TUP BULLETIN

速報96号 03年5月28日 レべッカ・ソルニット、暗い時代の希望を語る

投稿日 2003年5月28日

FROM: Schu Sugawara
DATE: 2003年5月28日(水) 午後11時12分

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『レべッカ・ソルニット、暗い時代の希望を語る』
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目と耳を新聞とテレビに釘付けにした、慌ただしい戦争報道もすでに過去
のものになりました。新たな世界秩序、あるいは混沌の第二幕が開けよう
としている今、平和を希求する闘いの現場からの声に静かに耳を傾けたい
と思っていたところ、Eメール速報でひとつのメッセージが届きました。

この平和直接行動のメッセージを運んでくれた速報サイト、トムディスパ
ッチの精力的な編集長トム・エンゲルハートの紹介文も、含蓄に富み、魅
力的な内容に満ちていて、また、記事と著者についての要を得た簡潔な解
説になっているので、合わせて掲載しておきました。

それにしても、TUP速報79号『スーザン・ソンタグのスピーチ――平和と
公正を称える』もそうでしたが、今回も女性からのメッセージです。 思い返
せば、
30年前のベトナム反戦運動のころ、平和運動の一方の担い手だったフラワー

チュードレンですら、主導的だったビートニックのよく聞こえる声を上げてい
たの
は、ゲイリー・スナイダー、アレン・ギンズバーグなど、男が主体だったと思い

す。21世紀の現代では、すっかり様変わりして、歴史のビジョンは女性たち
から
提示されるようになったようです。この事実も、新しい歴史の創造的誕生を予

させる変化の着実な例証だと、(自身、男である)訳者は感じます。

(TUP/井上 利男)

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『レべッカ・ソルニット、暗い時代の希望を語る』

【トム・ディスパッチ・サイト原文】
http://www.nationinstitute.org/tomdispatch/index.mhtml?emx=x&pid=6
77
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トムディスパッチ編集者トム・エンゲルハートによる序文
2003年5月19日
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前触れもなく、誰かがあなたの人生に入り込んでしまうのがどのようなも
のか、あなたもご存知だろう。時に、原稿が書籍編集者に同じように舞い
込んでくる。読者には、時に、どこからか声が聞こえてくる。

最近、そのようなことが私の身に起こった。それは、希望についてのエッ
セイに包まれて届いた、レべッカ・ソルニットの声だった。希望とその帰
結について、と言ってもいいだろう。そこには、私が言いたかった(が、
どういうわけか、言えなかった)ことすべてが含まれているように思えた
――あるいはむしろ、私たち皆が聞く必要があったが、聞かなかったよう
に私が感じた言葉すべてが表現されていた。

「直接行動は街角の店へ出かけるようなものではない。暗闇への跳躍なの
だ」と、ソルニットは書く。まさしくそうだ。そして、歴史は「天候のよう
に移ろい、チェスの動きには似ていない。チェスのゲームには終りがある。
天候には終りがない」と、彼女は続ける。ゲームの結末はごく単純だと、
彼女が語を継いでいたとしてもおかしくはない。得点を計算し、勝ち負け
を決め、チェス盤を片づけ、別の用事に取りかかる。現時点のような歴史
の境目にあって、得点を計算し、片づけ、家に帰ってしまえば、大間違い
を犯していることになる。

アメリカの第2次イラク戦争の終結を受けて、反戦運動の多くはこのよう
な間違いを犯した。それでも、私は彼らを責めない。 あれほどの人々が
デモ行進をした。あれほどの反対表明があった。だが、戦争になり、現在
の世論調査結果だ! それに引き換え、華麗な筆致はさておいても、ソル
ニットのこの一編がかくも美しいのは、まるでゲームでもしているかのよ
うに勝敗を数え上げるのは止めようと、彼女が私たちに望んでいる点にあ
る。彼女は、私たちのたった今の時代と私たちの世界の暗さ(不透明さ)を
認めることを、また同時に、勝敗が問題なのではなく、勝敗は知りようも
ないことを理解して欲しいと私たちに願っている。決して知りようもない
し、現実として知りようもない。その上で彼女が私たちに望んでいるのは、
賭けてみること、暗闇の中へ跳躍してみること、すなわち希望に賭けるこ
となのだ。彼女がそのように望むしかないのは、はっきり言って、私たち
は自らの行動の帰結を知ることができないからであり、彼女をその要点を
優雅に示している。

