TUP BULLETIN

速報526 レベッカ・ソルニット、直接行動の勝利を測る 050807

投稿日 2005年8月6日

FROM: minami hisashi
DATE: 2005年8月7日(日) 午前1時07分

☆真実と歴史は、白か黒かではなく、灰色★
ロンドン連続爆発事件の陰に隠れてしまった観があり、またメディアは深層
に迫る解説を提供していないようですが、グレンイーグルスG8サミットで決
まった世界最貧18か国の債務の全額免除は、歴史的意義を持つ成果かもしれ
ません。本稿では、レベッカ・ソルニットは、この画期的な決定を素材にして、
何をもって国際市民運動の勝利とするかについて論じます。
このサミットで、わが小泉首相は「わが国は、対アフリカODAの倍増に加
え、今後5年間のODA事業量について100億ドルの積み増しを目指す」と
表明しました。あいかわらずの金のバラ撒きであり、その意図は言うまでもな
いでしょう。日本では、市民を担い手とする直接行動にとって、あいかわらず
厳しい時代が続いていますが、訳者としては、本稿がレベッカ・ソルニット流
儀のひとつの応援歌になることを願うばかりです。井上

凡例: (原注)[訳注]〈ルビ〉《リンク》
お願い――リンクURLが2行にわたる場合、全体をコピーしてください。
================================================================
トムグラム: レベッカ・ソルニット、直接行動の勝利を測る
トム・ディスパッチ 2005年7月25日

まえがき
――トム・エンゲルハート

ドナルド・ラムズフェルド国防長官の頭は、ずっと前からイラク戦争における
成功を表す“計測関数”《*》に取りつかれている。もちろん彼のは地獄伝来
の物差しで、勝利の兆しを品定めするにしても、決まって騙〈だま〉されてば
かり。それにしても、このごちゃごちゃした地球上の測れないものを測るのは、
たやすい仕事ではないし、この世のラムズフェルド一派の専権事項でもない。
私たちは皆、はっきり気づいていてもいなくても、“成功”を物色し、それを
測ろうとして、思いのほか多くの時間を費やしている。
http://www.defenselink.mil/transcripts/2005/tr20050329-secdef2401.html
[米国防総省サイト: 3月29日ニュース再録――ラムズフェルド国防長官
「例えば、われわれは地域ごとに攻撃の総数を記録します。地域ごとに攻撃の
型を記録します……すると、一つの関数が鮮明に示されます……」]

2003年5月、反戦デモの巨大な波が引いたあと、イラクでは戦争がまだた
けなわだというのに、数多くの人たちが絶望のうちに荷物をまとめ、家に帰っ
たとき、レベッカ・ソルニットは、どう考えても状況がほんとうに厳しいとき
でも、私たちがあくまでも前進すべきなのはなぜかについて、また現実の世界
における成功が、じっさいはスポーツやペンタゴンの“関数”では決して計測
できるものではにのはなぜかについて、論考「希望の行為」をトム・ディスパ
ッチに寄稿した《1》。その記事から、どういうわけか、思いがけなくも素晴
らしいことに小冊子がヒョイととびだした。その本は『暗闇のなかの希望』
《2》と題され、歴史が――首尾よく世界の変革を果たすという話しになれば
――計測を寄せつけず、つねに私たち皆をビックリさせてやまない様相に焦点
を絞って論じている。その後2年、別の趣きで厳しい瞬間のいま、彼女は、ス
コットランド、グレンイーグルズのG8サミットで議題になった最貧諸国の債
務免除を論じることにより、成功または勝利を測るだけでなく、それについて
どのように考察すべきなのかという問題をふたたび論じる。彼女が私たちに分
かってほしいのは、変化を相手に通常の関数は役立たないこと、勝利がついに
到来するとき、私たちが希求していたものとは似ても似つかない違った様相の
ものとして現れること、時には勝利が対抗者または敵側の姿をまといさえする
こと。私は本稿のなかにも将来の小さな本を嗅ぎとっている。だから、読者の
皆さん、私の言うことを聞いて、なにごともあるべきようにはまったく見えな
い、変化は未曾有の規模と形を取らないかぎりは起こらない現実の深みへと、
あの大いなる灰色のクジラと一緒に潜ってほしい。トム
1. http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/560
[TUP速報515号「レベッカ・ソルニット、希望を語る」]
2.

