TUP BULLETIN

速報847号 イラク・アフガニスタン帰還兵の証言No.13 マイク・プライズナー

投稿日 2010年3月4日

人種差別と非人間化(5)


訳 岩間龍男 / TUP冬の兵士プロジェクト
凡例: [...]は注および訳文の補助語句。
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今こそ魂が問われる時である。夏の兵士と日和見愛国者たちは、この危機を前に身をすくませ、祖国への奉仕から遠のくだろう。しかし、いま立ち向かう者たちこそ、人びとの愛と感謝を受ける資格を得る。 (トマス・ペイン、小冊子「アメリカの危機」第1号冒頭  1776年12月)

◎ 目覚め始めたアメリカ兵たち


反政府武装勢力タリバーンの掃討作戦のため、オバマ大統領は今年(2010年)に入ってアフガニスタンに米軍増派を開始しました。
これからも戦争は続いていきます。戦争は富めるものをさらに富ませ、貧しいものをさらに困窮させます。イラクの戦場で戦った元兵士が、戦場での地獄のような体験を経て目覚めていきます。なお、この速報バージョンにはページ数制限のために書籍には掲載されなかったプライズナー証言の後半部分が含まれています。
前書きと翻訳 樋口淳子/ TUP冬の兵士プロジェクト

冬の兵士 マイク・プライズナー

マイク・プライズナー 画像出典 IVAW証言ビデオよりマイク・プライズナーです。私は陸軍に入隊し、2001年6月、18歳の誕生日に基礎訓練に参加しました。第10山岳師団に所属を命じられ、2003年3月に第173空挺旅団に配属されてイラク北部に派遣されました。

初めて陸軍に入隊したとき、軍隊にはもう人種差別は無いと教わりました。不平等と差別の遺物は、「機会均等プログラム」というものによって突然一掃されました。私たちは必修の講習を受け、各部隊には、人種差別が再び芽を出さないように機会均等プログラム委員が置かれました。陸軍は、人種差別のわずかな兆しも消し去るためにしっかりと取り組んでいるように見えました。そして、そこに9.11事件が起こり、「ターバン頭」や「らくだ乗り」、さらに最も心をかき乱す「砂漠の黒んぼ」などという新しい言葉が聞こえてくるようになりました。このような言葉を最初に使い始めたのは仲間の兵士ではなく、上官たち、つまり、私の小隊軍曹や上級曹長、大隊長でした。上から下まで階級を問わず、これらの用語が、このような悪意を含んだ差別用語が突然許されるようになったのです。

最も公然と人種差別を行っていたのは湾岸戦争に従軍した軍人であることに気づきました。民間人の車列を攻撃し、焼却処分をしていたときに彼らが使ったのがそれらの言葉でした。市民のインフラを標的にしろという攻撃命令を受け、たとえば、何十万人という子供たちの命をうばうことになるのを知りつつ水道設備を爆破したときに彼らが使ったのがそれらの言葉でした。アメリカ人がアメリカ政府にイラクを制裁させていたときに使ったのがそのような言葉です。多くの人はこのことを忘れてしまっています。でも、自分たちは忘れることができない。

イラク侵略を開始してからこれまでに100万人以上のイラク人を殺したと知らされたところですが、今回の侵略以前、90年代に、制裁や爆撃によってすでに100万人ものイラク人を私たちは殺しています。けれど、厳密にはその数はもっと多い。

2003年にイラクに到着したとき、私は新しい言葉を覚えました。その言葉は「ハジ」。ハジとは敵のことでした。イラク人一人ひとりがハジでした。ハジと呼ばれたら人ではなく、父親でも教師でも、あるいは労働者でもない。冬の兵士の証言集会でこの言葉を幾度も耳にしましたが、重要なのは、その言葉の元の意味を理解することです。イスラム教徒にとってもっともたいせつなことはメッカへの巡礼です。巡礼者はハジで、この巡礼を行うことがハッジュ。伝統を重んじるイスラム教において最高の尊称とされるものです。私たちはイスラム教から最高のものを奪い取り、最悪のものにしてしまいました。

