TUP BULLETIN

速報977号 サリンは誰のものか

投稿日 2014年5月28日
シーモア・ハーシュによる調査報道記事「サリンは誰のものか--オバマ政権は何を知っていたのか、何を知らなかったのか」の翻訳(月刊『世界』5月号掲載)を改めてTUP速報としてお届けします。

翻訳:荒井雅子・宮前ゆかり(TUP)、前書き・解説:宮前ゆかり

原文: Whose sarin?

2013年8月21日にダマスカス郊外で起きた化学兵器攻撃について、バラク・オバマはその年の秋、バシャール・アサドの責任だと主張しようとしたが、このときすべてをありのままに話したわけではなかった。重要な情報を除外したり、推測を事実として提示したりしていたのだった。

なかでももっとも重大なのは、米国の諜報関係者が知っていたあることを認めなかったことだ。国連調査は、ロケット攻撃で神経ガスのサリンが使用されたと–実行者を特定しないまま–結論づけたが、シリア内戦において、サリンを入手できたのはシリア軍だけではなかったのだ。攻撃前の数カ月、米国の各諜報機関は一連の極秘報告を作成し、最終的には正式な作戦命令–地上侵攻に先立つ計画書–がまとめられたが、この中に、アル=カーイダ系ジハード派[注1]集団アル=ヌスラ戦線がサリン製造技術を獲得し、サリンを多量に製造する能力があることを示す証拠が挙げられていた。化学兵器攻撃が起きたとき、アル=ヌスラにも容疑がかけられるべきだったが、オバマ政権は、アサドに対する攻撃を正当化するため、情報を都合よくつまみ食いしたわけだ。

9月10日に全米にテレビ放送されたシリアに関する演説で、オバマは、反政府側が支配する東グータへの神経ガス攻撃をアサド政権によるものと断定して非難した。そして、化学兵器のいかなる使用も「レッドライン[越えてはならない一線]」を越えることになると以前に表明した警告に則って行動する用意があることを明言した。「アサド政権は1000人以上の人びとを神経ガスで殺害した」とオバマは言った。「アサド政権に責任があることをわれわれは知っている。……それゆえ、熟慮の末、アサド政権による化学兵器使用に対して標的を絞った軍事攻撃を通じて対処することが米国の安全保障上の国益にかなうと私は判断した」。オバマは、公式に発した警告に則って戦争を行おうとしたのだが、しかし8月21日早朝に一体だれが何をしたのか、確実にはわからないまま戦争をしようとしたのだ。

歪曲された情報

オバマは、アサドの責任であることを示す得がたい証拠と思われるものを列挙している。「8月21日までの数日間、アサドの化学兵器要員がサリンを混合する区域の近くで攻撃の準備を行っていたことをわれわれは知っている。彼らは部隊にガスマスクを配布した。その後、政権が反政府勢力を一掃しようとしていた11の地区[注2]に対して、政権支配地域からロケットを撃ち込んだ」。大統領首席補佐官デニス・マクドノーもオバマの断定的姿勢を踏襲し、アサドとその政権をサリン攻撃に直接結びつける「情報に疑いを抱く者は、私が話した中にはだれもいない」と『ニューヨーク・タイムズ』紙に語った。

しかし筆者が、現役および引退した諜報・軍関係の官僚・コンサルタントに最近行ったインタビューでは、情報の意図的な操作
という見方が一度ならず出され、そのことに対する深い懸念や時には怒りが見受けられた。ある上級諜報官僚は、同僚への電子メールの中で、オバマ政権がアサドの責任と断定したことを「謀略」と呼んだ。攻撃は「現シリア政権によるものではなかった」と彼は書いている。また、1人の元諜報関係高官が私に語ったところによると、オバマ政権は、入手できた情報に–タイミングや時系列について–手を加えたという。目的は、大統領や補佐官が、攻撃の何日も後に検索された情報を、あたかも攻撃が発生しているときにリアルタイムで収集・分析されたものであるかのように見せることだった。こうした歪曲は、1964年のトンキン湾事件を連想させると彼は言った。ジョンソン政権は、北ベトナムへの初期の爆撃の一つを正当化するため、米国家安全保障局(NSA)による傍受通信の順序を入れ替えたのだった。彼はまた、軍・諜報官僚の間で、非常に不満が高まっているとも言った。「連中はお手上げのポーズでこう言っている。『オバマと官邸の取り巻きがせっせと情報をでっち上げているときに、いったいどうやって–オバマを–サポートできるっていうんだ?』」

不満は、米政府が「もっていないもの」、つまり攻撃の実行者と目されているところから出る何らかの事前の警告に集中していた。軍諜報関係者は長年、極秘扱いの早朝諜報概要「モーニング・レポート」を作成し、国防長官と統合参謀本部議長に提出している。国家安全保障担当大統領補佐官と国家情報長官にも提出される。「モーニング・レポート」には政治的・経済的情報は含まれないが、世界各地の重要な軍事関係事象がまとめられ、そうした事象についての入手可能な情報もすべて提供されている。1人の上級諜報コンサルタントは、化学兵器攻撃発生後まもなく、8月20日から23日までの「モーニング・レポート」を確認したと私に語った。8月20日と21日の2日間、シリアについては何の言及もなかった。8月22日のトップ項目は、エジプトに関するものだった。それに続く項目の一つで、シリアの反体制グループの一つにおける指揮系統構造の内部変化が論じられていた。この日、ダマスカスでの神経ガスの使用については何の指摘もなかった。同レポートでサリンの使用が最重要問題になるのは8月23日になってからだったが、一方ユーチューブやフェイスブックをはじめとするソーシャルメディアのサイトでは、攻撃後数時間のうちに、虐殺の様子をとらえた何百もの写真やビデオで大騒ぎになっていた。この時点では米政権は、一般市民と同じことしか知らなかったことになる。