50-4984505-9737800 [書評あり]

大いなる灰色のクジラ
または、このお話しには教訓がない
――レベッカ・ソルニット

数か月前、私たちがザトウクジラを観察していたとき、私の連れが、小説『白
鯨』の語り役イシュメイルが――その友人クィークエグの棺桶に入り、打ち壊
された捕鯨船ピークォッドから流れ出て――生き残った次第について考えたこ
とがあるかと私にたずねた。クジラそのものは、ペンシルベニアの土地から黒
い物質・石油が滲〈にじ〉みでて、ロックフェラー一族を金持ちにし、ランプ
を灯す鯨油を不必要にしたおかげもあって(それに、1949年に成立した第
一次捕鯨条約のおかげで)21世紀まで生き延びた。石油は、もちろん、やが
て気候変動の原因になってクジラたちの生息環境を脅かし、他の面でもクジラ
たちの世界を滅茶苦茶にしている。この話しには、イシュメイルが、友だちが
捕らわれた猛烈な死の予感のおかげで無事に逃げおおせたいきさつとまったく
同様、これといった安直な教訓はない。教訓がないことも、作家ハーマン・メ
ルヴィルの語り口の豊穣〈ほうじょう〉さの証し。

世間には事実から教訓を引き出すのが難しいお話しがいっぱいある。ヘラジカ
の枝角が中国人の催淫薬として粉にされる惧れが少なくなった例をはじめとし
て、ヴァイアグラのおかげで絶滅危惧種が助かったという喜ばしい事実があり、
これなどは確かに現代医薬品の最大の意外な貢献である。カジノが、多くの先
住アメリカ人部族にとって財源と政治力の源泉になっている。もっとも、ギャ
ンブルは別種の社会問題であり、一部のカジノでは、外部集団が筆頭受益者に
なっているということもあるが。マクドナルドは(動物権利擁護運動家たちか
ら強烈な圧力を受けて)食肉家畜の飼育法と屠殺法の改善の旗手になった。
(絶滅危惧種の爆撃が、軍事訓練の一環になっているとしても)多くの軍事拠
点が広大な土地を民間開発から守り、事実上、野生生物の避難所を提供してい
る。

さらに――中絶反対派・死刑擁護論者のアリゾナ州選出上院議員ジョン・マケ
インが見せる気候変動対策への熱い思い入れ、先ほど物故した法王ヨハネ・パ
ウロ二世によるネオリベラリズム(新自由主義)糾弾といった例のように――
ふだんはとんでもない政治家が、理由はともあれ立派なおこないをする瞬間、
あるいは道理と悪意とが不思議な感じで混じりあう瞬間がある。わが国の偉大
な環境保護派大統領リチャード・ニクソンは言うまでもない(し、彼が環境保
護局、絶滅危惧種法、清浄大気水質法を私たちにもたらしたことじたい、もち
ろん清い心の所産ではないが、そんなことより清浄な水と空気のほうが大事)。

それなのに私の同胞たちは、時どき私は考えるのだが、日曜学校やスポーツの
ように単純であって、『白鯨』みたいに複雑でない物語を備えた現実世界を探
し求めている。私だって、そういう勝利は好きだ。ジョージ・W・ブッシュが、
今月早くスコットランド・グレンイーグルズのG8サミットから帰国したあと
――オスカー授賞式のように世界生中継テレビ放送枠で――膝をつき、すべて
の人にすべてのことについてやたらと謝罪し、資本主義や暴力、彼自身を糾弾
し、世界銀行とIMF(国際通貨基金)との解体を約束し、イラク戦争をただ
ちに終らせ、数十億ドルの一部なりとも寄付して、アフリカの貧困を救済して
いたなら、私は勝利をたいそう好きになっただろう。それにこれもほんの始ま
りにすぎない。だが、今はとりあえず、私たちが獲得したものを見てみよう。

赤ん坊か、赤ん坊殺しか?

