TUP BULLETIN

速報738号 レベッカ・ソルニット「サパティスタ訪問記」

投稿日 2008年2月15日

FROM: Kana Koto
DATE: 2008年2月16日(土) 午前7時58分

☆地球の片隅から世界に発信する革命のメッセージ★
レベッカ・ソルニットは、2006年12月のトムディスパッチ記事「哺乳
類の時代」《*》では、現代の革命・改革勢力を、恐竜が跋扈〈ばっこ〉す
る世界の草の茂みにひそむ小さな哺乳類にたとえました。本稿(原題「カタ
ツムリの革命」)では、みずからをカタツムリやトウモロコシにたとえる革
命勢力、サパティスタ民族解放軍の自治領域を訪問し、目出し帽やバンダナ
で覆面した先住民女性たちに耳を傾けます。アメリカや日本のメディアでは
ほとんど報道されない土着の民のメッセージ、暮らしに根ざした夢や希望
を、「暗闇のなかの希望の語り部」のサパティスタ訪問記から読みとってみ
ましょう。井上
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/707

凡例: (原注)[訳注]《リンク》〈ルビ〉
[当訳稿では割愛されている4枚の写真が、豊かな視覚情報で本文を補完し
ています。キャプションにURLを付しましたので、ぜひ原文サイトでご覧
ください]

トムグラム: レベッカ・ソルニット、叛乱の核心への旅を語る
トムディスパッチ・コム 2008年1月15日

[トム・エンゲルハートによるまえがき]

1994年元日、メキシコの極貧地方、チアパス州の密林から現れた叛逆集
団サパティスタ[1]は、レベッカ・ソルニットがトムディスパッチに登場
したのとほぼ同じころから、彼女の心に――そして、書き物に――居ついて
いる。2004年に彼女は、彼らの蜂起を「公定版の歴史に対する一揆」
《2》と評した。2006年には「同国におけるインディアンの地位だけに
とどまらず、革命の本質にまでおよぶ革命を演出した」《3》と書いた。そ
して、2007年末には、彼らを集団として「南北両アメリカのスペイン語
を話す過半数の人びとから聞こえてくるなかで、いちばん力強い声」《4》
と称した。サパティスタが世界意識のなかに劇的に乱入してから14年たっ
たいま、彼女はメキシコのチアパスに旅して、サパティスタが支配する領域
を訪問し、今年の元日を彼らとすごした。ひらめきの書『暗闇のなかの希望
――非暴力からはじまる新しい時代』[七つ森書館]《5》の著者は、この
訪問記を携えて戻ってきた。トム
[1.Zapatista=1910年メキシコ革命で「土地と自由」をスローガン
に農民解放運動を指導したサパタEmiliano Zapata Salazar(1879-1919)に
ちなむ]
http://www.tomdispatch.com/post/2088 《2》
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/666 《3》
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/762 《4》
http://www.amazon.co.jp/dp/4822805964 《5》

カタツムリの革命
サパティスタとの出会い
――レベッカ・ソルニット

私は、ビニール製レコード盤を聴いて育った。細密な渦巻の音声情報を毎分
33・1/3回転(revolutions)で再生するやつである。“Revolution”
という単語は、本来このような意味で用いる。例えば、あるものの「回
転」、「旋回」、天体の「公転」といった使いかただ。単語「ラディカル
(radical)」が、「根(roots)」を表すラテン語から派生し、「問題の根
元に向かう」という意味をもつと考えると興味深い。だから、
“revolution”には、元をただせば、一巡、回帰、循環といった意味があ
り、農耕暦のサイクルに従って生きる人なら、よく知っている趣がある。
[revolution=1. 革命[the R ]【英史】→ENGLISH REVOLUTION; 変革
2a. 回転, 旋回; 一回転; 【天】公転 (cf. →ROTATION )、公転周期、(俗
に)自転 b.(季節などの)一巡、ひと回り、循環、回帰 3.【地】変革
(広範な地殻深部の運動)――研究社リーダーズ]

