TUP BULLETIN

速報962号 グレッグ・ミッチェルによるオリバー・ストーン監督インタビュー

投稿日 2013年2月14日

◎グレッグ・ミッチェルによるオリバー・ストーン監督インタビュー TVシリーズ「原子爆弾」エピソード




志願してベトナムで陸軍に従軍し、帰還後1986年に「プラトーン」でアカデミー賞監督賞を受賞したオリバー・ストーン監督。以後、社会派監督として「7月4日に生まれて」、「JFK」、「ニクソン」等数々の問題作を発表した。その彼が手がけたテレビシリーズについて、ヒロシマに詳しいジャーナリスト、グレッグ・ミッチェルが、監督本人にインタビューした記事である。 「原爆は悲惨」だが「原爆が戦争を終結させた」という概念は戦後広くアメリカ社会に浸透してきた。この概念が「なぜ浸透したのか?」について、明かされない、あるいは表立っては語られてこなかった事実が多数存在することをインタビュー内でオリバーは示唆している。さらに、作成されたテレビシリーズが迫ろうとする戦争と原爆の真実、そしてそれらを巡るアメリカ文化についての自身の解釈を語っている。


訳者は広島出身在住であるが、被爆した側が正面からこの概念に反対することがはばかられる空気の存在を、もう随分と長く感じている。被爆した立場から訴えることで、どうしてもそぎ落とされてしまう、届かないメッセージが発生することを、かつてそれを訴えた歴史の中から身を以て学んできたからだろう。


一方、原爆投下したアメリカには、原爆について偏った理解が進んでも、不正確な認識を容認してきた文化がある。そんな中、インタビュアーのグレッグ・ミッチェル、そしてインタビューを受けたオリバー・ストーンの両者は丹念に史実を紐解きながら「原爆投下は誤りであった。」ということを訴え続けてきた。それが、オリバー・ストーン監督のテレビシリーズ作品の中で正面からとらえられていること、そしてインタビューで率直に語り合う二人の歴史観が広くインターネットに公開されている事実が示唆するのは、この二人やインタビュー内で名前の挙がった活動家、そしてそれを支持した人々の平和を願う強い意志ではないだろうか。


日本はアジアでの戦争の歴史においては加害者の顔を持つことに加えて戦後の日米関係の中で、原爆投下(加害)に対するに一般的なアメリカによる認識の誤りを「アメリカに届く形」で指摘することに失敗してきた。インタビュー中にもあるように、人間の本質として誤りを認めることは難しい。しかし、人間は過ちを起こすものだという前提から、加害者、被害者の立場を超えて「歴史の正しい認識」を最優先したうえで、国内外への発信をおこなうべきだということに、もっと多くの日本人が気付くべきであろう。


訳者はこの記事を翻訳するにあたり、TUPの活動をこれまで長年支えてきた仲間から多くのアドバイスをもらい、自身の認識のズレに気付かせてもらい、さらに勉強不足による知識のなさを痛感することになった。この場を借りて仲間に感謝の意を表したい。同時に、今後の活動を息長く続けることを目指し、その中で自分に何ができるかを真剣に問い続けたいと思う。


〔翻訳: 宮原 美佳子(前書とも)/TUP〕


凡例: (原注) [訳注]

オリバー・ストーン監督インタビュー 今夜放映のTVシリーズ「原子爆弾」エピソード

2012年11月26日 [ザ・ネイション]
グレッグ・ミッチェル

あの有名な監督(かつ歴史通でもある)オリバー・ストーンが手がける待望のTVシリーズ『Untold History of the United States[仮訳:語られざるアメリカの歴史]』が11月12日の「ショータイム」で放映されました。このTVシリーズは第二次世界大戦の直前直後にまずは焦点を絞り、次いでそれ以降のアメリカの戦争(冷戦も含め)やその他の問題に同じテーマで切り込んでいきます。

