TUP BULLETIN

速報326号 拘束された豪州女性の手紙No.3  04年6月22日

投稿日 2004年6月22日

DATE: 2004年6月22日(火) 午後1時25分

《豪州NGO女性ドナのファルージャ拘束報告No3》
 


イラクのファルージャでは、米軍の包囲網作戦が2004年4月5日から、4 月の末に米軍が複数の陣地から撤退し始めるまで続いていました。11日には 「一時停戦」が成立したとはいわれたものの、実際には激しい戦闘が行われて いました。そんな中、オーストラリア人女性ドナ・マルハーンさんは、4月1 3日に3人の外国人同行者と共に、戦火の中、救援活動のためバグダッドから ファルージャに向かいました。その帰り道、ファルージャ郊外で地元ムジャヒ ディンに20数時間拘束されました。その顛末を、8本のメールにしたためた マルハーンさんの文章を紹介します。本稿は、その3本目です。戦争とはどん なものなのかを知る手がかりになればと思います。

翻訳 TUP/福永 克紀 (翻訳・再配布了承済み)
 


ファルージャ3:長老からのメッセージ ドナ・マルハーン 2004年4月24日

寝不足で少しかすんだ目をしながら、パンとジャムの朝食を食べてから診療所 に向かった。

道や家の中で動けなくなっている負傷者を救い出すのを手伝ってくれと、先生 方に頼まれた。しかし、救急車はすべて使用中なので、まず使える車を見つけ なければならない。

診療所の外で待っている間にも、散発的な銃声や爆発音がまわりから聞こえて くる。通りで銃撃が始まると「みんな、避難しろ!」とだれかが叫ぶ。身を縮 めて頭を下げるか、壁にぴったりと張り付いて数分間、そのあとは次までリ ラックスできる。

突然キーッとけたたましい音とともに白いバンが通りを上がってくると、まっ すぐ側溝沿いに走って診療所ドアの前に着けた。運転していたのは、昨日の1 0歳のちっちゃなムジャヒディンだった。彼は自分のカラシニコフで後ろの積 荷を示した。そこには、血染めの毛布に若者が横たわっていた。服は破れ、お 腹の中まで見えた。右腕は肘からちぎれ、残っているのは血まみれの肉のつい た骨の端だけだった。出血がひどく、毛布に大きな血の溜まりができ始めてい た。

その若者が診療所の中に急いで運び込まれるとき、私は頭をたれて呪った。彼 を救えるような基本設備はここにはない。フル装備の病院でなきゃ無理だ。し かし、ファルージャの主要病院はいまアメリカの支配下にあって、イラク戦士 の治療など許すはずもない(そうです、信じられないかもしれないけど、事実 です!)

私も中に入って、ことの進展を見守りたかったが、邪魔になりたくはなかった し失神したくもなかったので外で待つことにした。

だれかが私たちに、足を負傷して通りで動けなくなった別の若者の話をしてく れた。その若者は喉を切られたので、死んでから病院に運ばれたそうだ。目撃 した人たちが言うには、道に倒れている彼に近づいた米兵たちが、家族が窓か ら見ている目の前で喉をかき切ったという。

このような話を聞く時、たぶん同じような恐ろしい話がもう一方のほうにも ――米兵側にも、負傷して殺害されるという話があると思う。実際、4人のア メリカの傭兵がファルージャで殺され焼かれた話も最も恐ろしい話のひとつだ ――この話は、メディアがこぞって幾度となく報道しているのを見聞きしてい た。

そこが違う――もし白人で西欧側の人間なら、いつでもメディアでやってい る。彼らの死にはニュースの「価値」がある。国防総省の広報部門が何百万ド ルもかけて、自分達の兵士のことを毎夜のニュース番組で取り上げさせる―― イラク兵士はちがう。自分の町の道路に負傷して倒れているときに、窓から家 族が見ている前で首を切られても報道されることはない。

そう、あなたはこの話をフォックスニュースで見ることはないだろう。これが 私たちがファルージャに行ったひとつの理由でもある。伝えられることのない 話を聞いて、みんなに知らせること、ほんのちょっとバランスが取れるように ね。

メディアではファルージャの戦士たちは、「大統領挺身隊の残存分子」とか 「スンニ派民兵」とか「テロリスト」とかのレッテルを貼られているのは知っ ている――しかし、私が知ったのは、彼らはファルージャに住むただの普通の 人々だということだ。巨大な軍事機構に対して武器を手にせざるを得なくなっ たお父さんや、お兄さんや、息子たちに他ならない。そして、人口35万人の 町の普通の人たちが組織化されることもなく集まった集団が、6日もたつのに 米軍を食い止めているのは、偉業としかいいようがない。

