TUP BULLETIN

速報887号 シリーズ「パレスチナの女性の声」【2】-2/3 [移動の自由の侵害-2]

投稿日 2011年2月13日

女たちの証言--占領下パレスチナで生きるということ
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このシリーズ「パレスチナの女性の声」はWCLAC(女性のための法律相談センター)の2009年報告書の翻訳です。スペィシオサイド(spaciocide、空間的扼殺)とも形容される占領下で、日常的暴力と人権侵害に苦しむ女性に対する聴き取り調査に協力した19人の女性の証言をお届けしています。


これまでの「暴力」に続く「移動の自由」を3回に分けて配信します。


移動の自由を享受している私たちには、パレスチナ人の移動の制限は想像を絶します。親族同士の行き来さえ不自由にしているばかりか、時に命に関わり、さらに「暴力」とも重なっている状況を、三人の女性が証言しています。今号は証言9を送ります。


報告書はこのあと「居住権の侵害と引き離される家族」「家屋の取り壊し」と続きます。


シリーズ全体の前書き:岡真理、向井真澄/TUP(TUP速報869号をご覧ください)


翻訳:岡真理、キム・クンミ、寺尾光身、樋口淳子、藤澤みどり、向井真澄/TUP


凡例 [ ] :訳注
   〔 〕:訳者による補い


 

パレスチナ女性に対するイスラエルの人権侵害報告書–2009年度版
シリーズ【2】─移動の自由 2/3 証言9

証言9

キファーヤ・イーサー・サリーム・アル=ハティーブの証言
場所:エルサレム、ヒズマ
聞き取り日時:2009年6月9日および2009年8月1日
事件発生日:進行中

キファーヤ・アル=ハティーブは64歳でエルサレムの東にあるヒズマと
いう村の西に一族とともに暮らしています。キファーヤは結婚後、夫の
家族が所有する土地で夫と住むために引っ越しました。そこで彼らは家
畜の飼育を行い、家畜や、また乳、チーズ、ヨーグルト、卵などの産品
を売って生計を立てていました。キファーヤはWCLACに自分の生活のこ
と、そして占領ゆえに直面している問題について話しました。キファー
ヤはこの家にもう40年も住んでいますが、1993年以降、家はイスラエル
のヒズマ検問所の向こう側になっています。彼女の家は現在、(イスラ
エルに不法に併合されてしまった)エルサレム側にありますが、彼女や
家族はパレスチナ〔自治政府発行の〕身分証明書、つまり西岸の身分証
明書しか持っていません。ということは、検問所を通って移動するには
特別な許可証が必要であることを意味するのですが、行けるのは自分の
家までです。彼女も家族も買い物や病院、学校、大学に行くためにエル
サレムに入ることは許されません。〔西岸側に暮らす〕家族や友人の多
くは、エルサレム側になっている検問所の向こうに住むキファーヤをた
ずねる許可証を持っていないため、キファーヤの孤立感が高まり、また
彼女が地域社会での社会的、文化的活動に参加することを厳しく制限す
る結果になっています。

「私たちが村から初めて引っ越してきたとき、私には二人の子ども、長
男と長女がいました。今は娘八人と息子が三人います。息子たちはみな
私と一緒に住んでいます。妻と五人の子どもがいるAG、妻と七人の子ど
もがいるAE、そして三男のユーセフです。結婚していない娘三人も私と
一緒に住んでいます。Z、それからKとIKで、この二人は障害を抱えてお
り車椅子を使ってしか動くことができません。他に結婚した娘が五人お
り、ヒズマの村に夫たちと生活しています。ヒズマ検問所の反対側で
す。その五人は、娘四人と息子二人がいるF、息子二人と娘二人のH、息
子四人と娘一人のR、息子一人と娘一人がいて妊娠中のI、それから娘二
人と息子二人のIBです。IBは最近アメリカ合州国から帰ってきましたが
夫と子どもともども我が家に同居することになっています。

