TUP BULLETIN

TUP速報991号 反逆者の集い――スノウデンに会いに行く(1)

投稿日 2015年11月23日
反逆者の集い

「スパナを放り込んで戦争マシンを止めることができる人は限られている。素手よりもわずかに多くを持つなら、君には特別な役割があるはずだ」

反戦の歴史家、故ハワード・ジンは常々「小さな反逆」を人々に説いていた。そして反逆する多くの人々とつながる喜びについても頻繁に語った。そんな時、ジンはいつもいたずらっ子のような笑い顔だった。

素手よりもわずかに多くを持つ反逆者、ダニエル・エルズバーグ、ジュリアン・アサンジ、エドワード・スノウデン。そして無名の内部告発者たちがジンの系譜を踏み、今、新しい歴史を綴っている。

彼ら内部告発者の支援団体「報道の自由基金(https://freedom.press)」の理事の一人であるジョン・キューザックは、ロシアに亡命しているスノウデンをエルズバーグと共に訪れるというアイデアを思いついた時、ふと、もう一人の反逆者を誘うことにした。子供のような好奇心で本質に切り込むアルンダティ・ロイだ。

エルズバーグ、キューザック、ロイ、スノウデン、アサンジ。笑いと涙が交錯するこの反逆者の集いの記録を読みながら、ジンのあの嬉しそうな顔が脳裏をかすめた。

キューザックによる記録を4回のシリーズで配信します。

(前書き:宮前ゆかり、翻訳:荒井雅子/TUP) (*は訳者による補足)

エドワード・スノウデンに会いに行く―1
言えることと言えないこと
ジョン・キューザックがアルンダティ・ロイと対話する
ジョン・キューザック
2015年11月16日

すべての国民国家は帝国的なものへと傾斜する――これがもっとも重要な点だ。媒体となるのは、銀行、軍、秘密警察、プロパガンダ、裁判所と刑務所、協定、税制、法と秩序、市民的服従の神話、最上層部が市民的美徳を備えているという思い込み。それでも、左派について言っておかねばならないが、私たちはもっとましなことを期待している。そしてそれは正しい。私たちがいっそうの信頼を寄せるのは、何らかの共感を示す人びとに対して、そして戦争を不可避にし、人間の欲望をあまねく行き渡らせ、企業の利己主義を助長し、欲と無秩序に付け込み、地球を浪費する、忌わしい社会のありようを非難する人びとに対してだ。

ダニエル・ベリガン 詩人・イエズス会神父(*)
* ベトナム戦争反対で知られる。1968年1月、反戦歴史家ハワード・ジンとともにハノイを訪問し、捕虜となっていた3人の米兵の身柄を引き取った。同じ年、メリーランド州ケイトンズヴィルで徴兵書類を焼き、禁固3年の判決を受けるが、ジンの助力で何カ月もFBIの手を逃れる。著書邦訳に『ケイトンズヴィルの九人』(有吉佐和子訳、新潮社、一九七二年)。その後、「剣を鍬に」運動を起こし、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争など米国の戦争に反対し続ける。

***

ある朝、中東の惨状やウクライナから手を引きかけている米ロというようなニュースに目を通しながら、僕はエドワード・スノウデンのことを考え、モスクワでどうしているだろうかと考えた。スノウデンとダニエル・エルズバーグ(ベトナム戦争中に米国防総省機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を公開した人物)との対話を想像してみた。すると不思議なことに、想像の中で、三人目の人物が部屋に入ってきた――作家のアルンダティ・ロイだ。この三人が顔を合わせるようにしてみたら面白いんじゃないかという考えが浮かんだ。

ロイの講演をシカゴで聞いたことがあり、何回か会っていた。ロイとはすぐ意気投合できるし、先入観や固定観念がないということもすぐにわかる。ロイと話していると、監視や内部告発をめぐる議論の大部分で見失われているもの、語られないものが、欧米以外からの視点と文脈だということがよくわかった。こういう議論は、企業の影響範囲の膨張とか米国市民のプライバシーの権利とかに焦点が移ってしまいつつある。