ブッシュは、いつものように気候変動対策を拒み、対アフリカ援助と債務救済
政策とにイヤイヤながら付き合った。それでも、サミットの準備段階で、ボリ
ビア、エチオピア、ガーナ、ニカラグア、ルワンダ、ウガンダを含む世界最貧
18か国が100パーセントの債務免除――IMF、世界銀行、アフリカ開発
銀行からの借金400億ドルの帳消し――を認められた。今後18か月以内に、
さらに9か国が債務棒引きを認められることになる。もちろん、これには紐―
―これらの国ぐにに、そもそも窮乏の原因になったルールのいくつかに従って
行動することを余儀なくさせる既定の政策――が付いている。急進論者たちの
多くが、債務救済やアフリカの貧困を議題にしたG8の取り組み全体を激しく
論難した。ジョン・ピルガーはニュー・ステーツマン誌に次のように書く――

「これは詐欺である――じっさいにはアフリカの貧困緩和に対する逆流だ。こ
の“包括政策”は、世界銀行やIMF[国際通貨基金]が押しつける卑劣で不
名誉な経済計画に完全に縛られるものであり、“選ばれた”諸国はさらに深刻
な貧困へと転落すると請け合うだろう。これが、ブレアとその金庫番のゴード
ン・ブラウン、それにジョージ・ブッシュに支持されていて、何の驚くことが
あろうか? ホワイトハウスでさえ、それを“画期的成果”と呼んでいる」

他の人たちは反論した。フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス[焦点の対
外政策]論説者、マーク・エングラーは次のように書いた《*》――
http://www.democracyuprising.com/articles/2005/debt_jubilee.php

「債務交渉を攻撃した彼ら革新派は、G8の財務閣僚たちは、債務帳消しを公
表するにさいしてすら、新自由主義経済の枠組みを明確に再確認していると力
説する。新しいG8合意によって、18か国がIMFおよび世界銀行の債務を
完全に免除されたのであり、後日、他の8か国にも同じ救済策が認められるの
だ」

彼は論を進めて、HIPC(Highly Indebted Poor Countries)プログラム、す
なわち重債務貧困諸国対応計画のもとで債務免除を賦与される諸国が受諾する
ように要求される[経済活動の]私営化や国内資源の企業による開発を促進す
るためのさまざまな方策などの「付帯条項」または条件について語った。エン
グラーは次のように結ぶ――

「明らかに、これは問題である。とは言っても、すでにHIPC状況のうちに
苦しんでいる貧しい諸国にとって、ふじゅうぶんな部分的救済よりも、全面的
免除を受けるほうが確かにありがたい。全面的、100パーセントの免除は、
債務救済運動の基本的な要求のひとつであってきた。大衆抗議行動と粘り強い
ロビー活動の幾歳月、これは富裕諸国が抵抗してやまなかったことがらだった。
G8合意は、この久しく拒まれていた要求が妥当であると確認することによっ
て、画期的な先例をつくったのである。このブレイクスルー[現状打破]は意
義のある勝利なのだ……例をあげれば、1997年の債務免除の結果、ウガン
ダ国民約220万人が給水の恩恵に浴するようになった」

この論争は、これが降伏にあたるか、あるいは付加的な勝利であるかの判断を
巡るものであるようだ。私たちが獲得する勝利の大半は混ぜものや妥協だった
り、不完全で信用されない類のものだったりするものなのだ。ブレアやブッシ
ュが自分たち自身を槍玉にあげたり、貧困を生みだす体制を糾弾したりしなか
ったとしても、ビックリすることはない。彼らは、常に変わらず財政援助に賛
成してきたと言い張るにしても、構造分析はもちろん避けた。

