TUP BULLETIN

速報860号 三つの聖戦:ハワード・ジン 戦争に「正義」はない

投稿日 2010年8月20日

戦争に「正義」はない

「三つの聖戦」――ハワード・ジン

======================================

歴史学者ハワード・ジンが反戦の学者としてその名を知られるずっと前から、FBIはすでにジンの潜在的影響力を探知し、大きな懸念を抱いていたようだ。今年7月29日に情報公開になった243ページにおよぶFBI監視記録によると、ジンに対する監視は第二次世界大戦直後の米ソ冷戦時代、彼がまだニューヨーク州立大学の学生だった頃から始まり、コロンビア大学で博士号取得に勤しむ間も続いた。60年代にはFBIはボストン大学に積極的に働きかけ、ジンを大学教授の職位から解雇するように求めてさえいた。黒人解放運動の中核となっていたブラックパンサー党員の逮捕・起訴についてジンが「政治犯を生み出している」と強く批判したことや、「アメリカは警察国家になってしまった」という発言などが当時のFBI長官エドガー・フーバーの機嫌を損ねたと言われている。FBIによるハワード・ジンに対する監視調査は1949年から1974までの25年間に三度行われた。

今年1月、亡くなる直前に出版された論文で、ジンは「国家権力の暴力に対する最善の対策は、抵抗を続けること、その構造を暴露し続けることだ」と述べた。歴史家としてのハワード・ジンは、アメリカの戦争の歴史と構造を階級闘争の観点から最も明確に分析し、分りやすく説明した数少ない人物だ。

2009年、アメリカの先進派雑誌『プログレッシブ』誌発行百周年記念会議で、ハワード・ジンは『三つの聖戦』という演題で講演した。この講演でジンは戦争という「国家事業」に悪用される「正義」という大義名分の構造を明らかにしており、特にアメリカの好戦的な歴史を批判した内容ではあるが、どこの国にとっても「正義」という物言いは戦争とは切っても切れない関係にある。敗戦後65年経った今、戦争の悲劇を語り継ぎ、反戦の知恵を綴っていく私たちにとっても、忘れてはならない真実だろう。

いつでも気軽に丁寧に質問に応えてくれたハワード・ジン。時々お茶目な冗談やつっこみも交えながら、反逆精神と市民運動の連帯の喜びを教えてくれたハワード・ジン。あの名調子がいつまでも耳の奥に残っている。

翻訳:宮前ゆかり(TUP)

 三つの聖戦:『プログレッシブ』誌百周年記念集会での講演

掲載:2010年1月14日 ハワード・ジン
三つの聖戦
『プログレッシブ』誌百周年記念講演、2009年5月2日、ウィスコンシン州マディソン市
マット・ロスチャイルド:本当に有名な方なのに、私の知るだれよりも謙虚な人物、あるいは以前私が本人に言ったように、謙虚なそぶりが上手な方です。では、ハワード・ジンにお話を伺いましょう。
ハワード・ジン:こんにちは。ありがとう。ありがとうございます。マットさんが言ったように、私はとても謙虚な人間です。この講演が終わるまで謙虚でいるように努めようと思いますが、なにしろ巨大な自尊心があるので簡単ではありません。
 でもマットさんは、私がどうして『プログレッシブ』誌に書くようになったかについて、正しく説明してくださいました。しかし、これは言っておかなければなりません。マット・ロスチャイルドのような編集者と仕事をしたことはありませんでした。本当に。
 皆さんは、それはどういうことだろう、と思うかもしれませんね。私はバードウォッチングをやる編集者と出会ったことがありません。本当ですよ。とても重要な点です。それにしても、彼は素晴らしい編集者です。なんでもすべて注意して読むんですよ。いろいろ注文をつけたりしませんし。それこそが優秀な編集者の証拠です。というわけで私は喜んで『プログレッシブ』誌に記事を書いています。
 『プログレッシブ』誌の読者はとても特別な読者です。そう、皆さんのことです。ここにいらっしゃる皆さんたちです。まったく、とても特殊な読者層、ちょっと変わった読者層、ええ、いい意味で言っています。
 というわけで、マットさんに紹介していただき嬉しいです。ウィル・ダーストさんと同じステージなのも大変嬉しいです。彼の話を直接聞いたことがなかったのですが、ええ、面白い方ですね。バーバラ・エーレンライクさんやボブ・レッドフォードさんと一緒のプログラムなのも嬉しいです。光栄です。