哲学者・神智学者ルドルフ・シュタイナーは言っている。大きな文脈から取り出され、孤立した認識や真理はいかなるものであれ、真ではなくなる、と。

「何らかのある個別の思考内容が意識に現われると、この思考内容を私の他の思考内容に調和させるまで私は休まない。そのような隔離された特殊概念というものがあって、私のもっている精神界の他の部分から閉ざされて在るとすれば、それは私にとって全く耐え難いものである。……全ての思考に内的に確立された調和が存在し、……思考世界全体が内的な調和体の性格を持っている……ので、……そうして今私たちは真理を手にしていると感じる。個々の部分はお互いに関連をもち、……そのように隔絶されたものは、私たちにとって不自然であり、真理に反するものである」(*)。言い換えれば、他の思考と関連付けられていない孤立した思考はすべて、真理とみなすことはできず(一種のニッチ的真理としてしかみなせず)、それは戦略的にまずいというだけではなく、どこか根本的に真ではないということだ。僕にとって、アルンダティ・ロイの著作と思考は、こういう思考の統合を追求しているものに思える。そしてシュタイナーと同じようにロイにとっても、理性は心から来る。

* ルドルフ・シュタイナー『ゲーテ的世界観の認識論要綱』(浅田豊訳、筑摩書房、一九九一年)「10 思考の内的本性」より

エルズバーグとスノウデンは、「報道の自由基金」で一緒に活動したので、知っている。そしてロイが二人を賞賛していることも知っている。ただロイは、『Wired』誌の表紙に載った、スノウデンが米国旗を抱きしめている写真に違和感をもったらしい。その一方で、スノウデンがインタビューで言ったことには強い感銘を受けたようだ――特に、スノウデンがああいうことをするに至った要因の一つとして、米国家安全保障局(NSA)が米国内のパレスチナ人のリアルタイム・データをイスラエル政府と共有していたことを挙げた話に。

エルズバーグとスノウデンがしたことはとてつもなく勇気ある行為だったとロイは考えていたが、僕の見る限り、ロイ自身の戦略はジュリアン・アサンジの戦略と、より共鳴していた。「スノウデンは思慮深い、勇気ある、リベラル改革の聖者」と、ロイは僕に言ったことがある。「そして、ジュリアン・アサンジは、16歳のときからこの荒野をうろついている生粋の野生の預言者」

僕はロイと自分の対話の多くを録音していた。理由はただ、ほんとうに中身が濃くて、何回も聞き返さないと、お互いに何を言っていたのか理解できない気がするからだ。録音していることにロイが気づいているようには見えなかった、というか、気づいていたとしても気にしているようには見えなかった。書き起こしの一部を使っていいかと訊くと、ロイは言った。「いいけど、ばかなこと言っているところはちゃんと削除して。少なくとも私のは」

では、テープを回そう。

AR:私が言いたいことはこれだけ。米国以外の人びとにとって米国旗がどんな意味をもつか。アフガニスタン、イラク、イラン、パレスチナ、パキスタン、そして米国の新たな同盟国になるべくしてなったインドでさえも、どんな意味をもつか。

JC:スノウデンの置かれている状況では、自分のイメージとかメッセージ発信をどうコントロールするか、間違いをおかせる余地はほんとに限られている。彼は途方もないことをやってのけた。でもあなたはあの一枚の肖像写真が気になるんだね。

AR:米先住民の虐殺を忘れなさい。奴隷制を忘れなさい。ヒロシマを忘れなさい。カンボジアを忘れなさい。ベトナムを忘れなさい。ね……。

JC:なんで忘れなきゃならないの?

(笑)

AR:私の言いたいことはただ、一面では、これだけの知性と共感をもった人たちが、国家に逆らったとことがとてもうれしい――圧倒される思い。英雄だと思う。ほんとうに。彼らは命と自由を危険にさらした……でもそのうちに、どこかでこう考える……そもそも国家を信じるなんてことがどうしてできたのだろう。いったい何に裏切られたと感じるのだろう。倫理をもった国家というものはありうるのか。倫理をもった超大国? 暴虐はちょっと逸脱してしまっただけだと信じている人たちが理解できない。もちろん、頭ではわかるけど……わからないと言い張りたい気持ちがどこかにある……ときどき、彼らの苦悩を理解するのを私の怒りが邪魔するわけ。

JC:それはそうなんだけど、少し厳しすぎると思わない?

