TUP BULLETIN

速報801号 ガザにとどまることを決意した国際活動家たち

投稿日 2009年1月4日

私たちはとどまる イスラエルの犯罪を伝え続けるため


8日にわたる爆撃に続き地上部隊が侵攻したガザに、なおとどまることを選んだ人権活動家たちがいます。「私たちの命とパレスチナ人の命といったい何がちがうのですか?」と言って。彼らの声を報告します。

<邦訳: 岡真理; 凡例: [訳注]>


ガザ発 2009年1月2日

「私たちはここに残る」 外国パスポート保持者、ガザにとどまることを決意

イスラエルは外国のパスポート所持者に対し例外措置として、安全のためガザを離れることを許可しているが、ガザにとどまりパレスチナ人と運命をともにすることを選んだ外国人たちがいる。

アルベルト・アルケ(スペイン)は救急車に同伴して病院から報告を続けてきた。
「イスラエルはガザの人々に対して自分たちがおかしている罪を目撃されたくないのです。国際ジャーナリストや支援団体はここにはいません。ぼくらがガザを去ってしまったら、いったい誰が、ぼくたちが今、目にしているこの戦争犯罪を証言するのですか。12月28日、ぼくは、ラマとハヤー・ハムダーンの二人の姉妹の瀕死の目を見つめました。ラマは4歳、ハヤーは12歳、二人はイスラエルのミサイルに殺されました。ぼくがそこに認めた彼女たちの人間性は、ぼくたちの人間性と何一つ違ってなどいない。ぼくたちの命は彼女たちの命より価値があるのですか?」アルベルト・アルケ――国際連帯運動

パレスチナ系南アフリカ人のハイダル・イード博士は言った。「これは歴史的瞬間だと思う。ガザのこの大量虐殺は、南アフリカで1960年に起きたシャープヴィルの大量虐殺[1]と類似している。この事件の結果、アパルトヘイトに対するBDS[ボイコット、投資引き上げ、制裁]キャンペーンが始まった。

2009年のガザの大量虐殺は、イスラエルのアパルトヘイトに対するBDSの運動をより激化させるだろう。南アフリカのアパルトヘイトでは、BDSキャンペーンによってついにはネルソン・マンデラを獄から解放することに成功し、のちに彼は、民主的かつ多人種的かつ多文化的な南アフリカ共和国の、初の黒人大統領となった。だから、イスラエルのアパルトヘイトに対するBDSキャンペーンも、すべての市民が平等に遇される一元的国家を生み出すにちがいない」

イード博士は、ガザのアル=アクサー大学の社会・文化研究の教授である。彼はまた、イスラエルに対する学術的・文化的ボイコットのためのパレスチナ・キャンペーン(PACBII)の実行委員会のメンバーであり、「民主的一国家」 One Democratic Stateグループの創設メンバーの一人でもある。

ナタリー・アブー・シャクラ(レバノン)は語った。「彼らはレバノンでも同じことをしました。でも、レバノンでは、激しく爆撃されたところもあったけれど、安全なところもありました。ガザでは、安全な場所などどこにもない。この人たちをどうして残して行けますか?生きるなら彼らとともに生きます。それができないなら、彼らと死をともにします」ナタリー・アブー・シャクラ――国際連帯運動

「イスラエルが国際ジャーナリストの[ガザ立ち入りを]禁じているために、ガザの声はさらに押し殺されてきました。この地の現実を外の世界に発信することは、イスラエルによる攻撃の違法性に光を当てるために不可欠です。私たちは最近になって救急車に同伴するようになりました。医療従事者に対する攻撃を報告するためです。これはジュネーヴ協定違反です。苦しむ家族たちの姿を目にし、私もその苦しみを感じてきました。彼らをおいて出て行くことなどできません。すべての市民が、イスラエルの攻撃の前で身を守るすべがないのです。私たちはとどまって、ガザの人々に対するイスラエルの攻撃の本質をあばき続けるつもりです」ジェニー・リネル――国際連帯運動

「イスラエルは、ガザを離れることができる者を決めているだけではありません。誰が入ることができるかも決めているのです。私は、家やモスクや大学が粉々に破壊されているのをこの目で見ました。市街地でミサイル攻撃がどれほど人々を恐怖に陥れているかも分かりました。死んだ子どもたちの姿も目にしました。家から30メートルのところをイスラエルが爆撃しているのに、家のなかに閉じ込められてしまった家族が叫ぶのも聞きました。ガザの人々、150万の人々すべてが、これらの違法な攻撃から逃れることができないのです。