 さて、では少し真面目な話をしようと思います。ずっとああでもないこうでもないと考えていたあるアイデアを披露しようと思っていたのですが、この会場の皆さんはこのアイデアを持ち出す相手としてぴったりだと考えました。
 それは三つの聖戦についてです。私の頭の中ではそれがこの話の表題で、まぁ、そんなに格式ばった話ではないですけれども。三つの聖戦。それはどういうことでしょうか。宗教戦争のことを話しているわけではありません。私が話しているのは、アメリカの歴史で不可侵とされる三つの戦争、批判できない三つの戦争、すなわち独立戦争、南北戦争、第二次世界大戦のことです。
 建国の父について、誰かが何か悪いことを言っているのを聞いたことがありますか。南北戦争についてはどうでしょうか。「正義の戦争」、第二次世界大戦についてはどうでしょう。私たちの文化の中でこれらの戦争についてどんな形であろうとも批判するのは、とても、とても、とっても難しい。
 ええ、他の戦争について批判することはできますし、これこれの戦争はよくなかったということはまあ言ってもいい。あれはよくなかったと。でも、いやいや、独立戦争は違う、南北戦争は違う。
 というわけで、じっくりと厳しい目で注意深くこれら三つの理想化された戦争を見ることが大切だと私は考えました。多分「理想化された」という言葉で私の意図が分るだろうと思います。三つの空想化された戦争。重要です。少なくとも疑問を持とうとすることが重要なんです。まさか私がこれらの三つの戦争をただちに非難するというわけでないですから、ええ、多分。
 さて、これらの戦争について私が言おうとすることをどのように特徴づけたらいいのか分りませんが、でも少なくとも他の皆が批判が不可能だと受け入れたことについて、何か批判できるかもしれないという可能性を掲げることは大切だと考えているということでしょうか。つまり、私たちは思考する人々であるはずです。何でも疑問を投げかけることができなければなりません。
 さっきバーバラ・エーンライクが神に疑問を投げかけるのを聞きました。でも答はありませんでした。お二方の間のインタビューをぜひ聞きたいですね。それをマットさんが『プログレッシブ』誌上に掲載できますね。
 もし私たちが思考をする人間であるならば、すべてに疑問を問いかける心積もりがなくてはなりませんし、それには誰も何も悪いことを言わないこれらの戦争も含まれます。ということで、では始めましょう。とても大きなトピックでほんの少しの時間しかありませんから。注意されているんですよ。タイムキーパーがいましてね。見かけがいかにもごつくて、時間を守れと言ってくるわけです。だから少ししか時間がない。いくつかのアイデアを紹介して、ちょっと考えるだけの時間です。いいですか。
 このようなアイデアのひとつは、実はマットさんが触れていたこと、アーウィン・ノールのことです。皆さんのうち何人が彼のことを知っているのか、またはアーウィン・ノールが『プログレッシブ』誌の編集者だったときに何人の方たちが『プログレッシブ』誌を読んでいたのか知りません。私はアーウィン・ノールに会ったことがあるんです。アーウィン・ノールに初めて会ったとき、あることについて二人がまったく同じアイデアを持っていることをお互いに発見する出来事がありました。ふたりとも正当な大義と正当な戦争とをしっかり区別していたということです。
 つまり、何とかしたいと思うような悪い出来事が世界にはあり、それには正当な大義があります。しかし、私たちの文化はあまりにも戦争好きなため、すぐに軽率な行動に走って、非論理的な飛躍をしてしまう。「これは正当な大義がある、だから戦争するに値する」と。
だめです。「おお、これは立派な目的だ」という話から飛躍して、この問題を解決するためには戦争をしなければならない、となってしまうことについて、とても気をつけなければなりません。
 実際のところ、1898年にキューバからスペインを追い出すことは正当な行動だったと言う人がいるかもしれません。スペインはキューバを弾圧していました。でもそれが必ずしも戦争をしなくてはいけないということを意味したでしょうか。その戦争をよく調べて、どういう結果が生じたかを注意深く見る必要があります。キューバを弾圧しているスペインを追い出すことができた私たちは、今度は自分たちがキューバを弾圧できるようになったということ、それをよく見て、理解する必要があります。というわけで、ぜひ注意してください。