急進主義者たちは、急激で劇的、啓蒙がいっぱいつまった勝利、自分たちにふ
さわしく、しかも独り占め的にふさわしい勝利、反対側が派手に悔い改め、自
分たちの方向を劇的に逆転してくれたと感謝し、あるいはさらに願わくば、た
だ単に降参し、退散してくれるような類の勝利を欲しがることが多い。主張の
焦点は、苦しみを癒すことから、苦しみの原因を説いたり自分たちの美徳を認
めろということに移っているので、これはまっとうな勝利ではなく、弁明であ
る。

「アース・ファースト!」をはじめ、急進的環境保護主義者たち側の長い闘争
のすえに、カリフォルニアの源流域森林のいくらかが守られたときのことを私
は思い出す。提案された保全策は不適当だとして、怒りの声があがったのは、
なかなかの見物だった。太平洋木材社オーナーのジャンク債券王チャールス・
ハーウィッツが、森林保全の観点から焦点になる不動産を象徴する土地を立ち
はだかる敵側に売却して、抜け目なく儲けたことに多くの人たちが注目した。
ハーウィッツが文無しになり、刑務所送りになるのを見ることができていれば、
素敵だっただろうし、そうなったとしても、相応の理由はあった――だが、森
林はもっと重要であり、もとより森林保全が肝心だった。

では、スコットランドにおける課題は、債務救済? それとも、その債務と悲
惨な貧困を生み出した体制の破壊? 新自由主義の諸悪を認めること? ブッ
シュとブレアを降参させること? 地球上最貧の何百万の人びとに影響がおよ
ぶ債務免除のような素晴らしいことを達成するのは、権力者たちに、彼ら、ま
たは彼らの体制が間違っていたと認めさせることよりも容易だし、さまざまな
意味で現実的だ。

活動家たちは、多くの場合、敵とみなす相手側の手柄とすることを毛嫌いする
し、この嫌悪感は分かる。けれど、改善のための変化が実現する複雑怪奇な道
筋を見分けるのを拒むこと、あるいは見分けられないことは、まったく別のこ
とである。政界に聖者たちが大勢いるわけではなく、聖者だけが与えられる変
化を求めるなら、永久に待つことになる。私たちに必要なのは、体制変革であ
り、それ以外のものではないと主張するのもいいが、多くのばあい、人道主義
は道中の小さな一歩一歩を引き受けることを意味する。友人が私に言ったのだ
が、依頼人が死刑になりそうなとき、死刑廃止や体制変革をめざすのもいいが、
法廷闘争の勝利は、まず第一に依頼人の死刑囚監房送りを阻止することなのだ。

もうひとつの立場が、15年前、出獄したばかりの活動家から私が聞いた話し
にうまく表現されている。彼女は、核ミサイル誘導システムを破壊した咎〈と
が〉により有罪判決を受けていた。彼女は川岸にいる洗濯女たちの譬〈たと〉
えを語った。女たちは赤ん坊が流れてくるのを見つけ、救っているうちに、い
つも川に飛び込み、赤ん坊を掴まえるようになってしまった。ついにある時、
洗濯女のひとりがその場を離れた。仲間の女たちは、赤ん坊が気にならないの
か、と彼女に声をかけた。女は「私は川上に行って、赤ん坊を放りこんでいる
やつを見つけるつもりよ」と言った。彼女は革命理論家であり、体制に挑戦す
るが、その一方――債務救済問題の場合――では、新自由主義が終息する前に
溺死するだろう赤ん坊たちを救いあげるために言わなければならないことがあ
る。両方の立場がともに求められていて、両者は、競争関係にあるというより、
たがいに補完しうる。危険の淵にある赤ん坊は大勢いる。赤ん坊にキスしては
川に放りこむ嫌らしい政治家も大勢いる。