私の古い『オックスフォード語源辞典』によれば、この単語“revolution”
が「事柄または特定のものごとに大きな変化があること」という意味をもつ
ようになったのは、ようやく1450年のことである。コロンブスがそれほ
ど新しくはない世界への第一次航海に出帆した時点よりも42年前であり、
ヨーロッパでグーテンベルグが活版印刷を発明してから、それほどたってい
ないころだ。私の辞典で、この“revolution”の新たな意味の定義2に「あ
る国土または国家における、以前の従属者らによる既存政府の完全な転覆」
とあるとおり、ヨーロッパでは、時間そのものが、循環的というより、直線
的であると思われるようになっていた。

私たちは革命の時代に生きている。だが、私たちが生きる革命は、ひとつの
信念や慣習の体系からもうひとつの体系への緩慢な移り変わりなのだ。この
移行は非常にゆっくりしているので、大多数の人は、私たちの社会の革命
――または叛逆――に気づかないほどである。真の革命家は、カタツムリの
ように忍耐強い人でなくてはならない。

革命は、将来に期待しなければならない突発的な変革ではなく、これまでの
半世紀のあいだ、私たちのだれもが生きてきた、変革を迫り、問いかけをう
ながす情況なのだ。これは、たぶん1955年のモントゴメリー市バス・ボ
イコット運動[*]、あるいは1962年のレイチェル・カーソンによる化
学産業複合体に対する告発の書『沈黙の春』の出版ではじまったのかもしれ
ない。もちろん、東欧の諸国民が非暴力によりソヴィエト一党独裁政府から
みずからを解放したり、南アフリカ人民が白人支配のアパルトヘイト体制の
土台を揺るがして、ネルソン・マンデラが牢獄から出てくるための道を開い
たりといった、びっくりするようなできごとがあった1989年にはじまっ
たともいえる。1992年、南北両アメリカの原住諸民族が、コロンブス西
半球到着500周年祝典の意味を逆転させて、歴史を根本的に書き換え、自
分たちはいまもここにいるぞと声をあげた、そのときにはじまったともいえ
る。あるいは、このラディカルな歴史改訂版がメキシコ南部でサパティスモ
[サパタ主義]という新たな章を加えた1994年が、この情況の出発点
だったとさえ考えられる。
[アメリカ南部アラバマ州モトゴメリー市で、市営バスの座席差別をめぐる
トラブルがあり、黒人女性ローザ・パークスが逮捕された事件をきっかけに
はじまった運動。当時、弱冠26歳だったマーチン・ルーサー・キング・
ジュニア牧師が指導にあたり、後の全米規模の公民権運動につながる]

5年前、サパティスタ革命はカタツムリとその巻貝の殻を基本シンボルのひ
とつに採用した。彼らの革命は、資本主義の無情な疎外や産業主義の規格化
といった、いくつかの大間違いから離れて、外側や後方へと、昔のやりかた
や小さなものごとへと旋回してゆく。また、新しい言葉と新しい思考を用い
て、内側へと旋回してゆく。サパティスタの驚くべき力の源は、あるサパ
ティスタ女性が「私たちは子どもたちに私たちの言葉を教え、私たちのお祖
母さんたちが生きつづけるようにしているのです」といったように、彼らが
深く根ざしている遠い過去、そして彼らがいうには、まだ生まれかけの別の
世界があり、そこでは数多くの世界の存在が可能になるという予言である。
彼らは、彼らの渦巻を両方向に進む。

[写真1]抵抗の展開を叛逆カタツムリとして描く刺繍作品
http://www.tomdispatch.com/post/174881

革命の風景

2007年の暮れ、1994年の革命蜂起から数えて3回目のエンクエント
ロ[encuentros=出会い]、サパティスタ女性たちと世界とが出会う、注目
に値する集会に参加するために、私は彼らの領域に入った。現地で見えるか
もしれない、あるいは見えねばならない革命の姿を、私はどうしたわけか、
距離を置いて読んでいたサパティスタの言葉と思想の奇跡のなかで見失って
いた。だがそれも、メキシコ、チアパス州の森林高地や農耕開拓地を曲がり
くねって貫く、轍〈わだち〉の深い泥道をワゴン車で長時間たどったすえ、
薄暗くほこりっぽい広場に到着した去年の歳末までだった。私たちは、大き
な町サンクリストバル・デ=ラス=カサスから入り組んだ風景のなかを5時
間ドライブしながら、無数の傾斜地のトウモロコシ畑、木の家、わら葺きの
豚や鶏の小屋、やせた馬、ひとつかふたつの町、もっと多くの森、さらに
もっと多くの森、それに滝さえも見た。