AR:そうかもしれない(笑)。でもそうして、今みたいにさんざん文句を言った後、いつもこう言う。米国の偉大なところは、内部から本当の抵抗が出てくるところだ、と。戦うことを拒否する兵士たち、勲章を燃やした兵士たち、良心の徴兵忌避者になった兵士たち。インド軍から良心の徴兵忌避者が出てくるとは思えない。ただの一人も。米国には、この誇るべき歴史がある。そしてスノウデンはその一部ということ。

JC:スノウデンは見かけよりラディカルだと僕は直感するな。彼は戦術的にならなくちゃいけないから……

AR:911以来……それ以前に起こったことは何であれ忘れることになっている。911が歴史の始まりだから。わかりました。2001年以来、いくつの戦争が始められたか、いくつの国が破壊されたか。今ISISが新しい悪になっている――でもこの悪はどうやって始まったのか。いったいどちらがいっそう邪悪なのか。ISISがやっていることことをやる、すなわち人びと――主にシーア派だけど、それだけではない――を惨殺して回ること、喉をかき切ることか。それを言うなら、米国が後ろ盾になっている民兵も同じようなことをやっている。ただ白人の首を切るのを動画で見せないだけ。それとも、水道を汚染し、劣化ウラン弾を投下し、医薬品の供給を遮断することか。50万人の子どもが経済制裁で命を落としたのは「高い代償」だったが「払うに値した」と話すことか。

JC:マデリーン・オルブライト〔元米国務長官〕の言葉だ、イラクについて。

AR:そう。イラク。ある国を武装解除しておいて、それから爆撃するのはかまわないのか。中東地域に混乱を生み続けるのは? 急進的イスラーム主義と戦っているふりをしながら、実は急進的イスラーム主義でない政府ばかり転覆するのは? どんな問題があったにせよ、そうした国々は急進的イスラーム主義ではなかった――イラクは違った、シリアも違う、リビアも違った。もっとも急進的な根本主義的イスラーム主義国家は、もちろん、米国の同盟国サウジアラビアです。シリアでは米国はアサドを失脚させたがっている側についていたでしょう? その後突然、アサド側についている。ISISと戦いたくて。これは、狂気に駆られて見境がなくなった大金持ちの巨人が、貧しい地域を踏み荒らしているようなもの、札束とたくさんの武器で膨らんだポケットの中身をばら撒きながら。だれに渡しているか――どの人殺し一派に武器を渡して、どの人殺し一派に対抗させているのか――も知りもせずに。意味があると思っているけれど、本当は……。911の後起こったこのすべての破壊、爆撃されたすべての国々……それが古くからの敵対関係に火をつけ、油を注いだ。敵対関係は必ずしも米国とは関係ない。米国の存在より何世紀も前からのものもある。でも、米国は自国が実はどれほど無意味かを理解することができない。どれほど酷いかを……。米国の短期的な利益は世界全体にとっての長期的な破滅になっている――米国自身を含めて、だれにとっても。そして、ごめんなさい、合衆国とか米国とか言っているのは、ほんとうは米国政府という意味だから。そこには違いがある。大きな違いが。

JC:そうだね。

AR:私が今やったみたいにこの二つを一緒くたにするのは馬鹿らしいこと……落とし穴に落ちることになる――「あの女は反米だ、あいつは反米だ」と言われやすくなるから。そんなことはなくても。もちろんそんなことはない。米国には大好きなものがたくさんある。どっちにしても、国って何だろう。「インドのことを教えてください」と言われると、私は言う。「どのインドのことですか?……詩と死に物狂いの反抗の国のことですか? 耳について離れない音楽や優美な布を生み出す国ですか? カースト制度を作り出し、ムスリムやシーク教徒の虐殺やダーリットの私刑に喝采する国ですか?億万長者の国ですか、それとも、8億人が1日50セント以下で生活する国ですか? どのインドのことですか?」。「米国」と人が言うとき、どの米国のことか。ボブ・ディランの米国か、バラク・オバマの米国か。ニューオーリンズか、ニューヨークか。ほんの少し前まで、インドとパキスタンとバングラデシュは1つの国だった。もし王国を勘定に入れたらたくさんの国があった……その後、英国が国境線を引っ張って、今は3つの国になっている。そのうちの2つが互いに核兵器を向け合って――急進的ヒンズーの核兵器と急進的イスラームの核兵器。

