TUP BULLETIN

速報461号 ドナからの手紙 2 月3日 パレスチナでどこかに行くということは 050211

投稿日 2005年2月11日

DATE: 2005年2月11日(金) 午後4時10分

パレスチナをズタズタにする軍事検問所。ジェニンからエルサレムへ。ドナの報告


 2004年4月イラクで、米軍包囲下のファルージャに人道救援活動のために入り、そ の帰路、地元のレジスタンスによる拘束を経験したオーストラリア人女性ドナ・マル ハーンは、現在パレスチナに滞在しています。ヨルダン川西岸で巡礼の旅を続けてい る彼女はどんな経験をしたのか。今回は、身をもって体験したパレスチナ各地に点在 する検問所の報告です。イスラエルとパレスチナの和平を進めるには、このような検 問所を無くすことが、まず第一歩だとドナが訴えます。 (翻訳:福永克紀/TUP)


ドナ・マルハーン パレスチナを動き回って 2005年2月3日

動き回ること……

パレスチナではたやすいことではないのです、動き回ることって。

私の言っているのは、AからBに行くってことです。実際、たいがいの日には、それ は悪夢なのです。

たとえば私の最近の旅、ヨルダン川西岸北部の町ジェニンからエルサレムまで南へ向 かうおよそ150キロ[訳注:誤記と思われる。実際は約90キロ]の旅です。

地図を一見してみると、それはほどほどの直線コースの旅です。私たち各自の国の大 半では、似たような条件下のこの距離は1時間半で行けるものです。

しかし、私がいま旅をしているのは外国軍が占領下におくパレスチナであり、そのお かげでそう難しくもない人間の所業が極端に困難になり、時には不可能になってし まっているのです。

移動の自由――この最も基本的な人権が、ここでは何百万人という人々から日常的に 奪われているのです。そして、それはAからBに行こうとする母と父と子供たちに屈 辱を与えるような形でおこなわれており、またその母と父と子供たちに戦車や自動小 銃で狙いをつけるイスラエル若年兵士たちを非人間化するようにおこなわれているの です。

パレスチナの大地は、テルアビブで軍の円卓を囲み、まるでチェスの駒のように検問 所を動かすゲームを楽しんでいる男たちによって、何十箇所にもズタズタに分断され ているところなのです。

パレスチナ人にとっては、どこかに住んでいるということは、その他のどこにも行け ないということを意味します。それは文字通り単純なことです。そこにかつて住んで いたとしても、そこが家族の故郷だとしても、あろうことか、ともかく行きたいと思 うところだから行けないのです。

パレスチナ人は、常時携帯義務付けの色分けされた身分証明書を持たされていて、そ れでどこに行くことができるのか決められています。もしこの身分証明書が行きたい 場所と符合しなければ、パレスチナ中に点在する多くの軍事検問所のどこかで、若年 兵に簡単に拒否されてしまうのです。言い換えれば、監獄にいるようなものです。

私は今日、父親が逮捕された上に10ヶ月も投獄されて困窮生活に陥ってしまったとい う、小さな子供が6人の一家を訪ねました。その父親の罪とは、持つべき身分証明書 を持っていなかったことです。それが、彼が犯した「犯罪」だったというのです。

イスラエル政府は、監視塔、戦車、コンクリート製の収容房、鉄格子つきの回転ドア 式出入り口、自動小銃で装備した若年兵士などで固めた検問所は、治安のために必要 なものだと言うかも知れません。

しかし実際は、大部分の検問所は、現実にパレスチナ人の土地でパレスチナ人を他の パレスチナ人から隔離すためにだけ機能し、誰もが聞き飽きているくたびれた古いお 話にしてしまっているのです――イスラエル人と、パレスチナ人と、国際社会。

さて、私のジェニンからエルサレムへの「急ぎ旅」の話に戻ってみましょう。私たち のミニバスの乗客たちは、小さな検問所一箇所とそのあとのラマラ郊外の常設検問所 一箇所を通過するだけでいいと楽観的に考えて、ジェニンを出発しました。

しかし、ジェニンを出て10キロほども行って丘を越えたところで、私たちのミニバス は、前に並んでいる車の列に危うく衝突しそうになって急ブレーキをかけて停車する のです。するとグッとハンドルを切って反対車線に入った運転手は、そのままユー ターンしてしまいます。前に進めば「機動」検問所があって、多分1時間は待たされ そうになるからです。運転手はすばやい決断で舗装もしていない道に入り急坂を登っ て丘に上がり、小さな村々を曲がりくねって通り抜け反対側にまで出てしまうので す。それは、長くてがたがたの道のりですが、また車を大通りに戻した運転手は、時 間を節約しお客のために奮闘したことに満足げな顔です。