シリーズ第三話となる今夜放映のエピソードは(ほとんどのアメリカ人にとって、ということですが)日本へのアメリカの原子爆弾投下について新たな視点を提供しています。

本シリーズについては、ストーンと歴史家のピーター・クズニックが同タイトルの関連本を堂々の700ページ超のハードカバー本として上梓しています。そのストーリーはTVシリーズより少し前の第一次世界大戦からオバマの時代までをえがいており、とりわけミハイル・ゴルバチョフ、ダグラス・ブリンクリー[1]、そして「これでハワード・ジン[2]も鼻が高いだろう」と言ったダニエル・エルスバーグ[3]をはじめとした人々の推薦文で飾られています。

ヒロシマの章では、当時の原爆投下が誤りであったことを強調しています。ストーンとクズニックは、旧ソ連が原爆投下二日後に、アメリカが強く求めていた通りに対日参戦したことに焦点を当てました。原爆投下が無かったとしても、事態を一変させるこの衝撃的な旧ソ連参戦により、日本は速やかに降伏せざるをえない状況になっていたことでしょう。しかし実際には、二都市への原爆投下により20万人以上の命が犠牲になり、しかもその大多数が女性や子どもなどの一般市民だったのです。

アメリカン大学で教鞭をとるクズニックは、同大学の核研究所の所長も兼務しており、これまで広範にわたり原子爆弾について書き著わしてきました。さらに毎年、担当するクラスの一組を広島と長崎へ連れて行っています。思い起こせば私自身も1984年に1カ月にわたり広島と長崎とに滞在したものでした。(同じテーマの私の本の一つ[4]およびウェブ掲載記事[5]があります。二人の兵士が撮影した広島と長崎の歴史的映像と数十年にわたりその映像が封印されてきた様子を書いた作品です。)

ストーンとクズニックは、その本の48ページを割いたヒロシマの章のタイトルを『The Bomb: Tragedy of a Small Man[仮訳:原爆―あるちっぽけな男の悲劇]』としています。もちろん「ちっぽけな男」とはトルーマン大統領を指しています。仮に1944年の大統領選で進歩主義のヒーローだったヘンリー・ウォレスが俗物政治家のトルーマンに副大統領の指名を奪われていなければ、(原爆投下と冷戦に至った経緯について)歴史はもっと違っていただろうと、この本そしてTVシリーズでも主張しています。しかし、ストーンはどのようにしてトルーマンによる原爆投下の判断が誤りだとするに至ったのでしょうか?数日前の彼へのインタビューは、この質問からスタートしました。

[1] 1960年生まれ。歴史学博士。大統領伝記作家。ベイカー・インスティテュート歴史学特別研究員、ライス大学教授。CBSニュースやラジオのコメンテーター、『Vanity Fair』『Los Angeles Times Book Review』『American Heritage』『ニューヨークタイムズ』『ニューヨーカー』『アトランティック・マンスリー』の寄稿編集者である。近年では『シカゴ・トリビューン』にAmerica’s new past master[仮訳:アメリカの新しい長老]と称されるほどの歴史学におけるキャリアの持ち主。近著には『The Wilderness Warrior: Theodore Roosevelt’s Crusade for America [仮題:荒野の戦士:セオドア・ルーズベルトのアメリカ改革運動]2009年HarperCollins出版』がある。

[2] アメリカ合衆国の歴史家、活動家。18才で造船所労働者として働き始めた後、第二次世界大戦中に空軍の爆撃隊員として従軍。この頃の経験が後の彼の反戦思想の基礎となる。その後、コロンビア大学で歴史学博士号取得し、一時黒人女子大学の名門スペルマン大学で教鞭を取りながら、同大学の学生非暴力調整委員会のアドバイザとして若き公民権運動活動家らと活動を共にする。反戦活動家としてベトナム戦争中に現地へも赴き、後述のダニエル・エルスバーグのペンタゴ ン ペーパーズ裁判でも証言台に立つ。主著『A people’s History of the United States[邦題:民衆のアメリカ史]』は、従来の歴史の公式見解を排して、過去500年のアメリカの歴史を、女性、移民労働者、アフリカ系アメリカ人、アメリカ先住民、貧困労働者らの視点から、不屈の精神に支えられた草の根活動を軸にえがき、ミリオンセラーとなっている。