使える車の調達を待つ間に、長老の人と話をしに街角のモスクに行った。ファ ルージャで何が起こっているのか、地元の人の観点から概要を聞いてみたかっ た。

穏やかで柔らかな語り口の男性、その人によれば、この5日間の戦闘で500 人から600人のイラク人が殺され、少なくとも1200人が負傷したとい う。この数は病院の記録による控えめのものだし、町の米軍支配下の死傷者数 は分かりようもないという。

「町に今いちばん必要なものはなんでしょう?」

「住民への人道援助の不足だ。特に、医療援助だ。」

住民の感情について、聞いてみた。

「ファルージャの人の性質は、平和を好むということだ。しかし、この戦闘 で、アメリカ人は、ファルージャで唯一の友人を失ってしまった。いまや、 ファルージャの全住民がこの占領と米兵に憎しみを抱いている。

「すべての男が戦っている、軍事訓練を受けた者だけではなくてな」と彼は説 明した。「アメリカ人に協力していた者もいまや戦っている。

「たとえ100年かかろうと、最後の1分まで戦い抜くことをいとわない。

「みんな、これまでにない仕方で戦っている」

彼によると、シーア派指導者やクリスチャン指導者からも含めてイラク全土の イラク人から、必要な援助や連帯のメッセージがファルージャに送られてくる そうだ。ファルージャの外の小さな町の女性は、これを売ってお金に替えて用 立ててくれと自分の金の結婚指輪を差し出したという。その女性は貧しい人 だっただけに、その行為はきわめて象徴的だったという。

「これは、ファルージャはイラク、イラクはファルージャになったということ なのだよ。この戦いで、すべてのイラク人がひとつになったということなんだ よ」

別れる前に、私はこの長老にもうひとつ尋ねてみた。「もし、ジョージ・ブッ シュにメッセージを届けられるとすれば、どんなことでしょう?」

彼はしばらく考えてから答えた。

「一度でもいいから真実を語ってくれ」がメッセージだった。

彼は、ブッシュがイラク人だけでなくアメリカ人に対してさえ嘘を言っている と思う例を話してくれた――たとえば、イラクでの米軍負傷者の数であり、イ ラク人の苦難の大きさである。

「アメリカの戦略として今、軍事目的ばかりでなく、選挙も近づいており政治 目的もあるのは私たちにも分かっているが」と言う。

「実際に何が起こっているのか真実を語ってほしいし、ファルージャの人々の 苦難について真実を語ってくれる正直なメディアがあってほしい

「アメリカは、法についてはよく語る、しかし、法律や条約、特にジュネーブ 条約を全く無視する。

「ファルージャの戦いのこの3日間で、86人の子供が死んだ。彼らは、この 真実を語るかね?

「ミサイルが一般家族の家に撃ちこまれて、妊婦が殺された。子宮の赤ん坊は 助けることができた。つまり、生まれながらに孤児なのだ。

「こんな罪をここで犯されたあとで、どうやってファルージャがアメリカ人を 受け入れられるかね?」

話が終わる前に、私は、オーストラリアの多くの人が平和と友好の気持ちを 送っていることを、ファルージャの人々に分かってほしいとこの長老に言っ た。

彼は微笑んで「シュクラン(ありがとう)」といった、しかしなにか途惑って いるように見えた。「彼女に聞きたいことがあるんだが」と彼は通訳に言っ た。

「オーストラリアは大きな国だね」と言う。「サイズもハートもどっちも」

私はうなずいた。

「オーストラリアのほうがアメリカより大きいなら、どうしてアメリカに従う んだね? 理解できないんだが」と彼は言った。

「私も理解できないんです」と答えながらも、鋭い質問に私は息を飲んだ。

診療所に帰るとき、白いシーツに包まれている先ほど運ばれてきた若者の死体 が見えた。診療所から運び出されてバンの後ろに積み込まれるところだった。

高く掲げあげられた彼の体に、敬意と祈りと祝福がささげられた。間違いなく 多くの死者といっしょに、サッカー場のグランドに埋められることになる。

ファルージャの主要病院が米軍によってファルージャの人々から遮断され、こ の小さな診療所には彼の負傷を処置するのに必要なまっとうな手術器具もない なか、彼は失血によって死亡した。

あなたの巡礼者より

ドナ

追伸:「捕虜」のエピソードは次のメールで。「ファルージャ」の経験談を、 小さく分けても気を悪くしないでください。これが私の逐次報告のやり方なん です。

追追伸:5月20日にシドニーに飛行機で帰ります。

追追追伸:「こんなふうに生きるより殉教者のように死ぬほうがずっといい」 ――ファルージャで祖父と道を横断していて手と足を吹き飛ばされた4歳の少 年アリの父親、アーメド

原文 http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/78

同行者のジョー・ワイルディングのファルージャ報告 原文 http://www.wildfirejo.org.uk/feature/display/115/index.php 訳文 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404i.html