TUP BULLETIN

速報402号 リバーベンドの日記(11月1日) 04年11月6日

投稿日 2004年11月6日

FROM: Schu Sugawara
DATE: 2004年11月6日(土) 午後9時17分

「ブッシュの2期目」でイラクの死者推定50万人に


戦火の中のバグダッド、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の女性の日記 『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、女性としての思い ・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、検問が日常、女性は外を出 ることもできず、職はなくガソリンの行列と水汲みにあけくれする毎日。「イ ラクのアンネ」として世界中で読まれています。すぐ傍らに、リバーベンドの 笑い、怒り、涙、ため息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。 (この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 (TUP/池田真里)http://www.geocities.jp/riverbendblog/


2004年11月1日 月曜日

だれか助けて

ジャラル家の人たちがすばらしい募金キャンペーンをはじめた。今なおバグ ダッドに踏みとどまっているわずかなNGOと協力して食料その他の必需品とい った救急物資を買い、こうした物資を緊急に必要としているイラクの町々に送 る、というものだ。詳しくは、ラエドのブログで読んで。

ラエドのブログの呼びかけ文(英文):http://raedinthemiddle.blogspot.com/2004_10_20_raedinthemiddle_archive.html#109829059743549242 (訳者:ジャラル家はラエドさんの家族。呼びかけと送金方法については、ラ エドのブログの日本語訳をされているいけだよしこさんのサイトに詳しく書か れています。 http://teanotwar.blogtribe.org/entry-0f7d9d1ba4d7015e0a38a4fa5a200820.html )

昨年以来、私に連絡してくださった、すてきな方々みんなに伝えたい。あな た方はとても多くのことを申し出てくださった。ある方々が書いてくださった ように、私が必要なものはなんでも。あなたがほんとうにイラクを助けたい、 なにか寄付したいと思うなら、どうぞできるだけ寄付してください。 わずかな額であっても、役に立ちます(まあ、私ってまるでテレビに出てくる 伝道師みたい)。それでも言うわ。あなたの寄付が子どもたちや家族を救いま すって。

さらに知りたい方は、ジャラル家のだれか、ことにラエドかハリドに連絡す れば、詳しい情報が得られる。 ラエドのブログ(英文):http://raedinthemiddle.blogspot.com/ ハリドのブログ(英文):http://secretsinbaghdad.blogspot.com/

リンク:ゲリラニュースネットワークのサイトに、エミネムのモッシュのミ ュージックビデオがのってる。大統領選挙に関する政治的なビデオだ。見よう としたけど、私のリンクでは見られなかった。

(訳者注:エミネムのモッシュとは、人気の高い白人男性ラップシンガーのエ ミネムがこのほど発表したラップ「mosh or die(モッシュか死か)」。 モッシュとはパンク・ダンスの1種。

エミネムのミュージック・サイト(英文):http://gnn.tv/content/eminem_mosh.html

TUP速報397号「ラップソングでアンチ・ブッシュ」で、エミネムのラッ プの部分訳が読めます。以下のサイトを見てください。 http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/424 )

リバーにより午後10時1分に掲示

テロリストたち

ここ数日、空はどんよりと曇っている。埃と煙と湿気がもやもやと混じりあ った空だ。これっていろんな点で世の中の雰囲気にぴったりだと思う-どこか 暗くて重い感じに。

私はずっとファルージャのことをとても心配している。心配で心配で、戦闘 地域の状況がこれからどうなるか考えていて夜も眠れなくなったくらい。 バグダッドの状況も悪いけど、ファルージャはもっとずっとひどい。この数週 間というもの、ファルージャからは人々が続々と逃げ出してきている。みんな、 バグダッドや周辺の地域に安全な避難場所をみつけようとしているのだ。

先週、ファルージャから避難してきた人たちに会った。私にとって初めての ことだった。おばの具合が悪く、彼女が住む地域の電話が通じなくなったので、 私たちは、夕方断食が明けた後におばに会いに行くことにした。車を彼女の家 の私道に入れたとき、聞きなれない子どもたちの声が庭でした。おばには8歳 の女の子、Sが一人いるだけなので、私は隣人の子どもたちが遊びにきたんだ ろうと思った。

