TUP BULLETIN

速報494号 リバーベンドの日記 5月2日 にんじん 050513

投稿日 2005年5月12日

FROM: liangr
DATE: 2005年5月13日(金) 午前8時00分

いとこが自動車爆弾事件に遭遇した!


戦火の中のバグダード、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の 女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、 女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、 検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列 と水汲みにあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で読ま れています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため息が 感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、T UPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 (転載転送大歓迎です)

(TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里) http://www.geocities.jp/riverbendblog/


2005年5月2日月曜日

ニンジンに救われた…

ここ数日、爆発しやすい日々が続いている―文字通りの意味で。こんな 状況は4日前からのことだが、いまもって続いている。バグダードだけで も車の爆発が14件ほど起きていると、2、3日前に聞いた―といっても、 うちの近所で起こったのは6件だ。最近、車を見るとびくびくしてしまう。 どの車も怪しく見える―小さいのも大きいのも、古い車も新車も、運転手 が乗っている車もレストランや店の前に停車している車も。ちかごろは、 どれもこれも不吉に見える。

一昨日は私たちにとって最悪の日だった。叔母と16歳になる叔母の息子 がきた。この家は「いまだに」じゅうたんを敷いたままじゃないの、と叔母 ががみがみ叱るのを私たちは辛抱強く聞いた。イラクではじゅうたんは一年 中敷きっぱなしにするものではない。私たちは4月ごろじゅうたんを取り払 い、10月あたりに敷きなおす。それに、外国のように壁と壁の間にじゅう たんを敷き詰めたりしない。そのかわり、きれいなじゅうたんを部屋の真中 に敷く。いちばん上等なのはイラン製、なかでもタブリーズやカシャンで織 られたものだ。大きくて重く、デザインが入り組んでいる。タブリーズやカ シャン製のじゅうたんはとても高価なので、今や持っている家族はとても少 ない。バグダードでタブリーズ製のじゅうたんを持っている人がいるとした ら、たいてい遺産で相続したものだ。

うちにはごくふつうのペルシャじゅうたんがある(じつはペルシャ産じゃ ないかもしれないと思っているのだが)。高価ではないし、取り立てて見栄 えがいいわけでもないけれど、居間にいかにもイラクの家らしい東洋的な雰 囲気をもたらしている。家具がどんなに西洋的でもかかわりなくね。

じゅうたんいっぱいにシンメトリーに繰り返されるパターンと色。でも、 注意深く観察すれば、花や幾何学模様や、ときには鳥や蝶が紡ぎだす物語が 読みとれる。E. と私は、幼いころ、じゅうたんの上に座って目を凝らし、色 とりどりの色や模様を「読もう」とした―床にじゅうたんを敷いているって、 床にウールのブログを広げてるみたいなものね。

叔母は座ったまま、小言を続けた。じゅうたんはとうの昔に、そう、4月の 初めには洗って片付けておくべきだったと。その通りよ。じゅうたんはきれ いに洗い、きっちりと巻いて、ほぼ7ヶ月間、2階の歩哨でもあるかのよう に2階の廊下のすみに高くしっかりと立たせて保管すべきなのだ。私たちが 今までそうできなかった理由は、ごく単純だ―うちの地域では水の出が悪く て4月にじゅうたんを洗えなかったので、じゅうたんを洗うのを1週間延期 したら2週間となり、あっという間にずるずる3週間・・・そして、とうと う5月1日になってしまい、じゅうたんが床の上で私たちをとがめるかのよ うに見ていることになったというわけだ。

叔母は、20分も経たないうちに、今晩うちに泊まって翌日私たちが問題の じゅうたんを片付ける手助けをしようと決断した。私たちは屋根を完璧にき れいにすることになった。翌日、じゅうたんを次々に屋根まで引き上げ、徹 底的にたたいてほこりを払い、大きいじゅうたんは叔母秘伝のじゅうたんク リーニングミックスで隅々まで拭き、小さいものは洗い、熱い屋根に広げて 乾かすのだ。

息子のほうは泊まるわけにいかなかったので、その日のうちに2キロの道 を歩いて家に帰ることにした。彼がうちを出たのはたしか午後1時ごろだっ た。叔母が次々に繰り出す指示に、彼は耳を傾けた。お父さんの昼食を温め てね、勉強しなさいよ、果物は洗ってから食べるのよ、帰り道でニンジンを 買っていってね、怪しい車や人に気をつけてね、家についたらすぐに電話し てね、そうしたら安心だから。