ウエブログ管理者の喜びを、私は感じる。この度は、著者と掲載誌のご厚
意のおかげで、未知の人の予期せぬ来訪を私はあなたがたと分かち合うこ
とができる。(環境、反核)活動家であるソルニットは、作家でもあり、最
近の著書に『陰影なす河――イードウエアド・マイブリッジとテクノロジ
カル・ワイルド・ウエスト(River of Shadows: Eadweard Muybridge and
the Technological Wild West)』がある。目下、私は彼女が書いた、『未
開人の夢――アメリカ西部の景観戦争への旅(Savage Dreams: A Journey
into the Landscape Wars of the American West)』という、もっと初期
の本を読んでいて、これは、言うなればハルマゲドンのアメリカ流本番前
リハーサル、すなわち、1950年代から90年代にかけて、ネバダ砂漠
の最初は大気圏で、後には地下で、アメリカ政府が実施してきた(そして、
ブッシュ政権が再開したがっている)一連の核実験についての名著である。

ソルニットは『オリオン』のコラムニストでもある。これは創刊以来21
年目の環境雑誌であり、その編集方針を、「勃興しつつあるオルターナテ
ィブな世界観を」探求し、「拡大するエコロジー意識と文化変革の必要性に
ついての情報に基づき、道理に従い、賢明に、巧みに、地球の上で生きて
いく方法についての、思慮深く、創造的な思想と実践例を集める公論の場
を提供する」と謳っている。自社サイトに『希望の行動』をすでに掲載し
ているオリオンと、ソルシットとは、私が当作品を掲載することを一致し
て許可してくれた。これは重要な作品である。どうか読んで欲しい。そし
て広く配布し、分かち合って欲しい。(署名)トム

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『希望に基づく行動――世界のステージで、帝国に挑戦する』
――レべッカ・ソルニット
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『期待するということ』

何十万規模の大量殺戮、毒ガス、塹壕に生命を潜め、それを口の開いた墓
所として死ぬ兵たち、戦車、有刺鉄線、機関銃――近代的意味で恐ろしい
最初の戦争、第一次世界大戦勃発後の足掛け8ヶ月たった1915年1月
18日、バージニア・ウルフは、「未来は暗い。暗いことこそ、全体的に考
えて、未来としては最善である、と私は思う」と日記に書いた。「暗い」と
いう言葉を、彼女は「不透明」の意味で用いたのであり、「恐ろしい」という
意味ではないように思える。未来は想像不可能なので、人々が感知する世
界の終末はすぐそこにある。ソ連が存在せず、インターネットが存在する
世界を、20年前に誰が思い描いただろうか? 「期待する」と口にする時、
願い事が実現するという意味でこの言葉を用いるが、なぜ望むのかと問う
ことも肝要なはずだ。私たちは道義に基づいて望む。戦術的、戦略的に、
私たちは望む。未来は暗いので、私たちは望む。望みを持つ方が、生き方
として力強く、楽しいので、私たちは望む。絶望は、次に来るものは分か
りきっているという推定の上に成り立つ。 だが、カナダ政府が北方の広
大な土地を先住民族に返還し、あるいは投獄されていたネルソン・マンデ
ラが解放後の南アフリカの大統領になるとは、20年前に誰が想像できた
だろうか?

21年前のこの6月、100万の人々が核兵器凍結を要求してセントラ
ル・パークに集まった。要求は貫徹できなかった。 運動参加者の大方は、
数年のうちに目標を達成し、家庭に戻れるだろうと信じていた。多くは失
意のうちに、あるいは燃え尽きて、家に帰った。だが、10年もたたない
うちに、ヨーロッパの反核運動と、それがゴルバチョフに与えた弾みのお
かげで、大規模な核兵器削減交渉が始まった。その後、この問題は視野か
ら外れ、達成されたものも多くは失われてしまった。アメリカは包括的核
実験禁止条約を未だかつて批准せず、ブッシュ政権は、1991年に中断
された本格的な核実験の再開、核兵器製造の再興、保有量の拡大、そして
おそらくは禁令を破棄して核兵器使用を目論んでいる。