 北朝鮮が韓国を侵略するのを阻止すること、それには正当な大義があったと言う人がいるかもしれません。北朝鮮はそんなことをするべきではない、悪い、間違っている、と。そうだからといって、つまり、それを止めるために戦争に行くべきだということになるでしょうか。朝鮮戦争は最も知られていない戦争のひとつです。あの戦争で二百万人から三百万人もの朝鮮人が死にました。歴史から消えてしまった戦争のひとつといって良いでしょう。もちろん、大義はあります。北朝鮮は韓国を侵略するべきではなかった。ということで私たちは「解決法は何か、戦争だ」となるわけです。結果は何でしょうか。二百万人から三百万人もの朝鮮人が死にました。
 さらに、韓国と北朝鮮との間の関係に何か特別な変化がありますか。いいえ。これは韓国での独裁政治と北朝鮮の独裁政治から始まりました。二百万人の死者が出た挙げ句の果てが、韓国での独裁政治と北朝鮮の独裁政治です。
 ひとつのことから別のことへ、大義から正義の戦争へと急ぐことについて、非常に注意しなければなりません。
 アーウィン・ノールは私が会った人たちの中でこれとまったく同じ論理で物事を考えていた唯一の人物です。私はいつも誰か自分と同じような論理で考える人を探しています。それが私のやることです。あちこちに行って人を探すんですよ。誰かを見つけたときはとっても嬉しい。
 アメリカ独立革命、イギリスからの独立宣言、大義ある出来事。ここにいる植民開拓者の集団がどうして占領されなくてはならないのか。そうだ、われわれは占領されている。弾圧されている。だから、戦争をしよう。独立革命戦争を。
 独立戦争で何人の人が死んだでしょうか。誰も正確なことは知りません。ところで、戦死者の統計を見ると分るのですが、何人の人が死んだのか正確には誰も知らないのです。どうでもいいわけです。2万5000人から5万人くらい。低い数値を取りましょうか。独立戦争当時の300万人の人口のうち2万5000人が戦死しました。それは現在に置き直してみると、イギリスを追い出すための戦争で250万人の人が死んだのと同じことになります。さて、その価値があったと考える人もいれば、そう思わない人もいるでしょう。
 カナダはイギリスから独立していますよね。そう思いますよ。そんなに悪くはない社会です。カナダには社会保障があります。カナダ人は私たちが持っていないものをたくさん持っています。カナダ人たちは血なまぐさい独立戦争を戦いませんでした。
 なぜ私たちは流血の独立戦争を戦わなければイギリスを追い出せないと思ったのでしょうか。知っていますか。私がいつも「知っていますか」と切りだすわけは、きっと知らないだろうから、この話をすると喜んでもらえると判断するからです。最初の一発、あの有名な大砲が撃たれる前の最初の年のことです。あの、世界中に響き渡った最初の一発。知っていますよね、レキシントン、コンコード、1775年4月、独立戦争の開始。その前の年、西マサチューセッツの農民たちは一発も撃たずに西マサチューセッツからイギリス政府を追い出していました。何千、何万人もの人々が裁判所、正式な公館のまわりを取り囲み、乗っ取って英国の政府高官たちに別れを告げました。非暴力の革命が起きたのでした。
 しかしその後に起きたのがレキシントンとコンコードで、革命は暴力的になり、さらに革命は農民によってではなく建国の父たちによって乗っ取られました。農民はどちらかというと貧しい人たちでした。建国の父はどちらかというと裕福な人たちでした。
 独立革命戦争は最初自分が知っていると思うほど簡単なものではありません。ほう、英国からの独立。それはよい。そんな風に簡単なものではありません。
 英国からの勝利で実際に利益を得たのは誰だったでしょうか。利益を得た人々がいたことには疑いの余地はありません。しかし、特に戦争について検討する、あるいは戦争を評価する場合、誰が何を得たのかと疑問を呈すること、ある政策から誰が利益を得たのか、人口の異なる層を区別して考えることが大変重要です。この点、わが国ではこのような問いかけをすることにあまり慣れていませんが、それは階級として物事を考えないからです。私たちは皆同じ利害を持っていると考えています。私たちは英国からの独立という同じ利害を共有している、とね。私たち全員が同じ利害を共有しているわけではありませんでした。