彼はうなずき、手を振って別れをつげ、門を出て大通りの方へ歩いていった。

3分後、爆発で家が揺れた。窓がガタガタ鳴り、階上のどこかでドアがバ タンと閉まった。私は居間のじゅうたんの端をつかんだ。じゅうたんの下に 虫がいないのを叔母に見せるためにめくった箇所だ。

E. は険しい顔で「自動車爆弾だ」と言い、爆発がどこで起きたのか見よう と外に駆け出していった。私はおそるおそる叔母を見た。叔母は真っ青な顔 をしていた。外に出ようとスカーフをつけなおす手は震えていた。

彼女はあえぎながら、「F. は、いま出たばかりなのよ…」と、息子のこと に触れた。私は手の内のじゅうたんを取り落とし、E. を追って外に走り出た 。爆発の方向を確かめようとしたとき、心臓がばくばくした。私は叔母が近く にいるのを感じた。

叔母は弱々しく「あの子を見た?」と言った。そのとき私は道路の真中に いた。あたりには近所の人たちも何人か立っていた。

私は道路の向こう側にいる近所の子どもに「爆発はどこだったの?」と聞 いた。

「大通り」。その子はいとこが向かった方向をさして答えた。

「爆発は大通りだったの?」叔母は門のところで叫んでいた。

「ちがうわ」。E.を探しながら、私は嘘をついた。「爆発は別のところだ ったのよ」。私は大通りまで走っていこうかどうしようかと考えていた。大 通りには人が続々と集まってきていた。と、E. が角を曲がるのが見えた。い とこに軽く腕をかけていた。いとこは興奮してしゃべっているようだった。 私は振り返り、叔母を励まそうとにっこりした。門のところにいた叔母はほっ として力が抜けたようになった。

「あの子は無事だった」。叔母は言った。「あの子は無事だったのね」。

「ぼく、爆発のすぐそばにいたんだよ!」F.は、家に近づくと、興奮して 言った。叔母は彼の肩をわしづかみにして、彼の顔を、首を、腕を、調べは じめた。

「お母さん、ぼく、だいじょうぶだよ…」。いとこは叔母の手をすり抜け た。叔母は、この子はもっと注意深くしなくてはならなかったのに、と理不 尽な小言をちりばめながら、長い感謝の祈りを唱えはじめていた。

私は、答えを恐れつつ「犠牲者は?」とE.に尋ねた。E.はうなずき、指を 3本立てた。

「3人殺されたと思う。病院へ連れて行ってくれる車を待っている人たち もいた」。

家に着いてから、E.と私は、E.が現場に戻って、なにか手助けできないか見 てくるべきだと思った。私たちは、ガーゼや包帯や消毒薬と、冷水が入った ビンを2、3本集めた。E. が出かけると、私はいとこのそばに戻った。彼は 緊張し、興奮していた。信じられないという思いで目を大きく見開いていた。 話をするとき、声はわずかに震え、下唇がわなないた。

「道路を渡ろうとしたときに、ニンジンを買わなくちゃって思い出したん だ」。彼は早口でしゃべった。「それで、野菜売りのおじさんのところで立 ち止まって、ニンジンを買おうとしたちょうどその時―ドカンって大きな音 がして車が爆発して、その隣の車が燃え出したの…もしニンジンを買うため に立ち止まっていなかったら…」。いとこが腕を振り回したので、私はその 腕が顔に当たらないように身体をそらせた。

居間にいた叔母ははっと息を呑み、立ち止まった。「ニンジンがおまえを 救ったのね!」彼女は胸に手を押し当てて叫んだ。いとこはあっけにとられ て母親を見た。いとこの顔にゆっくりと色が戻ってきた。「ニンジン」。彼 はつぶやき、椅子にドシンと座り、クッションをひっつかんだ。「ニンジン がぼくを救った」。

1時間後、E.が疲れきって帰ってきた。2人が亡くなった―3人目はおそら く助かるだろうが、少なくとも10人が負傷した。いとこを見るたびに、感 謝しつつも不思議でならない。私たちはなんてラッキーだったのだろうと。

午後11時59分 リバー

(翻訳:リバーベンド・プロジェクト/いとうみよし)