いついかなる時でも、家に帰るのは早すぎる。結果を計算するのも早すぎ
る。かつて私は、1963年のアメリカ初の大規模な反核兵器運動であり、
母乳と乳幼児の歯に放射性降下物が検出されるまでに至った大気中核実験
を終結に追い込むという重要な勝利に貢献した『平和のための女たちのス
トライキ』に参加した女性の逸話を読んだ。彼女が語るには、ある朝、ホ
ワイトハウスのケネディに対する抗議行動で、雨の中に突っ立っていて、
なんとも馬鹿で無駄なことをしているんだろうと感じていた。何年か後に、
彼女は聞いた――そのころ、この問題に取り組んだ活動家としては最も知
名度が高かったベンジャミン・スポックが、ホワイトハウスへの抗議行動
で女たちの小グループが雨の中に立っているのを目撃したことが、自分に
とってのターニング・ポイントだったと発言したのである。女たちが情熱
を傾けているからには、自分もこの問題についてじっくり考えなければな
らないとスポックは考えたのである。

『終りのない変化』

多くの活動家は、あらゆる行動に対して、それと同等の力が逆方向に間を
置かずに働く反作用があり、反作用がなければ、失敗であると考える。結
局、多くの場合、活動とは反作用なのだ。ブッシュがイラク侵略を決定し、
私たちは、7つの大陸で同じ週末に、1000万ないし3000万の人々
がデモ行進する地球規模の反戦運動を組織する。だが、歴史はうねりと夢
の共有とで創り出されるものであり、個々の行動と瞬間状況とは、それを
目に見える形にしているに過ぎない。歴史は、原因と結果の単純なバラン
ス関係よりも、複雑に入り組んだ景観なのだ。政治は表層であり、その転
換は、目に見える行動が原因になるだけではなく、集団的想像力の深層で
の広範な変化を原因として生じる。もっとも、変革の条件として、行動と
想像力の両者とも必要である。また、時には大きな原因が小さな結果しか
生まず、時には小さな原因が大きな結果を生む。

何年か前、科学者たちが、初期条件が同じなら、やがて同じ気象状態が出
現するだろうと仮定して、長期天気予報の開発を企てた。結局、初期条件
がまったく同じでも、検知さえも不能であり、データとして想定すらもで
きない、ごく微少な変異が、完全に異なった様相の天候に帰結することが
判明した。有名な譬えを使って結論を言えば、北京での蝶々の羽ばたきに
よる空気の揺らめきが、ワシントンの天気を変えてしまう。

歴史は天候のように移ろい、チェスの動きには似ていない。チェスのゲー
ムには終りがある。天候は終わることなく移り変わる。だから、なにごと
も保つことなんてできようもない。保つと言えば、間違った言葉遣いであ
る。イエスは救い、銀行は蓄える。イエスと銀行とは、諸行無常の浮世の
移ろいから、大切なものを別の場所に移しておく。私たちはクジラの絶滅
を防いだかもしれないが、クジラを救うことはできない。クジラが絶滅し
ない限り、絶滅を絶え間なく防ぐしかないだろう。蓄えは、シミや汚れが
損なわない場所にしまい込んでおくことを意味するのであり、この類に似
た救世の追求が、たぶん、アメリカ人が危機に手早く対応し、さっさと家
に帰り、別の危機を迎える理由であろう。問題が家に帰ってくれることは
稀だ。大多数の国々が絶滅危惧種クジラの捕獲を禁じているが、別の次元
ではクジラの海は危うくされている。DDTはアメリカでは禁じられたが、
第三世界へは輸出され、モンサントは次なる非道に手を伸ばす。(訳注:
本節文中の、保つ、救う、蓄えるの原語は、すべて”save”)

世界は良い場所になる。また、悪い場所にもなる。これに取り組むために
は、まさしく生涯の時間をかけなければならない。幸運であれば、生涯の
長さを知るよしもない。未来は暗い。夜のようだ。確立と可能性はあるが、
保証はない。