 インディアンは英国からの独立について興味を持っていたと思いますか。いいえ。実際のところ、インディアンの人々は私たちが英国から独立を勝ち取ったことを残念に思っていました。なぜかというと、英国は境界線を設けていたからです。それは1763年協定で、これによって地図上に線が引かれ、その線から西の方に向ってインデアンの領地に入ってはいけないことになっていました。別にインディアンのことを愛していたから入らなかったわけではありません。面倒を起こしたくなかったわけですよね、きっと。独立戦争で英国が負けたとき、その境界線は抹消されました。さて、これで植民開拓者にはこの大陸を西部に向って移動する道が開かれ、実際、その後百年間にわたって西部を征服し、大虐殺を行い、インディアンの文明を徹底的に破壊したわけです。ですから、アメリカ革命を見るとき、ちゃんと考えに入れなければならない事実というものがあるのだぞ、と言うことが出来ますね。インディアンの人たちにとっては、そうです、利益はありませんでした。
 黒人の人たちにとって革命からの利益はありましたか。奴隷制はその前に存在していましたし、その後も存在しました。そう、私たちは革命後も奴隷社会だったのです。それだけではなく、私たちは憲法に奴隷制を書き込みました。奴隷制を合法化したのです。
 では、階級分離についてはどうでしょうか。私たちにはなぜ思い込みがあるのでしょうか。いや、黒人や奴隷やインディアンのことは置いておいたとしても、例えばの話ですが普通の白人の農民だったらどうでしょうか。このような人たちは革命戦争について、例えばジョン・ハンコックとかモリス知事やマディソンやジェファソンや奴隷所有者や債券保有者などと同じ利害を持っていたでしょうか。そんなことはないでしょう。これは、一般人がみな一緒になってイギリスと戦ったというような話ではありません。実際のところ、ワシントンは軍隊を集めるのにとても苦労しました。
 金持ちたちは軍隊を集めた。人々に約束をしたんです。貧しい人々を集め、土地を与えてやると約束しました。金持ちたちは人々を怒鳴りつけ、ええ、もちろん人々を鼓舞しましたとも。独立宣言をやろう。わぁ、これこそが私たちの戦う目的だ、とね。常として、人々を戦争に駆り出そうと思ったら何かいい文書があって、いのち、自由、幸福の追求などのいい言葉を使うのがいい。そうだ、これこそ私たちが戦っている理由なのだ、と。
 もちろん、こういう人たちが憲法を書く時には、いのち、自由、幸福の追求ではなくなりました。憲法を書いたときには、いのち、自由、所有物になっていました。違いに気がつきましたか。気がつくべきですよ。こういう小さいことに注意を払うべきです。
 階級の分離がありました。ある戦争を査定し評価する場合、ある政策を査定し評価する場合、この政策から「誰が何を得るのか」ということを問う必要があります。私たちみんなにとってそれは同じではありません。はい、税金を上げることになります、と。誰の税ですか。人口のどの部分に対して増税をするんですか。お金を使います、と。誰に対してですか。
 では、革命はどうでしょうか。革命の利益に階級の分離と言うものがありますか。ええ、もちろんですとも。私たちは最初から階級社会でした。アメリカ社会は、貧富のある社会として始まりました。膨大な土地を与えられていた人々と、まったく土地を持たない人々がいました。暴動がありました。ボストンでパン暴動や小麦粉暴動がありました。植民地のいたるところで、貧困層が富裕層に対して立ち上がり、借金を払えなくて牢獄に入れられていた人々を解放するために貸借人たちが牢獄に押し入るという反逆行動が起きていました。階級闘争がありました。この国では、みんながひとつの幸せな大家族であるかのように振舞おうとしていますが、それはウソです。ですからアメリカ革命を見るとき、階級という観点からこれを見る必要があります。
 皆さん、知っていますか。(また、私の優越感が出てますね、「私の知っていることを君は知っているか」なんてね。まぁ、私の知らないことをあなたたちが知っているわけですし、でもここで私が知っていることを盾にして殿様顔で皆にも教えてさし上げましょうか)。革命軍内で兵士たちが士官に対して叛乱を起こしたことがあるのを、皆さんご存知でしょうか。私が「知っていますか」と訊くのは、私がアメリカ革命について勉強したとき、私がアメリカの歴史を勉強したとき、これはただ小学校のことを話しているんじゃないですよ、私は大学院に行っていたからです。それを皆さんに知って欲しい。私は歴史で博士号を取ったんです。ホントです。大学から大学院の教育全体を通して、アメリカ革命軍内の叛乱について私は学んだでしょうか。いいえ。そうなんですよ。私が学ばなかったことはたくさんあります。
