TUP BULLETIN

速報778号 ジョン・ピルジャー「嘘の数々ーヒロシマから現在まで」

投稿日 2008年8月25日

過去と現在を正視する勇気が、将来を希望あるものとする
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わたしの父は、18歳から98歳で亡くなるまで80冊の日記をつけていました。1945年8月7日の箇所を開いてみても、10日の箇所にも、原子爆弾投下の記述はありません。わたしの記憶では「強力な新型爆弾投下」という新聞の見出しがあったように思いますが、確かではありません。しかし、あれほどの大事件を、被爆者の縁者たち以外の人たちが知るようになったのは、敗戦後相当な日数を経てからでした。それも、様々な「流言」という形をとって。


ピルジャーは、そうした民衆の流言や誤った状況判断を生産していく根底にある、政治権力やマスコミの「嘘」の積み重ねを指摘し糾弾し、またわたしたちに警告を発しています<1>。


訳/岸本和世

嘘の数々-ヒロシマから現在まで

ジョン・ピルジャー 著
2008年8月6日

1967年、初めて広島を訪れたとき、石段の影はまだそこにあった。ひとりの人間の一休みしていた姿が、ほとんどそのまま残されていた。足を伸ばし、背中を丸め、片手を脇に置いて座り、銀行が開くのを待っていた女性だ。

1945年8月6日朝8時15分、彼女とそのシルエットは御影石に焼き付けられた <2>。わたしは1時間かもっと長いこと、その影を見つめていた。それから川のほうに歩いて行き、ひとりの男性に出会った。ユキオというその男性の胸には、原爆が投下された時に着ていたシャツの柄が刻まれたままだった。

彼と家族はまだ、原爆の焼け野原の塵の中に急造された掘立小屋に住んでいた。彼は、街をおおった巨大な閃光を「電気がショートしたような青みを帯びた光」と言った。続いて、竜巻のような風が吹き、黒い雨が降った。

「地面に叩きつけられて、持っていた花は茎しか残っていないのに気が付きました。辺りは何の動きもなく、静かでした。起き上がると、裸の人々がいて、無言でした。皮膚も髪の毛もない人もいました。わたしは自分が死んでいるのだと思いました」

9年後、彼を探しに戻ると、白血病で亡くなっていた。

原爆投下の直後、連合軍司令部は放射線による汚染に言及することを一切禁じ、人々は爆風によって殺傷されたと主張した。それが巨大な嘘の始まりだった。ニューヨーク・タイムズ紙は第一面で「広島の廃墟に放射能なし」と報道して、意図的な偽情報とジャーナリズムの責任放棄の見本となった。

この記事は、オーストラリアの記者ウイルフレッド・バーチェットによる今世紀最大のスクープで正された。あえて危険を冒して最初に広島に入った記者のバーチェットは、「世界への警告としてこれを書いた」とデイリー・エクスプレス紙で報じている。彼は、傷を負っているようには見えないのに死んで行く人々で一杯の病院棟のありさまを記述した。それを彼は「原爆汚染病」と名付けた。この事実を伝えたことで、彼は記者証を取り上げられ、物笑いと中傷の的にされたが、のちに彼が正しかったことが立証された<3>

広島と長崎に投下された原爆は、気の遠くなるようなスケールの犯罪行為であり、犯罪的本質を持った兵器の抑制を解き放った計画的な大量殺戮だった。そのため、原爆投下擁護派は究極的な「義戦」という神話に逃げ場を見出そうとして来た。「倫理的沐浴」とリチャード・ドレイトンが名付けたその神話は、血塗られた西側の帝国主義的な過去の罪を洗い流すだけでなく、原爆の影の下に切れ目ない60年の強欲な戦争の推進を許して来たのである。