Sは車に走り寄り、ドアを開けてくれた。Sは、こんなにたくさんのお客が 来たのがうれしく、興奮してとびはねていた。私は他の子どもたちがいるはず と思って庭に目をやった。けれども、大きなやしの木とばらの茂みのほかには なにも見えなかった。「あなたのお友達はどこ?」。おばのために持ってきた イラク風お菓子を取り出しながら、私は尋ねた。Sが振り返り、にっこり笑っ てやしの木を指差したので、目をこらして庭の暗がりにある木を見た。小さな 頭ときらきら光る目が二つ、ちらりと見えたと思ったら、あっという間に消え てしまった。 私はまじめくさってうなずいき呼びかけた。「こんにちは、やしの木さん!」 やしの木が小声で「こんにちは」と答えると、Sはくすくす笑った。

「だいじょうぶよ」。Sは振り返り、庭に向かって呼びかけた。「出てらっ しゃいよ。いとこといとこの親たちだけだから!」。私たちは家に向かって歩 き、Sはおしゃべりを続けた。「ママはだいぶよくなってきたわ。今日お客さ んが来てるの。ええと、お客さんが来たのはきのうだったわ。お友だちなの。 パパの親戚。あの子たちは学校に行かなくてもいいのよ。でも私は行かなくち ゃいけないの」

私たちが居間に入ろうとすると、中は大騒ぎだった。テレビは大音量でメロ ドラマをやっている。演じているエジプト人の俳優の叫び声に混じって赤ちゃ んの泣き声と母親が「シィッ」と黙らせようとする声がする。おば夫妻はここ 4日間通じない電話回線が今後どうなるやらと話しあっている。私たちが部屋 に入った時、赤ちゃんを抱いた女性がふいに立ち上がり、玄関に続くドアから 外へ出て行った。

挨拶をし、サラームを言うなり、おばは急いで部屋から飛び出し、いやいや ながらといったようすの女性と赤ちゃんを連れて戻ってきた。「ウム・アフメ ドよ」。おばは私たちを紹介し、有無をいわせず女性をソファーに座らせた。 「彼女はファルージャから来たの…」。

おばは事情を話し始めた。「夫の親戚なのよ。でも今まで会ったことはなか ったわ」。彼女は向きを変え、ヘッドライトに照らし出されて立ちすくむ野生 のシカのようにみえるウム・アフメドに微笑みかけた。

女性は背が高くて上品だった。やや長めの伝統的な「ディシュダシャ」(ど っしりと重い、刺繍で飾られたナイトガウンのようなもの)を着ていて、頭に は軽くて黒いショールをかぶっていたが、ショールが滑り落ちかかっていたの で銀色の筋の混じった濃茶色の髪が見えた。年齢を推測するのはほとんど不可 能だった。 どことなく若い雰囲気だから、たぶん33か4ぐらいだろうと思った。でも、 緊張と心配でやつれているのと白髪があるのとをあわせると、40歳のように も見える。彼女はびくびくしたようすで私たちに会釈し、赤ちゃんをきつく抱 きしめた。

おばは「ウム・アフメドとかわいい子どもたちはファルージャの状況がよく なるまでここにいるのよ」と宣言した。それから私の小さないとこに向かって 「サマとハリスを連れてらっしゃい」と言った。やしの木陰に隠れていた子ど もたちがサマとハリスなんだなと私は思った。それからすぐ、サマとハリスが Sに連れられて居間に入ってきた。サマは10歳くらいの華奢な少女で、ハリ スは6、7歳くらいの丸々太った男の子だった。彼らは私たちと目をあわせよ うとせず、大急ぎで母親のもとに駆け寄った。

ウム・アフメドは静かに「『こんにちは』を言いなさい」とさとした。サマ は進み出て握手をしたが、ハリスは母親の後ろに隠れてしまった。

母は「まあ、いい子ねえ!」とほほえみ、サマにキスをした。「サマ、あな たは幾つ?」

「11歳です」。サマは自分の母親のとなりに腰掛けようとしながら、小さ な声で答えた。

父は「ファルージャの状況はどうですか?」と尋ねた。私たちはみんな答え を知っている。ファルージャは恐ろしいことになっていて、状況は日ましにひ どくなるばかりだ。ミサイルと爆弾が絶え間なく降り注ぎ、町は廃墟になった 。 どの家族もできるだけのものをかき集めて逃げ出している。家々は戦車と爆撃 機に破壊されている。…それでもこの質問をしなくてはならなかった。