8月21日、ニューヨークとペンシルベニアでの慌しい2日間の演説ツアーのために、オバマは早い時間にワシントンを発っており、ホワイトハウス報道室によれば、攻撃について、そして高まる市民・メディアの激しい怒りについてオバマが報告を受けたのは、その日あとになってからだった。攻撃直後に内部情報が何もなかったことは、8月22日、国務省報道官ジェン・サキが記者団にこう語ったときに明らかになった。「われわれとしては、[化学兵器]使用を断定することができない。しかし、この出来事が発生して以来、毎日毎分……全力をあげて事実確認を行っている」。オバマ政権のトーンは8月27日には強まっており、ジェイ・カーニー大統領報道官は–詳細な情報を何も提示しないまま–、シリア政府が攻撃に関与していないと示唆することは「言語道断であり、攻撃自体が発生しなかったと示唆するのと同じようなものである」と記者団に語っている。

なぜ、事前にサリン攻撃を察知できなかったのか

米諜報関係者の中で攻撃直後に何の警告も発せられなかったということは、攻撃前の数日間、シリア政府の意図について何も情報がなかったことを示している。一方、米国には、事前に攻撃を察知することができたはずの方法が少なくとも二つあり、どちらも、元NSA契約職員エドワード・スノーデンがこの数カ月間に公開した米国の極秘諜報文書の一つに言及されていた。

8月29日、『ワシントン・ポスト』紙は、スノーデンから提供を受けた米国の全諜報プログラムの年間予算の抜粋を、一つひとつ機関ごとに公開した。オバマ政権と相談の上で同紙が公開したのは、極秘以上の機密指定を受けた178ページの文書のごく一部だけだったが、要約・公開された中に、問題領域を扱うセクションが入っていた。一つの問題領域は、アサド執務室を標的とする機密収集に穴があったことだった。文書によれば、全世界におよぶ米NSAの電子盗聴設備は、「シリアでの内戦勃発時には、軍高官同士の暗号化されていない通信をモニターすることができていた」。しかし、「後にバシャール・アサド大統領軍がこの脆弱性を知るところとなったように思われる」。言い換えれば、NSAは、シリアで軍幹部の会話へのアクセスを失ったということであり、これにはたとえば神経ガス攻撃命令のような、アサドからのきわめて重要な通信が含まれていたはずだった(8月21日以後の公式声明で、オバマ政権は、アサド自身を攻撃に結びつける特定の情報をもっているとは1度も主張していない)。

『ワシントン・ポスト』紙はまた、シリア国内に秘密のセンサーシステムがあることを初めて示した。このシステムは、アサド政権の化学兵器の状態に何らかの変化があれば早期に警報を発することを目的に設計されたものだった。センサーをモニターしているのは、軌道上にある米国のすべての諜報衛星を制御する機関、国家偵察局だ。同紙の要約によれば、米国家偵察局はまた、シリア国内で「地上に設置されたセンサーからデータを取り出す」ことも任務としている。このプログラムを直接知る元諜報関係高官の話によれば、米国家偵察局のセンサーは、シリアで化学兵器施設として知られている施設ほぼすべての近くに設置されているという。センサーは、軍が保有する化学兵器弾頭の移動を恒常的にモニターすることを目的としてデザインされている。

しかし、早期警戒という点ではるかに重要なのは、弾頭にサリンが装填されたとき、米国とイスラエルの諜報関係者に警報を発する能力だ(隣国イスラエルは、シリアの化学兵器の状態の変化について常に警戒状態にあり、早期警報について米諜報関係者と密接に協力している)。化学兵器弾頭は、いったんサリンを装填されると、神経ガスがほとんどすぐにロケットを腐食し始め、2、3日以内の寿命しかない–「すぐに使うか、さもなければ使い物にならなくなる」大量殺人兵器なのだ。「シリア軍は化学兵器の準備に3日かけない」と元諜報関係高官は私に言った。「われわれがセンサーシステムを構築したのは、空襲警報や火災報知機のように、即時反応を起こすためだ。警報から3日も待っていたら全滅だよ。今すぐか、さもなければお陀仏だ。神経ガス発射の準備を整えるのに3日もかけることはない」。このセンサーは、8月21日以前の数日間ないし数カ月間、何の動きも察知しなかったとこの元高官は言った。もちろん、サリンが他の方法でシリア軍に供給されたという可能性はあるが、警報が出されなかったということは、米政府が東グータでの出来事をリアルタイムでモニターできていなかったということを意味する。

