TUP BULLETIN

速報772号 イラク・アフガニスタン帰還兵の証言 No.1 ジョン・マイケル・ターナー

投稿日 2008年7月4日

DATE:2008年7月5日(土)午前2時00分

TUP「冬の兵士」プロジェクト

 


 

7月4日、アメリカは独立記念日を迎える。

アメリカ合州国(UnitedStatesofAmerica)の名づけ親であり、「建国の父」のひとりとして、独立宣言の草案にも大きな影響を与えたトマス・ペインは、小冊子「アメリカの危機」第1号の冒頭に、こう記した。

──今こそ魂が問われる時である。夏の兵士と日和見愛国者たちは、この危機を前に身をすくませ、祖国への奉仕から遠のくだろう。しかし、いま立ち向かう者たちこそ、人びとの愛と感謝を受ける資格を得る──

1776年12月、ジョージ・ワシントン将軍が率いる部隊は、打ちつづく戦いに疲れ果て、厳しい冬を迎えようとしていた。ペインの言葉は、やがてアメリカ市民となる兵士たちに、勇気と力を与えた。

1971年1月31日、ベトナム戦争帰還兵たちが「冬の兵士」公聴会を開き、国家による戦争犯罪を告発した。帰還兵たちは、独立戦争を戦い貫いた兵士たちの犠牲と栄誉に思いをはせ、同じ愛国心と勇気を胸に、自らの証言を歴史に刻んだ。帰還兵の証言からアメリカ国内で反戦運動が広がり、ベトナム戦争終結へと世論が動いていった。

2008年3月13日、37年の時をへだて、イラクとアフガニスタンでつづく戦争から帰還した兵士たちが、首都ワシントンに隣接するメリーランド州で、「冬の兵士」公聴会を開いた。会場となったシルバースプリング市の大学には、兵士とその家族、友人、そして支援者たち数百人が集い、16日までの4日間、証言に立つ兵士たちを見守った。

「反戦イラク帰還兵の会」が主催したこの公聴会で、兵士たちは、米軍が犯している残虐行為の目撃者または当事者として、アメリカという国家の戦争犯罪をありのままに告発している。

TUPは「冬の兵士」の告発内容を広く知ってもらうために「冬の兵士」プロジェクトを立ちあげた。兵士たちが語る言葉の重みを一つひとつ大切に受け止め、丁寧に翻訳し伝えていきたいと思う。

まず、ジョン・マイケル・ターナー氏の証言に耳を傾けていただきたい。

翻訳:宮前ゆかり

 


 

「冬の兵士」メリーランド州シルバースプリング公聴会

第1回 ジョン・マイケル・ターナーの証言

写真出典 Iraq Veterans Against the Warこんにちは。ジョン・マイケル・ターナーです。いまバーモント州バーリントに住んでいます。第8海兵連隊第3大隊K中隊で機関銃手として従軍しました。

「海兵隊、いっぺんやったら抜けられない」とはよく言われることですが、こんな言葉もある。「海兵隊のくそったれ、やってられるかおさらばだ」。

[こう言い放つとターナーは、胸から勲章と記章リボンをむしり取り、公聴会に集まった人びとに向かって投げ捨てた。拍手喝采する聴衆を前に、兵士は語り始めた]

2006年4月18日に、初めてこの手で人を殺しました。何の罪もない男を殺した。名前は分かりません。私は「太っちょ」と呼んでいた。自宅に歩いて帰る途中だった男を、私は、彼の友人と父親の目の前で撃った。首のここらへんを撃ったので、一発では殺せませんでした。男は叫び始めた。叫びながら、私の目をまっすぐ睨んでいた。

一緒に見張りについていた仲間の方を向いて、私は言いました。「おやおや、これは放っておけないだろ」。そして、もう一発撃ち込んで殺したんです。男は家族たちに運ばれていった。7人がかりで、やっと死体を運んだ。

初めて殺しをやった兵士には、お祝いの言葉を贈るのが習わしでした。私の時も同じでした。中隊長が、仲間の誰に対してもそうしてきたように、祝福してくれた。この中隊長は、「最初の殺しが刺殺だったら、イラクから戻ったときに、4日間の外出許可をやる」と言った人物です。

政府センターから2キロほど南で、銃撃戦になったことがあります。いったい弾がどこから飛んで来るのか、まったくわからなかった。交戦規則では、射撃してくる敵の位置をはっきり見定めてから、ロケット弾を打ち込むことになっています。規則はそうなんですが、私たちは敵の発射位置も分からないまま、民家に84ミリロケット弾をぶち込んでいた。家に人がいたかどうか分かりません。そこから敵が撃ってきたかどうかも分からない。とにかく、それが私たちのやったことでした。

次の映像を見てください。私が殺したと確認できた3人目がこの男です。見て分かるように、彼は自転車に乗っていました。あの日は銃撃戦の後で、襲撃を決行しました。CBSのララ・ローガンがうちの部隊に来ていたんですが、別の分隊に同行していたから、私たちとは別行動だった。そこで私と仲間の3人で、やっちまえとばかりに何人か殺した。

銃撃戦を経験したばかりで気が高ぶっていたからです。近くにカメラマンや女性がいなかったせいもある。このように、従軍レポーターが同行しているか否かで、私たちの行動は極端に変わりました。彼らの前では別人のように振る舞った。常に規則正しく行動し、なんでも教科書どおりにしたものです。

自転車の男は、道端に10分ほど放ったらかしにしていました。そのうち、この場を離れたほういいことに気づくと、男の死体を3メートルほど右へ引きずって、石垣の裏側に放り込んだ。それから自転車を男の上に放り投げた。