最も息の長い嘘は、原爆は太平洋戦争を終結させ命を救うために投下されたというものである。1946年の合州国戦略爆撃調査<4>は、次のように結論づけている。

「原爆投下がなくとも、日本に対する制空権の獲得は、無条件降伏に至らしめるに十分な圧力を及ぼすことを可能にし、侵攻の必要性も回避し得たはずである。すべての事実の詳細な分析研究に基づき、生存する関わりある日本側指導者たちの証言に裏付けられた本調査の意見は、. . . 原爆が投下されなかったとしても、ロシアが参戦しなくとも、侵攻が計画ないし意図されなくとも、日本は降伏したであろう、というものである」

ワシントンにある米国公文書館は、日本側からの和平交渉の申し出は1943年という早い時点にまでさかのぼるとする、米政府資料を保存している。しかし、その申し出はどれも遂行されなかった。1945年5月5日に東京駐在のドイツ大使から送られ、米国によって傍受された電報には、「たとえ降伏条件が厳しくても」との言葉が含まれており、日本政府が和平を必死に求めていたことは疑念の余地を残さない。

それに引き換え、米国陸軍長官ヘンリー・スティムソンは、米空軍が日本を「爆撃し尽くしてしまって」、新兵器が「その威力を示せ」なくなるのを「案じている」と、トルーマン大統領に語っている。後日、彼は「原爆を使わない結果にいたる降伏への努力は一切行われず、なにも真剣に検討されなかった」ことを認めた。彼の外交政策仲間たちは、「これ見よがしに腰に構えた武器のように原爆を使って、ロシアを威嚇したくてうずうずしていた」のである。

原爆を製造したマンハッタン計画の担当長官レズリー・グローブ将軍は、「ロシアが敵であることと、この計画をそれを前提として進めることに、わたしは何らの迷いを持たなかった」と証言した。広島が抹消された翌日、トルーマン大統領は「この実験」の「完璧な成功」と、満足を口にした。

1945年以降、米国は少なくとも三度核兵器使用の瀬戸際に立ったと考えられている。「対テロ戦争」というインチキを遂行するために、ワシントンとロンドン両政府は核を持たない国に対する「先制的」核攻撃をする用意があると宣言した。核アルマゲドンの最夜中に向かって刻まれる終末時計の針の動きにつれて、正当化の嘘は益々途方もなく膨らんでいく。

イランは現存する「脅威」である、という。しかし、イランは核兵器を持っていないのだ。核兵器保有を計画しているとの偽情報の主な出どころは、CIAが支援する信用の置けないMEKというイラン人反政府グループである。これは、サダム・フセインの大量破壊兵器所有という嘘が、米政府の立ち上げたイラク国民会議によって発信されたのとそっくりである。

この操り人形を仕立てた西欧ジャーナリズムの役回りは重大だ。イランが2003年には核兵器計画を放棄したことは「かなり確か」とアメリカの防衛情報評価局が発表しているにもかかわらず、それを記憶の隙間<5>に埋め込んでしまっている。イランのマフムード・アフマディーネジャード大統領が、「イスラエルを地図から抹消する」との脅迫の言葉を決して口にしなかった事実には関心を示さない。それでいて、メディアはそうした脅迫は「事実」であると呪文のように繰り返し報道しており、ゴードン・ブラウン英首相も、最近イスラエル議会の前にした卑屈な演技で、またしてもこの呪文を仄めかしてイランを脅迫した。

このような嘘の積み重ねが、我々に1945年以来の最も危険な核危機の一つをもたらしている。なぜなら、真の脅威が何であるかについては、相変わらず西側諸国の体制サークルでほとんど話題にし得ないからだ。メディアにとっても同様である。中東にはただ一つ手に負えない核勢力がある。イスラエルだ。

あの勇気あるモルデハイ・ヴァヌヌは1986年に、イスラエルは200発もの核弾頭を製造しつつある証拠をひそかに持ち出して世界に向かって警告しようとした。今日明らかにイスラエルは国連の決議を無視して、イランを攻撃したくてうずうずしている。1953年に米英がイランの民主主義を転覆して以来、西側が冒涜して来たイランという国家との真剣な交渉を、アメリカの新しい政権が始めるかもしれないという、あくまで可能性に過ぎないものを危惧しているからだ。