センサーが以前機能していたことは、シリア政府が十分すぎるほど知っていた。2012年12月、センサーシステムは、ある化学兵器保管施設で、サリン製造と思われる兆候を察知した。シリア軍が演習の一環として(どの軍隊も常にこうした演習を実施している)サリン製造のシミュレーションを行っていたのか、それとも実際に攻撃の準備をしていたのかは、すぐには明らかではなかった。このときオバマは、サリン使用は「まったく受け入れることはできない」と公式に警告した。外交ルートでも同じようなメッセージが伝えられた。元諜報関係高官によれば、察知された動きは一連の演習の一環であったことが、後に判明したという。「センサーが2012年12月に察知したことがそれほど重要で、大統領が『やめろ』と言わなければならないほどのものであったのなら、大統領は8月の神経ガス攻撃の3日前になぜ同じ警告を発しなかったのか」

NSAは、可能ならばもちろん昼夜を問わずアサド執務室をモニターするだろうと、元高官は言った。その他の–シリア全土のさまざまな軍戦闘部隊からの–通信は、はるかに重要度が低く、リアルタイムでは分析されない。「シリアで、戦闘部隊が通常の日常的な通信に使う戦術無線周波数域は文字通り何千もある」と彼は言う。「それを盗聴するには、NSAに膨大な数の暗号技師が必要で、その上、有益な成果はなきに等しいだろう」。

しかし「やりとり」は通常コンピューターに保存されている。8月21日の出来事の規模が把握されるや、NSAは、大掛かりな取り組みを行って、攻撃に結びつくものを何でも検索し、保存された通信の全アーカイブを調べた。キーワードを一つか二つ選び、フィルターをかければ関連性のあるやり取りが見つかるだろう。「この時何が起こったかと言うと、NSAの諜報屋連中は、サリン使用という事件を出発点にして、それと関連があるかもしれないやり取りを探し出そうとした」と元高官は言った。「これでは信頼性の高いアセスメントにならない。バシャール・アサドが攻撃を命じたという信頼性の高い前提を基に作業に取り掛かり、その信念を裏付けるものを片端から探し始めるというのでない限りはね」。このつまみ食いは、イラク戦争を正当化するために使われたプロセスに似ている。

ホワイトハウスの主張への思わぬ反応

ホワイトハウスは、シリア政府が関与したとする主張を組み立てるのに、9日を要した。8月30日、ホワイトハウスはワシントンのジャーナリストの選ばれた一団を招き(少なくとも1人、しばしば批判的記事を書く、マクラッチー新聞社の国家安全保障担当記者ジョナサン・ランデイは招かれなかった)、諜報関係者によるアセスメントではなく、「政府アセスメント」と注意深く題された文書を配布した。この文書は、アサド政権に対するオバマ政権の主張を強く打ち出すため、基本的には政治的議論を展開していた。しかし、オバマのその後の9月10日の演説よりは詳しかった。

文書によれば、米諜報関係者は、攻撃の3日前にシリアが「化学弾の準備を」始めたことを知ったという。ジョン・ケリーは、後で同じ8月30日に行った攻撃的な演説の中で、さらに詳細を説明した。8月18日までに、シリアの「化学兵器要員がその地域で現場に入り、準備を行っていた」とケリーは述べた。「シリア政府要員が、ガスマスクの着用および化学兵器に関連する事前措置をとって攻撃準備をするようにと命じられたことを、われわれは知っている」。政府アセスメントとケリーのコメントは、オバマ政権が、サリン攻撃をリアルタイムで追っていたかのように思わせる。事態がこのように展開したという話は、事実とは違うにもかかわらず疑問を呈されることなく、当時広く報道されたのだった。

予期せぬ反応が、自由シリア軍幹部などから、警告が発せられなかったことへの不満という形で現れた。「犯罪が行われる前に、人びとに警告したり、アサド政権を制止しようとしたりしなかったのは信じがたい」と、サリン攻撃を受けた町のひとつに住む反体制派メンバー、ラザン・ザイトゥネフは、『フォーリン・ポリシー』誌に語った。『デイリー・メール』紙はさらに直截的だった。「諜報報告によれば、米官僚は、シリアでの神経ガス攻撃が400人以上の子どもも含め1400人以上を殺害する3日前に、攻撃のことを知っていたという」(攻撃によるとされる死者数には大きなばらつきがあり、オバマ政権が当初主張した少なくとも1429人から、はるかに少ない数まである。シリアの人権団体は502人の死者を報告している。国境なき医師団は355人としている。フランスの報告書は、わかっている死者数として281人を挙げている。米国が挙げた驚くほど細かい総数について、『ウォールストリート・ジャーナル』紙が後に報じたところによると、それは実際に死者を数えたものではなく、CIA分析官が行った外挿[未知の事柄を既知のデータから推定する手法]作業に基づくものであり、CIA分析官は、東グータからの100以上のユーチューブ・ビデオをコンピューターに取り込んで死者の映像を探したのだった。言い換えれば、米政府の数字は、推測以上のものとは言いがたい)。