例えば債務の組み替えではなく、全面的な債務免除は、負債がもたらす途方も
ない苦しみとともに、それを生みだした制度の欠陥を認識するイデオロギーの
変革であるかもしれない。(そもそも、これらの融資は繁栄のための資金提供
として公的に想定されていた) それはさらなる様変わりへの扉を開くようだ
――そして、この課題に10年にわたり取り組んできた粘りづよいジュビリー
[*]活動家たちは家に帰らず、納得していなかった。6月に同グループは次
のように宣言した――
[旧約聖書にある特赦の年。西暦2000年を目途とした低所得国の債務の帳
消しを主張した国際キャンペーンが「ジュビリー2000」と称した]

「土曜日のG7財務閣僚会合における、世界最貧諸国の一部が負う債務を免除
する取り決めがまとまったとする声明は、発展途上諸国のミレニアム開発目標
[*]達成を阻んでいる債務負担の帳消しにする行程の第一歩として歓迎され
なければならない。それでも、NGOや市民諸団体の債務問題運動が7月のG
8サミットに突きつける、維持不可能な債務の完全な免除という要求に対して
は、これでもまったく不満足な反応である。多くの債務諸国は実質的に破産し、
その債務の帳消しを求めてきたこと、そして債務問題そのものが現状の経済制
度の構造的欠陥の一部であることは、これまでの20年間、明確であってきた。
国際金融・貿易の抜本的な改革に着手するまでは、債務免除は――短期的には
必要だが――対症療法にすぎず、発展途上世界の慢性的な貧困の原因に対処す
るものではない。このような総合的変革がなされないかぎり、債務問題運動の
大目標は最終的に裏切られる」
[2000年に国連ミレニアム宣言として策定された、貧困の削減、保険・教
育の改善、環境保護等に関して2015年までに国際社会が達成すべき目標]

ここで問題は、この夏に講じられた政策が、さらに実体的な変革に向かう措置
になっているかどうかである。

トニー・ブレアに敬意を表して、私はガンジーの有名な金言を次のように読み
換えた――「先ず、彼らはあなたを無視する。次に、笑い者にする。そして、
あなたに敵対する。やがて、彼らはあなたの主張を取り込み、以前から自分た
ち側のものだったように装う。それでも、あなたがすっかり取り乱さなければ、
あなたが勝つかもしれない」。引っかかることがひとつ――それが勝利には見
えないこと。勝利がもたらすとされる満足感がない。栄光の爆発ではなく、小
出しにやってくる。見分けも覚束ない、予想もしないような形で姿を現わす。
変化は、まるでコソ泥であるかのように忍び足で訪れ、日常世界をコッソリ動
かす。勝ったとたん、あなたの勝利はあなたのものではない。まず、嫌な以前
の敵方のものになり、今では、彼らはそれがもともと自分たちのものであるよ
うにして取りこんでしまい、次にそれは歴史に属するようになる。

たぶん私たちは団体競技をやっていて、ごくたまに何かが勝利のように見える
のだろう。そして、たまに現実世界は、細い流れではなく――例えば、マンデ
ラの[南アフリカ大統領]就任のような――分水嶺的な変化を迎える。(メキ
シコでは、70年間のPRI[制度的革命党]独裁が、マンデラ的人物によっ
てではなく、前コカコーラ社幹部、ヴィセンテ・フォックスの大統領就任をも
って終った――それでもこれが、来年、PRIによる完全支配が最初に崩れて
から20年目にして、混乱しつつも加速した変化の後、そのおかげもあってと
いうことになるだろうが、メキシコシティの左派市長、ロペス・オブラドール
が同国の大統領になるという真の分水嶺的な勝利に道を開くかもしれない)