学校を出てから、私はものごとを学び始めました。それが学習の始まりです。そうですよね。図書館に行きましょう。図書館ほど素晴らしい場所はありません。
 普通の兵隊たちによる叛乱がありました。士官たちがどのように扱われていたかを見た人たちでした。士官たちは上等な服、美味しい食べ物、高給を受け取っているのに、兵士たちは、ほら、バレーフォージで見たことがあるでしょう、兵士たちは靴もなく、みすぼらしい服を着て、給料ももらっていませんでした。彼らは叛乱を起こしました。何千人もの兵士たちが、です。たったの5人や10人ではない。何千人もの兵士たちが叛乱を起こしたのです。ペンシルバニア前線と呼ばれるところで、余りにも多くの兵士たちが叛乱を起こしたので、ジョージ・ワシントンはこのことを心配しました。手に負えなくなりました。これを抑えることができなくなったので、兵士たちに妥協しました。
 しかし、その後、ニュージャージー前線でもっと小さな、何千人ではなくて何百人という規模の叛乱が起きたとき、ワシントンはこう言ったのです。「指導者を処刑しろ」と。何人かの反乱者たちを引き出し、彼らは士官の命令によって叛乱の仲間たちの手で処刑されてしまいました。
 私がこの話をするのは、アメリカ革命は私たち皆が一緒になって相手側全員に立ち向かったというような単純な出来事ではなかったということを示すためです。皆が革命の恩恵を受けるとは考えていなかった。もちろん、イギリスから自由になったことには利益がありました。しかし、今の人口にすれば250万人の人々が死んだわけでしょう。そうですよね。
 戦争について考えるとき、人間の犠牲というものを戦争から得る利益と比較して評価する必要があります。その台帳の収支両方で問題が起きます。というのは、人間の犠牲を考えるとき、普通は単なる抽象として考えられます。ああ、何人の人が死にました、と。ただの数字です。ただ数字を出します。第二次世界大戦[訳注:「第一次」のタイポと思われる]、40万人の人が死にました。南北戦争、60万人、と。でも5000万人が第二次世界大戦で死んだのです、数でいうと。それは人間の立場として、どういうことを意味するのでしょうか。
 というわけで、台帳のそっち側は、もし利益に対する犠牲の重みの正確な評価を本当に求めるのであれば、その犠牲をちゃんと見る必要がある、抽象や統計ではなくて。死んでしまった一人一人の人間の立場で、手足を失った一人一人の人、戦争の結果盲目になってしまった一人一人の人たち、戦争の結果精神的に傷害を受けてしまった一人一人の人たちの立場で、それを見る必要がある。台帳のそっち側つまり戦争の犠牲を評価するとき、「それだけの価値があったのか、正当な戦争だったのか」と問う前に、こういったこと全体を把握する必要があります。そうです、台帳のそっち側をちゃんと把握する必要があります。
 ドゥリュー・ギルピン・ファウスト、彼女の本のこと皆さんご存知かどうか知りませんが、彼女が南北戦争のことを書いた本について、すばらしい本の優れた点、そのひとつについて話します。彼女のこの本の素晴らしい点は、あの戦争で人間に起きたことを、非常に具体的に、非常に人間的な有様を再現している点です。南北戦争は、戦場で麻酔薬もなしに切断につぐ切断につぐ切断が実行された、醜い、残酷な戦争でした。ですから、それを評価することには大変な注意が必要です。これが犠牲なのです。これが本当の犠牲、本当の人間的犠牲だということがお分かりでしょう。
 利益については、私が独立革命戦争について質問したのと同じ質問を問いかける必要があります。誰が得をして、誰が得をしなかったか、そしてどういう階級の分離があったか。この階級は何を与え、その階級は何を与えたか。
 (この人がついてきているかどうか、ちょっと見ているんですが。誰かが私の後ろに忍び寄っているのを見たら、教えてくださいね)
 南北戦争。皆さんは南北戦争について何を学びましたか。北と南との戦い。青対灰色。戦闘、アンティータム運河、そしてゲティスバーグ。誰が北にいたか。誰が南にいたか。どういう分離があったのでしょうか。これは奴隷を解放するための戦争だった、と。