JC:急進的イスラームと米国の例外主義は同衾している。恋人同士みたいだ、と僕は思うね……。

AR:場末のモーテルの回転ベッドよ。急進的ヒンズー主義ももぐり込んですり寄ってる。抱き合っている相手を確かめようとしても追いつかない。ころころ変わるから。生まれてくる赤ん坊はみんな、永続戦争を遂行する手段のいちばん新しい跡継ぎというわけ。

JC:本当に邪悪な敵を作り上げるのに手を貸せば、その敵が本当に邪悪だという事実を指摘できる。「おい、ほんとうに邪悪だぞ」と言うことができる。

AR:敵はいつも、目的にかなうように作り上げられるもの、そうでしょう? いい敵をもつにはどうすればいいか。どこから見ても邪悪な敵でなくちゃならない――そして、邪悪さは進歩しなくちゃならない。

JC:転移しなくちゃならない、そうでしょう?

AR:そう。そして、……どれだけ同じことを言い続けなくちゃならないのかな。

JC:そうだね、うんざりしてくる。

AR:まったくね、愚かさに代わるものはない。愚かさはファシズムの母。まったく擁護する余地はない。ほんとうに……。

JC:ほんとに問題だ。

(二人、笑う)

AR:屈辱的なのは、嘘をつかれることじゃなく、つかれている嘘の質の悪さ。向こうはそれすらもうどうでもよくなっている。すべてはお芝居。ヒロシマとナガサキが起きて、何十万人もが亡くなった。すると幕が下りてきて、おしまい。それから朝鮮戦争が起きて、ベトナム戦争が起きて、南米で起きたすべてのことが起きた。その都度この幕が下りてきて、真新しい歴史が始まる。新たな倫理観と新たな憤慨が作り上げられる……歴史が姿を消したところに。

JC:そして文脈も姿を消したところに。

AR:そう。何の文脈も記憶もなしに。でも世界の人びとは記憶をもっている。アフガニスタンの女性たちが、少なくとも首都カーブルでは、外出していた時期があった。勉強することが認められ、医師や外科医の女性がいて、自由に歩き、着たい物を着ていた。旧ソ連の占領下の時期だった。その後、米国がムジャヒディーンに資金提供を始めた。レーガンはムジャヒディーンをアフガニスタンの「建国の父」と呼んだ。ムジャヒディーンは「ジハード」の考え方を再び体現し、実質的にターリバーンを作り出した。そして女性たちはどうなったか。イラクでは、戦争の前までは、科学者や博物館館長、医師の女性がいた。私はサダム・フセインや旧ソ連によるアフガニスタン占領――旧ソ連にとってのベトナム――を評価しているんじゃない。それは残忍で何十万人も殺害した。ただ言いたいことは、今これらの新しい戦争で、国全体が混沌に陥り――女性たちはブルカに押し戻されて――、そしてそれは自らすすんでそうしたのではないということ。つまり、私にとっては、一方では女性が従属からまだ抜け出していない文化の問題があるけれど、でも明日起きるかもしれない恐ろしいことは、だれかがやってきて私にこう言うこと。「アルンダティ、ベールの向こうに戻れ、台所に座ってろ、表に出るな」。これがどれほどの暴力か想像がつきますか? こういうことがあの女性たちに起きた。2001年、アフガニスタン戦争はフェミニズム的任務だと私たちは言われた。海兵隊はアフガニスタン女性をターリバーンから解放しているのだと。ほんとうに爆弾によってフェミニズムを押し付けることができるものなのか? そして今、25年間の残忍な戦争の後――10年間は旧ソ連の占領に対して、15年間は米国の占領に対して――、ターリバーンはカーブルに戻りつつあり、まもなく元通りになって、米国と付き合うようになる。私は米国に住んでいないけれど、ここに来ると、頭が研磨機の中に入れられている気がする――彼らの使う言語によって脳みそがぐちゃぐちゃにされる。米国の外では、人びとは結果を知っているから、状況を理解するのはさほど難しくない。でもここでは、あまりに多くの人が、あまりに従順にプロパガンダを鵜呑みにしているように思える。