実質的な論争点は認識の差を巡ってのものだ。急進論者たちは、限定的な変化
を容認すれば、自分たちが追求する高邁な変化がないがしろにされると心配す
るし、一方、それほど急進的でない人たちは、実にしばしば対症療法的な方策
を進んで受諾しようとする。しかし、限定的な変化がより大きなあの目標を蝕
むのは、それが最終解決であり適切であると見なされたときだけである。私た
ち皆に求められているのは、矛を収める潮時と考えることなしに、達成を称え
ること、変化は飛躍よりもしばしば[社会などを]組み替えると理解すること
だ。もちろん、誰が何を要求し、次の予定を誰が決めるのかということになれ
ば、事はもっと複雑だし、それに、限定的な変化は、政治家たちが危機的な事
態に本気で対処するのではなく、民衆の声を沈黙させるための武器になる。

小さな身体を貫く剣を鈍らせる

5月下旬と6月上旬、私はイングランドとスコットランドにいたが、平行宇宙
に入りこんだ気分だった。恐怖の宣伝屋とファーストフッド店舗の増殖は、気
候変動に関する遍在的な先入見と同じくありふれたものになっていたが、アフ
リカの貧困はそうでなかった。(後者の問題は、もちろん、バウンティフル夫
人[婦人慈善家]風の政治や国家首脳たちに免罪を与える胸が悪くような熱狂
に取りつかれた萎〈しな〉びたロックスターたちが仕切っていた) トニー・
ブレアは、みずからが国家を引きづりこんだイラクにおける戦争をぼやかすた
めの見え透いたオトリ宣伝として、これらふたつの大義を取りこんでいたし、
それが効いていた――これらに比べて戦争は小さなニュース記事になり、G8
抗議行動でもわりと小粒な課題に割り引かれていた。(これは、もちろん、ロ
ンドンの爆弾がイラク問題を新聞のトップ記事に引き戻すまでの話し)

アフリカの貧困の真因をめぐって、鋭い国民的な会話が続いていた――そして、
さまざまな結論が提示された。大陸の大半を覆いつくしたあの災禍を説明する
のに、半千年紀にわたるヨーロッパ人による植民地化とジェノサイド、および
その政治的・心理学的影響を指摘する人たちがいた。ある人たちは、自国民を
徹底的に食い物にした反民主的な腐敗政権に対する広範な支持に目をむけた。
別の人たちは、アフリカの自然が生み出す富を絞り取った収奪的な多国籍企業
の役割に注目した。もちろん、すべてに理があり、IMFと世界銀行の政策も
そうだ。だが、私の気を引いた設問はこうである――何がアフリカの貧困を英
国の国民意識とG8交渉の中心に据えたのか?

これに先立つ7年前、イングランド、バーミンガムの1998年G8サミット
に対する抗議デモに私は居合わせていた。これは、シアトルの世界貿易機関に
対する画期的な封鎖行動が、多少なりとも自由である世界の愛されていない指
導者たちを自家製の超軍事要塞区域内の会合へと追放した時から17か月前の
ことだった。(スコットランドの田舎で開催された今回のサミットの警備の費
用は何億ドルもかかっている。あるスコットランドの地元民は、洋上の航空母
艦――政治家たちの一般社会に対する関係を最もよく表す、もっと安上がりで
正直な武装隔離区域――で会合を開いていればよかったと評した。確かに、警
備に費やした驚くべきお金で、アフリカの貧困のために多くのことができたは
ずだ)

1998年、私はバーミンガムへ行き、世界各地多くの場所の直接行動の思潮
と戦術を変革し、多くの国ぐにで同時デモ行動を組織するインターネットの力
を早くから実証した賑やかで非常に創造的な英国の運動、RTS(街路奪還)
と付き合った。同じころ、ジュビリー2000(現在のジュビリー・リサー
チ)は大規模なG8会場とバーミンガム中心街を広く人間の鎖で囲いこんだ。
RTSはG8の存在そのものを指弾した。ジュビリー2000は特定の要求を
突きつけた。当時、ジュビリーのグループは私にたいした印象を与えず、彼ら
の“債務を帳消しに”メッセージは、望ましくとも実現は望み薄に思えたと私
は認めなければならない。