乾いたトウモロコシの茎を除いて、万物が緑であり、みずみずしい緑のな
か、12月の草花が育っていた。アメリカ西部の道端、どこにでも咲く黄色
のブラック・アイド・スーザン[キク科Rudbeckia hirta]のように見える
が、樹木のサイズに大きく育ったものがあった。同じように高い、優雅な枝
振りの茎に咲いた、手のひら大のラヴェンダー・ピンク色の花もあった。
ハッとするその美しさは、生命力、か弱さ、華美を均等に混ぜあわせたかの
ようだ。その後の何日間か、私が耳を傾けた女たちに少し似ているみたい。

ワゴン車は、ラ・ガルチャ集落の中心部につながる交差点で停まった。その
場で、顔の下半分をバンダナで覆面した男たちに集会参加を告げると、坂の
上のテント広場へ行くようにと指示された。男たちの背後の大看板に「あな
たはサパティスタ叛乱行政区に入りました。当地では、人民が支配し、政府
が従属します」と書いてある。その隣の看板の文面は、昨年の注目すべきオ
アハカ蜂起のさいの政治囚らに宛てられていた。4か月にわたり住民たちが
市街と放送局を掌握し、政府を退けていたのだ。その末尾の言葉は次のとお
り。「君たちは孤立していない。君たちはわれわれとともにある。EZL
N」

[写真2]ラ・ガルチャ集落入口の看板
http://www.tomdispatch.com/post/174881

多くのみなさんが先刻ご承知のように、EZLNとは、“Ejercito
Zapatista de Liberacion Nacional”(サパティスタ国民解放軍)の略語
で、これに先立つ数多くのラテン・アメリカの蜂起の名称と同類のものであ
る。サパティスタ――メキシコ南端・最貧、チアパス州の辺鄙な集落に依拠
するマヤ族主体の叛乱先住民たち――は、1994年元日の蜂起をまえに、
10年の歳月をかけて周到な準備を整えていた。

彼らは武装し、6つの町を攻略して、従来の叛乱者のように発足した。1月
元日を蜂起の日に選んだのは、メキシコの小農たちの徹底的な駆逐を招く北
米自由貿易協定の発効日にあたっていたからである。しかもまた、その14
か月前にコロンブス米大陸到着500周年記念祭がおこなわれたさい、原住
民の諸グループがその半千年紀[500年]を問いなおし、この間になされ
たことは、先住諸民族にとって苦痛や不公正の一撃だったとした、その流儀
にも影響を受けていた。

彼らの叛乱はまた、資本主義と1991年に崩壊したソ連の官製国家社会主
義といった偽りの二分法を少なくとも一歩超えた世界を確保することをも意
味していた。それは、次に来るべきもの、なによりも資本主義や新自由主義
に対する叛乱の最初の実現だった。14年たったいま、叛乱は折り紙つきの
成功を収めた。チアパス州内のサパティスタ支配地域では、土地なしカンパ
シーノ[農夫]だった数多くの家族が、いまでは土地を所有している。被支
配者だった数多くの人びとが、自治の民になっている。押しつぶされていた
数多くの人びとが、活動と力の感覚を身につけている。あの革命のあと、チ
アパス州の5地域が、メキシコ政府管轄外の領域として、根本的に異なった
独自のルールのもとに存続している。

それどころか、サパティスタは、世界に対して、革命や共同社会、希望や可
能性を構想しなおすためのモデル――そして、たぶんそれよりもさらに重要
な言葉――を提示した。近い将来、たとえ彼らがみずからの領域で決定的に
倒されるようなことがあっても、彼ら自身と同じく強力な彼らの夢は死滅し
そうにもない。地平線のうえに暗雲がかかっている。フェリペ・カルデロン
大統領の政府は、これまでの14年間にわたるチアパス州の緊張度の低い紛
争を本格的な絶滅戦争に拡大するかもしれない。それは、夢や希望、諸権
利、そして1世紀前のメキシコ革命の英雄、エミリアーノ・サパタが掲げた
昔〈いにしえ〉の目標「土地と自由(tierra y libertad)」に対する戦争
である。

