TUP BULLETIN

TUP209号 帝国現地レポート(23) 03年11月9日

投稿日 2003年11月9日

DATE: 2003年11月9日(日) 午後0時41分

パンタ笛吹の帝国現地レポート(23) 

日本ではもうすぐ選挙ですね。イラクに自衛隊を派遣しようとしている小泉 政権以外だったら、どこの党でもいいから、とにかく投票に行こう、と運動し ている友人がいます。

先日、デンバーでの平和デモに参加したとき、地元の新聞記者にインタビュ ーされました。

(Q)「日本人から見て、ブッシュ政権をどう思いますか?」 (A)「ぼくはABBAの日本人メンバーなんです」 (Q)「ABBAって、あのポップグループの?」 (A)「いや、ABBA、つまり、Anybody But Bush Assosiation (ブッシュ以外なら誰でも協会)です」

・・・と答えました。

(パンタ笛吹/TUP)


★「死体袋」と呼ぶべからず

米国防総省は、イラクでの米兵死者数を、なるべく少なくイメージづけるた めに、「5月1日以降」の「敵による明らかな攻撃による死亡」しか発表して いない。  ここにきて、米メディアは、イラク戦争でのすべての米兵死者数も掲載する ようになった。ニューヨーク・タイムス紙やワシントン・ポスト紙も、月曜ま での米兵死者数を379人と発表している。  ポスト紙はまた、米兵負傷者は、10月末までに、2155人にのぼってい ると報道、いままで過小に報じられた死傷者数を、実際の数字に改めた。

国防総省は、イラク戦争の犠牲者をできるだけ目立たせないようにするため に、さまざまな対策をこうじている。メディアは、米軍基地に到着する死体を 撮影することが禁じられたし、ベトナム戦争のころは、死体を収納する袋を、 「ボディー・バッグ」(死体袋)と呼んでいたのに、いまでは、「移送チュー ブ」と呼ばせている。

http://www.csmonitor.com/2003/1106/dailyUpdate.html

★イラクにもどるより、脱走した方がましだ

イラクから臨時休暇でアメリカに帰った米兵たちの中で、部隊に戻らない兵士 が少なからずいる。あるフロリダ州兵は、テレビのインタビューにこう答えた。 「わたしはイラクになんか、絶対に戻りたくはありません。イラクに駐屯してい る兵士のほとんどは、あんなところにいたくないんです」 ・・・結局、この州兵は、イラクに帰還する飛行機には、姿を表さなかった。 たぶん彼は脱走したのだろう。

米陸軍広報官の話によると、去年は3800人の兵士が脱走したが、そのうち 3255人は軍務に復帰したという。脱走兵には逮捕状が交付され、全米に指名 手配される。戦争時の脱走兵に科せられる最高刑は、「死刑」だ。

http://www.nuvo.net/archive/2003/11/05/a_new_underground_railroad.html

★ジェシカ元上等兵、ウソ報道を批判

アメリカは来週、イラク戦争の英雄ジェシカの話題でもちきりになるだろう。 ジェシカ元上等兵救出劇をドラマ化したテレビ映画がNBCで放送されるし、 彼女の伝記「わたしも兵士」が発売される。また、雑誌「タイム」の表紙も、 ジェシカの顔写真で飾られることになっている。

それらのイベントに先立ち、ジェシカは帰国以来始めて、ABCテレビのイン タビューに答えた。 「救出作戦における陸軍の報道の仕方を、わずらわしいと思いましたか?」 「ええ、もちろんです。戦場での勇敢な兵士のシンボルとして、陸軍はわたしを 利用したんです。それは間違っています。わたしはいつのまにかヒロインに祭り 上げられて、傷ついています。メディアがわたしを大げさにほめちぎったので、 わたしは恥ずかしくてなりません。  わたしを救出するときだって、なぜ陸軍はわざわざそれを撮影したのか、わた しには理解できません」

http://www.nytimes.com/2003/11/07/national/07LYNC.html?ex=1069186468&ei=1&en=1555f6066fdd84cb

★ジェシカ元上等兵のレイプもまた、でっちあげ?

ジェシカ・リンチ元上等兵の伝記、「わたしも兵士」の中で、「ジェシカの体 についた傷跡を検査した米軍医の医療記録からすると、彼女は肛門レイプされた ことを示している」と書かれている。

ナッシリアの病院でジェシカを治療した主治医、ドクター・カファージは、 「ジェシカの大腿骨骨折の手術をする前に、体全体を綿密に検査しました。でも 性的な暴行を受けた痕はまったく見られませんでした。彼女の体内にも、精液の 痕跡は残っていません」と語り、レイプに関する言及を否定した。

ドクターはまた、イラク人によるレイプなどでっちあげで、ありえないと、 こう語った。 「彼女は朝の7時に事故にあって負傷したんです。どんなにどう猛な動物でも、 身体中に傷を負った女性に暴力はふるいません」

さらに、病院に運ばれてきたジェシカを、最初に治療したドクター・ジャマー ルは、「彼女はひん死の状態で運ばれてきたんです。彼女の軍服は破れてはいな かったし、ボタンもきちんとついたままでした。また、ズボンのジッパーも、と じたままで、レイプされたような痕跡はありませんでした」と証言した。

http://www.ajc.com/news/content/news/1103/07rapedenied.html

★教科書は、アメリカの思い通りに

サダム礼賛一色だった歴史教科書の替わりに、新しい教科書が刷り上がり、 550万人のイラクの子供たちに配られる。  新教科書は、米駐留軍の影響のもと、イラク文部省で編纂された。 新教科書には、第一次湾岸戦争やイラン・イラク戦争はおろか、イスラエルやア メリカについての記述も、すべて削り取られている。20世紀の歴史が、すべて 削除されているのである。