アダム・ホックシールドが指摘するように、奴隷制度を最初にイギリスの
クェーカー教徒たちが問題にした時から、アメリカとヨーロッパで廃止さ
れるまで、75年もかかった。かつては不可能であるとしか考えられなか
ったことが、振り返ってみれば、突然、必然であったと思われるようにな
った時には、当初に課題に取り組んだ人で、結果を目撃したのは、いたと
しても、ほんの僅かだった。予期せぬ結果が法則化して、期待を呼び、奴
隷制度廃止運動が初期の幅広い女性の権利運動に火を点け、それが、同じ
程度の長い時間をかけて、アメリカ女性に選挙権を保証し、その後の83
年間で、はるかに多くを獲得したが、今でも、完了したとは決して言えな
い。直接行動は街角の店へ出かけるようなものではない。それは暗闇への
跳躍なのだ。

稀なケースを除き、行動が直接的である必要はないと、作家たちは理解し
ている。あなたは本を書く。あなたは種を蒔く。種はネズミに食べられる
か、あるいは腐ってしまう。カリフォルニアに生育するある植物の種は、
山火事に遭って初めて発芽するので、何十年も休眠状態にある。シャロ
ン・サルツバーグは、著書『信仰』において、仏教僧ウ・パンディタの教え
を書物にまとめた経緯を詳述し、その仕事を「小乗(マイナーな善行)の類」
と規定している。ずっと後になって、ビルマ独裁政権による自宅軟禁下に
あって孤立していた民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チーにとって、
その本と、それに書かれた瞑想法とが、「あの極めて困難な歳月、彼女の
精神的支えの主要な柱になった」ことを、著者は知った。エミリー・ディキ
ンソン、ウォルト・ホィットマン、それにアーサー・ランボオは、ヘン
リー・デーヴィッド・ソーローのように、死のずっと後になって、往時のベ
ストセラー作家たちの墓が草に埋もれたずっと後になって、最大の影響力
を発揮した。ソーローの影響を受けたガンジーの非暴力は、インドと同じ
くアメリカ南部でも重要であったし、その最新版であるマーティン・ルー
サー・キングは世界の市民不服従運動に影響を与えている。ガンジーとキ
ングの暗殺から何十年もたっている今でも、彼らは私たちと共にある。

4月7日早暁に、カリフォルニア州オークランドの港で、数百名の平和活
動家たちが結集し、イラクへ武器を搬出する事業所のゲートを封鎖した。
港湾労働者組合はピケ破りはしないと約束した。暴動鎮圧用に重装備した
警官隊が到着し、道理も、警告もなしに、活動家グループに対して木製弾
とビーズバッグ(お手玉)弾を撃ち始めた。報道陣3人、港湾労働者9人、
活動家50人が傷害を受けた。私は、何人かの若い男たちの背中にグルー
プフルーツ半分の大きさの血まみれのミミズ腫れを見た。彼らは背後から
撃たれたのだ。華奢なヨーガ教師の顎には卵大の腫れができていた。この
ように語れば、暴力が勝利したのだ。

だが、暴力が港湾労働者組合を発奮させ、反戦活動家たちとのより緊密な
協調関係を促し、地域問題と世界問題との関係を浮き彫りにしたのである。
5月12日になって、私たちは再びピケを張った。今度は、港湾労働者た
ちは運動参加者たちと連帯して行動し、誰の記憶でも前代未聞のことだが、
事業者たちは交替制勤務を停止した。このように語れば、物語の進展に伴
って、私たちは強くなっていった。

さらにもう一つ、第3の語り口がある。ピケは多くのコンテナ・トレー
ラーを立ち往生させた。 ドライバーの中には苛立つ者もいた。戦争は人
道的な営みであると心から信じているドライバーもいた。それでも、ドラ
イバーの何人かは、とりわけ、さんぜんと輝く朝日を浴びて立っていた南
アジア系のドライバーたちは、私たちのことをたいしたものだと考えてい
た。ピケが破られた後、ひとりの移民ドライバーがクラクションを鳴らし
て支持を表明し、路肩にトレーラーを寄せて、車の装飾用にピースマーク
が欲しいと申し入れた。私が前に出て、車のクロム鍍金グリルにゴムロー
プで留められるように、ピースマークに穴を空けた。私たちは少し話し、
握手して、彼は運転席に乗り込んだ。彼はゲートで追い返された。反戦ト
ラック野郎の配達を受け入れなかったのである。次に私が彼は見かけた時、
警官隊の背後で、独りぼっちで縁石に腰掛けていて、愉快そうであり、恐
いもの知らずの様子だった。この職を賭けた男の自発的な勇気の結果が最
終的にどうなったか、誰が知りえようか?