5日後、国家情報長官室(ODNI)報道官は、シリア自由軍などからの不満にこう応えた。AP通信への声明によれば、オバマ政権の以前の発表を裏づけた情報は、攻撃の時点で知られていたものではなく、攻撃後に初めて掘り起こされたものだという。「はっきりさせておかねばならないが、米国は、このおぞましい攻撃が発生したとき、リアルタイムで見ていたのではない。諜報関係者は、事後に情報収集と分析を行い、実はアサド政権要員が化学兵器使用に先立って準備措置をとっていたと判断することができたのである」。しかし、米メディアには自分たちの筋書きがすでにあったため、この撤回はほとんど注目を惹かなかった。8月31日、『ワシントン・ポスト』紙は、政府アセスメントに基づいて、米諜報関係者がシリア軍の攻撃を「入念な準備から、ロケットの発射、そしてシリア官僚による行動後のアセスメントに至るまで」、リアルタイムで「段階ごとに」記録することができたのだと、第1面で鮮やかに報じていた。同紙はAP通信での訂正を掲載せず、ホワイトハウスは筋書きのコントロールを維持した。

したがって、アサドの化学兵器要員が前もって攻撃準備をしていたことをわが政権は知っていたのだとオバマが9月10日に言ったとき、オバマの発言が基づいていたのは、リアルタイムで把握された傍受通信ではなく、8月21日以後数日間に分析された通信だった。元諜報関係高官の説明によれば、関連性のあるやり取りの探索は、2012年12月に探知された演習までさかのぼったという。この演習では、オバマが後に国民に語ったとおり、シリア軍が化学兵器要員を動員してガスマスクを部隊に配布した。ホワイトハウスによる政府アセスメントとオバマの演説は、8月21日の攻撃に至る特定の出来事の描写ではなく、どのような化学兵器攻撃のためにもシリア軍がとったはずの一連の措置の説明にすぎない。「オバマたちは伏線を組み立てたのだ」と元高官は言った。「いろいろな断片や部分がたくさんある。彼らが使ったテンプレートは2012年12月にさかのぼるテンプレートだった」。もちろん、この説明が、直接の証拠からではなく、神経ガス攻撃を行う際のシリア軍のプロトコルの分析から得たものだったということにオバマが気づいていなかった可能性はある。どちらにしても、オバマの判断は性急だった。

米政権に追随するメディア

メディアも後に続いた。9月16日付でサリン使用を確認した国連報告書は、毒ガス攻撃から5日後に到着した国連調査員の現場へのアクセスが反政府勢力の管理下にあったと指摘するのを怠らなかった。報告書は「他の現場でも同様だが」と前置きし、「調査団が到着する前に、これらの場所には他の人々が頻繁に足を踏み入れていた…こういった地域にいる間、疑わしい軍需物資を運ぶ人々が現れており、そのことは、証拠となる可能性を持つものが移動されたり、場合によっては操作されたりしていることを示唆している」と注意を喚起している。ところが、『ニューヨーク・タイムズ』紙はこの報告書に飛びつき、米国や英国の高官と同じように、この報告書はオバマ政権の主張を支える重要な証拠を提供していると断言した。国連報告書の付表にはいくつか兵器の写真があり、それを再生したユーチューブ写真/動画もあるが、その中に、三三〇口径ロケット砲の特徴に「明確に合致する」ロケットも含まれていた[注3]。同紙は、ロケットの存在について、基本的にシリア政府がこの攻撃に責任があることを証明するものだとし、「なぜならば、問題になっている武器を反政府勢力が所有しているという記録や報告は、これまでなされたことがないからである」と書いた。

マサチューセッツ工科大学教授で技術・国家安全保障を専門とするセオドア・ポストルは、同僚グループと共に国連の写真を調べ、大きな口径ロケット砲はおそらく地元で作られた可能性が高い即席の武器であると結論付けた。「そこそこの能力を持つ機械工場なら作れる程度の代物だ」とポストルは私に言った。さらに、写真のロケット砲は、シリアの保有兵器として知られている、より小型だが類似のロケット砲の仕様に一致しないということも付け加えた。『ニューヨーク・タイムズ』紙はまた、やはり国連報告書のデータを基にして、サリンを搭載していたとみられていた使用済みのロケット砲2弾の飛行経路の分析も行い、その降下角は着弾地点から9キロ以上離れたシリア軍基地から発射されたことを「直接示唆するものである」という結論を出した。ペンタゴンで海軍作戦部長の科学顧問を務めていたポストルは、『ニューヨーク・タイムズ』紙その他の主張は「実際の観察に基づくものではない」と語った。特にこの飛行経路の分析は「完全に狂っている」とポストルはメールで書いており、それは即席ロケット砲の射程距離が2キロを超えることなど「考えにくい」ことは精密な調査で実証されているからだ[注4]。

ポストルと同僚の1人リチャード・M・ロイドは、8月21日から2週間後に、関与したロケット砲弾はそれまでに予測されていたよりもはるかに大量のサリンを搭載していたことを正確に算定した分析調査を発表していた。『ニューヨーク・タイムズ』紙はその分析について詳細に報道し、ポストルとロイドを「一流の武器専門家」と説明していた。その後2人が出した飛行経路と射程距離に関する調査は、同紙の以前の報道と矛盾するものとなるわけだが、先週当該新聞社にメールで送信された。今のところ報道されないままである[注5]。