しかし、人種差別の歴史は我々から始まったわけではありません。アメリカの建国以来、人種差別は国土の拡大と抑圧を正当化するために利用されてきました。アメリカ先住民は野蛮人と呼ばれ、アフリカ人は、奴隷制度の言い訳としてありとあらゆる呼び方をされました。また、ベトナム帰還兵は、あの帝国主義戦争を正当化するために使われた数多くの言葉のことを知っています。それで、私たちが使った言葉はハジでした。それは今からお話するある任務で使った言葉です。さまざまな急襲、また人々の家のドアを蹴り破り、家中を掻き回して捜索することについて私たちはたくさん聞いてきましたが、この任務は違った類いの急襲でした。これらの命令についての説明はいっさいありませんでした。ある集落、5軒か6軒ほどの家々が今はアメリカ軍の所有であり、そこに出向いてそれぞれの家から住人たちを立ち退かせるようにと言われただけでした。

それで、私たちは家々に入っていって、住人たちに、家はもう彼らのものではないことを伝えました。彼らに何の選択肢も、身を寄せられる場所も、何の補償も与えませんでした。彼らはとても困惑し、怯えていました。どうしていいかわからず、家を出ようとはしなかったため、私たちが彼らを立ち退かせなくてはなりませんでした。幼い女の子2人と母親、かなり年老いた男性、そして中年男性2人の家族。私たちはこの家族を家から引きずり出し、通りに放り出しました。男たちが立ち去ることを拒んだので、拘束しました。年老いた老人を拘束し、男たちを刑務所に送ったのです。自分たちが後ろ手に縛り上げ、頭に砂袋をかぶせた人々が、その後どういう目に会ったのか、そのとき私は知りませんでした。

残念ながら数ヵ月後、私は知ることになりました。尋問者の数が足りなくなり、私にその仕事が割り当てられたのです。何百もの尋問を監督し、またそれらに携わりもしました。特にある一つの尋問についてみなさんにお話ししますが、それは私にとって今回の占領の本質があらわになった瞬間でした。尋問のために私がそこに送られたとき、その被収容者は服を脱がされて下着一枚になっており、両手は後ろに回され、頭に砂袋をかぶせられていました。私がその男の顔を見ることは実際ありませんでした。私の役目は金属の折り畳み椅子を持って、それを男の頭のすぐそばの壁に叩きつけることでした。男は、鼻が壁に触れるように立たされており、仲間の兵士が同じ質問を何度も何度も繰り返している間、男の返答がどうであろうと、椅子を壁に叩きつけることが私の仕事でした。

おおむね、私たちは疲れるまでこれを続けました。それから、その男を、壁を背に何時間であろうと立たせておけと私は命令されました。私はこの囚人の見張り役で、仕事はこの囚人を立たせておくことでした。ところが、男は足の具合が悪く、怪我をしているようでした。幾度も床に倒れたのです。担当の軍曹がやって来ては、男をちゃんと立たせておけと言うので、何度も男を抱えあげ、壁にもたれさせなければなりませんでした。男はしばしば崩れ落ち、そのつど引っ張り起こして壁にもたれさせていました。軍曹がやって来て、私が男を立たせていないことに腹をたてました。そして男を抱え上げ、何度か壁に叩きつけ、出て行きました。男がまた床に倒れたとき、砂袋の下から血があふれ出ているのに気づきました。それで男を座らせたのですが、軍曹がまたやってくるのに気づき、急いで立つように言いました。私は、この被収容者から自分の部隊を守ることになっていたのですが、その瞬間、自分の部隊からこの被収容者を守ろうとしていることに気づきました。

自分の任務に誇りを持とうと一生懸命努力しましたが、感じられたものと言えば恥ばかりでした。もはや人種差別主義で占領の実態を覆い隠すことはできません。彼らは人です。彼らは血の通った人間です。以来、私は罪の意識に苛まれています。自力で歩くことができなかったため、私たちが転がして担架に乗せ、イラク人警察に運び去るように命じた老人。同じような、年老いた男の人を見るたびに。私たちが家から引きずり出したとき、半狂乱になって泣き、私たちはサダム以下だと叫んだ母親。子供たちといっしょにいる同じような母親を見るたび、私は罪の意識を感じます。私が腕をつかんで通りに引きずり出したあの少女。同じような幼い女の子を見るたび、私は罪の意識を感じます。