『新しい時代の平和運動の勝利』

反戦行動とブッシュ政権の間に、一般に広く認められる因果関係を期待す
るのは、失望のお膳立てをするようなものだった。だが、ひょっとすると
……? 私たちが答えを知りうることはなさそうだ。それでも、ブッシュ
政権がバグダッドへの『衝撃と畏怖』集中爆撃案を退けたのは、世界世論
と市民の不安という代償が余りにも高くつくことを、私たちが明確にした
からであるようだ。何百万人の私たちが、数千、ことによると数十万の生
命を救ったかもしれない。

●2月15日の世界の平和運動を伝える報道は、過少もはなはだしかった。
バルセロナでの100万人デモ行進は素敵だった。だが、ノースカロライ
ナ州チャペルヒルで、何千人規模のデモがあり、ニューメキシコ州ラスベ
ガスという小さな町で、150人の人々が平和の祈り集会を夜を徹して開
き、ボリビアからタイにいたるまで、もっと小さな村々で住民たちが反戦
の意志を表明したと、私は聞いた。

●社会集団を代表しない、主流を外れた群に過ぎないと、活動家たちが見
なされることが多いが、昨年の秋、メディアで何かが変わった。それ以来、
反戦活動家たちは、多彩で正統な代表集団であると大抵は見なされるよう
になった。 私たちの代表権と長期的展望にとって、分水嶺的な勝利であ
る。

●これまで発言したことがなく、街でデモ行進をしたことがなく、集団に
参加したことがなく、政治家に手紙を書いたことがなく、運動に寄付をし
たこともなかった多数の人々が、行動を始めた。数え切れない人々がかつ
てなかったほどに政治化した。つまり、何あろう、情熱の巨大な地下水脈
が満ちて、変化の川に流れ込もうとしているのだ。新しいネットワーク、
共同体、ウエブサイト、リストサーバ、収監者連帯グループ、連合が台頭
した。

●国内でのテロの脅威を叩き込み、外国での戦争を正当化する、いわゆる
対テロ戦争の名の下に、私たちは、隣人、お互い、よそもの(特に、中東
出身者、アラブ系、イスラム教徒)を怖れ、行状をスパイし、ドアをロッ
クして、私生活中心主義に閉じこもるようにと奨励されている。様々に異
なった人種の人々と共に、社会に向かって、私たちの希望と抵抗を表明す
ることによって、私たちは恐怖の教理問答を克服し、たがいを信頼した。
イラクの人々に対する私たちの関心を行動で示すことによって、私たちは、
様々な違いを超えて、平和を愛する人々の共同体を創り出した。

●私たちは指導者のいない運動のグローバル化を達成した。優秀な代弁者、
理論家、組織者はいたが、あなたの命運を指導者に委ねてしまえば、あな
たは、彼・彼女を超えて、強く、清廉で、独創的になることはできない。
口コミ、インターネット、教会、組合、直接行動アフィニティ・グループ
といった多様な集団情報ネットワークで結ばれ、自ら組織化した100万
の人々の結びつき以上に民主的でありうるのは何だろうか? 指導者のい
ない行動と運動は、もちろん、これまでの20年間にも組織されてきたが、
これほど壮大な規模になったことはなかった。かつて、アフリカの作家
ローレンス・ヴァン・デル・ポストが、誰もが追随者であることを止める時
代になったので、偉大な指導者は新たに出てこないと言った。たぶん、私
たちは彼の言うとおりなのである。

●私たちは、ベトナム反戦運動の不名誉な失敗を繰り返さず、分裂を回避
することが上手にできた。私たちは、サダム・フセインを是認することな
しに、対イラク戦争に反対することができた。私たちは、戦っている兵た
ちを思いやりながら、戦争に反対することができた。私たちの大多数は、
アメリカの対外政策がしばしばひっかかり、旧い時代のラディカルがひっ
かかった、敵の敵は味方、悪の対抗者は善という罠、国民と首領、将軍と
兵との混同視という罠に陥らなかった。 私たちはアメリカに反対し、イ
ラクに賛成したのではなかった。戦争に反対したのだった。また、私たち
の多くは、すべての戦争に、すべての大量破壊兵器に、すなわち我が国の
大量破壊兵器にも反対であり、すべての場所の、すべての暴力に反対だっ
た。私たちは単なる反戦運動ではない。平和運動なのだ。