私たちの命が彼らの命よりも大切であるなどということはありません。彼らが苦しんでいるかぎり、私たちはとどまります。彼らと連帯するために、そして、イスラエルが邪魔して外国のジャーナリストに公表させまいとしていることを報告するために」エヴァ・バートレット――国際連帯運動

「ガザのパレスチナ人は、イスラエルが課している封鎖のせいで世界から孤立しています。今、私たちにはここを離れる機会が与えられましたが、ガザの人々にはそのような選択肢などありません。ガザの家族たちと連帯してここにとどまること、それはイスラエルの暴力がおぞましいまでに増大しているなかで決定的に重要なことです。私は封鎖の影響をこの目で見ました。民間人に対して現在進行形で振るわれている暴力も見ています。私たちはイスラエルの違法な政策の犠牲者たちの側に立ち続けます」シャロン・ロック――国際連帯運動

「イスラエルによって犯されている人道に対する罪を耐え忍んでいるガザの人々と連帯して、自分にはここにとどまる責任があると思います。ガザの全住民に対するこの物理的、心理的、政治的戦争を止めるために国際社会が行動しないのなら、国際的監視者、ジャーナリスト、活動家たちがここガザで必要とされています。

私たちはこの目で見て、報告し、止めなければならないのです、イスラエル占領軍がガザの人々に対しておかしている戦争犯罪を、どこであろうと、この目で見て、報告し、止めなければなりません。イスラエルは人道に対する自分たちの罪を目撃されたくないのです。でも、ガザの人たちは違います。彼らは言い続けています、「どうか、私たちの身に起きていることを世界に伝えてください、こんなことが起きるなんて信じられません」と。彼らは最悪の事態となることを恐れています。誰もが脅え、恐怖に突き落とされています。私はここを離れません。イスラエル占領軍こそ国際法に従って、パレスチナを去らねばならないのです」エヴァ・ジャシウィッツ――自由ガザ運動

「エレツ検問所[2]の開放は、私たちを追い出すためではなく、国際監視員や医薬品をガザに入れるために使われるべきです。私たちは、封鎖およびこの間の爆撃で死ぬ人たちをじかに見てきました。イスラエルの違法な軍事行動によって私は大勢の友人をなくしました。私たちはパレスチナ人と連帯し、この暴虐非道を報告し続けます。国際的監視者である私たちには、イスラエルによるガザ攻撃の現実をきちんと国際社会に知らせる責任があります」ヴィットリオ・アッリゴーニ――国際連帯運動

国際人権活動家たちは、12月31日、イスラエルのミサイルでインターンのムハンマド・アブー・ハセーラと医師のイハーブ・アル・マスーンが殺害されてから、ガザ地区の救急車に同伴するという活動を続けてきた。国際活動家たちはマスーン医師が亡くなったとき、ベイト・ハヌーンのカマール・アドァーン病院にいた。

ガザにとどまっている人権活動家たち

アルベルト・アルケ(スペイン)
エヴァ・ジャシウィッツ(ポーランド/英国)
ハイダル・イード博士(南アフリカ)
シャロン・ロック(オーストラリア)
ヴィットリオ・アッリゴーニ(イタリア)
ジェニー・リネル(英国)
ナタリー・アブー・シャクラ(レバノン)
エヴァ・バートレット(カナダ)

原文URI
http://www.palsolidarity.org/main/2009/01/02/foreign-passport-holders-in-gaza-decide-to-stay-we-will-not-leave/

[1]シャープヴィルの虐殺 
1960年3月21日、南アフリカで、PAC主導のもと、パス法に反対して5000人以上の黒人たちがシャープヴィル警察署前でデモを行ったところ、警官隊が発砲、69人が殺され、180人が負傷した。

[2]エレツ検問所
ガザ北部、イスラエルとガザ地区の境界にある検問所。ガザ地区の出入り口は、このエレツ検問所と、エジプトとの境界にあるラファ検問所の2箇所しかない。前者はイスラエルが、後者はエジプトが、出入りを管理している。