サパティスタは、兵器だけでなく、言葉でも武装して、1994年に密林か
ら出現した。彼らの初回声明「第一ラカンドン密林宣言」は、珍しくもな
い、時代遅れの革命レトリックとして響いたが、ほどなくして蜂起は世界を
心酔でとりこにし、サパティスタの基本姿勢は変更された。その後の彼ら
は、メキシコ軍や現地の民兵組織に包囲されているにもかかわらず、自衛時
を除いて、おおむね非暴力を貫いてきた(そして、棒で武装し、統制のとれ
た独自の軍隊、つまりラ・ガルチャを夜間パトロールする覆面部隊の大戦列
を維持している)。最も大きく変わったのは、彼らの言語であり、それは、
前代未聞のなにか――暗喩や比喩、ユーモアに加えて、才気縦横の分析が満
載の革命詩、常人のものではない想像力の果実――に様変わりした。

サパティスタは、並みのロック・バンドが脱帽するほど数多く、かっこいい
関連グッヅを繰り出している。最近のステッカーやTシャツの一部には、
“el fuego y la palabra”、つまり「火と言葉」と書かれている。このよ
うな言葉の多くは、彼らの軍司令、非先住民であるマルコス副司令の直観力
ある文才によっているが、そのペンは、長い記憶と豊かな環境――裕福で安
楽な生活は望めないとしても、動物たち、イメージ、伝統、思想の面で豊か
な環境――を享受する人びとの言葉を写している。

例えば“caracol”(カラコル)であるが、これは「カタツムリ」や「巻
貝」を意味する。2003年8月には、サパティスタは彼らの5つの自治区
をカラコルと呼び替えた。そのときからカタツムリは重要な象徴になった。
私は、巻貝の殻をもつカタツムリを描いた刺繍、Tシャツ、壁画がどこにで
もあることに気づいた。多くの場合、カタツムリは黒い目出し帽をかむって
いた。カラコルという単語は、強烈な生命力、土着性をもち、それが私たち
の現実性のない言葉の一部になるとき、しばしば単なる比喩ではなくなる。

カラコルに再編したとき、サパティスタは、そのシンボルが自分たちに意味
するものを説明するために、マヤ民族神話の記憶を引き合いに出した。ある
いは、マルコス副司令が、他の多くの物語と同じく、その物語を「老アント
ニオ」作として、そうしたのだ。架空人物か合成人格、あるいは地域の先住
民伝承のほんとうの原作者であるのかもしれない老アントニオは、こう語る
――

「男たち、女たちの心はカラコルの形をしていて、心と思いに善をもつ者た
ちがあちこち歩き、神々や人間たちを目覚めさせ、世界が正常なままである
か調べさせると、昔の賢者たちは言う。カラコルは、心に入りこむことを意
味しており、これを原初の人間たちは知識と呼んだと神々や人間たちが言っ
たと心と思いに善をもつ人間たちが言うと昔の賢者たちは言う。カラコルは
また、世界を歩くために心から出てくることも意味すると彼らが言ったと彼
らが言うと彼らは言う……カラコルは、集落へ入りこんだり、集落が出てき
たりするための扉、内側のわれわれを見たり、またわれわれが外側の世界を
見たりするための窓、われわれの声を遠くまで広く伝えたり、遠くにいる人
の言葉を聴いたりするための拡声器、これらのようなものになるだろう」

カラコルは、いくつかの集落のまとまりであるが、世界を包み込むまで外部
に展開し、しかも心の内部に端を発する渦巻として説明されている。さて私
は、例の挑戦的な看板から道を少し上ったあたり、ひとつのカラコルの中心
部、がっしりした二階建てで半分できあがった診療所など、ラ・ガルチャ集
落の公共建造物が取り巻く広々とした舗装のない広場に到着した。その空間
を横切って歩いているのは、刺繍飾りのブラウスや、反転した虹のように見
える何列ものリボンを縫いつけた幅広いえりのシャツとエプロン――それ
に、密林から1994年にはじめて出現して以来、サパティスタが公的に姿
を見せるときにはいつも全員が着用におよんでいる例の目出し帽――で装っ
たサパティスタ女性たちである。(あるいは、ほぼ全員がというべきか。何
人かは代わりにバンダナを用いていた)