シリア反政府勢力のサリン製造能力

ホワイトハウスが化学兵器攻撃について何をいつ知ったのかを偽装したことに匹敵する問題は、ホワイトハウスが自らの筋書きを覆しかねない諜報を無視することを厭わなかったことである。その情報とは、米国および国連がテロ組織であると指定しているイスラム主義反政府集団、アル=ヌスラに関する情報であった。アル=ヌスラは、シリア国内のキリスト教徒やスンニ派以外のその他イスラム教徒に対して数多くの自爆攻撃を行い、内戦における彼らの名目上の協力者、非宗教のシリア自由軍(FSA)を攻撃してきたことで知られていた。アル=ヌスラが公言している目標は、アサド政権を転覆させ、シャリア法を確立することである(9月25日に、アル=ヌスラは複数のイスラム主義反政府集団と一緒に、FSAおよびもうひとつの非宗教党派であるシリア国民連合を断固否定した)。

アル=ヌスラやサリンに対して米国の関心が急に高まったのは、3月および4月に小規模な化学兵器攻撃が発生したためだ。その当時、シリア政府と反政府勢力はお互いに相手に犯行責任をなすりつけていた。結局、国連は4件の化学兵器攻撃が行われたと結論付けたが、誰に責任があるのかは特定しなかった。4月末、シリア政府に攻撃の責任があるとする「信頼性に様々な度合いがある」評価を諜報関係者が下したと、あるホワイトハウス高官は報道陣に語った[注6]。アサドはオバマの「越えてはならない一線」を越えてしまったのである。この4月の評価はマスコミに取り上げられたが、記事にする際に、いくつかの重要な但し書きが抜け落ちた。ブリーフィングを行なった匿名の政府高官は、諜報関係者の評価は「それだけでは十分ではない」ということを認めていた。彼はこう述べた。「我々は、これらの諜報評価にとどまらず、さらなる調査を行って事実を収集し、信頼性のある、検証済みの一連の情報を確立して、それによって意思決定に資することができるようにしたい」。つまり、ホワイトハウスは、シリア軍やシリア政府の関わりを直接示す証拠を持っていなかったのだが、この事実はたまにしか報道で言及されなかった。オバマの強硬なトーンは、アサドを冷酷な殺人鬼と見做す一般大衆および議会で受けが良かった。

2カ月後、ホワイトハウスは声明を出してシリアの過失責任の評価における変更を発表し、サリン攻撃で150人に上る死者が出たのはアサド政権の責任であるということに、諜報関係者は現在「高い確信」を持っていると断言した[注7]。これもメディアで取り上げられた。声明が依拠した新情報への対応として、オバマがシリアの反対派勢力に対する非致死的[注8]支援の拡大を命じたということが報道機関に伝えられた。しかし、またもや重大な但し書きがいくつか存在した。この新しい情報には、シリア高官が攻撃を計画し実行したという報告が含まれていた。具体的情報は何も提供されておらず、またこの報告を提供した人物たちについても特定されていなかった。このホワイトハウス声明は、検査機関での分析によってサリン使用が確認されたと述べる一方、神経ガスの陽性所見は「どのように、あるいはどこで人々がガスに晒されたのか、誰がその散布を行なったのかについて、何かを示すものではない」とも述べている。ホワイトハウスは、さらに次のように宣言した。「我々は、シリアの反対派勢力が化学兵器を取得したり使用したことを示す、信頼できる裏づけがある報告を手に入れていない」。この声明は、当時米国の諜報機関に流れていた証拠と矛盾していた。

上級諜報コンサルタントが私に語ったところによると、すでに5月末までに、CIAはアル=ヌスラおよびそのサリン関連の取り組みについてオバマ政権に説明しており、シリアで活発な活動をしているもうひとつのスンニ派原理主義集団「イラクのアル=カーイダ(AQI)」もまたサリンを作るための科学を理解しているという憂慮すべき報告を送った。その当時、アル=ヌスラは東グータを含むダマスカス近郊地域で活動していた。夏の盛りの頃に発行された諜報文書は、元イラク軍の化学兵器専門家で、シリア内に移動し東グータで活動しているとされるジヤード・タリーク・アフメッドに詳しく言及していた。そのコンサルタントが私に語ったところによれば、タリークは「アル=ヌスラの人間で、イラクでマスタードガスを製造していた前歴があり、サリンの製造や使用に関与している人物」であると特定されていたという。米国軍は彼をひときわ重要な標的と考えている。

6月20日に、アル=ヌスラの神経ガス能力についてつかんだことをまとめた4ページの極秘公電が国防情報局(DIA)副長官ディビッド・R・シェッドに送られてきた。「シェッドが説明を受けた内容は詳細かつ包括的だった」とそのコンサルタントは言った。「それは単に『我々はこう考える』といったような内容の寄せ集めではなかった」。彼が私に語ったところによると、この公電は3月と4月の攻撃が反政府勢力かシリア軍のどちらによって始められたかに関する評価はしていないが、アル=ヌスラがサリンを取得し使用する能力を持っていたという前回の報告を裏付けていた。使用されたサリンのサンプルも、イスラエルのエージェントの協力によって回収されたのだが、しかし、コンサルタントによると、このサンプルに関するそれ以上の報告は公電通信に表われることはなかった。