[3] 1931年生まれ。1952年ハーバード大学を卒業後、ケンブリッジ大学キングスカレッジで一年学んだ後、志願し1957年までの三年間を米海兵隊で過ごす。その後、再びハーバード大学で学び論文 Risk, Ambiguity and Decision(仮題:『リスク、曖昧さ、意思決定』1962年ハーバード大学、2001年Routledge出版)博士号を取得。1959年以降、10年間、国防総省戦略アナリスト顧問および国防総省高官として核兵器の指揮統制分野を担当した。1971年にベトナム戦争の真相を暴く国防総省秘密報告書(ペンタゴン・ペーパーズ)を報道機関に漏洩し、ニクソン政権終焉の引き金をひいたことやベトナム戦争の終結に貢献したことで一般に知られるようになる。以降、講師、作家、活動家として活躍し、多大なリスクを冒しつつも平和と真実を最優先する姿勢を称えられ2006年に「第二のノーベル賞」と称されるライト・ライブリフッド賞を受賞した。

[4] http://www.amazon.com/dp/B005CKK9IG

[5] http://gregmitchellwriter.blogspot.co.uk/2011/07/my-new-book-atomic-cover-up-reveals.html


グレッグ・ミッチェル:   ほとんどのアメリカ人が原爆に対して見解を変えることはありません。あなたはそれまでの人生のほとんどの間、原爆投下を支持していたのでしょうか?

オリバー・ストーン:   私の見解が変わったのはわりと最近で、ピーターが多くの研究結果を提供してくれた後だったと思います。正直言うと、アイゼンハワー時代に共和党員として育てられて以降、私の見解は多くの問題について変わって来ています。ですが、私はピーターとは全くバックグラウンドの違う人間だということなんですよ。例えば、私はベトナム戦争に行きましたが、彼は反ベトナム戦争を唱えていました。ですから、戦争についての私の考え方が変わるのには長い時間がかかったんです。

長編映画を作ることで、多くの問題について個別にリサーチできました。JFK[ケネディ大統領]、ニクソン[大統領]、サルバドール[・アジェンデ;チリ大統領]、キューバをはじめとした問題についてです。しかし、長編映画にはできなくても興味深く思っていた問題もいろいろありました。そしてピーターがこの原爆のストーリーを温めていたんです。実のところ、長編映画で扱う原爆なんて退屈なだけです。私は、本当に沢山の原爆を扱った映画、ラブストーリーも含め様々な角度でとらえた映画を見てきました。もちろん、フランス映画Hiroshima, Mon Amour[邦題:『二十四時間の情事』]も。あれは印象主義的でしたね。沢山見てきたからこそ、退屈だって確信をもって言えるんです。そして、ハリウッドにはヒロシマについての長編映画を制作しようとする機運は微塵も見られませんでした。

むしろ「またかよ……」という反応です。原爆は汚点。みんなそう感じているんですよ。子どもだってそんなの読みたいとも思わないし、退屈に思うでしょう。だって結末が分っているのですから。結局、いつも納得させられて終わりです。「まぁ、わかるだろ?そうするしかなかったんだよ。」って。

正直言うと、ピーターがヘンリー・ウォレスの視点と1944年について話してくれるまで、私自身にも原爆は一番興味の薄い部分でした。あれはまさに目からウロコでしたよ。ウォレスは原爆投下の是非について揺れ動いていました。そしてその様子にシリーズの丸々一話を充てることになったんです。

ある時点で、このシリーズを12話でいく話がありました。第一次世界大戦から始める予定だったのですが、これは私の大好きなところで、伝えたいことが本当に山ほどあります。それから1930年代もそうですね。ところが、第二次世界大戦から冷戦そしてそれ以降については進めていくだけで十分難しいことに気付きました。でも、まず原爆から、確か第一話の最初のシーンはオッペンハイマーだったと思いますが、とにかくそこからシリーズ全体を始めて、その後再度原爆に立ち返って一話分を割いて描くことにしました。