ウム・アフメドは不安なようすでつばを飲み込んだ。眉間のしわが深くなっ た。「とてもひどい状況です。私たちは2日前に町を出ました。アメリカ人た ちが町を包囲していて、主要道路を使わせてくれないので、私たちは他の道を 使ってこっそりと出なくてはなりませんでした…」。赤ちゃんがぐずりはじめ た。 彼女はそっと揺すり、寝かそうとする。

「私たちは逃げなくてはならなかったのです。私には子どもたちといっしょ にあそこにとどまることはできませんでした。」彼女は弁解するかのように言 った。「もちろんとどまってなんかいられなかったわよ」おばが強い調子で答 えた。 「とんでもないわ。そんなこと自殺行為よ。あのならず者たちは誰一人生かし ておこうとしないんだから」

「みなさんに何事もないといいですね…」。私はおずおずと言った。ウム・ アフメドは少し私を見て、首を振った。「私たちは、先週、隣に住んでいたウ ム・ナジブと2人のお嬢さんを埋葬しました。寝ているときにミサイルが庭に 落ちて家が破壊されたのです」

「うちの窓も割れたんだよ…」。ハリスが興奮したようすで割り込み、それ からまた母親のかげに隠れてしまった。

「窓が割れ、玄関のドアは爆風で壊れました。私たちは全員無事でした。戦 闘がはじまってからずっと私たちみんな居間で寝るようにしてましたから」。 ウム・アフメドは表情を変えずに語った。もう何百回も同じ話をしてきたかの ようだった。彼女が話している間、赤ちゃんはこぶしをふりまわし、少し泣き 声を立てた。これはありがたい音だった-つらい話題を変えることができる。 「この子がアフメドちゃん?」身を起こして赤ちゃんを見ながら私は尋ねた。 おばは彼女を「ウム・アフメド」と呼んでいる。これは「アフメドの母」とい う意味だ。ふだん子どもを持つ親たちと話をするときには、一番上の子どもの 名前を使うのがふつうだ。「アブ・アフメド」は「アフメドの父」という意味。 彼女がどうしてウム・ハリスでもウム・サマでもないのか、わからなかったけ れど、子どもはこの3人だけだから、この赤ちゃんが「アフメド」に違いない と私は思った。

「いいえ。この子はマジドよ」。サマが私の質問に静かに答える。赤ちゃん は4ヶ月くらい。黒い髪の毛がもじゃもじゃしていて、一見小さな白い帽子の ように見えるものを被っている。目は母親と同じハシバミ色だ。私はマジドに 微笑みかけ、頭に被った白いものが帽子でないことに気づいた。それは白い包 帯だった。「この包帯は?」と私は尋ねた。これが彼の頭を暖かくするためだ けのものであってほしいと願いつつ。

「ファルージャから逃げる時、ほかの2家族といっしょに小型トラックに乗 りました。そのときマジドは頭をなにかにぶつけ、かすり傷ができました。感 染しないために包帯で保護しなくてはいけないとお医者さまがおっしゃったの です」。赤ちゃんを見ているうち、彼女の眼に涙がいっぱいになった。彼女は 少しあらく赤ちゃんを揺すった。

「でも、少なくともみんな無事だったのね…あなたがここにいらしたのはと ても賢明だったわ」。母が言った。「お子さんたちは元気だし-それがなによ り大事なことですものね」

この言葉は、私たちが期待したのとはまったく違う効果をもたらした。ウム ・アフメドの眼から突然涙が溢れ出た。一瞬の後、彼女は号泣しはじめた。サ マは顔をしかめ、母親の腕から赤ちゃんをやさしく抱き上げ、赤ちゃんをあや しながら廊下を歩きまわった。おばはすばやくコップに水を注いでウム・アフ メドに手渡して、私たちに言った。「アフメドは14歳の息子さんで、お父様 といっしょにまだファルージャにいるのよ」

「あの子を残していきたくなかった…」。彼女の手の中でコップの水が震え る。「でも、あの子は父親抜きで町を離れるのはいやだと言ったの。車が町か ら出て行こうというときになって、私たちは離れ離れになってしまった…」。 おばはあわてて彼女の背中をやさしくたたき、彼女にティシュペーパーを手渡 した。