これらの評価とは別に、統合参謀本部は、シリア政府が保有している化学兵器物質を押収するために米軍がシリア入りの命令を受けるかもしれないという仮定のもとに、潜在的脅威についてオールソース分析[あらゆる情報源から収集した情報の分析]を指示した。「作戦命令は、軍事活動が命じられた場合、その実行の基盤となります」と、元上級諜報官僚は説明した。「これには、反政府勢力が化学兵器を手に入れることを防ぐために米兵をシリアの化学兵器施設に送り込まなければならなくなる可能性が含まれている。ジハード派の反政府勢力がその現場を制圧しようとした場合には、アサドは我々に戦いを挑まないだろうという前提があり、それは我々が化学物質を反政府勢力から守ろうとしているからだ。すべての作戦命令には、諜報脅威というセクションがある。我々には、問題に取り組んでいる中央情報局、DIA、武器専門家、I&W(兆候および警告)部門の専門アナリストたちがいた……。これらの人々は、反政府勢力にはサリンの製造能力があり、この致死的ガスを使って米軍を攻撃することができるという結論を出した。この綿密な調査は、通信傍受による情報収集活動および人的諜報活動の他に、反政府勢力が表明している意図や技術的な能力に基づいたものだ」

地上侵攻への懸念

夏の間、統合参謀本部の中に、シリアへの地上侵攻の見通しについてだけでなく、反政府派に「非致死的」支援を与えたいと公言するオバマの意向についても苦慮する人々がいた形跡がある。7月に、統合参謀議長マーティン・デンプシー大将は、上院軍事委員会の公開証言で、シリアで広範囲に点在している化学戦争用の兵器や「何百という航空機、船舶、潜水艦、その他の戦力機能」を接収するためには、「何千、何万人にもおよぶ特殊作戦部隊やその他の地上部隊」が必要であると発言した。ペンタゴンが予測する軍隊の数は7万人とされており、その理由の一つは米軍がシリアの保有ロケットを守る必要があるからだ。サリンを作る膨大な量の化学物質を手に入れても撃ち込む手段がなければ、反政府勢力にとってたいした意味がないのだから。カール・レビン上院議員に宛てた手紙で、デンプシーはシリア軍の武器を奪取するという決断が思わぬ結果を招く可能性があると警告した。「しかしながら我々が過去10年の経験から学んだことは、機能する国家を温存するためには何が必要かを慎重に考慮せずして、単に軍事的な力の均衡を変えるだけでは十分ではないということだ。…政権担当能力のある反対派勢力を欠いたまま政権の組織が破綻してしまったとしたら、我々は意図に反して過激派に力を与えたり、我々が管理下に置こうとしている化学兵器そのものを解き放つようなことになりかねない」

CIAは当記事に対するコメントを拒んだ。DIAおよびODNIのスポークスマンは、シェッドDIA副長官に提出された報告書については知らないと言い、その文書の固有の公電識別記号を伝えると、それを見つけることはできなかったと言った。国家情報長官室の報道官ショーン・ターナーは、「アル=ヌスラ戦線がサリン製造能力の開発に成功していると評価を下している」米国諜報機関は国防情報局を含めひとつもないと言った。

政権の広報担当高官と比べると、シェッドの方はアル=ヌスラの軍事的な潜在力について公の発言で懸念を表明している。2013年7月末、シェッドはコロラドのアスペン・セキュリティ・フォーラム年次会議で、アル=ヌスラの力について警告を発する説明を行なった。シェッドのプレゼンテーションの録音によると、彼はこう語っている。「私が数えたところでは、反政府勢力には少なくとも1200の個別グループがいる。」「そして反政府勢力の中でも、アル=ヌスラ前線は、…最も効果的であり、力を増している」。これは「我々にとって深刻な問題です。このままほうっておくと、最も過激な分子–シェッドは「イラクのアル=カーイダ」にも言及した–が権力を奪うのではないかと大変心配しています」と彼は言った。そしてさらにこう続けた。「内戦は、時間が経てばますます悪化するばかりです。…底知れぬ暴力がこれからまだ起こります」。シェッドはこの講演では化学兵器に言及しなかったが、彼はそうすることを禁じられていたのである。DIAが受け取った報告書は極秘情報だった。

夏の間シリアから届いた一連の秘密文書には、FSAのメンバーが自分たちの部隊がアル=ヌスラやアル=カーイダ武装集団に何度も攻撃を受けていることについて、米国の諜報工作員に苦情を訴えていたことが報告されていた。その報告書を読んだ上級諜報コンサルタントによると、この報告書はFSAが「アサドよりもこういった常軌を逸した連中のことを心配している」証拠だという。FSAは主にシリア軍から離反した人々から成り立っている。アサド政権を終焉させる決意で反政府勢力に対する支援を続けているオバマ政権は、この攻撃以降、公式の声明においてサラフィー主義者やワッハーブ派の各派閥の影響力を過小評価しようとしている。9月初旬、ジョン・ケリーは突然アル=ヌスラやその他のイスラム主義グループはシリアの反政府勢力の中では少数派であると主張して議会の公聴会を驚かせた。ケリーは後にその主張を取り下げた。

