的な正義を擁護するための具体的な策を取ってきませんでした。つまり手頃な価格の住宅や安価な食料、安定した仕事などの基本的な社会的要求のことです。ナフダ党は、理論的また実質的なレベルにおいてこのような問題に取り組むつもりでしょうか?
 
ガンヌーシー:ほとんどのナフダーウィー(ナフダ党支持者)は元々チュニジアの地方出身者です。我々は社会正義についてよく理解しています。
 
アベディン:あなたは以前、特に1970年代や1980年代初期には左派的な論調を張っていました。今でもそうですか?
 
ガンヌーシー:私は若い頃はナセル主義者でした。イスラーム教は不正義や冨・資源の独占に反対です。イスラーム教における兄弟愛の観念は、平等な冨の分配に見られるように、社会経済に重大な影響力を持ちます。イスラーム教は経済的な面では左派の考えに近いものがありますが、個人の財産に対する権利は侵害しません。スカンジナビア諸国の社会経済モデルが、イスラーム教の経済モデルに一番近いと言えるでしょう。
 
アベディン:アル=ナフダの国内勢力と亡命リーダーシップの間に摩擦はありましたか?
 
ガンヌーシー:いいえ。意見の違いはありますが、これを国内勢力と亡命勢力の間の衝突と呼ぶことはできないと思います。
 
アベディン:この運動におけるあなたの現在の見解はどのようなものですか?
 
ガンヌーシー:2001年のナフダ党大会で、私は代表者たちの過半数である53%の得票を得ました。そして2007年に行われた一番最近の党大会では、63%の過半数を得てアル=ナフダの党首に選ばれましたが、その時点で私はこれがこの運動のリーダーとして立候補する最後になると宣言しました。
 
アベディン:チュニジアの将来に対する、アル=ナフダのビジョンを聞かせて下さい。
 
ガンヌーシー:チュニジアには連立政権が必要です。ひとつの政党だけでこの国を治めることはできません。前政権はすべての政党グループを破壊、あるいは組織能力を大幅に削ぎましたから、我々は再び力を取り戻すのに時間が要ります。
 
アベディン:それは短期的なシナリオですね。この国の長期的なビジョンについてどうお考えですか?欧米スタイルの自由民主主義を描かれていますか、それともその国に合った形の民主主義があるとお考えでしょうか?
 
ガンヌーシー:私が考えうる限り、一番よいと思われるのはトルコの現政権AKP(公正発展党)*のモデルです。
 
*AKP(公正発展党):2001年、イスラーム主義政党の美徳党メンバー、レジェップ・エルドアン(現首相)を中心に結成。EU加盟、自由市場経済を目標とする保守政党。2002年の総選挙で政権与党になる。
 
アベディン:制度としては、大統領制を目指しますか、それとも議会制を目指しますか?
 
ガンヌーシー:チュニジアには、人々がより直接的に関与できる議会制が必要です。大統領制はブールギーバ*やベン・アリーの政権下で起こったように、権力主義に陥るリスクがあります。我々に必要とされるのは、あらゆるレベルで権力が国中に分散できるような制度です。
 
*ブールギーバ:ハビーブ・ブールギーバ(ブルギバ、1903-2000)。独立運動を指揮し、1957年、チュニジア共和国を創設して、初代大統領に就任。以後、1987年にベン・アリー前大統領によるクーデターで失脚するまで30年に渡り独裁を敷いた。
 
アベディン:より国際的なレベルで見た場合、世界のイスラーム主義者たちの中でナフダ党はどのように位置づけられますか?
 
ガンヌーシー:ナフダ党はイスラーム運動の中でも主流であり、今まで宗教的、イデオロギー的、政治的、組織的な障害を乗り越えてムスリム世界に民主主義をもたらそうと奮闘してきました。この運動はアラブ世界だけでなく、もっと広いムスリム世界におけるトレンドの中でも最先端に位置しています。ナフダ党はイスラーム的な政治理論を発展させるのに多大な努力をしてきました。我々はイスラーム的な民主主義思想、あるいはイスラーム民主主義を支持します。
 
アベディン:そうするとあなたは、高度な国際政治の場でイスラーム民主主義を広めようとしたサイイェド・モハンマド・ハータミー元イラン大統領のような宗教的知識人とイデオロギー的に同類ですね。
 
ガンヌーシー:そうですね、流れとしては同じですが、私はハータミー氏のようにヴェラーヤテ・ファギーフ[1979年のイラン革命を主導したホメイニー師の統治理論。イスラーム法学者による統治体制。]は支持しません。
 
アベディン:イスラーム民主主義は理論的には魅力的に聞こえますが、問題は実際にどのようなものなのかが分からないことです。政治理論の中でも重要な点のひとつであり、永遠のテーマでもある社会正義に焦点を当ててみましょう。伝統的にイスラーム主義者たちは、社会正義というものを慈善活動といった狭い範囲で理解し、すべての主要な見解や動きを鑑みてより深い文脈で捉えようとしてきませんでした。この点において、ナフダ党や他のイスラーム主義者たちが
歴史的な突破口を作ってくれるでしょうか?
 