ここまでは、あるときの対話。ここからはまた、別のときの対話になる。

JC:それじゃ、どう思う? 文明社会で話題にできないことは何だと思う? もし飼い馴らされたかわいいペットだったら?

AR:(笑)非暴力を説くことは場合によっては倫理に反する、とか?

(これは、ロイがインド中部の森林で武装ゲリラとともに過ごした時期のことを記したエッセイ『Walking with the Comrades』のことだった。武装ゲリラは、鉱山会社の手に渡った地元住民の土地から住民を追い出そうとする民兵部隊や自警団を相手に戦っていた。)

JC:米国では、ISISの話はできるけど、パレスチナの話はできない。

AR:そう。インドではね、パレスチナの話はできるけど、カシミールの話はできない。このごろは、グジャラートで何千人ものムスリムが昼日中に大勢殺された話もできない。ナレンドラ・モディが首相になるかもしれないから(モディはその後2014年に首相になった)。彼らはこう言うのを好む。「去る者は追わず」。去る者。いい言葉……時代遅れってこと。

JC:甘い別れの言葉みたいに聞こえるね。

AR:そして、歴史を画する出来事をどこに空中投下するか、いちばん都合のいい場所を決められる。歴史は本当は未来を勉強することであって、過去を勉強することじゃない。

JC:社交の場でうっかり話題にしないように、何の話をしちゃいけないか知りたいだけだよ。

AR:たとえば、実際にナイフとかで人の首を切るのは間違ってると言っても大丈夫。無人攻撃機で頭をふっ飛ばしてもかまわないという意味は込められているから……そうでしょう?

JC:ええと、無人攻撃機っていうのは外科手術みたいにとても正確で……それでね、早いんだよ。苦しまない、そうだろ?

AR:だけどムズリム――米国ではそう呼ばれているけど――の中にだって、優秀なプロの人殺しはいますからね。早業よ。

JC:ほかに何が言えて、何が言えない?

AR:素敵なテーマね……ベトナムについては、こう言っても大丈夫。「このアジア人たちは、命を大切にしない。それでわれわれに大虐殺の重荷を無理やり負わせるのだ」。これはほぼ言われたとおりの言葉だけど。

JC:ロバート・マクナマラだ。その後「貧しき人びとに仕え」に行った。

AR:マクナマラは、ベトナムの破壊を指揮する前は、1晩で8万人が殺された東京大空襲を計画した。その後、世界銀行総裁になって、世界の貧困層に最大限の配慮をした。晩年、1つの疑問に苦しめられた。「善をなすためにはどれほどの悪をなさねばならないか」。これも言葉どおり。

JC:愛のムチだな。

AR:世のため、人のためってわけ。

家のキッチンテーブルに座って、ニューヨークの街角のボックス席で、お気に入りの場所になったプエルトリコ料理の店で、こうして二人で話したのだ。僕は衝動的にニューデリーに電話した。

モスクワに行ってさ、ダニエル・エルズバーグとエドワード・スノウデンに会わない?

何ばかなこと言ってるの。

あのさ……もし話がまとまったら行く?

沈黙があり、電話の向こうで微笑むのが感じられた。

そうね、うん。行きましょう。

原文
Exclusive: meeting ed snowden – I
Things That Can And Cannot Be Said
John Cusack in Conversation with Arundhati Roy
John Cusack
Nov 16, 2015
http://www.outlookindia.com/article/things-that-can-and-cannot-be-said/295796