 しかし、同時に、それには、貧しい白人の人々が自分たちにとってそんなに意味を持たない戦争へと徴集されていったという階級的要素がありました。これらの人々は、裕福な人々が300ドル払えば徴兵を免れることができるような状況で徴兵されたのでした。ですから、皆さんのうち何人かの方たちが聞いたことがあるような叛乱が起きました。ニューヨークやその他の都市で南北戦争中に徴兵叛乱がありました。
 北部には階級闘争がありました。北部の人々の中には戦争中に裕福になった人たちがいました。財産を儲けた人たちがいました。J.P.モーガンは南北戦争中に一財産儲けました。戦争とはそういうものです。戦争は誰かをとても裕福にし、貧しい人たちはその戦争で戦いにでかけます。
 OK、もちろんですとも。肯定的なことを無視するわけにはいきませんから、解放、奴隷解放ということについて話を戻すことにしましょう。これは小さなことではありません。これは台帳のそっち側の大きなことです。
 しかし、南部連合国における階級闘争についてもうひとつ言っておきましょう。南部連合国内には階級闘争がありました。ほとんどの白人は奴隷所有者ではありませんでした。奴隷所有者は多分、白人6人のうち一人でした。白人が奴隷所有者というわけではなかった。白人たちはこの戦争で戦っていた貧しい、貧しいお馬鹿さんたちだった。何のためでしょうか。北部の兵士たちよりもずっと多くの人たちが死んでいった。南部連合国の犠牲は北部に比べて非常に大きかったのです。
 この大騒乱が起きている間、この流血の惨事が拡大していく中、植民地大農園の所有者たちが食物ではなくて綿を栽培していたため、兵士の故郷の家族たちは飢えに苦しんでいました。それで妻たち、娘たち、恋人たち、妹たちが叛乱を起こし始めました。彼女たちはジョージアやアラバマで叛乱を起こしました。彼女たちは自分たちの息子や夫たちが前線で死んでいるのに、大農園の所有者たちが金持ちになっていることに抗議して叛乱を起こしました。南部連合軍に膨大な脱走がありました。ですから、階級に関する出来事を調べる必要があります。
 さて、南北戦争で起きた非常に肯定的な出来事について、奴隷解放について話を戻そうと思うのですが、しかしこれは完全には解放ではありませんでした。ええ、ある意味では解放だったでしょう。別の意味ではそうではなかった。さぁ、南北戦争で60万人の命が失われるというわけですから、これは重要な点で、現在の人口の割合に換算すると500万人の人口に等しいわけですし、(この地で州と州が戦って500万人の人たちが死ぬような戦争を想像してみてください)もしかしたら、その結果400万人の黒人の人々を解放して彼らに自由をもたらすなら、価値のあることなのかもしれませんね。実際のところ、彼らには自由が与えられたとは言えません。彼らは準奴隷になっただけでした。
 黒人たちは政治家たち、北部の資本家たちに裏切られました。約束につぐ約束をされましたよ、でもね、もちろん、彼らは厳密にいえば奴隷だとはいえないけれども、何の頼りになる道も与えられないままほったらかしにされた。結局は、彼らを奴隷として所有していた同じ大農場主の思うままにされてしまい、今や農奴となってしまいました。今度は小作人農夫になってしまった。今ではひとつの場所から他へと移動することはできなくなってしまいました。黒人たちはいろいろな制限によって閉じ込められてしまった。彼らの多くは嘘の罪を着せられ牢獄に入れられた。放浪規制が通過したため雇用主たちは黒人たちを道端で捕まえ仕事を強要しました。奴隷労働の一種です。
 私がこのようにあれこれ言って指摘するのは、ほら、私たちは奴隷制を止めたのだから60万人もの人々が死んでもよかったのではないかということでしょうか。いや、そうではない。60万人もの人々が死ななくても別の方法で奴隷制度を終えることは可能ではないでしょうか。そういう風には私たちは考えませんね。丁度、流血の戦争をしなくても英国からの独立を勝ち取ることができたかもしれないと私たちが考えないのと同じようなことですよ。
 流血の戦争とは、暴力で何かを勝ち取るということは、それは上からコントロールされているということです。これは人民の戦争ではありません。革命独立戦争であろうと、南北戦争であろうと、人民の戦争ではありません。上に立っている人々がいて、その人たちはこの状態から最も利益を得る人たちです。