ガンヌーシー:今までナフダ党には、自分たちの見解を発展させて説明する機会がありませんでした。この運動は1981年以来、過酷な抑圧を生き抜くのに精一杯でした。それにもかかわらず、過去30年間の我々の文献を読み直してみれば社会正義というテーマが繰り返し出てくることに気づくでしょう。特に1970年代、80年代はチュニジアの労働組合は世俗的な左派の強い影響下にあったにもかかわらず、我々は彼らと緊密に連携を取ってきました。労働組合と
一緒に活動することによって、我々は自分たちの社会正義に対する考えが彼らのものととても近いのだと知ることができました。我々がイスラームは―少なくとも公的な分野では―正義や正義の追求と同義語だという結論に達したのは、まさに彼らとのやりとりの最中でのことでした。結果として我々は、自分の仲間達に労働組合に参加するよう奨励しました。
 
アベディン:あなたはトルコのAKPを例に挙げました。世界のイスラーム主義者たち、特にアラブ世界において、AKPのやってきたことは彼らにどのような影響を与えたでしょうか?
 
ガンヌーシー:私は自分の考えがAKPに影響を与えたと思っています。私の本や記事はトルコ語に広く翻訳されています。数ヶ月前に私がイスタンブールを訪れたときは多くの人々が道で私を歓迎してくれ、あまりの数に私はチュニジアに帰らなくてもここで政治キャンペーンができるね!と冗談を言ったほどです。AKPの成功経験は各国のイスラーム主義者たちに影響を与えました。他のイスラーム主義権力の例、例えばイラン、アフガニスタン、スーダンなどは成功例として考えられることはありません。
 
アベディン:この点において、あなたのムスリム同胞団に対するコメントはありますか?
 
ガンヌーシー:ムスリム同胞団は非常に大きな組織で、そのような巨大組織を変えたり発展させたりすることは簡単ではありません。特に抑圧的な政権に迫害されている場合はなおさらです。そうは言っても同胞団は改革をしてきましたし、複数政党制を受け入れ、労働組合で重要な役割を担ってきました。最近のリーダーたちは、アル=アズハル[エジプトにある、スンナ派イスラームの最高権威である神学校を含む大学]からではなく労働組合の運動の中から出て来た人たちもいます。これはとても重要なことです。
 
しかしながら、ムスリム同胞団の最新の政党網領には、私が堂々と批判した内容も含まれていました。例えば彼らの声明の中にある、コプト教徒[エジプト土着のキリスト教徒]や女性は大統領選に出られないという下りを私は批判しました。私はまた、国会をウラマー[イスラーム法学者]機関が監視するという考え方にも異議を唱えました。しかし、カイロでコプト教会が襲撃された後、ムスリム同胞団事務総長のイブラーヒーム・ムニールはコプト教徒に対する同胞団の政策を見直すことに同意しました。どうやらムスリム同胞団は、大統領選挙も含めすべての政治活動は市民権を元にして行われるべきだと受け入れているようです。
 
アベディン:チュニジアやその他の地域で、政治に無関心な層や既存政権に支援されたサラフィズム*が増えていることを危惧しますか?
 
*サラフィズム:預言者ムハンマドの直接の後継者から数えて三世代の人々を、イスラーム教徒として最良のモデルであるとする考え方。当時の生活様式を守ることも含め、コーランの解釈においても当時のものが最良であるとし、時代と共に変化するコーランの解釈を否定する。
 
ガンヌーシー:サラフィストにも様々なカテゴリーがあり、一部のサラフィストは独裁政権に忠実です。彼らはベン・アリーのように追放された政権も含め、すべての政権と友好な関係を保ちたいと思っています。これらのグループはムハーバラート(諜報機関)の一部に利用されているのです。
 
アベディン:この傾向を憂慮しますか?
 
ガンヌーシー:いいえ。彼らは政権側についているため、人気がありません。ムスリムやアラブの人々はこれらの政権に反発しているのです。唯一社会的なベースを持っているサラフィズムの一派は、ジハーディ・サラフィズム[暴力的手段を用いたジハード(聖戦)を支持する人々]です。ジハーディ・サラフィストが比較的人気があるのは、既存政権に異議を唱えているからでしょう。彼らの宗教的、政治的価値観が人気を得ているわけではないと思います。
 
アベディン:チュニジアの前例が、他のおなじみのアラブ諸国にも波及すると思いますか?
 
ガンヌーシー:アラブ諸国の政権は、内側からの崩壊と外側からの変化にさらされています。これは必ずしもチュニジア革命の結果というわけではなく、長年に及ぶ圧政と悪政に対する鬱憤が自然に貯まったものです。アラブ諸国には似たような社会経済形態や政治土壌を持つ国々があり、変化の動きは止められそうにありません。
 
アベディン:この点について、チュニジア革命からイスラーム主義者たちが学べる主な政治レッスンとは何でしょうか?
 
ガンヌーシー:主なレッスンは、イスラーム主義者たちは他の人たちと一緒に取り組まなければならないということです。彼らは自分たちだけで統治できるという見解を捨てるべきです。また、イスラーム主義者たちはイスラーム教を独占し、イスラームを代表する唯一の声になりたいという野望を断念するべきです。
 
アベディン:けれども、 既存政権に武力で対抗しようとするイスラーム主義者が台頭し、分極化、過激化、弾圧の危険なサイクルが引き起こされている状況で、あなたの声は届くでしょうか。私が言っているのは特に隣国のアルジェリアのことです。
 
ガンヌーシー:アルジェリアでさえも、暴力は答えではないという結論に達するイスラーム主義者たちが増えています。暴力は治安国家へと墓穴を掘り、イスラーム主義者が期待しているような改革のビジョンが薄れてしまいます。
 
マーハーン・アベディンはイスラーム分野を専門とする研究者、及びジャーナリストです。
 
原文
Tunisia: the advent of liberal Islamism – an interview with Rashid Al-Ghannouchi
by  Mahan Abedin
Published on January 30, 2011, by  Religioscope
(c)2011 Religioscope/ Mahan Abedin
http://religion.info/english/interviews/article_516.shtml