あの初めて見た光景は、息を呑むようだった。続く3日間にわたり、あの女
性たちの言動を見聞したり、短期ながら叛乱領域に滞在したり、軍隊や世界
の支配的イデオロギーを寄せつけないほどに勇敢であり、有効な代替策を創
案(または奪還)するほどに想像力豊かな人びとを観察したりすることは、
私の人生の一大通過儀礼になった。私にとって、サパティスタは、美しい理
念、インスピレーション、新しい言葉、新種の革命であってきた。彼らは、
この「第三回サパティスタ人民・世界人民出会いの集会」《*》で発言した
とき、現実問題に取りくむ民衆の特定集団になった。私は、自分は山頂に達
したと言ったときのマーチン・ルーサー・キング・ジュニアの感慨を思っ
た。私は森林に達したのだ。
http://zeztainternazional.ezln.org.mx/ [スペイン語]

[写真3]エンクエントロ会場に入るために並ぶサパティスタ女性たち
http://www.tomdispatch.com/post/174881

第三回対面会の発言

エンクエトロの会場は、波トタン屋根の大きな倉庫のような集会所だった。
梁材はとても長く、運ぶのに田舎道のカーブを曲がりきれそうにないので、
現地の木を切り倒したもののようだ。木の壁には、バナー[旗や横断幕]が
張られ、壁画が描かれている。(壁画のひとつは、武器をもったサパティス
タ女性を描いたもので、その添え書きに「皮下脂肪はOK、拒食はダメ」と
あった) 未完の壁画には、ばかでかいトウモロコシの穂が描かれている
が、その上半分はサパティスタの目出し帽に突っこまれ、両目が覗いてい
る。地元の芸術家たちが寄進した刺繍作品のいくつかには、トウモロコシが
なっているはずの位置にサパティスタたちの顔がなっている茎が描かれてい
る。これらすべて――カタツムリやトウモロコシ生〈な〉りのサパティスタ
など――は、叛乱者たちが、自然で普遍的、実り豊かなものであることを表
現している。

日に3回か4回、集会所の外に設置された屋根つきステージで、男がのんび
りした調子の小品をオルガン演奏し、色彩豊かな服で装い、目出し帽やバン
ダナを着用したサパティスタ女性たち、おそらく250人ほどが一列になっ
て集会所に入場し、舞台上に並べられた背のないベンチに着席した。世界中
からやってきた聴衆の女たちは空いたベンチに固まって座り、男たちは集会
場後方で思い思いに群がった。すると、一度にひとりのカラコルが簡潔な発
言をして、質問を書面で受け付けるのだった。4日間の会期中、全部で5人
のカラコルが、彼女らの状況について現実的側面とイデオロギー的見地から
見解を表明した。彼女らは、答えにくい(時には、気に障る)質問に対し
て、簡明で直截、手際よく応じていた。彼女らは、革命を生きること、言い
換えればメキシコ政府からの自立という課題について、また、それだけでは
なく、みずからを律し、自由と公正の意味をみずから決定することを学ぶと
いう課題についても話したのだ。

サパティスタの叛乱は、その発端からしてフェミニズム[女性解放運動]
だった。司令の多くは女性である――ちなみに、今回のエンクエントロは、
物故したラモナ司令に捧げられており、彼女の肖像がどこにでもあった。サ
パティスタ領域内の女性の解放は、闘争の中核部分となってきた。宣言類
が、この意味――強制結婚、無知、家庭内暴力、その他の形態の服従からの
解放――を明確にしている。女たちは声をあげて文書を読みあげていたが、
その何人かは神経が高ぶり、声がひきつっていた。そして、このような読み
書きじたいが、革命の一端としての識字とスペイン語の普及の証明になって
いた。おおかたのサパティスタの第一言語は先住民族語であり、だから、ス
ペイン語で話す場合、彼らはかしこまった宣言調の明確さをもって話すの
だった。彼らは、発言の冒頭で、渦巻状に広がっていく聴衆に向かって、
“hermanos y hermanas, companeras y companeros de la selva, pueblos
del Mexico, pueblos del mundo, sociedad civile”――「兄弟姉妹、降雨
森林の仲間、メキシコ国民、市民社会のみなさん」――と、改まった挨拶を
することが多かった。続けて、自分たちにとっての革命の意味を語るのだ。

「私たちは無権利の状態にありました」と、ひとりが蜂起以前の時代につい
て発言した。別のひとりが次のように続けた。「最も悲しかったのは、私た
ちがみずからの苦境を理解できなかったことです。なぜ自分たちは虐げられ
ているのか。だれひとり、私たちの権利を私たちに教えてくれませんでし
た」