平和、反グローバル化運動が提起した問いは、今や主流になっている。も
っとも、主流にいる人々はその理由を語らないし、おそらくは理由を知っ
てさえもいない。活動家たちは、ベクテル、ハリバートン、シェブロン、
ロッキード・マーティンを、ブッシュ政権と結びついた戦争成り金企業と
して標的にした。行動は、特定の事業所を実力で封鎖するのではなく、そ
の営業活動に対して、公衆の面前で異議申立てすることで行われた。直接
行動が効力を実際に発揮するのは稀なことだが、今や、メディアが企業を
かつてなく見つめている。先日、ヘンリー・ワックスマン下院議員が、ハ
リバートンのテロ国家との関係に対して公然と疑問を投げかけた。チェイ
ニー副大統領が就任するまで率いていた企業であるハリバートンに70億
ドルのイラク石油の管理契約を与える政権の密室決定を、メディアが綿密
に取り上げている。こうしたことは飛躍的な進展である。

『天使が見せたもう一つの歴史』

アメリカの歴史は弁証法で動いている。歴史上の最善が最悪を契機として
出現する。奴隷廃止論者とアンダーグラウンド・レールロード(南北戦争以前に
自由州やカナダへの奴隷の脱出を助けた秘密組織)、フェミニスト運動と公
民権運動、環境と人権運動はすべて脅威と暴虐を契機として成立した。た
った今も、最悪の事態が山ほど進行中である。しかし、私たちが必要とし
ているのは行動主義、それも反作用としてのものではなく、自主的創造と
しての行動主義、心ある人々がいたる所で政治課題を設定する行動主義で
ある。私たちは、戦争が醸し出した熱情を、次なる戦争を防止するために、
また、爆弾だけではなく、あらゆる形態の暴力に対抗するために保つ必要
がある。私たちには、現在の悪に対抗するだけではなく、未来の可能性を
引き寄せる運動が必要である。私たちには、希望の変革が必要である。そ
のためには、私たちは、変化がどのように機能するのか、我が方の勝利を
どのように算定するのかを理解する必要がある。

かつて私は、ネバダの環境・反核非営利団体、シチズン・アラート(市民警
報)理事として、『イッツ・ア・ワンダフル・ライフ』を手本にした、募金集
めの文書を書いた。自殺志願の男ジョージ・ベイリーに天使が諭すフラン
ク・カプラの映画は、ラディカルな歴史の典型である。隣人に対して彼が
ベストを尽くさなければ、街がどうなってしまうのかを天使が見せたので
ある。この天使がもう一つの歴史で見せたのは、実際に起こったことでは
なく、起こらなかったことであり、それこそはもっとも評価しがたいこと
なのだ。シチズン・アラートにとっての勝利は、主として、ネバダの大気、
水系、大地、そして住民に起こらなかったことなのである。より大局的な
運動の成果の歴史を構成するものは、主として、踏みにじられなかった経
歴、抹消されなかった思想、実行されなかった暴力と威嚇、犯されなかっ
た不正行為、毒を盛られず、堰き止めもされなかった河川、落とされなか
った爆弾、漏れ出さなかった放射能、撒き散らされなかった毒性物質、破
壊されなかった野生の自然、再開発されなかった田園地帯、絞り取られな
かった資源、絶滅しなかった動植物種なのだ。

ベルリンの壁が築かれた夏、私が誕生した国では、女性と有色人種を自由
で対等な市民権から疎外する社会的慣行の多くに、改善方策どころか、用
語さえなかった。同性愛は精神病と診断され、犯罪として扱われた。生態
系は概念でさえもなかった。動植物種の絶滅と環境汚染に注視するのはご
く少数派に限られていた。「化学の力で生活向上」のキャッチフレーズがブ
ラック・ユーモアに聞こえなかった。核のハルマゲドンぎりぎりで、アメ
リカとソ連が一触即発の警戒体制で睨み合っていた。文化に関するたいて
いの大問題はまだ提起されてさえいなかった。その世界には、もっと多く
の降雨林、もっと多くのオゾン層、もっと多くの動植物種が存在したが、
当時、それらを保護する人たちもほとんどいなかった。生態学的想像力が
出現し、共通文化の一部になったのは、これまでのほんの20年間のでき
ごとであり、人類の多様性と人権についての意識が広がり、深まったのも
そうである。