幸福な気分で旅を続けられるのは、また前方に別の行列を見つけ、それに気づくまで です。今度は方向転換もかなわず、トラックや自家用車やタクシーやバスが並んだ長 い列に加わることになるのです。早く動いている列ではありません、いや事実全く動 いていません。自分の車を降りて道端で待っている人たちと一緒にタバコをすうため に、私たちの運転手と数人の乗客が降りていきます。1時間かそこらノロノロと進ん でやっと列の先頭にくると、若いイスラエル兵2人が、両方向から来る車の列に自動 小銃の台尻で、停まれとか行けとか戻れとか指示しているのが見えてきます。私たち のバスは、これだけ待ったことが無意味になってしまうような騒ぎもなく通過するこ とができました。

私たちは安堵のため息をつき、心はまたラマラへの急ぎ旅のことに戻っていました。

程なく、私たちのため息は、うめき声に変わってしまいました。「なに? また別の 検問所?」

そうです、機動検問所ナンバー3があって、さらに40分間も待たされて、別の重武装 の若年兵が身分証明書を一瞥し行けと指示することになったのです。

さらに20分間、もともと私たちも知っていた常設の検問所ナンバー4で待たされて、 それからもう一度安堵のため息をつきなおして、ラマラへのホームストレッチを突っ 走ったのです。

ミニバスに乗っていた衣服商の女性は、ラマラの自分のお店が閉まる前に帰りたかっ た――いまや、不可能になってしまいました。

別の男性はバスを乗り継いで別のところまで行く必要があった――もう、そのバスに は間に合わないでしょう。

私は暗くなる前にエルサレムに着きたかった――もう、無理です。

人としての用務を抱えた人間にとって、移動の自由を制限されると、ほんの少しの不 便ですむ時もあれば、その計画すべてが完全にメチャクチャになってしまう場合もあ るのです。

しかし、時間の遅れは問題の半分でしかありません――ほんの半分なのです。

イスラエル軍の検問所を通過することは、誰であろうとトラウマを抱え込んでしまう 経験になりうるのです。

肩に自動小銃をぶら下げた威圧的な少年兵が、身分証明書を要求し、それを点検し、 どこから来たのか、どこに行くのか、なぜそこに行くのか、どのくらいそこに居るつ もりか、そんな個人的なことを質問します。すべてが、どう言えばいいのでしょう、 不愉快なやり方で、控えめに言ってもまったくわずらわしいものです。

「あんたの知ったこっちゃない」と言ってみたい誘惑にかられますが、パレスチナ人 には不可能なことです。もし彼らが質問に答えるのを拒否しようものなら、列から外 されて、待たされて、そのうえ更なる尋問のために拘束されることもしばしばです。

ナブルス近郊の村外の機動検問所では、私たちと並んで立っている地元の歯医者さん がいました。もの静かな上品な顔つきのこの男性は、何の説明もなく彼の身分証明書 を兵士たちに取り上げられて、2時間以上も凍てつく寒さのなかで待たされていまし た。私たちが、なぜ彼は待たされているのか聞いてみても、イカれた19歳の兵士から はなんの返答もありませんでした(会話力はイスラエル軍の強みではないのです)。 私たちは、彼らが昼食を食べるのを眺めながら、さらに長くひどい寒さの中に立たさ れていたのです。結局彼らは、この耐え難い待ち時間についてはなんの謝罪も説明も なく、身分証明書を歯医者さんに返したのです。

彼が言うには、彼らは毎日こうするのだそうです。

私たちの友人の話では、ナブルス近郊のベイタ村でも、なんら明白な理由もなく寒さ のなか検問所で彼自身も立たされていたことがあるだけではなく、もっと寒さが染み 入るように上着を脱げと命令されたこともあるといいます。

軍事検問所の残忍性があまりに悪評高くなったので、さまざまな検問所を見張り虐待 を監視するために、マフスーン・ウォッチ(検問所監視)という組織を作らざるを得 なくなったイスラエル人の女性たちがいます。イスラエル人として、イスラエルの名 の下におこなわれていることを恥と思い、それを潔とできない人たちです。彼女たち は、検問所は「屈辱の故なき具現化」だと言います。最近報道された、検問所でイス ラエル兵のために自分のバイオリンを弾くことを彼らから強要されるパレスチナ人の 写真を撮ったのは、このマフスーン・ウォッチの女性たちです。いまここでは、皆さ んの背筋が寒くなるような恐ろしい検問所の話の数々を並べる余裕はありません。

エルサレムへの旅の話に戻りましょう――日も傾いてきて、みんなほとほといやに なっていて、検問所ナンバー5が遠くに見えてきたときは、不信感やうんざりした気 持ちをもう誰も隠そうとはしませんでした。