 ですから、疑問を投げかける必要があります。奴隷制は別のやり方で終えることはできなかったのか、と。西半球の他の国々で流血の内戦なしに奴隷制を終えた国々があります。
 (まだ、グリーンライトになってますね。第二次世界大戦の話までたどり着けるでしょうかね。)
 私は第二次世界大戦で志願兵になりました。ご存知だったかもしれませんが。もしかしたら皆さん、私の履歴全部をご存知かもしれません。私自身よりも皆さんのほうが私のことを知っているかもしれませんね。
 私は第二次世界大戦で空軍に志願してヨーロッパの飛行爆撃作戦に参加しました。私がそうしたのは「正義の戦争」だったからです。「正しい戦争」だった。「正当な戦争」だった。
 さてと、戦争が終わってから私はだんだんと考えに考えはじめました。私は調査をはじめ、物事を確認し、ヒロシマとナガサキについて学びはじめました。それはいつヒロシマにその原爆が落とされたかということが原因でした。私はヨーロッパへの派遣を終えたばかりで、その後太平洋にでかけて爆弾投下を続けることになっていました。そうしたらヒロシマに原爆が落とされ、その後すぐに戦争が終わりました。ああ、それはよかった。私はそれを歓迎したものでした。
 私は本当にその爆弾がヒロシマに落とされたときに何が起きたのか知っていたでしょうか。その人々に何が起きたのか知っていたでしょうか。そこにいた何十万人にもおよぶ人々、それら男性、女性、子供たちにとってそれがどういうことを意味していたか、私は分っていたでしょうか。いいえ。知りませんでした。それについて考え始めたとき、それまで考えたことのなかった人たちのこと、自分が落とした爆弾を受けた人々のことについて考え始めました。私にはその人たちのことが見えませんでした。3万フィートの高空を飛んでいれば誰も見えません。ただ爆弾を落とすだけです。
 現在の戦争は非常に冷淡この上ありません。人々は軽率に、まったくパイロットもなしにプレデター・ミサイルなんかを撃ち込むのですよね。それは簡単なことです。ただ人を殺して、誰かが撃ち落される心配もいりません。
ナガサキ原爆の3ヶ月前、私たちは東京に焼夷弾を落とすために飛行機を飛ばし、東京大空襲で10万人もの人々が一夜にして殺されました。
 後で、私が日本を訪れたときにそこの人たちと話をしました。その後ヒロシマを訪れ、ヒロシマの生存者の人たちと会いましたが、皆さんにも彼らのことを見てほしかったですよ、足や腕のない人たちや盲目の人々など。私がそれはどういう意味かを実際に理解したとき、戦争、5000万人もの死者を出した戦争のこと。こう言えますね。さて、私たちはファシズムを負かしたと。さぁ、そうでしょうか。本当にそうだったのでしょうか。
 革命独立戦争はまた別物です。だって、革命独立戦争の後、すべてがそれほどうまく行きませんでした。すべてが素晴らしい結果になったわけじゃないし、しかもあれだけの多くの人たちが殺された戦争なのですからね。
 では5000万人もの死者を出した第二次世界大戦はどうでしょうか。もちろんヒットラーを退治しました。日本の軍国主義を倒し、ムッソリーニを退治しました。しかし、世界のファシズムを退治したでしょうか。軍国主義をなくしたでしょうか。人種差別を退治したでしょうか。戦争をなくしたでしょうか。私たちは戦争につぐ戦争につぐ戦争をやってきました。これら5000万人の人たちは何のために死んだのでしょうか。
 私たちはこの戦争の問題について考え直す必要があります。
 (会場でタイムキーパーをやっている人はきっと居眠りをしているんだろう、という結論に達しました。大丈夫、私は彼を起こすようなことはしませんよ)
 皆さんも私と同じような結論に達するべきでしょう。戦争はどんなことであろうと受け入れることはできません。どんなことがあろうとも。どんな理由を与えられようとも。自由、民主主義、これ、あれ。戦争はその定義からして膨大な人数の人々を不確定な目的のために無差別に殺戮することです。手段と結果とを考えるとき、倫理的な問題を考え、それを戦争に当てはめます。手段は必ず悲惨なものです。結果は不確定です。それだけで、躊躇するべきことでしょう。
