TUP BULLETIN

速報872号 シリーズ「パレスチナの女性の声」【1】-4 [入植者の暴力-4]

投稿日 2011年1月16日
女たちの証言--占領下パレスチナで生きるということ

このシリーズ「パレスチナの女性の声」はWCLAC(女性のための法律相談センター)の2009年報告書の翻訳です。「空間的扼殺」とも形容される占領下で、日常的暴力と人権侵害に苦しむ女性に対する聴き取り調査に協力した19人の女性の証言をお届けしています。

4回目の今回の内容は「暴力-政府関係者の暴力」にかかわる二つの証言です。具体的にはイスラエル兵の暴力行為についての証言が報告され、そのほか、パレスチナ人に対する殺人・傷害などの犯罪が発生しても捜査が途中で打ち切られることが多く、起訴されても有罪になることはほとんどないという実態を示す調査結果も示されています。

報告書はこのあと、「移動の自由」「居住権の侵害と引き離される家族」「家屋の取り壊し」と続きます。

シリーズ全体の前書き:岡真理、向井真澄/TUP(TUP速報869号をご覧ください

翻訳:岡真理、キム・クンミ、寺尾光身、樋口淳子、藤澤みどり、向井真澄/TUP

凡例 [ ] :訳注

〔 〕: 訳者による補い

パレスチナ女性に対するイスラエルの人権侵害報告書– 2009年度版
シリーズ【1】─暴力 4/4

c. 政府関係者の暴力

パレスチナ人の女性がイスラエル政府関係者-イスラエル軍-による暴力の犠牲となるケースで、最近の最も顕著で明白な例は、2008年12月に始まって23日間続いたイスラエルによるガザ地区攻撃です。国連人道問題調整部によると、この攻撃で430人の子どもと111人の女性を含む1366人の人が死亡し、子ども1870人女性800人を含む5380人が負傷しました。国連ガザ紛争真相究明調査団の報告書は、イスラエルの作戦行動は、市民を罰し、辱め、恐怖に陥らせるための均衡を欠いた意図的攻撃としてあらゆる段階について注意深く計画されたものだとし、さらに、この攻撃中にイスラエルが国際人道法に対する重大な違反行為を働いたことを示す強力な証拠を明らかにしています。残念ながら、2009年中、WCLACはガザを訪れて女性たちの戦争体験を報告書としてまとめることができませんでしたが、2010年にはガザの現地調査員たちを通じてそれが可能になるものと思います。

WCLACは、イスラエル兵によるパレスチナ人女性に対する暴行の事例を報告書にまとめました。彼女らの証言はそのような暴力の結果を明白に示しています。女性たちはその体験によって癒えることのない心の傷を負い、攻撃が繰り返されることを恐れ、家から出ることを怖がっています。

証言6
ファーティマ・Sの証言

場所:サルフィート、クフル・アル=デイク
聴き取り日時:2009年7月11日
事件発生の日時:2008年10月

ファーティマ・Sは、イスラエルの入植地であるザハヴのすぐ近くのクフル・アル=デイク村に住んでいますが、この村からは、入植者や兵士の日常的攻撃が報告されています。ファーティマはWCLACに、あるイスラエル兵から自宅で自分が受けた肉体的暴力、娘たちへの性的暴行あるいは強姦の脅し、ファーティマ自身に対して行われた性的意味合いのジェスチュアについて語りました。何らかの措置がとられるとはほとんど思われないために、彼女はこの事件をイスラエル当局には通報していません。その間も、イスラエル兵や入植者はファーティマの住む村に日常的に侵入し続け、彼女はずっと恐怖のうちに暮らしています。

「イスラエル兵がうちに来ました。午前9時頃のことでした。夫と息子はそのとき留守でした。私と娘たち-20歳のN、23歳のK、27歳のH-だけでした。突然ドアをたたく大きな音がして、まるで蹴飛ばしているか武器でも使っているかのようでした。それで私は娘たちに身支度をさせてからドアを開けました。