血染めのシャツを振り回す

8月21日以降、米政権は公式および内輪のブリーフィングでも、アル=ヌスラがサリンを入手できる可能性について伝える情報を無視し、アサド政権だけが化学兵器を所有しているとする主張を続けた。攻撃後数日間、オバマが議会で、シリアの軍事基地に対して計画していたミサイル攻撃への支持を求めていたとき、議員が受けた様々な秘密のブリーフィングで伝えられたのもこのメッセージだった。軍事問題について20年以上の経験を持つある議員は、こういった説明会のひとつに参加して「アサド政権のみがサリンを持っており、反政府勢力は持っていない」と確信したと私に語った。同じように、8月21日にサリンが使用されたことを認めた国連報告書が9月16日に公開された後、米国の国連大使サマンサ・パワーは記者会見でこのように語った。「[アサド]政権のみがサリンを所有しているという点に注意することが非常に重要であり、我々は反政府勢力がサリンを保有しているという証拠を持っていません」

アル=ヌスラに関する極秘の報告書が米国国連代表部に提供されたのかどうかは知られていないが、パワーのコメントは政権全体に急速に広がっていた考え方を反映するものであった。「化学兵器攻撃発生直後の最初の反応は、アサドがやったんだということだった」と元上級諜報官僚は私に言った。「CIAの新しい長官[ジョン・]ブレナンはその結論に飛びつき…ホワイトハウスまで駆けつけて言った。『これを見てください!』。すべて言葉だけだった。彼らはいわば血染めのシャツを振り回しただけだったのだ。反政府勢力への支援に対する合意を促すべく、オバマに対する多大な政治的圧力があったし、さらに、これ[アサドをサリン攻撃に結びつけること]によってオバマを追い込めるのではないかとする甘い考えが存在した。『これはシリア叛乱のツィンメルマン電報[注9]であり、これでオバマは動ける』。政権内のサマンサ・パワー派による希望的観測だ。残念ながら、オバマが攻撃しようとしているとの警告を受けた何人かの統合参謀本部のメンバーは、それが良いという確信をもてなかった」

提案されたシリアに対する米国のミサイル攻撃は、一般市民の支持をまったく獲得することができず、オバマは素早くシリアの化学戦争複合体の解体を求める国連とロシアの提案に乗り換えた。米政権がロシアと一緒に化学兵器の処分をアサド政府に要求する国連決議草案を承認した9月26日、軍事行動の可能性はすべて決定的に回避された。多くの軍事高官はオバマの撤退に安堵した。(ある上級特殊作戦アドバイザーは私に次のように語った。ホワイトハウスが当初構想していたようなシリア軍飛行場やミサイル砲床に対する米国ミサイル攻撃は、発想が劣悪であり、「アル=ヌスラに対し近接航空支援を提供するようなものになったであろう」)。

政権が行ったサリン攻撃をめぐる事実歪曲は、避けることのできない疑問を突きつける。「越えてはならない一線」を越えたシリアに対する爆撃の脅しから一転して引き下がったオバマだったが、我々はその一部始終を知らされているのだろうか?オバマは完璧な証拠があると主張していたが、突然この問題を議会に持ち込み、その後アサドによる化学兵器放棄の申し入れを受け入れた。ある時期にオバマは矛盾した情報を突きつけられた可能性があるように見える。オバマに攻撃計画を撤回させ、必ずや出るであろう共和党からの批判を甘んじて受け入れさせるだけの強力な証拠というわけだ。

国連の決議は、9月27日に安保理事会で可決され、アル=ヌスラのような反政府勢力も武装解除する義務があるとする考えが間接的に盛り込まれている。「シリア内のいかなる当事者も[化学]兵器を使用、開発、製造、取得、備蓄、保存、あるいは移譲してはならない」。国連の決議は、さらになんらかの「非国家的行為者」が化学兵器を取得した場合には、安保理事会に即時に通知することを求めている。名指しされた集団はなかった。シリア政権が化学兵器の撤廃過程を継続している一方、アサドの先駆物質の備蓄が破壊された暁には、皮肉なことに、この戦場で比類なき戦略的武器であるサリンを生産できる原料を入手する能力があるのは、シリア国内ではアル=ヌスラおよび同盟するイスラム主義集団側だけとなる可能性がある。まだ交渉には先があるかもしれない。

訳注 [注1]「ジハード」という言葉は、欧米非アラブ文化圏では主に暴力的手段でイスラム勢力を守る行動(自爆も辞さないなど)を表現する言葉として使われているが、宗教的には禁欲や苦行(心の穢れと戦うなど)を意味する言葉でもある。

[注2]サリン攻撃を受けた地区の数は確定していない。8月30日公表の「政府アセスメント」に付加された地図で、サリン攻撃を受けたとされる地区は12とされていたが、この地図の但し書きで、サリン被害の報告が実際のサリン攻撃以外の別の要因による場合がありうると述べられており、サリン攻撃を受けた地区の数が12を下回る可能性も排除されていない。