「この闘争は、私たち自身のためだけのものではありません。万人のための
ものなのです」と、3人目が発言した。もうひとりが、次のように私たちに
直接語りかけた。「あなたがたにお願いします。ネオリベラリズムを排除す
るために、世界の女性として結集するのです。新自由主義は、私たち万民を
痛めつけてきました」

彼女らは1994年以来の暮らしむきの改善ぶりを語った。大晦日のこと、
覆面女性らのひとりが次のように明言した――

「私たちは、(抑圧の)責任があるのは資本主義者の制度であると考えてい
ますが、もはや恐れてはいません。あまりにも長いあいだ、彼らは私たちを
馬鹿にしていましたが、サパティスタの私たちに対して、だれひとりとし
て、虐待をできないでしょう。たとえ夫たちが私たちを虐待するとしても、
私たちは自分が人間であることを知っています。いまや、女性たちは夫らや
父親らに虐待される存在ではないのです。いまでは、一部の夫たちは、私た
ちを支え、助けてくれますが、それが全所帯でというわけではなく、チョビ
チョビです。すべての女性のみなさんに、私たちの権利を守り、マッチョ主
義に対して戦うようにお勧めします」

彼女らは、世界を変革し、自由な未来を築くための実践、教育、医療、地域
社会組織のための新しい可能性の追求、新しい社会の日常作業について語っ
た。彼女らの何人かは、赤ん坊連れで――そして、暮らしぶりこみで――ス
テージに上がった。とあるピリピリした瞬間に、小さな女の子がステージを
駆けて横切り、覆面の母親にキスし、ハグをした。時には、幼い女の子たち
も覆面をしていた。

マリベルという名のサパティスタが、叛逆が始まったころの様子を語った。
蜂起のまえに会合したりオルグしたりしたときの隠密行動について次のよう
に述べた――

「私たちは、1月1日までの潜伏中に前進することを学びました。これが、
種子が生育したとき、私たち自身を光のなかへ運んだときでした。1994
年元日、私たちは、私たちの夢と希望とをメキシコ中に、そして世界に伝え
ました。そして、私たちはこの種子の世話をつづけるでしょう。私たちのこ
の種子を、私たちの子どもたちに与えているのです。形態は違っていても、
みなさん全員が闘うことを私たちは願っています。闘いは万民のためのもの
なのです……」

サパティスタは、安楽だったり安全だったりする未来を勝ちとってはいな
い。だが、彼らが達成したものは、すべての初期声明で触れられ、エンクエ
ントロ会期中、繰り返し連発されもした言葉「尊厳」である。また、彼らは
希望を生みだした。“Esperanza”、つまり「希望」は、サパティスタ領域
内で逃れられない、もうひとつの言葉である。“La tienda de
esperanza”、「希望の店」という塗装のない木造店舗があり、ミカンやア
ヴォカドを売っていた。朝の何回か、私はcomedor[食堂]でcafe con
leche[ミルクコーヒー]とシナモン風味の甘いミルクご飯の食事をした。
その店の手書き看板には次のように書かれていた――「叛乱中の自治集落食
堂……希望の夢」。サパティスタのマイクロバスの車体は、次のようなス
ローガンで飾られていた――「共同体は希望を生む」(共同体を表すスペイ
ン語“collective”には、バスの意味もある)

夜更けもすぎてゆき、新年のまさしく夜明けごろ、男たちがふたたび発言す
るように求められ、新年のダンス音楽が鳴り響くステージにひとりの男性が
あがって、自分もそうだが、他の男性陣もお話を拝聴していて、ずいぶん勉
強になりました、と述べた。

この革命は完全無欠ではない。そのさまざまな短所をあげつらう声が、メキ
シコの他の場所から、そしてエンクエントロ会場にいたインターナショナル
[国際労働運動関係者]たちからも聞こえるのも稀ではなかった(例えば、
トランスジェンダー[*]人格や中絶に対する小農女性の姿勢といった、た
めにする質問を何回も浴びせかけていた)。それでも、これは驚くばかりに
実り多い出発なのだ。
[trans-gender=性不一致。語意に、日本のメディアでいう「性同一性障
害」のような異常や病気のイメージはない]