我々はテロリストと戦っているのだと教えられました。しかし、本物のテロリストは私であり、本当のテロリズムはこの占領でした。軍隊内部の人種差別主義は、長い間、他国の破壊と占領を正当化するための重要な手段でした。殺人、征服、拷問を正当化するために利用されてきました。それはこの国の政府が使う強力な武器です。ライフルや戦車、爆撃機、戦艦よりももっと価値のある武器であり、大砲の砲弾、あるいは地中貫通爆弾、あるいはトマホークミサイル

以上の破壊力を持ちます。今挙げたこれらの武器は、すべてこの国の政府が作り出し、所有していますが、自ら使う人がいなければ何の害もありません。

私たちを戦場に送り込む人たちは、引き金を引く、あるいは迫撃砲弾を発射する必要はありません。戦場で戦わなくていいのです。戦争を売り込めばいいだけです。彼らには、喜んで自分たちの兵士を危険な状態に送り込む民衆が必要であり、殺すこと、殺されることを疑問に思うことなく、躊躇しない兵士が必要です。何百万ドルも使って1個の爆弾を作ることはできますが、使えという命令に兵士たちが進んで従わないかぎり、その爆弾が武器になることはありません。すべての兵士をことごとく、世界のどこにでも送り込むことは可能ですが、兵士たちが武器を手に取って戦おうとしなければ戦争は起こりません。支配階級、つまり人々が苦しむことで利益を得る億万長者は、富の拡大と世界経済の支配にしか関心がなく、戦争、弾圧および搾取が利益をもたらすと私たちに信じ込ませる能力なしには権力を得られないことを理解しています。他国市場を支配するために命を捧げるように賃金労働者たちを説き伏せることのできる手腕が自分たちの富を左右することを知っています。殺すこと、死ぬことを私たちに納得させるには、私たちはどうも他の国の人々より優秀なのだと思い込ませることのできる能力が必要です。陸軍兵、水兵、海兵隊員、航空兵たちがこの占領から得るものは何もありません。

アメリカ合衆国に住むほとんどの人々にとって、この占領から得るものは何もありません。それどころか、何も得られないだけでなく、より重い苦しみを背負うことになります。手足を無くす、トラウマに悩まされる、命を捧げる。家族たちは星条旗でおおわれた棺が土の中に下ろされるのを見守らなければならない。医療保険が無く、失業中で、教育を受ける手段を持たない何百万ものこの国の人々は、この占領のために国が1日に400億円以上もの金を無駄に使うのを見ていなければならない。この国の貧しい人々や賃金労働者たちは、他国の貧しい人々や賃金労働者たちを殺すために戦場に送られ、富める者はますます豊かになる。兵士たちは、人種差別主義がなければ、自分たちを戦場に送る億万長者よりも、イラクの人々にもっと親近感を覚えるでしょう。

私はイラクで何組かの家族を路上に放り出しました。帰国してみると、避けられたはずのこの悲惨なサブプライム危機で家を差し押さえられ、通りに放り出されている家族がいることを知りました。ほんとうの敵は、どこかの遠く離れた場所になどいない。名前を知らない人たちや理解できない文化ではない。敵は、私たちがよく知っていて、あいつだと指し示すことができる人たちです。敵は、利益のために戦争を起こすシステムです。利益のために私たちを解雇する最高経営責任者であり、私たちへの医療保険の支払いを拒んで儲けようとする保険会社であり、私たちの家を没収し、収益を増やす銀行です。敵は8、000キロも離れたところにいるのではない。ここ、祖国に居ます。私たち同胞が団結し、闘えばこの戦争を止めることができます。この政府の暴走を食い止め、よりよい世界を作り上げることができるのです。