貧困諸国が余儀なく受け入れた融資の原因と代償についての気づきが国境を越
えて広がったことと、先ほどの債務免除との両方のおかげで、かつて望み薄で
あったメッセージの実現が、今は到来した。債務免除の提案(それに付随して、
貧困を創出する豊かな世界の役割といった見解)が、バーミンガムの壁の外側
からグレンイーグルスの内部に伝わって、避けられない議題になった、その移
転の道筋を評価すれば印象深い。債務救済を早くから訴えてきた闘士たちが、
これほど複雑でパッとしない見解を取り上げ、これほど長く――重要視される
まで長く、世界を変えるほど長く――それに固執してきた道程も負けず劣らず
印象深い。と言うのも、債務救済は、不透明であることが多い現代の直接行動
の課題のよい例になるからである。児童が殺されてはならないのは皆が認める
が、不可解に錯綜した国際金融のルールが、小さな身体を貫く剣になりうる仕
組みを人びとに説明するのは難しい。ザンビアは、債務免除によって、同国の
10万人のAIDS[後天性免疫不全症候群]患者の一部に投与する抗レトロ
ウィルス剤をただちに導入できるとすでに発表している(このことも、やはり、
債務が死に直結していることを例示している。いまだに医療に恵まれないすべ
ての人びとに思いを巡らしてみよう)。

勝ったのか、負けたのか、何が達成されたのかを問うには、さらに大きな設問
を要する――完全さに届かない、完成とは言えない手柄を賞賛するのは有益な
ことだろうか? もしも「私たちが勝った」というふうに評定が単純化されれ
ば、この文化における勝利は、地球上の生活は自分のチームが高得点をあげれ
ば終わりになるゲームであるかのように、ふつうの場合、家に帰ることに直結
しているので、自己満足という本物の危険が生じる。だが、この奇妙な惑星の
うえで本当に起こった不透明な勝利における、私たちの役割を全否定するのも、
やはり危険だ。なぜなら、見物人たち、新参者たちに、時には古強者たちさえ
にも、私たちが勝つことは決してなく、やることなすこと役に立たず、まった
くの無能であると思わせたまま、放っておくことになるから。

粘り強さや批判、不満は、ゲームは終りでなく、苦しみが続いていると人びと
に思い起こしてもらうのに、いつも重要な働きを担っている。真の変革は起こ
りうるものであり、活動家には真の力があると認識していることも、やはりそ
うだ。白か黒かではなく、栄誉、または絶望のうちに安住する口実ではなく、
よりよい世界のために終わりのない事業を継続するためなのだ。モービーディ
ックは白かった。私が太平洋で見た、汐吹きし、跳躍するザトウクジラは黒に
近かった。だが、真実と歴史はもっと大きく、灰色だ。

[筆者]レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)は、サンフランシスコ在住、
トムディスパッチに寄稿し、書物を執筆。最新著作 “A Field Guide to
Getting Lost”《*》[『迷子実践ガイド』]

9737800
邦訳書『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』
――井上利男訳、七つ森書館、2005年3月刊、2200円+税。
http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0596.html
●4月24日付け朝日新聞「読書欄」、増田れい子氏による書評より――
「本書執筆の動機は03年春の世界規模の平和行動のあとの絶望を見つめるこ
とにあった。しかし著者は絶望の誘惑をかわし平和行動の真価に迫る……苛酷
さを増す時代の中で市民は変化をとげている。著者は『花は暗闇で育つ』と記
す。ネバダ核実験場閉鎖運動、ホームレス支援、座禅と多彩に行動する日常か
ら紡ぎ出されるその思索と表現は、五月の薫風に似て新鮮」
書評全文: http://book.asahi.com/review/TKY200504260233.html

[原文]The Great Gray Whale
Or This Story Has No Moral
By Rebecca Solnit, posted July 25, 2005 at TomDispatch
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=8260
Copyright 2005 Rebecca Solnit TUP配信許諾済み
================================================================
[翻訳]井上利男 /TUP