[写真4]壁画が描かれ、洗濯物が干されたサパティスタの学校
http://www.tomdispatch.com/post/174881

カタツムリと夢の速度

彼らの願いの多くはすでに実現した。女性たちの証言は、具体的に土地、諸
権利、尊厳、自由、自治、読み書き能力の獲得、民衆を踏みつける悪意の地
方政府ではなく、民衆に従う善意の地方政府の樹立といった例をあげてい
た。彼らは、包囲攻撃網のなかで自分たちの地域共同体を構築し、世界に発
信しているのだ。

密林から、貧困のさなかから出現した彼らは、企業のグローバル化――19
90年代、さながら世界制覇を達成するかのように見受けられたネオリベラ
ルの野望――に対抗する最初の明瞭な声のひとつだった。それは、もちろ
ん、1999年世界貿易機構シアトル会合の不意打ち封鎖など、新自由主義
の野望とその衝撃に対する画期的でうまくいった世界規模の抵抗行動に先駆
けていた。サパティスタは、不可視や無力、無視に対する先住民の叛逆が、
いかに大胆になれるものかを如実に示したのだ。しかも彼らは、ボリヴィア
からカナダ北部にいたる他の先住民運動が南北両アメリカにおける実権の配
当を獲得するのに先んじていた。「たくさんの世界が存在可能な世界」とい
う彼らのイメージは、大きな違いを包みこむ懐の深い連合、フランス、イン
ド、韓国、メキシコ、ボリヴィア、ケニア、その他の狩猟採集民、農夫、工
場労働者、人権活動家、環境主義者の同盟の出現を表す言葉になった。

彼らのヴィジョンは、「グローバル化政策」推進論者と20世紀の近代主義
革命とがともに構想した均一化世界に対するアンチテーゼを提示した。彼ら
は、政治言語の刷新にすてきな役割を果たしてきた。もっと創意に富んだ、
もっと民主的な、もっと分権化された、もっと草の根に近い、もっと遊び心
にあふれた世界を築きたいと願う万民にとって、彼らは道案内であってき
た。いま、彼らは、メキシコ政府が抵抗のカタツムリを踏みつぶし、エンク
エントロの女性たちがみずからを語りながらも体現していた諸権利や尊厳を
粉砕しかねない――そして、大量の血を流しかねない――脅威に直面してい
る。

1980年代、わが国の政府が中央アメリカの汚い戦争に資金を注ぎこんで
いたころ、具体的には米国の2団体が、そのような弾圧・拷問・暗殺政治に
対抗していた。そのひとつは「抵抗の誓い(the Pledge of Resistance)」
であり、米国がサンディニスタ治下のニカラグアに侵攻する場合、あるいは
そうしなくても、中米の独裁政府や暗殺部隊への関与を深める場合、市民と
しての反抗で対応すると約束する署名を数十万人分集めた。もうひとつは
「平和をめざす証人(Witness for Peace)」であり、中米全域の地域社会
にグリンゴ[白人系外人]を立会人や非武装護衛として配置した。

エルサルヴァドルやグアテマラのような国々では、カンパシーノを殺害した
り消したりすることは簡単にできたが、アメリカ国民に対して、あるいはそ
の面前でするのは、もっとやばいことになる行為だった。ヤンキー立会人た
ちは、肌色や国籍の特権を他者の盾〈たて〉に利用し、さらに目撃内容を証
言した。私たちは、世界のとても大勢の活動家たちがサパティスタに感じた
連帯を強めなければならない瞬間、その連帯を、「火と言葉」――とても多
くの叛逆心をもつ人びとを暖めてきた「火」、私たちに世界を新たに想像す
ることを教えてきた「言葉」――の源を守りうるなにかに強化しなければな
らない時点に立ちいたっている。

米国とメキシコとは、獲物を空から襲う猛禽、ワシを国章に共通して用いて
いる。サパティスタは、見落としかねない小さな生き物、巻貝の殻をもつカ
タツムリを選んだ。こっちは、慎みや謙虚さ、大地との接触、そして、革命
は雷光のごとくに始まるかもしれないが、ゆっくりと忍耐強く、着実に実現
されるという認識を物語っている。革命の古い概念は、ひとつの政府をもう
ひとつの政府に替えると、新政府がどうにかして私たちを自由にし、万事を
変革してくれるというものだった。いまや、私たちのますます多くの者が、
私たちの前に立った例の女性たちが証言したように、変革は今日一日を生き
る修練であるということ、革命だけが生きかたを変革しうる領域を保障する
ということを理解している。1990年サパティスタ蜂起以前の10年にわ
たる計画期間に示されているように、革命の発足は容易なことではなく、革
命を生きることと、脅威や旧弊がなくなるまでぐらつかせてはならない信念
と修練とは――言うならば――やはり困難な道である。ほんものの革命は
ゆっくりと進む。