ドアを開けると、イスラエル兵の集団が目に入りました。全部で6人いました。司令官はイスラエル人のドゥルーズ教徒のようで、丸顔に口ひげをたくわえていました。軍服とヘルメットを着用していました。彼はアラビア語が上手で、私にアラビア語で村の首長(mukhtar)のことをたずねました。私がその居場所を知っているか知りたかったのです。私はこの村には首長なんていない、と答えました。それから私の胸のあたりを押しのけて他の兵士らと一緒に家の中に入ってきまし た。私は、私と娘のほかには誰もいないと彼に言いました。兵士は銃を持っていて、私たちに狙いをつけました。司令官がもう一度首長のことを聞き、私はもう一度、首長というものはいないと答えました。すると彼は、「首長がどこにいるか言わないと娘らをやっちまうぞ」と言って、娘たちを指さして私を脅しました。娘を強姦するとか性的暴力を加えると言っているのだと思って恐怖にかられました。私は叫び声をたて、娘たちはいっさい関係ないと言いました。すると彼は銃を私に向け、胸に押し付けてきました。私はもう一度叫び声をあげ、「黙って出て行って」と言いました。私は体の芯から震えていて、とても怖くて、娘たちのことが心配でした。

彼はさらに、首長の居場所を教えないと食器棚のガラスを割るぞと言いました。勝手に何でも壊せばいい、でも娘たちには手を出すな、口もきくな、と私は言いました。彼は私をあざ笑い、近づいてきて、私の胸を手で押して身体を壁に押し付けました。背中が折れそうでした。彼は自分のベルトに手をかけて、ベルトをはずすポーズをしました。私は彼に向かって叫び声をあげ、出ていけと言いました。一緒にいた他の兵士は笑い始めました。私は恐怖にかられていましたが、それを見せないように努めました。それから兵士はゆっくりと出て行きました。兵士の姿を目にしたり大きな音を聞いたりするたびにパニックに陥ります。我が家を出て、どこか別のところで暮らしたいぐらいです。もう入植者や兵士が家に押し入るのはがまんできません。毎週少なくとも1件の襲撃があり、家の周囲で銃撃が起きます。がまんできない状況です。いつも恐怖を感じて暮らしています。

私の身に起こったことについて何らかの措置がとられるとは思えないので、イスラエル当局には苦情を申し立てていません。」

証言7
ハリーマ・アーベドラッブ・ムハンマド・シャワームラの証言

場所:ヘブロン、ドゥラ、ヒルベト・デイル・アル=アサル・アル=ファウカー
聴き取り日時:2009年4月11日
事件発生の日時:2009年3月11日

ハリーマはヘブロン地方のヒルベト・デイル・アル=アサルに、夫と8人の子どもと一緒に住んでいます。彼女の自宅は分離壁の近くにあります。壁は自宅からわずか50メートル西にあり、壁には兵士が村に出入りするためのゲートがあります。彼女は、自身がイスラエル兵に襲われた事件についてWCLACの現地調査員に説明しました。

「2009年3月11日、午後10時頃、うちで飼っているロバが分離壁のある西の方に逃げだしました。家から見えたのですが、ロバは壁の近くで止まりました。私はそちらに向かって走っていき、そこまで行ったところで、ロバの綱がゲート近くのフェンスの有刺鉄線にひっかかっているのに気がつきました。ロバをつないでおくのに使っていた綱です。私は綱をほどいてロバをひっぱって家に向かいました。

ニ、三歩進んだところで、救急車についているのと同じようなライトをつけた緑色のトヨタ車が、イスラエル領内側のフェンスと並行に走っている道路の北側から接近してきました。とても背の高い男が二人、車から出てきました。男たちは、イスラエル軍の国境警備兵のような緑色の制服を着ていました。20歳ぐらいに見えました。ゲートから入ってきて私に近づいてきました。その一人が綱を力づくで取り上げようとしました。彼は完璧なアラビア語で話しかけて、『自分がロバを連れて行く。あとで1000シェケルの罰金を払ってからビール・エッサーベウの検疫所で取り戻せばいい』と言いました。