世界は悪くなりつつある。善くもなりつつある。そして、未来は暗い(不
透明な)ままだ。

行動の帰結は誰にも分からないし、歴史は世界を思いがけなく変えたささやかな行為で満ちている。ネバダ核実験場――アメリカとイギリスが千発を超える核爆弾を爆発させ、環境と健康に苛酷な影響をもたらした歴史が今でも進行している、(そして、ブッシュ政権が、未批准の核実験全面禁止条約を踏みにじって、実験を再開したがっている)その現場で、私は結集した活動家たち数千のうちの一人だった。私たちは核実験場を閉鎖できなかったが、カザフの詩人、オルザス・スレイメノフが私たちの行動に霊感を受け、1989年2月27日、カザフ・テレビに生出演して、詩ではなく、宣言を読み上げて、カザフスタン共和国セミパラチンスクにあったソ連の核実験場の閉鎖を要求し、集会を呼びかけた。翌日、5千のカザフ人たちが作家同盟に結集し、実験場を閉鎖するための運動を組織した。彼らは自分たちの運動を『ネバダ・セミパラチンスク反核運動』と命名した。

ソ連の核実験場は実際に閉鎖された。スレイメノフは触媒の役目を果たしたのである。ネバダでの私たちの運動は彼の刺激になったが、彼の基盤になったものは、詩を愛する国民社会において、詩を書くことだった。スレイメノフが詩を書いたのは、ことによると、すべて、ある日、テレビ・カメラの前に立ち、詩ではなく、宣言を発表するための準備作業だったのかもしれない。さらに、アルンダティ・ロイが書いた魅惑的な小説が彼女をスターの座に押し上げたのも、ことによると、彼女が立ち上がって、多国籍企業の利益のためのダム建設と地域社会の破壊に反対を表明した時に、人々が気づくための準備段階だったのだろう。あるいは、彼ら作家たちが地球を荒廃させる行為に反対したのは、ことによると、詩――もっとも広い意味での詩もまたこの世界で生き残るための正当防衛だったのだろう。

ブッシュ政権が『衝撃と畏怖』作戦を発表した直後に、大統領夫人ロー
ラ・ブッシュが主催した『詩とアメリカの声』シンポジウムに招かれたサ
ム・ハミルが、丁重に断り、激しい憤りを表明する手紙を配布した時に、
アメリカの詩人たちも自らを反戦運動に組織した。彼のEメール・ボック
スが満杯になったので、彼が反戦詩人サイトを開設したところ、今日まで
に、1万1000人の詩人が投稿した。ハミルは名だたる反戦スポークス
パーソンになった。平和運動を組織するためのツールになった、ハミルの
ウエブサイト『反戦詩人たち』:
http://www.poetsagainstthewar.org

『左ではなく、前へ』

浮かぬ顔の伝統左翼は、明るい兆しを見ても、雲を探すのにご執心である。
今年1月、イリノイ州のライアン知事が167件の死刑宣告を覆した時、
私たちなら、フットボール優勝チームのように頭からシャンパンをかける
はずなのに、重箱の隅を突ついて、細かいことに欠点をあげつらった左翼
関係者たちがいた。喜びは私たちの勝利のための武器のひとつである。行
動しない人たちは、時に、デモの最中に楽しそうにしている、世界の一大
事を背負っている時に面白がっていると私たちにブツクサ言う。だが、疎
外され、孤立し、無力を知り、私たちが多いに悩んでいる時、群をなして
街に繰り出すことは、勝利の手段なのではなく、それこそが勝利なのだ。

それにしても、喜びの能力を備えた新しい運動と昔からの大立て者たちと
のギャップは広がるばかりである。彼らの不機嫌は、たいてい、完全主義
者の不機嫌なのだ。彼らは、全面勝利に届かなければ失敗であるという、
しょっぱなから断念に傾きやすく、あるいは可能なはずの勝利を蔑んでし
まうような前提に立っているのだ。ここは地上なのだ。ここが天の国にな
ることはない。 常に残虐行為はあるだろう。暴力はあるだろう。破壊は
あるだろう。たった今、凄まじい荒廃がある。あなたがこの文章を読んで
いる間にも、何エーカーもの降雨林が滅び去り、女たちはレイプされ、男
たちは撃たれ、余りにも多くの子どもたちは、たやすく予防できるはずの
原因で死んでしまうだろう。すべての時点のすべての荒廃をすっかり解消
することなんて不可能である。しかし、それを軽減し、非合法とし、その
起源と土台を掘り崩すことはできる。こうしたことが勝利なのだ。