ロバート・リチャードソンが著したソロー[1]伝にすてきな一節があり、
全ヨーロッパ的な1848年革命[*]に言及して、ニューイングランドの
情況と当時に数多く勃興した生活共同体について次のように述べている――
「創始者の大多数は、既存秩序の破壊よりも、模範の構築に関心があり、そ
れらは成功のゆえに手本になった。そのころでもアメリカのユートピア社会
主義は1848年の精神に幅広い共通点をもっていた」
[1.Henry David Thoreau(1817-62)=ニューイングランドの思想家・著
述家。主著『市民としての反抗』、『ウォールデン――森の生活』]
[2.パリに二月革命。ルイ・フィリップ王を追放して、第二共和制が成
立。これを契機としてヨーロッパ諸国に自由主義革命運動が勃発、ウィーン
やベルリンで三月革命が起こり、ウィーン体制が崩壊]

攻勢に出て、国家とその制度を変革することもできるのであり、これを私た
ちは革命と認識するが、政府の管轄外に独自の制度を築くこともできるので
あり、これもやはり革命なのだと、この文は実にハッキリ言っている。家
族、ジェンダー[性別関係]、食料供給システム、労働、住宅、教育、医療
と医師・患者関係、環境の構想、それについて語るための言葉、それに言う
までもなく日常生活のもっともっと多くのあれこれを人びとが改革している
いま、この――叛逆だけではなく――創造が、私たちの時代の革命の性格の
主要部分になっている。革命の幻想とは、それが万事を様変わりさせ、体制
革命が違いを生み、ときには非常に建設的なものになるということである
が、日常生活を根本的に違ったものにすることは、もっと時間がかかり、や
ることがどんどん増える作業なのだ。この場では、指導者はお門違いにな
り、ひとつひとつの暮らしが大事になる。

サパティスタに時間を与えよう。彼らの世界、私たちの暮らしや社会のあり
うる別の姿を明示してくれる世界の構築をつづける時間――渦巻が広がり、
カタツムリが進む、ゆったりした時間――を与えよう。私たちの気候帯や脱
工業化社会が、彼らの亜熱帯農民運動にあてはまらないのと同じように、私
たちの革命は、彼らのとは違っているはずだが、それでも、尊厳や想像、希
望のゆっくりした力、そして彼らがイメージや言葉で示す遊び心に導かれる
はずである。集会所での証言は12月31日遅くに終わった。真夜中、ダン
スたけなわのさなか、革命は14年目を迎えた。願わくは、内側へ、外側
へ、革命が末永く渦巻きますように。

[筆者]
レベッカ・ソルニットは、前に叛乱解放区でキャンプしたとき、西部ショ
ショーン防衛プロジェクト、つまりネヴァダ州のショショーン民族が米国政
府に土地を割譲したことはないと――確かな法的根拠をもって――主張する
運動の世話役だった。その物語は、1994年のソルニット著“Savage
Dreams: A Journey into the Landscape Wars of the American West”
《1》[仮題『未開の夢――アメリカ西部、景観戦争への旅』]で語られて
いるが、トム・エンゲルハートが出版の助力をした本『暗闇のなかの希望
――非暴力からはじまる新しい世界』[七つ森書館]《2》では、その後に
サパティスタから受けたインスピレーションが極めて明確だ。彼女は次回作
の11章目を執筆中である。
http://www.amazon.co.jp/dp/0520220668 《1》
http://www.amazon.co.jp/dp/4822805964 《2》

[原文]
Tomgram: Rebecca Solnit, Journey into the Heart of an Insurgency
Tomdispatch.com, posted January 15
http://www.tomdispatch.com/post/174881
Copyright 2008 Rebecca Solnit

[サイト紹介]
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[参考サイト]
サパティスタとは何か
――メキシコ先住民運動関西グループ
http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/

[翻訳] 井上利男 /TUP

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