TUP BULLETIN

速報357号 リバーベンドの日記(8月7日) 04年8月12日

投稿日 2004年8月12日

DATE: 2004年8月12日(木) 午後11時26分

イラクの女性、リバーベンドの日記、2004年8月7日


戦火の中のバグダッド、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の 女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、 女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、 検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列 と水汲みにあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で 読まれています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため 息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、 TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 http://www.geocities.jp/riverbendblog/


 先週に続いて間をおかずの日記です。電力事情が少しは改善したので しょうか。いえどうしても言いたいこと、伝えたいことがあるのです。 なおも続く爆撃の下、人々が分断され対立させられ散り散りになって いく様子が語られます。(TUP/池田真里)


2004年8月7日(土)

なおも続く爆撃・・・そして教会

ナジャフとサドルシティの連日の事態で300人以上が亡くなった。 もちろん亡くなった人たちはみな“反乱軍"と呼ばれている。テレビ に映った、アバヤにくるまれて道路の上にごろりところがされた女性 もその一味ということに違いない。今日は爆発が数回起こり、バグダ ッドを揺るがした。政府職員のなかには、明日は登庁しないようにと 命令された者もいる。

で、これが、この国の南部に住むシーア派の人々に約束された再建の 試みの一部だっていうわけ?ナジャフはイラクで最も聖なる町とされ ている。ここには世界中からシーア派の人々が訪れる。それなのに、 この2日間というもの、この町に爆弾や砲弾が降り注いだ。ほかでも ない、抑圧されたシーア派の“救済者"であるアメリカ人によって。 じゃあ、ここもまた“スンニトライアングル"ってわけ?道路の上の 数々の死骸、死者や死にゆくものを悼む人々、炎に包まれた建物…ど れも既に見たことがあるような気がする。テレビには次々に映像が映 し出される。どこもかしこもファルージャの再現だ。20年経ったら、 現在掘られているたくさんの墓について、いったいだれのせいにされ るのかしら。

私たちは、しょうこりもなく 何らかのかたちで非難声明が出るので はと待っている。私自身は、現在政権の座にあるかのようなふりをし ている、アメリカに選ばれた暫定政府をこれっぽっちも信頼していな い。けれども、なぜか、いつかある時、操り人形のひとり、たとえば アラウィがテレビに登場してすべての殺戮を非難することがあるかも しれないという思いから離れられない。彼らのうちのだれかが、カメ ラの前に立って辞任を告げるとか、少なくとも爆撃や焼討ちや殺戮に 対して、もううんざりだと言い、その終結を求めるのではないか…ば かげた望みだとわかってはいるのだけれど。

ところで、いまこそ必要としているのに、暫定憲法はどこにあるって いうの? 私的居住の尊厳は今もなお侵害され続けているのに…多く の人々が今もなお不法に拘束され続けているのに…都市は爆撃され続 けているのに。それなのに、憲法には、米軍は爆撃したり火をつけた りしてはいけないという規定が、ほんとにまったくどこを探してもな いのだ。

つごうのいいことに、シスタ-ニはロンドンに行ってしまっている。 パウエルその他の連中がじきじきに決める時まで、彼の“病気"は回 復しないことだろう。彼の仲間のシーア派の人々がナジャフやその他 の地域で爆撃され殺害されたことについて、シスターニが糾弾するの をだれもが待ち望んでいるというのに、彼は体調の故障だかなにかで 倒れ、検査を受けにロンドンへ行かなくてはならなくなった。このよ うにして、彼は今の状況について、われ関せずを決め込むことができ ている。シーア派の人々はみな、この沈黙に失望している。彼らは、 なんらかのファトワ、つまり、非難声明を待ち望んでいるのだ。しか し、シスターニがイギリスの看護婦たちにいい子いい子されている間 は、そうしたものは出されないだろう。

ニュースチャンネルは、彼がいつもの一団、支持者とグルーピーに取 り囲まれ、自家用飛行機から足をひきずりつつ降りるのを放映した。 はっきりとは見分けられなかったけれど、バール・ウル・イルームが 彼と一緒にいたことは誓ってもいいわ。E(弟)は、グルーピーの中 にチャラビがいたと言うけれども、どうやらカメラマンはとても遠く 離れた位置から撮影していたらしく、見分けるのはむずかしい。