 そして、もちろん、ある質問を必ず出してくる人たちがいます。そういう問いは常に私に問いかけられてきたので、先手を打ちましょう。例えあなたたちの頭の中に浮かんだだけの質問だとしても、皆さんから訊かれる前にね。「そうですね。でも他に私たちは何をするべきだったのでしょうか」こう訊かれるんですよ。これこれ、あれそれについて、またはイギリスからの独立について、または奴隷制度について、私たちは一体他に何をすればよかったのか、とね。ところで、奴隷制について興味深いことですが、ジョン・ブラウンは奴隷を解放することを望んでいました。それは南北戦争の一年前のことでしたよ。いいですか。ジョン・ブラウンはそれをやろうとしていましたが、あまりうまくいきませんでした。奴隷の叛乱を起こそうとして、それが大きく、次々と広がっていくことをジョン・ブラウンは望んでいました。そんな風にして奴隷制度を終えることができたかもしれませんね。ジョン・ブラウンは合州国政府とバージニア州によって、このような暴力を使ったという罪で処刑されました。その次の年、政府は60万人もの死者を出した戦争を起こし、そんなやり方で奴隷制度を終えたということで皆がお祝いをしている。どういうことでしょうか。
 ここで言っておきたいことがひとつあります。こういう質問があります。「あなただったらどうしたでしょうか」。こういうことを言う人たちがいます。「じゃあ、ヒットラーはどうだ。何かしなければならないだろう」。そうです。こういう事柄については何かをしなければなりません。抑圧されているならば、独立を勝ち取るために何かをしなければなりません。奴隷制度があるならば、奴隷制度について何かをしなければならない。ファシズムについて何かをしなければならない。こういったすべての事柄について何かをしなければなりません。しかし、戦争を起こす必要はありません。私たちに脳みそが少しでもあるんだったらね(あるのかどうか、分りませんね)。私たちは賢いはずです。私たちは賢いんですよ。本当にたくさんのやり方があります。まったくのところ、戦争と無抵抗との間には何千もの可能性があることくらい理解できるはずですよ、そうでしょう。
 いったんある歴史的事件が一定の形で起きたら、歴史が一定の形で進んでいったら、例えば、ヒットラーがチェコスロバキア、ポーランドに侵攻したとたん、私たちは戦争に行く、ということになるのはおかしいです。戦争は何年も続きます。そして戦争が終わる。いったん戦争が一定の形で進んだら、ファシズムが終わる、そんな風に物事が進んだら、他のやり方で物事が達成されたかもしれないということを想像することがとても難しくなる。歴史である物事が起きると、それが必然的であるかのような雰囲気ができてしまう。こうなるしかなかった、と。違います。
 歴史の多くの場面で、想像もつかないような驚くべきことが本当にたくさん起きます。本当に。アフリカ民族会議がアパルトヘイトのシステムに対して流血の叛乱戦争を起こすことに決めたとしたら、それは正当化されたかもしれません。アパルトヘイトを終えるために、そうだ、戦争をしなければならない。それでアパルトヘイトが終わる。何百万もの人々が殺されるでしょう。ほとんどが黒人の人たちでしょう。もしそのような形になったとしたら、あなたはこう言うかもしれませんね。「まぁ、そうするしかなかったでしょう」と。でも、アパルトヘイトが終わったのはアフリカ民族会議がこう決めたからです。「いいえ、私たちはそれを望みません。私たちは別のやり方で目的を実現します。私たちは無抵抗にはなりません。私たちはいろいろな方法で戦い返します。ストライキをやります。あらゆる手段を考えます。経済的な圧力をかけます。私たちはありとあらゆる手段でこの圧制を打倒し、その権力を崩していきます。しかし、私たちは結局自分たち自身がほとんどその犠牲になるような流血の戦争はしません」と。
 というわけでやっと終わりました。皆さん、救われましたね。ま、私の言いたいことはお分かりになったでしょう。私の言いたいことはこれだけです。
原文:
http://www.zmag.org/zvideo/3322
ビデオリンク:
 
■ハワード・ジン『爆撃』が2010年8月3日刊行されました。
(岸本和世・荒井雅子訳、TUP協力、岩波ブックレット)
ジンが65回目の原爆忌のために準備していた遺著で、自身が爆撃手として従軍した「正義の戦争」第二次世界大戦に関する検証です。
https://www.tup-bulletin.org/