もうひとつ私たちがよくやったことは、発砲偵察です。つまり、ちょっとでも脅威を感じたら、すぐに銃撃戦を始めてしまう。こんな事件がありました。私たちが、イラク軍とイラク特殊部隊と合同して、ラマディの繁華街で任務についていたときのことです。私たちの部隊やイラク軍と一緒に、中佐、少佐、1等曹長、特務曹長といった上官たちも行動を共にしていました。

そんな中で、イラク軍がある家に入り、次つぎとドアを蹴り開けて、とにかく撃ち始める。あまりにも機関銃の轟音がすごかったので、こっちが撃たれていると思った。後になって、やられたのは家の住人たちだったと分かりました。

私たちは下っぱの歩兵部隊だったので、何度もパトロールに駆り出されました。家宅捜査やパトロールは、明け方の3時ごろに行うことが多かった。私たちがやることは、ドアを蹴破って家に押し入り、住人を恐怖に陥れることでした。

この映像は、明け方の3時頃にナイトビジョンのゴーグルを使って撮影しました。女子供と男たちを引き離している場面です。男たちが言うことをきかないときは、首を絞めたり、頭を壁にたたきつけたり、何でも必要だと思うやり方でおとなしくさせる。その写真に戻ってみてください。この男もこっぴどくやられたひとりです。ワイヤをたくさん持っていたのでやられた。仕掛け爆弾をつくるのに、このワイヤを使っていると見なしたからです。

私の手首にはアラビア語で「クソ喰らえ」と書いてあります。イラクに行く2週間前に刺青をしてもらいました。それは私が首を絞めるときに使う手だったからです。攻撃心を沸き立たせる必要があるときには、いつも迷うことなく、この手を使った。

次の映像に進んでください。

捕虜たちがどんなひどい扱いを受けていたか、よく分かります。

次の映像。

これはファティマ・モスクのミナレット(光の塔)です。ご覧のように銃弾の穴だらけです。最上部にもたくさん穴が空いている。迫撃砲によるものです。次にお見せするビデオは、このミナレットが戦車に砲撃されているシーンです。私たちを狙って撃ってくる敵がいたかどうかは分かりません。

この場面について話しましょう。実はこの前に武器部隊の仲間がひとり撃たれていました。それで私たちは、その怒りをモスクにぶつけた。ご存じない方のために説明しておきますが、モスクに向かって銃を撃つことは、モスクから銃撃された場合を除いて、不法行為とされています。あのとき、モスクから銃撃を受けていなかった。それでも私たちはモスクを撃った。腹を立てていたからです。

次のビデオを始めてください。

<ビデオ音声はじめ>

現在・・・マディナット・アルザハラという名の青と白のミナレットを鎮圧中。 ヘルレイザー、ヘルレイザー、やっちまえ。 戦車を入り口の方に回せ。あのモスクの入り口だ。 もう一発。行け、K2号。

<音声おわり>

次の映像。・・・出ませんか、はい。

というわけで、話したいことはもっとたくさんあるのですが、時間がありません。いま話したことは、だれもが経験・・・。映像が出ました。戦車が砲撃した跡がこれです。いま話したことは、だれもが経験したことです。ここにいる兵士の一人ひとりが、同じような体験をしています。延べにして百万を越える兵士がイラクに出入りしているわけですから、このような話は無限にあるはずです。

次の映像。お願いします。

今日、私はここで、自分だけのために証言したのではありません。一般のみなさんに聞いてもらいたたい。それだけのためでもない。何よりも、ここに来られなかったすべての仲間のために、証言しました。彼らは、自分たちが見たこと、したことについて、もう話すことができません。

次の映像。

この4つの十字架と追悼式は、第8海兵連隊第3大隊K中隊で亡くなった5人のために捧げられたものです。部隊全体では、18人の兵士が命を奪われました。彼らのために、私は証言する。私は、罪のない人びとに怒りをぶつけ、破壊をもたらしたことを謝罪します。そして仲間たちが、罪のない人びとに怒りをぶつけ、破壊をもらたしたことを、彼らに代わって謝罪します。

こんなことくらい問題じゃないと思っていた。しかし、現実が教えてくれた。これは問題なんだ。こんなことがずっと続いている。人びとが、この戦争で何が起きているかを知らない限り、同じことが繰り返され、つぎつぎと人が死んでいく。私は自分がしたことを後悔しています。もう私は、以前のような怪物ではありません。ありがとうございました。

 


 

2008年9月、反戦イラク帰還兵の会(IVAW)、冬の兵士の証言集を全米で刊行。

仮題『冬の兵士証言集──イラク・アフガニスタン帰還兵が明かす戦争の真相』
編集アーロン・グランツ

WinterSoldier:IraqandAfghanistan:EyewitnessAccountsoftheOccupations,byIraqVeteransAgainsttheWar,editedbyAaronGlantz,
(HaymarketBooks;September,2008).
>>HaymarketBooks
>>amazon.com

 

★岩波書店より刊行予定。現在、TUPにて邦訳作業中。

 

 イラク戦争を追いつづけてきたジャーナリストが『証言集』の書評を書いている。

 

 

 

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    • ジョン・マイケル・ターナーの証言ビデオ
      http://www.democracynow.org/2008/3/17/winter_soldier_us_vets_active_duty
      http://ivaw.org/wintersoldier/testimony/rules-engagement-part-2/jon-turner/video

 

    • 反戦イラク帰還兵の会公式サイト
      IraqVeteransAgainsttheWar
      http://ivaw.org/

 

    • 反戦イラク帰還兵の会「冬の兵士」特集ページ
      WinterSoldier:Iraq&Afghanistan
      EyewitnessAccountsoftheOccupations
      http://ivaw.org/wintersoldier

 

    • KPFAラジオプロジェクト”TheWarComesHome”
      http://www.warcomeshome.org/