シスターニが重い病気にかかっていると思うと、だれもが不安になる。 もし今彼に死なれてしまったら、南部にいるシーア派の聖職者たちの 間で権力闘争が始まることになるだろう。このことについては、ホア ン・コールが詳しいわ。

みんな聞いて知っていることだけれど、先週は教会が爆撃された。こ れには私たちみなぞっとした。何十年もの間-何世紀も、というわけ じゃないけど-イラクでは教会とモスクが共存してきた。私たちは、 クリスチャンの友人たちといっしょにクリスマスとイースターを祝い、 彼らも私たちといっしょにイードを祝う。私たちはおたがいに「クリ スチャン」とか「ムスリム」とかいうレッテルを貼りあうことをけっ してしなかった…そんなことはほんとにどうでもいいことだった。私 たちは隣人であり、友人であり、お互いに相手の宗教上の慣習や祝日 を尊重しあっていた。私たちの信仰は多くの点で異なっているし、そ の中には根本的な違いもあるが、そんなことはまったく問題ではなか った。

クリスチャンの人たちがもはや安全だと感じることができなくなって しまったと思うと打ちのめされる。もちろん現在私たちのだれもが安 全でないと感じていることはわかっている。けれども、これまではず っと、異なる宗教の間にだれもが知っている安心感があった。結婚式 や洗礼式や葬式に参列するために教会の中に入ったことがあるイラク 人は多い。戦争終結以来、クリスチャンの人たちは痛い目にあわされ 続けている。南部だけでなく、バグダッドや北部の一部においても、 住んでいる家から追放されるということが起こり続けている。しかる べき服装をするように、あるいは、教会に行かないようになどと強制 されている人たちもいる。クリスチャンの多くが国外に脱出しようと 考えているが、これは莫大な損失になる。イラクには、クリスチャン の高名な外科医、大学教授、芸術家、音楽家がいる。これが中東地域 でのイラクのすばらしいところだった-私たちはみんなうまく共存し ているということで、有名だった。

この一連の爆発を企てた連中は、イスラムに可能な限り最悪なイメー ジを与えようとする人々だと、私は確信する。これはイスラムとなん の関係もない。ちょうど、いくらブッシュが関係あるように見せかけ ようとしても、この戦争と占領がキリスト教やキリストとなんの関係 もないのと同じように。これが問題の一端だ。つまり多くの人々がこ の戦争と現在の状況を十字軍になぞらえて考えていること。“イスラ ム"があらたな共産主義になってしまったのだ。これは、アメリカ人 を脅えさせ、完全に武装して“自衛"のために他国を攻撃するように させるための、あらたな冷戦だ。“テロ警報"を発令して人々を脅え させ、アラブ人一般、ことにムスリムを差別するようにさせるのが、 もっともよい方法だ…ちょうどこの戦争が西欧人一般やアメリカ人に 対する憎悪を生み出すのにおおいに役だっているように。戦争と占領 で親や子どもや家を失った人々は、これをわが身がやられたこととと らえ、おそらくは復讐したいと思うだろう。ムスリムであれクリスチ ャンであれ。

私はいつも、教会の前を通るのが好き。地域のモスクからほど遠くな いところに、バグダッドの太陽に照らされて教会が輝いているのを見 ると、世の中はなにもかもうまくいっていると、つかのまでも感じる ことができる。教会の洗練された簡素なたたずまいは、モスクの込み 入ったデザインと対照的だ。

私の住む地域にもすてきな教会がある。高く、堅固で灰色をしている。 とても機能的で簡素な建物だ。長方形で、尖った屋根のてっぺんには あっさりとした十字架、つまりサリーブ(アラビア語で“十字架"の 意)が立っている。質素な木製の扉があり、小さな庭がある。そう、 ちょうどあなたの7歳の甥や娘が描く小さな教会の絵とそっくり。こ の簡素なつくりと窓のステンドグラスとがすばらしい対照をなしてい る。窓には少なくとも30色は使われている。教会の前を通るとき、 私はいつもこの窓を見つめ、中にいる人たちに無数の色と形が降り注 いでいるのだろうと思いをめぐらす。でも、最近はここを通るのがつ らい。なぜなら、かつてこの教会へ礼拝に訪れていた人たちの多くが いなくなってしまったことを知っているから。彼らはシリアやヨルダ ンやカナダなどに発って行ってしまった。傷ついた心と苦しみを抱え て。

午後10時57分 リバーにより掲示 (翻訳/リバーベンドプロジェクト:伊藤美好、池田真里)