2001年9月11日を経験して、私たちのほぼ全員が覚えた感覚は、嘆
きと恐怖に加えて、飛躍的に高揚した理想主義と受容性、問い、学ぶ姿勢、
互いに繋がっている一体性、馴染みがなく、安全でも容易でもなくても、
もっと多くの何かのために自分の人生を生きたいという欲求だった。現在
の政権にとって、この欲求に肩を並べる脅威は他になく、施政権者たちは
手段を選ばず抑圧に走った。

それでも、その欲求はそこに存在する。それは、いまだに名づけられても
いない巨大な新しい運動、右翼に対抗する左翼ではなく、おそらくはエ
リートに対する下々の、強大者に対する弱小者の、統合に対する地方性と
分権の運動の背後に控えた力なのだ。旧来の定義を投げ捨てることができ
るなら、どこに新しい連合が広がっているか、認識できるだろう。このよ
うな――小規模経営農民の、工場労働者の、環境主義者の、貧者の、先住
民族の、義の人の、預言者の――連合は、企業利益と制度的暴力の勢力に
対する抜群に強大な力になりうるだろう。

左翼と右翼は、フランス革命後の国民議会で急進派と保守派が議場を分け
合っていた時代の用語である。もはや私たちは、そのような議席配分は言
うまでもなく、左右対決の世界に生きているのではない。私たちは、破滅
も、毒も、遺産も、全員にとって全面的に新しいものである世界に生きて
いるのだ。 反グローバル化活動家たちは、「もう一つの世界がありうる」
と言っているが、もう一つの世界はありうるだけではない。それが必然な
のだ。そして、もう一つの世界の造形に、私たちは参画しなければならな
い。

私は希望に満ちている。部分的には、これほど暗い(不透明な)未来にはな
にが起こるか分からないからであるが、同時に、ここに生ある限り、私た
ちの道義に従って生きるからである。希望は恐怖の対極にあり、私たちは
それに賭けよう。世界が救命ボートであると想像しよう。企業と政権が舟
底を叩き割っていて、そのペースたるや、私たちが水を掻いだし、あるい
は穴を塞ぐのと同じぐらい(あるいはもっと)速いとしよう。それでも、穴
を空ける人がいれば、水を掻いだす人もいると、気を留めていることが大
切なのだ。そして、過去形の文章で嘆き節を綴るよりも、現在形で物語を
書きとめることが大切なのだ。そうすることがボートを浮かせておく努力
の一端なのだ。さらに言えば、ボートが沈没すれば、私たち皆が溺れてし
まう。だから、水を掻いだそう。ボートを漕ごう。無謀きわまるブッシュ
政権は、これまで永く、アメリカ歴代政権が尻込みしてきたのに、歴史あ
る秩序を粉砕し、やりたい放題の世界を創り出そうとしているようだ。

(メキシコの)サパティスタ国民解放軍の広報担当のマルコス副司令官が語
を継いで語った――「権力が書いた歴史は、私たちが敗者だと教えた……
権力が教えることを、私たちは信じなかった。彼らが従順と衆愚を教えた
時、私たちは教室を抜け出した。私たちは現代化に合格しなかった。想像
力によって、創造性によって、未来(の夢)によって、私たちは連帯してい
る。過去において、私たちは敗北に直面しただけではなく、正義を求める
願いと、よりよく生きる夢を見出した。私たちは懐疑論なんか大資本の衣
紋掛けにぶら下げたままにしておき、発見したのは、信じることができ、
信じるに値し、信じなければならないのは――私たち自身である――とい
うことだ。あなたが健やかであるように。希望のごとく、花々を収穫する
ことをお忘れなく」

そして、花は暗闇で育つ。「私は信じる」と、ソーローも言った。「森の中
で、草原で、夜の闇の中、トウモロコシは育つ」

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本編著作権者ソルニット、序文著作権者エンゲルハート両氏およびオリオ
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(翻訳 井上 利男/TUPスタッフ)
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