国連の調査団は、東部のザマルカ、アイン=タルマ両地区および南部のモアダミア地区で現地調査を行ったが、このうち東部の両地区では全サンプルでサリンまたはその残留物が確認されたのに対して、南部モアダミア地区では、分析を行った二つの研究所ともサリン残留物を検出したのは一三サンプル中一サンプルにとどまった。その他のサンプルでは、研究所による検出結果の食い違いが複数発生し、中間報告で検出としていた研究所が最終報告ではいくつかのサンプルで不検出と修正した結果、最終的には一〇サンプルで両研究所ともサリン残留物を検出していない。したがって国連調査では、東部二地区でのサリン攻撃は確認されたが、南部モアダミア地区でサリン攻撃が確認されたと結論づけることはできない。こうしたことを踏まえてサリン攻撃の規模についてもあらためて検証が必要と思われる。

国連中間報告(Appendix 6)
http://s3.documentcloud.org/documents/787427/u-n-syria-chemical-report.pdf
国連最終報告(p.43 Appendix 5)
https://unoda-web.s3.amazonaws.com/wp-content/uploads/2013/12/report.pdf

[注3] [注2]の国連中間報告参照

[注4] 2キロという射程距離は、12月に国連の最終報告が出たときの記者会見で、調査団のセルストローム団長も「妥当な推測ではないか」と2度繰り返した。なお、この飛行経路分析に用いられたロケットのうち一つは南部モアダミア地区で発見されたものだが、国連調査では同地区でのサリン攻撃が確認されたとは結論できない([注2]参照)

[注5] 12月28日に『ニューヨーク・タイムズ』紙に記事(New Study Refines View of Sarin Attack in Syria )が掲載された。

[注6] 4月25日付電話会見記録
http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2013/04/25/background-conference-call-white-house-official-syria

[注7] 6月13日付ホワイトハウス声明
http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2013/06/13/statement-deputy-national-security-advisor-strategic-communications-ben-

[注8] 合衆国法典第10編(2557条)で、殺傷力を持つ兵器・弾薬など以外の支援を指すとされている。非致死的支援の例として、通信設備や医薬品の提供、諜報支援、インフラ整備などが挙げられるが、こうした支援が致死的になる可能性も指摘されている(“What exactly is non-lethal aid? “, Foreign Policy)。

[注9] 1917年に傍受され、米国による対ドイツ開戦宣言のきっかけとなった電報。

【訳者解説】

黙殺された本質的指摘

当記事「サリンは誰のものか」がLondon Review of Books のサイトに掲載された翌日、2013年12月9日に放送された「デモクラシーナウ!」のインタビューで、シーモア・ハーシュはオバマ政権に対する深い憤りを隠さなかった。

「憲法への忠誠を誓ったはずのオバマ政権は、米国憲法をないがしろにして違法な戦争を正当化しようとした」

ハーシュは、ベトナム戦争におけるソンミ村の虐殺やイラク戦争で起きたアブグレイブ収容所での虐待を暴くスクープ記事の数々で名を馳せた調査報道記者だ。ピュリッツアー賞も受賞している。しかし、これまでに何度もハーシュの記事を掲載してきた『ニューヨーカー』誌も『ワシントン・ポスト』紙も、この記事の掲載を断った。London Review of Booksに記事が掲載された後も、ハーシュの指摘は主流メディアからは黙殺されたままである。

シリア紛争をめぐり、これまで米国による戦争に反対してきた勢力の中でさえも「アサドが悪いのだから爆撃やむなし」の論調が容認され、一方信憑性の乏しい「証拠」や「証言」に依拠してサリン攻撃の実行者を特定する論陣が張られるなど、言論界は深い混乱を続けている。米政府による戦争正当化そのものを検証したハーシュの指摘を支持する世論は広がらず、逆に「アサド政権の蛮行を擁護するのか」「反政府側は化学兵器攻撃を実行できない」などと、ハーシュが記事で書いていないことを批判して、論点を意図的に擦りかえ、ハーシュの指摘そのものの信頼性を損ねようとする言論がまかり通った。

本稿は、あくまでも米政府の意思決定プロセスと説明責任を検証し、主流メディアの安易な政府追随を批判するものである。イラク戦争における戦争犯罪責任の追及が及ばないまま、またもや嘘とごまかしで対シリア戦争を正当化しようとしていた米国の政権が、アサド大統領を非難し、今にもミサイルを撃ち込もうとしていた時点で、どんな証拠をもっていたのか、もっていなかったのか。オバマ政権は、知っていた事実を誠実に米国民と世界の市民に説明したのか、しなかったのか。

そしてメディアはそれをどう報道したのか。シリア国内勢力の複雑な分断葛藤の構図と絡み合う世界的な地政学のダイナミズムを包括的に取材した報道は、ほとんど浮上しなかった。シリア国内に台頭した市民による民主運動の高まりが複数の過激な派閥に乗っ取られ、声を失っていった過程をリアルタイムで取材した報道機関は、「デモクラシーナウ!」の他に見当たらない。

日本政府は、米政府によるシリア攻撃には国連決議の採択を求め全面支持はしなかったものの、アサド政権に対する非難では米政府と足並みをそろえた。戦争は必ず嘘とごまかしで正当化され、メディアはそれに加担する。日中戦争、ベトナム戦争、イラク戦争がそうだったように、シリア爆撃も例外ではなかったことを本稿は明らかにした。安倍政権が「戦争する国家体制」をじわじわと構築している今、二度と騙されないためには、日本の私たちはこのことを肝に銘じ、危機感を持って世界政治の文脈を知り、独自の理解を深める努力が必要なのではないだろうか。