かつてはリベラルとされていたが、今ではイスラエルの政治・軍事体制の相談役の一人となっている歴史学者ベニー・モリス<6>は、7月18日のニューヨーク・タイムズ紙上で、「イランは核の焼け野原になる」と脅した。これは大量殺戮になるだろう。ユダヤ人にとってこれほどの皮肉はあり得ない。

わたしたちは問われている。単なる傍観者を振る舞い、善良なドイツ人がしたように「知らなかった」と言い訳をするのか。リチャード・フォークが言うところの「独善的で一方的な法的道義的スクリーン-西欧的価値と潔白さという肯定的イメージを映し出し、それらが脅威にさらされているかのように描くことで制約のない暴力を正当化するスクリーン」の背後にこれからも隠れたままでいるつもりなのか。戦犯の逮捕が、再び流行している。ラドヴァン・カラジッチは被告席に立つが、シャロンとオルメルト、ブッシュとブレアはそうではない。何故か、と。広島の記憶が答えを迫っている。

ウイリアム・ブルムに感謝して<7>


★以下の注は、すべて訳者による。

  • <1> ピルジャー編集によるこのアンソロジーは、非常に有用である。
    http://www.amazon.co.uk/Tell-Me-Lies-Investigative-Journalism/dp/0099437457
  • <2> 添付したURLの記事によると、当該の女性は石段に座っていたので、原爆が爆発したときに彼女が座っていた部分は直射を受けず、影となって残ったという。遺体はその後収容所に運ばれた。

    なお、このURLを開くと、右上に「戻る」の表示がある。それをクリックすると第2次大戦当時の様々な記録や証言を目にすることができる。それらは、原爆投下当日の映像を多く含んでいるかけがえのない貴重な資料である。ぜひこれを開いて、多くの人と分かち合っていただきたい。

  • <3> ただし、下記のURLで明らかなように、バーチェットに先んじて、8月22日にレスリー・ナカシマという日系二世記者が、母親を探すために広島入りし、「広島は消滅した」とUPから打電している。バーチェットの広島入りは9月初めだったらしい。
    http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0708/exh070800.html
  • <4> 下記URLを参照のこと。
    http://www.dni.gov/press_releases/20071203_release.pdf
  • <5> ジョージ・オーウェル著『1984年』に由来する表現

    書評の一つに「為政者による徹底した情報操作。外部に対立者を作り国民の怒りをそこに集め権力への不満のガス抜きをし、内に向かっては生活の細部まで監視の目を配り国民の生活を徹底管理すると同時に、言語体系そのものを即物的なものへと作り替え高度な思考を不可能にして、国民を従順にし飼いならす。唖然とするほどカリカチュアライズされた、絶望的な未来の設定ではあるが、現在この地球にもこれと寸分たがわぬ政治体系が存在するその意味は何であろう?ヒュ-マニズムの本質と政治の意味を現代的に問い直す上で、有用なヒントになる本」とある(Amazon.Jpのオーウェル『1984年』プロモーションに付けられていた)。

  • <6> ベニー・モリスの発言(上記とは別のもの)については、下記URLを参照のこと。
    http://www.onweb.to/palestine/siryo/benymorris.html
  • <7> ピルジャーの言う「感謝」とは、この記事を書くにあたって、 CovertAction.org Archive Articles Issue #53 HIROSHIMA Needless Slaughter, Useful Terror by William Blum に負うところが多かったことに対するものと思われる。
    http://covertaction.org//content/view/139/0/

    なお、ウイリアム・ブルムの著作の一つが、邦訳されている。 『アメリカの国家犯罪全書』 益岡賢訳 (作品社)


原文: The lies of Hiroshima are the lies of today
By John Pilger
6 Aug 2008
URL: http://www.johnpilger.com/page.asp?partid=499
[編者注: http://johnpilger.com/articles/the-lies-of-hiroshima-are-the-lies-of-today に変更]