TUP BULLETIN

速報731号 パキスタンの2007年危機、頂点へ―ブット氏暗殺と米国安全保障の関係

投稿日 2007年12月31日

FROM: Kana Koto
DATE: 2007年12月31日(月) 午後8時20分

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パキスタンは米国安全保障の要衝、ライスは何を計画していたか
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 昨年末のパキスタン元首相ベナジール・ブットの暗殺は世界に大きな衝撃を
与えました。
 衝撃はどのように受け止められたか。米国の気鋭の中東学者、ミシガン大学で
近代中東史を講じるホアン・コールの事件報道直後の反応をお伝えします。事件
発生が12月27日午後5時過ぎで、コールのサイトアップが同日午前11時過ぎ。
時差を考えると報道を知ってすぐ執筆、アップしたと思われます。
 彼の中東情報は確度が高く、バグダードでホテルに閉じこめられた各国記者は
彼のブログ「インフォームド・コメント」にアクセスして現地情報を得ていたとも
いわれるほどです。ニュースを聞いて、最初にコールの頭に浮かんだのは何でしょ
うか。 (TUP:池田)
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パキスタンの2007年危機、頂点へ
ブット氏暗殺と米国安全保障の関係

ホアン・コール

パキスタン人民党総裁、ベナジール・ブット氏が、木曜日夕[12月27日]イス
ラマバード近郊で開催された集会で暗殺された。自爆爆弾を身につけた暗殺者に狙
撃されたとみられ、暗殺者は狙撃後任務完遂のため自爆した。ブット氏の一族は、
富と権力、悲劇に彩られ、過去数十年にわたりこの国の政治の中心にあったことで、
いわばパキスタンのケネディ一族といえる。

パキスタン政府当局は、暗殺はイスラム武装勢力によるものとしている。これはあ
り得ることではあるが、パキスタンの人々が一様に思い出したのは、911以前の
20年間、パキスタン軍諜報機関であるインターサービス・インテリジェンスこそ
が、アフガニスタンとカシミールにおけるインドの影響力に対するくさびとしてイ
スラム武装勢力を拡大助長したということである。パキスタン人民党の支持者はほ
ぼ確実にバルヴェール・ムシャラフを非難するであろうし、事実はどうであれ、こ
の状況でものを言うのは事実より感情である。パキスタン人民党は、パキスタンに
おいて歴史ある2大大衆政党のうちの一つであって、もしこの事件で支持者が先鋭
化すれば、重大な大混乱を招くであろう。暗殺のまさに前日、ブット氏は、パキス
タン人民党は来る1月8日の議会選挙に対する軍の介入を断じて許さないと宣言し
ていた。

パキスタンは、米国の安全にとって重要である。まず核を保有している。またパキ
スタン軍が養成し、後に全面的ではないが敵視したタリバンとアルカイダは、現在
も部族の支配する同国北部の無法地帯に拠点をもつ。さらにパキスタンは隣国のア
フガニスタンの将来を左右しうる。その上、イランや中央アジアとインドを結ぶ原
油パイプラインの重要な通過ルートなので、米国のエネルギー安全保障にとって
の要である。

2007年、都市部と農村部から発生した二つの重大な危機が、ムシャラフ軍事政
権を震撼させた。都市部から発生した危機とは、法支配に対するムシャラフの介入
と最高裁長官の罷免であった。

一般に言われているように、パキスタンの中産階級はこの7年間に急増し、教育を
受けたホワイトカラー層は、事業活動のために法の支配を必要としている。さる6
月には、5万人の人々が、軍が集会を禁止したにもかかわらず、最高裁判所を守る
ため抗議デモに参加した。

農村部から発生した危機とは、北部地域の部族パシュトゥンとバルチから成るネオ・
デオバンディ派が首都イスラマバードの中心部、レッドモスク[ラール・マスジッ
ド。昔壁が赤かったことからこの名があるという]のマドラッサ[イスラム法学の
高等教育機関]で勢力を固めようとした時であった。彼らは次に農村的厳格な価値
観をイスラマバードという国際都市の住民に押しつけようとした。彼らは中国の鍼
灸師を売春のかどで誘拐したが、彼らにとってこれが致命傷となった。パキスタン
は中国との同盟関係に大きく依存しており、イスラマバードの中産階級はタリバン
主義を軽蔑していた。

ムシャラフは拙劣にも、軍にレッドモスクとマドラッサを正面攻撃させ、その結果
多くの死者を出し自分の正当性をずたずたにした。パキスタン人のほとんどは、ネ
オ・デオバンディ派支持に結集することはなかったが、モスクへの軍侵入を目の当
たりにするのは不快だった(ただし、中にいた武装勢力は重装備でかなり凶悪であ
ることが判明した)。

ニューヨークタイムズによれば、その後正当性の低下したムシャラフ政権建て直し
のため、ライス米国国務長官が、ブット氏の帰国と首相立候補の筋書きをたて、ム
シャラフは軍籍を離脱し、文民大統領になることに同意した。

しかし、最高裁判所がムシャラフが大統領職にとどまり続けることに介入すると
みるや、彼は判事を逮捕し、罷免し、より従順な判事に入れ替えた。この動きは
ライスの計画を台無しにするおそれがあった。ブットが正当な首相となるのでは
なく、独裁者ムシャラフに仕える高官になってしまうからである。ブット暗殺に
より、ライスの計画は破綻し、ブッシュ政権の対パキスタン/アフガニスタン政
策は揺らいだ。

ブット氏は、パキスタンの主要な政治王朝の出である。父のズルフィカル・アリ・
ブットは1970年代に首相であったが、1977年のクーデターで追われ、ジア
・ウル・ハク将軍の軍独裁政権によって処刑された。ベナジール・ブットは198
0年代の民主主義回復運動を指導し、たびたび軟禁された。1988年ハクが飛行
機事故で死亡後、それを受けての選挙でブットは勝利し、1988年から90年ま
で首相をつとめた。

原文:Infromed Comment
Pakistan’s 2007 Crises Come to a Crescendo;
Benazir Assassinated
Implications for US Security
Juan Cole
http://www.juancole.com/2007/12/pakistans-2007-crises-come-to-crescendo.html
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