TUP BULLETIN

速報 665 号 リバーベンドの日記  4 月 26 日 万里の長城-隔離壁…  070501

投稿日 2007年4月30日

DATE: 2007年5月1日(火) 午前6時58分

とうとうバグダードを去る日が・・・


アメリカの侵攻のあと、ますますの混乱にあるバグダードから届く、若いイ ラク人女性リバーベンドの日記。とうとう彼女と彼女の家族のあいだに、バグ ダードを去る話題が具体的になってくる。でもいったいこの地球上に、祖国を 離れた彼女たちが安寧に暮らせる場所があるのだろうか。。。
(この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)

原サイト:http://riverbendblog.blogspot.com/
日本語サイト:http://www.geocities.jp/riverbendblog/


2007年4月26日 木曜日

万里の長城-隔離壁…

…現イラク政府が(アメリカ人の援助指導で)建設している壁のことだ。今や バグダードでの最大の「スンニ」地区とみなされている地域を分離し孤立させ ようと建設されている壁だ。-アメリカ人が何も築き上げていないとは誰にも いわせない。イラクの操り人形たちとアメリカ人たちがでっちあげたプランに よれば、それはアーダミーヤ(現在のイラク政府と彼らの殺し屋集団がスンニ 派イスラームを根絶やしにできなかった住宅・商業地域)を「保護」するのだそ うだ。

もちろん、その壁は誰をも保護などしない。私は時々、ヨーロッパで強制収容 所が始まる時もこんなだったのではないかと思う。ナチ政府はおそらくこう言 っただろう「いいかい、私たちはこの小さな壁でユダヤ人たちを保護しようと しているだけなんだよ。これで、誰もこの特別地域に入って彼らに危害を加え ることはできなくなるだろう!」と。しかし、それはまた、そこから出られな くなるということでもある。

この壁はイラクの社会をもっと滅茶苦茶に壊すための最新の取り組みだ。内戦 を促進し、支えるだけでは十分ではなくなってきたようね。イラク人は、ムッ ラー(訳者注1)、アヤトラ(訳者注2)、およびヴィシーのリーダー(訳者 注3)よりしぶとく骨があるということがほぼ証明された。壁が崩壊する前の ベルリンや現在のパレスチナのように、今こそアメリカにとっては、物理的に 分割して征服する時になった。このようにして、彼らは、「シーア派地区」か らスンニ派を、「スンニ派地区」からシーア派を追い出し続けることができる というわけだ。 (訳者注1:イスラーム知識人への尊称) (訳者注2:12イマーム派のイスラーム緒学を修めた知識人への尊称) (訳者注3:第二次世界大戦時にナチスドイツに協力したフランス政権。ここ ではイラクの傀儡政権のことを喩えている。)

私は、イラク人の戦争支持者たちがいつも外国の首都のテレビでインタビュー されるのを聞く(彼らは外国の首都という安全なところからでしかテレビに出 ることができない。なぜって、誰かイラク国内で戦争支持であることをおおっ ぴらにしてみればわかることだわ)彼らは、彼らの宗教的に偏向した派閥政党 がこのスンニ・シーアの抗争を煽っているということを信じようとしていない 。この状況が戦争と占領によって起こされた直接の結果であることを彼らは認 めようとしない。彼らはイラクの歴史についてべらべらとしゃべり、まことし やかにスンニとシーアがいつも争いあってきたかのように説明しているけれど 、私にはそれが許せない。祖国を捨てて何十年もたつ一握りの国外居住者が、 イラクに実際に住んでいる人々よりずっと知っているふりをしていることに、 私は我慢ならない。

私は、戦争の前の、どこにでも住むことのできたバグダードを覚えている。隣 人が何であるかなんて、知らなかったし、そんなこと誰も気にしなかった。誰 も宗教や宗派について尋ねることはなかった。あなたはスンニかシーアかなど という、つまらない話題に誰も煩わされることなどなかった。そりゃ礼儀知ら ずで、時代錯誤なひとだったら尋ねたかもしれないけど。でも、私たちの生命 は現在そんなつまらないことに振り回されている。私たちの生存は、尋問で止 めたり、夜中に家捜ししたりする覆面の男たちのグループによって、それを隠 したり、はっきりさせたりすることで決まってしまうのだ。