もちろん、原爆というのは私たちの世代にとっては、[ファシズムを打ち破った正義の戦争の勝者として規定する米国の]「創世神話」、一種の「始祖の神話」でした。このTVシリーズの中ではすでに別の視点から、つまり米露関係から第二次世界大戦をとらえ始めていました。それでも原爆が「始祖の神話」だったことに変わりはありません。世界でやりたいことを何でもやる権利と倫理的美徳を与えてくれたからです。それに、私たちアメリカは手強いぞとすでに示しました。原爆を実際に使ったわけで。私たちは原爆を持っているから、私たちは何をやってもいいんです。おそらく、十分な理由をでっち上げることもなくただ冷酷に原爆投下する以外はね。

それは「やらなきゃいけないから」といって世界中の国々に侵攻して行くのと同じです。イラクへ行って、壊滅させるーーにしても、私たちの多くはイラクで過ちを犯したということをわかっています。でも、多くの人が自身に免罪符を与えていますね。だって、そうでしょ?私たちにはその権利があったんですからね!

「決して繰返さない」はこの国の為政者やマスコミの常套句です。核兵器はあまりに残酷ですからね。だけど、すでに原爆投下したことについては全面的に支持しています。要するに、決して使わないということに対して本質的に二つの例外があるわけです。かなり矛盾した話ですよね。

こういった考え方が、アメリカ人の無意識の一部として取りこまれてきました。私たちはこのドキュメンタリーで、原爆投下は道徳的に非難されるべきものだというだけでなく、戦略的に必要ですらなかったという考え方を示すことで、貢献しようと思っています。

[ミッチェル]  10年前はほとんどそういったことはご存知なかったのですか?

[ストーン]そうですね。10年程前は、こういうことについてはあまり情報収集もしていませんでしたし、他の事に手をとられていましたからね。当時は軍とそれからトルーマンとには別の理由から強い疑念を抱いてはいました。なぜなら、ジョージ・ブッシュとコンドリーザ・ライス[6]が彼を褒めちぎった時、私のメーターが逆に振れたからです。タイム誌がトルーマンを「最高の大統領の一人」と呼んだ時には、たわごとメーターは完全にはねあがっていましたよ。

なにもトルーマンを貶めるのがここの目的ではありません。彼は激動の時代に生きたただのちっぽけな男だったのです。原爆投下はひとえにトルーマンの決断でなされたというわけではありませんでした。原爆投下するよう彼には圧力がかけられていたんです。お分かりでしょうが、原爆投下については知れば知るほど、良心に照らして恐ろしいものがますます見えてきます。

それは神話の中の神話、かの創世記神話に出てくる、禁断のリンゴをかじってしまうあのエデンの園のようなものです。聖書では少なくとも、二人はエデンの園から追放されてしまいす。でも、私達の場合はリンゴは食べたけど、でも「食べざるを得なかったんだ」と言うわけです(笑)。

[ミッチェル]  調査した中で一番衝撃を受けたのはどんなことでしたか?

[ストーン]  旧ソ連ですね。旧ソ連の侵攻を詳しく学んでいくうちに、現実に起こったこととは別の可能性や「もしこうだったら?」ということを考えるようになりました。アメリカは侵攻を11月までは予定していなかった。もし仮に侵攻が必要になることがあったとしても、ね。そして、8月9日までには旧ソ連は侵攻開始し、日本人を一掃し始めていたのです。仕事を片付ける、つまりは日本を降伏させるのにどれだけのことが必要だったでしょうか?一週間?ほんの数週間?それだけ待てば問題などなかったんです。

もう一つ衝撃だったのは、日本人は広島で実際何が起きたのか認識すらしていなかったと言うことです。カーチス・ルメイの焦土化作戦によってあまりに壊滅的な状態にあり、そんな余裕はなかったのです。

[ミッチェル]  なぜ、ウォレスだったら原爆投下しなかったと強く言い切れるのですか?