バグダッド大学教育学部に学ぶ女子学生アル・バブルは、歴史教育についてこ う語った。 「わたしは、自分が見たとおりのことを生徒に教えたいと思っています。アメリ カ人こそがテロリストなんです。それが、私が知っている本当のことです。イラ クの生徒たちに、ぜがひでも、このことを教えます」  彼女の周りにいた学生たちも、みんな合意してうなずいた。

http://www.csmonitor.com/2003/1104/p11s01-legn.html

★レジスタンス(抵抗運動)と書いてはいけない

ロサンジェルス・タイムス紙は、自社の記者たちに、イラクでの反アメリカ対 抗勢力を「レジスタンス戦士」と書いてはいけないと通達した。  その理由は、イラク人ゲリラを「レジスタンス戦士」と呼ぶと、第二次世界大 戦のナチスへのレジスタンス運動を想起させ、ロマンチックな英雄主義と勘違い する読者が出てくるからだという。

一方、ワシントン・ポスト紙のホフマン記者は、「うちの記事では、反米抵抗 勢力をレジスタンス戦士と書いていますが、上司からの苦情はまだありません。 だいいち、彼らは実際に米占領軍に抵抗しているのですから、レジスタンスには 違いないわけです」と語った。

http://www.smh.com.au/articles/2003/11/06/1068013331454.html

★病院に見舞いに来たのは誰?

先日、政治専門のケーブルテレビ「C・スパン」に、ある視聴者から電話が入 った。 「わたしはワシントンの陸軍病院で丸一日過ごしたのですが、イラクで負傷した 兵士たちがいっぱいいてビックリしました。  最初に出くわしたのが、19歳くらいの少年兵で両腕をなくしていました。 その病院にいるほとんどすべての兵士たちが、腕か足か、その両方を切断されて 苦しんでいました」

「陸軍病院で、あなたは何をしていたんですか? ボランティアですか?」

「いいえ、わたしはただここに来るように勧められて、一日をこの病院で過ごし たんです。ちょうどワシントンで仕事があったものですから・・・」

「で、あなたの仕事は何なんですか?」

「え、わたしの仕事ですか、エンターテイナーです」

「どんなエンターテイナーなんですか? 米軍慰問協会のですか?」

「いいえ、実は、米軍慰問協会に勧められて病院に行ったのですが・・・」

「ひょっとして、あなたはシェールじゃあないんですか?」 「・・・はい」

・・・彼女は、あの「ソニーとシェール」で有名な歌手・女優のシェールだった のだ。シェールは続けてこう言った。

「陸軍病院に、なぜ、ブッシュ大統領やチェイニーやブレマーが見舞いに来ない んですか? これらの負傷兵たちが、人目につかないように、なぜ隠されている のか、わたしには理解できません。 彼らをこれ以上、米国民の目から隠さない でください」

http://www.nypress.com/16/45/news%26columns/signorile.cfm

★税金ドロボー!

米軍経費は米国民の税金でまかなわれているが、国防総省職員や米軍兵士が、 エコノミークラスの飛行機に乗る規則を破って、ファーストやビジネスクラスに 乗って移動していることが問題になっている。

調査によると、44000人の兵士や職員が、68000枚のファーストクラ スやビジネスクラスのチケットを、米政府のクレジットカードで購入していたこ とが判明した。その被害総額は、この二年間で、1億2千万ドルにもおよんでい る。

共和党のグラスリー議員は、「国防総省の官僚たちは、飛行機の中でカクテル を飲みながらふんぞりかえるために、血税を無駄づかいしている」と糾弾した。

http://www.theneworleanschannel.com/news/2619308/detail.html

★アメリカはサダムに、クウェート侵攻を許可した

1990年7月25日、イラクによるクウェート侵攻の8日前、米イラク大使 グラスピー女史はサダムに、クウェート侵攻を許可すると受けとれる発言をして いた。

(大使)フセイン大統領、わたしはあなたの国家再建の努力に賛嘆しています。 あなたには、もっと多くの建設資金が必要なのは分かっています。 でもなぜ、 クウェート 国境に大量の兵を配備したのですか?

(サダム)大使がご承知のように、わたしはクウェートとの国境問題について、 合意を得るためにあらゆる努力を重ねてきました。もし数日中にクウェートが譲 歩しなかったら、クウェートはもともとイラクの領土だったので、もとの状態に 戻すのが自然な成り行きだと思っています。それについて、米国のご意見をお聞 かせください。

(大使)われわれ米国は、クウェートとの国境問題のような、あなたがたアラブ 人同士のいざこざに口を出すつもりはありません。べーカー国務長官はわたしに 「クウェートとの国境問題はアメリカとは関係ない」と強調するように命じまし た。  (ここでサダムは、にやりと笑った)

そして8日後の8月2日、イラク軍はクウェートに攻め入り、全土を占領した。

これらの会話テープを聞いた英国人ジャーナリストは、グラスピー大使にこう 詰め寄った。

(記者)「サダムはクウェートを侵略しようとしていたのに、あなたは侵略をや めるようにとは、何も警告しなかった。その反対に、あなたは『アメリカはクウ ェート問題とは無関係だ』と言って、サダムの侵攻を励ましたようなもんです。 いったい、何を考えていたんですか?」

(大使)「まさかイラクがクウェート全土を占領するとは、わたしは思ってもい なかったんです」

(記者)「では、サダムがクウェートの一部だけを占領するとでも思っていたの ですか? クウェートは、歴史的にはイラク国家の一地方だと、サダムは明言し ていたじゃあないですか?」 ・・・グラスピー大使はこの質問には答えず、大急ぎでリムジンに乗って去って いった。

(翻訳・パンタ笛吹/TUPチーム)