私的なことについてだけど、私たちはついに立ち退くことに決めた。今にして みれば、私たちがしばらく離れることになるだろうと、私にはうすうすわかっ てはいた。 私たちは家族で何十回もそれについて議論した。初めのころ、誰か がいつもおずおずとその話題を持ち出したものだった。なぜなら自分の家や親 類縁者から離れて祖国から去っていくなんていうことは、全くばかげた考えだ ったから-何をしに?どこへ?。

去年の夏以来、私たちはそのことについて議論し続けてきた。提案されたこと が、すぐに具体的な計画に固まっていくのは時間の問題に過ぎなかった。ここ 2、3カ月、それはもう手段の問題になっていた。 飛行機か車か?ヨルダンかシ リアか? 家族みんなで去るのか? または、まずは最初に私たち姉弟だけいく のか?

ヨルダンかシリアの後はどこへ? どちらかの国に入れたとしても、そこはどこ か他のところへ行くための通過点にしかならないのはわかりきっている。どち らもイラク難民であふれているし、彼らは口を揃えて、仕事を得るのが難しい こと、居住権を手に入れるのはもっと難しいことを訴えている。また、国境で 追い返されるという「ちょっとした」問題もある。何千というイラク人がシリ アやヨルダンに入れてもらえていない、そして入国のための明確な基準もなく 、決定はパスポートをチェックする国境警備隊の気まぐれに委ねられている。

飛行機が必ずしも安全というわけではない。バグダード国際空港への旅自体が 危険だし、飛行機でシリアやヨルダンに到着しても入国が許可されないかもし れない。なぜシリアかヨルダンなのかと思われるかもしれないけど、ビザなし でイラク人を受け入れてくれるのはこの2つの国しかないからだ。バグダード で機能しているわずかな大使館や領事館に、ビザ発給を求めることは不可能以 前の話だ。

それで、私たちは忙しくしている。私たちの人生のどの部分を後に残すかを決 めようとすることに忙しくしている。どの思い出がなくても済むのか? 多く のイラク人と同じく私たちは、着るものだけ背負って他に選択の余地がないよ うな典型的な難民ではない。私たちが去ることを選択しようとしているのは、 他の選択、つまり、ここに留まり、待ち続け、生き抜くことが、まさしく長い 悪夢の継続にほかならないからだ。

一方で、国を去ってまだどこかわからないところで新しい生活を始めることは とても大変なことなのだから、小さな関心事などどうでもよくなってしまうだ ろうということは、私はわかってはいるのだけれど。おかしいのは、私たちの 生活はどうやら些細なことに占められているように見えること。私たちは、写 真アルバムを持っていくかどうかを議論している。 4歳の時から持っている私 のぬいぐるみを持っていってもよいかしら? 弟Eのギターの余地はある? ど んな服を持っていく? 夏服? 冬服も? 私の本については? CDや赤ちゃん の写真についてはどうかしら?

問題は、私たちはこれらの物を再び見ることができるのかどうかわからないと いうことだ。家を含めて私たちが残すもの何でもが、いつか、もし帰って来た とき利用可能なのかどうかわからない。ばかものが侵略しようと思いついたと いう、ただそれだけのために、国を去らなければならなくなるほどの不正義が、 すべてを飲み込んでしまう時もあるのだ。私たちが、生き残って普通の生活を するために、家や、家族の生活の痕跡や友人を後にしなくてはならないなんて 不公平だわ・・・そして何に向かって?

自動車爆弾と私兵集団か、それとも、確実なものが何もない未来のどことも知 れない場所に、なじみ愛しているものすべてを捨てて去っていくか、どちらが より怖しいかを判断するのはむずかしい。

午後5時03分  リバー (翻訳:ヤスミン植月千春)