「ウム・アフメドのご主人はね、ああ神様お守りください、モスクと協力し てほかの家族の方々が逃げるのを助けてらっしゃるのよ」。おばは話しながら ウム・アフメドの隣に座り、涙をいっぱい溜めたハリスを引き寄せ、膝に抱き 上げた。「おふたりともきっと無事よ。もしかしたらもうバグダッドに着いて るかもしれないわ…」。おばはきっぱりと言った。誰もそんなことを思ってい ないのに・・・。ウム・アフメドは表情を変えずにうなずき、床の上のじゅう たんをぼんやりと見つめた。ハリスは目をこすり、母親のショールの端にしが みついた。「彼女に約束したのよ、私」とおばは私たちに向かって言う。「も しおふたりからの知らせがもうあと2日間なかったら、アブ・S.が車でファ ルージャまでおふたりを探しに行きますって。バグダードにいる避難民みんな が行くあのモスクに言付けてあるの」

女性を見つめていると、戦争の恐怖がよみがえってきた―爆撃と銃撃にさら される日々―戦車が道で轟音を立て、ヘリコプターが頭上で威嚇するかのよう にホバリングする。夫と息子からの知らせを待ちつつ、あと数日もの苦しい時 を彼女がどうやって過ごすことができるだろうと思った。何がつらいといって 、大切な人たちと離ればなれになり、その人たちの生死を思い悩むことほど耐 え難いことはない。落ち着かない思いが心の内をがりがりとかじり、消耗しき った気持ちと駆り立てられる気持ちが一時に襲ってくる。頭の中で悲観的な声 が死と破滅の物語を1000回もささやき続ける。すさまじい破壊に直面した ときに感じるどうしようもない無力感。

で、ウム・アフメドは、ファルージャから逃げ出したテロリストの一人って いうわけだ。

もしも彼女の夫と息子が亡くなったら、彼らはアルカイダのリーダー、どこ ろか、アブ・ムサブ・ザルカウィその人の親族ってことになるんだろう…アメ リカではいつもそういうことになってしまうのだ。

ブッシュとアラウィがファルージャでの犠牲者について語り合っているのを 見ると、頭がおかしくなる。あいつらによると、ファルージャにいる人はだれ もかれもテロリストで、ふつうの家でなく、巣穴のような隠れ家に潜んでアメ リカを破滅させるために計画を練っているらしい。アラウィは最近「平和的交 渉」が成功しそうもないため、大規模な軍事作戦を取る以外手段がないなどと 語った。 こうしたくず話やザルカウィに関するでたらめ話はアメリカ人やイギリス人や 海外で快適に暮らしているイラク人のために作られたものだ。

アラウィは下劣なやつだ。恐ろしいのは、彼は米軍の支援なしにイラクで安 全に暮らすことが「決して」できないということだ。彼が権力を握っているか ぎり、米軍基地とアメリカの戦車がイラクの全土に存在し続けるだろう。占領 軍がファルージャに襲い掛かると脅すことで、彼は支持を得られるなんて思え るのだろうか。イラクの人々はファルージャから逃げてくる人たちを英雄のよ うに迎えている。自分たちの家の部屋を空けて彼らを泊め、食べ物やお金や救 急物資を寄付している。イラクではだれもがアブ・ムサブ・ザルカウィがファ ルージャにいないと知っている。私たちの知る限り、彼はどこにもいない。彼 は大量破壊兵器のようだ―大量破壊兵器を引き渡せ、さもなくば攻撃するぞ。 さて攻撃が行われてみたら、どこにも兵器がなかったことが明らかになった。 ザルカウィに関しても同じことになるだろう。次々と登場する政治家の誰かが ザルカウィに言及するたびに、私たちは笑っている。彼は大量破壊兵器よりさ らに都合がいい。なにしろ足があるから。ファルージャでの大失敗にけりがつ いたら、ザルカウィはタイミングよくイランやシリア、ひょっとしたら北朝鮮 にでも移動することだろう。

ファルージャに関する「平和的交渉」についていえば、そんなものは一切存 在しなかった。やつらはこの数週間ファルージャを爆撃しつづけている。爆撃 はたいてい夜行われる。現場の惨状や多くの犠牲者のことはまったく報道され ない。 一家全員が生き埋めになったとか、路上で狙撃されて殺されたといったことを、 私たちはずっと後になって耳にすることになるのだ。

ところで、アメリカ人よ、この1年半で10万人が亡くなった。その数は今 も増え続けている。ブッシュをもう4年間在任させてごらん、そうしたら50 万人という記録を達成できるかもよ。

リバーにより午後9時57分に掲示 (翻訳/リバーベンド・プロジェクト;いとうみよし、池田真里)