[ストーン]  それまでに彼の書いたものや発言を見ればわかります。おそらく彼をとりまく勢力によって原爆投下へと圧力をかけられることになってはいたでしょう。でも、そうですね、周りに迎合していた可能性もあります。でも、彼は性格的にかなり頑固でした。頑として動かない、そんな感じだと思います。

[ミッチェル]  でも、オバマをみて下さい。以前のオバマはむしろ穏健派だったかもしれませんが、最高司令官に就任した途端に変わりましたよね。

[ストーン]  ウォレスは1930年代以降のルーズベルト政権中枢に出入りし、その後副大統領にもなりましたし、あらゆる考え方や世界観に触れていたわけです。仮にルーズベルトの後をだれかが引き継いで原爆投下に反対した者がいたとしたら、それはウォレスだったはずです。

[ミッチェル]  1945年の二つの原爆投下に対して心を開いて判断することに、なぜアメリカ人はこれ程までに抵抗するんでしょうか?

[ストーン]  思うに、それはわれわれの国民性ですね。ほとんどのアメリカ人は神様がいること、世の中には善悪があること、自分たちが善の側にいることを信じています。だから、広島で過ちを犯したと認めることはできないんです。絶対に。過ちを認めるためには、私たちの道徳観、そして他者を脅かしてでも思い通りにするこれまでの力の行使の仕方を根本的に変えてしまわなければならないでしょう。普通の人が罪を認めるのは極めて難しいことです。否定する方がはるかにやさしい。戦後であれその他の問題であれ、世の中とはそういうものでしょう。それは私たちの魂の問題であって、誰もがそれぞれに向き合わなければならないのです。そして、私たちが向き合うべきものは潜在意識内に多く潜んでいます。

[ミッチェル]  私自身の著書[7]の中でも長年にわたって調査してきましたが、政府は数十年にわたって原子爆弾に関連する事実や画像[8]を公表せず、完全なる隠蔽を行ったのです。恥ずべきところが無いのであれば、なぜ隠蔽したのでしょうか?

[ストーン]  それこそが人生の本質、否定です。

[ミッチェル]  原爆投下を擁護することで私たちや他国が再度原爆を使いやすくなるのでしょうか?

[ストーン]  ええ、疑問の余地はないですよ。そして原爆だけではなく、現在開発中の宇宙空間を想定した兵器もそうです。私たちが今おかれている状態や自身の歴史にあまりに無知であることは、とても危険なことなのです。

[6] ブッシュ政権下で国家安全保障問題担当大統領補佐官から国務長官を歴任

[7]  http://gregmitchellwriter.blogspot.jp/2012/11/stone-cold-truths-about-atomic-bomb.html

[8] http://www.amazon.com/dp/B005CKK9IG


グレッグ・ミッチェルは『Atomic Cover-up: Two U.S. Soldiers, Hiroshima & Nagasaki and the Greatest Movie Never Made [仮訳:核の隠蔽:二人のアメリカ人兵士、ヒロシマとナガサキ、そして作られなかった映画]』[9]、ロバート・ジェイ・リフトンとの共著『アメリカの中のヒロシマ』の著者。元「核タイムス」誌編集者。編集者および出版者として多くの有名雑誌や新聞に原子爆弾についての記事を寄稿。グレッグ・ミッチェルが制作したビデオの隠蔽されたヒロシマの画像はこちら[10]で閲覧可能。

オリバー・ストーンの『語られざる歴史』の詳細はジョン・ウェイナーズのレビュー[11]を参照可能。


原文筆者: Greg Mitchell
原題:”An Interview With Oliver Stone on His ‘Atomic Bomb’ TV Episode Airing Tonight”http://www.thenation.com/blog/171442/interview-oliver-stone-his-atomic-bomb-tv-episode-airing-tonight
発表日時:2012年11月26日午前9:51アメリカ東部標準時