一人の兵が綱をひっぱり、もう一人が銃の背で私の手をたたきました。左手首をきつくたたかれました。ひどい痛みを覚えました。私は叫び声をあげて綱を離しました。払うお金がないと兵士に言うと、二人で私の脚や太ももを容赦なく蹴り始めました。私が「あなたたちは私の手を折った」と言うと、彼らは私をからかって、私の言葉を繰り返し、私のことをうそつきだと言いました。そして「うそつきめ、お前のおやじもおふくろもくたばっちまえ」とアラビア語で口汚く罵りました。彼らは金属製の手錠をもってきて、私の体の前面で両手に手錠をかけました。どうしたらいいのか、この状況をどうやって切り抜けたらいいのかわかりませんでした。左手が骨折しているようで、手錠のせいでおそろしく痛みました。それに、ロバなしでは私も家族も困るのでロバのことが心配でした。ロバは、畑を耕したり重い荷を運んだりするのに使っているのです。また、自宅の窓から、私を助け出すすべもなく様子を見ていた息子と夫のことも心配でした。兵は理由もなく逮捕しかねないので、極度に怯えていたのです。私は兵士らにあらがい、警察と民政局に彼らのことを通報すると脅しました。そうしているうちに私は吐き気をもよおして、地面に倒れました。兵士の一人がアラビア語で「お前の手を折ってはいないぞ」と返答しました。それから彼らはロバを置いて車に戻り、車は南に向かって去りました。

彼らが去ってから、夫が現場に来て、水を持ってきてくれて、手と顔を洗うのを手伝ってくれました。そのあと、娘を連れて、骨折の治療ができることで知られている老齢の女性のところに行きました。彼女は、痛みを和らげるために私の手首に湿布をあてて、手が折れていると言いました。私はうちに帰りましたが、痛みのために一晩中眠れませんでした。それに、家族や住居や土地のことについて考えをめぐらせていました。私たちのただ一つの罪といえば、分離壁の近くに住んでいるということだけです。これから先どれだけの間この苦しみが続くのでしょう。終わりがないように思える侵入は、あと何回起こるのでしょうか。毎回彼らは私たちを脅して立ち退けと命令するけれど、私たちの家はここしかありません。翌朝、私はヘブロンの公立病院に行きました。着いたのは午前8時頃でした。2葉のX線写真から、手首が骨折しているとわかりました。私は腕まで覆う石膏で処置してもらいました。薬屋で、自費で処方箋薬を買いました。医師は、2009年4月29日に同病院の整形科で診察を受けるようにと言いました。手首の骨折のため、仕事はできませんでした。家事もできませんでした。少しでも手を動かすと、今でも激痛を感じます。私のような年配の女性の場合、骨折から回復するには長い時間がかかることは知っています。」

責任追及の欠如

前にも述べたとおり、WCLACの経験によると、兵士その他のイスラエル政府関係者から襲撃された場合、パレスチナ人の女性は苦情の申し立てをしたがりません。入植者による暴力を通報したがらないのと同じ理由からです。ほとんど保護を提供せず、兵士の行為に刑事免責を与える法執行制度を信頼していないのです。女性たちは、入植者に対して苦情を申し立てると、嫌がらせがひどくなったり報復されたりすることを恐れていますし、苦情申し立ての際にイスラエル警察による 嫌がらせや脅しにさらされることを恐れています。イスラエルの人権団体イェシュ・ディーンにイスラエル軍が提供した統計から、申し立てをしたところでいい結果が出る可能性は低いことがわかります。2000年9月の第二次インティファーダ開始当初から2007年6月までのパレスチナ人とその財産に対してイスラエル軍兵士が引き起こした刑事事件に対する憲兵の捜査結果についてのイスラエル軍の統計から、調査対象となった事件の90%ほどが起訴なしに捜査を打ち切られていること がわかります。また、敵対行為にかかわっていないパレスチナ人に対する殺人や傷害事件239件の調査のうち有罪となったのは16%のみで、〔全〕調査件数の7%にも達していないこともこのデータからわかります。

原文

A 2009 report on Israel’s human rights violations against Palestinian women

(次号予告:シリーズ【2】- 移動の自由


訂正 (2011年2月7日):前文で予告したシリーズ3の表題について、
 原文を再検討の結果、次のように改訳し、訂正しました。
 訂正前: 住居と家族の離散
 訂正後: 居住権の侵害と引き離される家族