「私たちがどんなふうに生きなきゃならないか、分かったか!」と、後ろの方の座席 から、専門職ふうのスーツにネクタイ姿の若いパレスチナ人乗客が叫びました。

「毎日どんな被害にあってるか、見たかね? 私たちは監獄にいるんだ。

「どうやったら、これを辛抱できるんだ?」

その通りなのです。大部分の人はこんなことには耐えられないでしょう。オーストラ リアの皆さん、想像してみて下さい。シドニーからカトゥーンバにドライブするの に、ストラスフィールドで自動小銃をかまえた怒りっぽいティーンエイジャーに止め られて、別の国の言葉で違うしゃべり方をされて、待たされて、個人的な移動につい て質問されて答えないといけない。それから、それが、リッドコムで、パラマッタ で、ペンリスで、グレンブルックで、ルーラで繰り返されるのです。思い浮かべてみ て下さい。

検問所ナンバー5での更なる30分で、みんなが携帯電話で愛する人たちに連絡を取っ て、3時間前にジェニンを出発したのに、まだ、本当に、その途中だと知らせること になりました。

私たちはやっとラマラに到着しましたが、エルサレムまで行く者はバスを降り、鉄と コンクリートでできたカランディアの大検問所を歩いて通り抜けて反対側まで行っ て、また別のバスに乗り込まなければなりませんでした。

私にとっては、それは簡単なことでした。女性の列はいつも割りと速く進んでいて、 あまりたくさん質問されることもありませんでした。しかし、男性の列を振り返って みたとき、かつて見たこともない悲しい光景に一瞬身が縮み上がりました。若者や、 老人や、10代の子供や、中年男性たちが、家畜のように鉄格子の中にぎっしりと詰め 込まれているのを見たのです。その傍らでは、緑色のぴったりとした制服に金のアク セサリーを身に着けた若い女性のイスラエル兵が、止まれとか、行けとか、待てと命 令を下していました。

私が長く待たされている列を見ていると、その女性兵は胸に自動小銃をぶら下げたま ま脇のほうに歩いていって、リップスティックを塗りなおしていました。

いかにも品のよい老人を、銃の台尻で彼女が突くのを見たとき、私は気分が悪くな り、目には怒りの涙があふれました。

屈辱、誇り高き人に対して――これ以上悪いものは知りません。

人々は、まるで身分証明書で焼印を打たれた蓄牛のように通り抜けて行きます。

私は、叫びだしたかった。走っていって少女兵に、自動小銃をおろしてどこかへ行き なさいと言ってやりたかった。ビーチに行きなさい、ナイトクラブに踊りに行きなさ い、青春を取り戻しなさい、何でもいいから10代の娘がやるのにふさわしいことをや りなさい。

私は、鋼鉄の回転ドア式出入り口から子供たちを抱えあげて、自由に走り去らせてや りたかった。老人がうなだれなくていいように、女性がおののかなくていいように なってほしかった。

私は、身分証明書を全部破壊してしまいたかった。

この場所全体をつぶしてしまいたかった。

パレスチナ外部の誰かに分かってほしかった。気づいてほしかった。そして、これが 何であるか明示してほしかった――占領された者を残忍に扱い、占領行為の実行に使 われる若者の精神を破壊し、制御不能となっている絶望的な占領のこの醜悪な症状 を。

エルサレムへの道すがら、私はずっと泣いていました。

そして、その私のために、もうひとつの検問所ナンバー6が、途中に待っていたので す。

皆さんの巡礼者

ドナより

追伸:私が旅をしたジェニンからエルサレムへの途中の機動検問所の写真や、その他 のパレスチナ中にある常設検問所の写真を見るには、 www.donnainpalestine.photosite.com へ。 [訳注:このサイトを実際にごらんになることをお勧めします。英語のサイトです が、上部2つが検問所の、残りの5つがサイダ村の写真です。写真をダブルクリック するとアルバムが開きます。開いたアルバムの一番下の中央右に、next page のボタ ンがあればそのボタンをクリックすれば続きのアルバムになります。機動検問所と訳 したflying checkpointや、回転ドア式出入り口と訳したturnstileなどを写真で確か めることができます]

追追伸:和平プロセスが進展することを望みますか? 屈辱的な検問所を撤去し、パ レスチナでパレスチナ人の移動の自由を認めることが、まず最初の一歩でしょう。あ なたもイスラエル政府にイーメールしてこのことを提案することができます――アリ エル・シャロン首相 pm_eng@p… 、シャウル・モファズ国防相 sar@m… 、ツァフィ・ハネグビ国内治安相 sar@m…

追追追伸:彼女たちの仕事についての詳しい情報は、www.machsomwatch.org [訳注 :英語とヘブライ語]をチェックして下さい。もうひとつの優良なイスラエル人権グ ループは、www.batshalom.org [訳注:英語とヘブライ語]で。

追追追追伸:「和平会談とは、両派が平等の原則に則り行動するときに始めて成功す るのであり、したがって片方は相手側から要求されるものと同じものを用意しなけれ ばならない」――バンガニ・ンジェリーザ 南アフリカ

(翻訳:福永克紀/TUP) 原文:Moving around in Palestine URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/151