月日が経ち、事情が随分変わってしまいました。以前は、ヒズマ村との
間を行き来するのも、ラーマッラーへ行くのも、エルサレムまで行くの
も何の問題もありませんでした。その後1982年にイスラエル人はピスガ
ト・ゼエヴの入植地を建設し始めました。私たちのところからちょうど
谷を越えたところ、家から多分500メートルくらい離れたところです。
私たちと入植者たちとの間にはいろんな問題が生じています。つい最
近、私はヤギ一匹を入植地の何者かに盗まれました。隣の人が入植地で
そのヤギをみつけて私に返すように動いてくれました。1993年にはイス
ラエル人はヒズマと呼ばれる軍事検問所を私たちの家(エルサレム側に
あります)とヒズマ村の間に設置しました。私たちの家への未舗装道路
は検問所から約200メートルですが、私たちの家に通ずる道はでこぼこ
道で、それから後私たちの暮らしは耐えがたいものになりました。私の
人生は悲劇です。

私と家族全員は西岸のIDカードを持っています。ということは私たちに
はエルサレムに入ることは公式に許されないということです。ですが我
が家は検問所のエルサレム側にあるので、私たちの〔ヒズマ〕村から家
に帰るには検問所を通過しなければなりません。私たちは検問所を通ら
ない限り我が家に帰ることができず、それも、家族の全員、一人ひとり
に特別許可証が要るのです。四、五カ月前まで、私の家族のメンバー四
十五人が検問所の兵士たちが持っているリストに登録されていました。
ところがこれが今は家族の内のたった二十七人しか通過できないように
減らされてしまっているのです。これは我が家に住む家族の二十二人の
メンバーとヒズマ村に住んでいる私の五人の娘たちです。娘の子どもた
ちが私のところに来るには母親と一緒にでしか検問所を通れません。そ
れも、子どもたちが16歳未満であることを兵士たちが確かめるのに出生
証明書を提示すればです。子どもたちが16歳に達すると、もはや私を訪
ねてくることができません。ですから、私の娘ファトマの上三人の子ど
もたちはもう検問所を通って私に会いに我が家に来ることができませ
ん。他の孫たちも不平を漏らしますし、どうしてお父さんじゃだめなの
と訊きます。

私は検問所の向こう側へ通って行けますが、歩いて通らなければなりま
せん。ところが検問所は自動車向けにしか設計されていないのです。イ
スラエルの「黄色」ナンバープレートを付けた自動車しか検問所を通り
抜けられないので、私たちは自動車では通れないのです。私たちはエル
サレムのIDを持っていないために、そんな車を持てません。私たちはタ
クシーを使うこともできません。エルサレムのタクシーはエルサレムに
入る許可証を持っていない西岸ID保持者を客として乗せることができな
いからです。私たちの許可証はただ検問所を通過することしか許されな
い境界ゾーン許可証に過ぎず、エルサレムに入ることは許されないので
す。もし私たちがエルサレムの中で停車させられたら、逮捕されること
もあり得るのです。私は他の家族と共にエルサレムの身分証明書を申し
込み、長い法的手続きをとったのですが、私たちは1967年以降に今の家
に入居したのでエルサレム住民と認定される資格がないと当局が言い、
そのため結局拒否されました。

それで私はエルサレムに入れませんし、西岸、ヒズマ村、あるいはラー
マッラーに行きたいと思ったら幹線道路まで未舗装道路を歩かねばなり
ません。その道は岩がごつごつしていてとても歩きにくいのです。自治
体が道を補修したことは一度もないし、数年前に地域の人たちが修繕し
たのですが、まだ状態は良くありません。それで私はその道を検問所ま
で歩きます。検問所は車でごった返していて、歩道もありません。私は
もう若くない、64歳ですし脚の手術を受けており、腰痛があり、背骨の
椎間板にも問題があり、そんなこんなで私には歩くのが難しいのです。
私は注射とマッサージのために週に一度医者に行かなければなりませ
ん。

時に検問所の兵士が交替した後私たちを通してくれないことがありま
す。こんなとき私たちは通してもらうために赤十字を呼ばざるを得ませ
んが、とても時間がかかり、2時間以上かかるときもあります。

私はラーマッラー以外ではショッピングできません。私が持っているの
は西岸の身分証明書なのでエルサレムに行かしてもらえないからです。
パレスチナ製品だと買ったものを検問所で没収されることもあります。
卵、乳製品、肉はどれも、それから調理用ガスボンベさえも。ガスボン
ベはヒズマで買えば値段は55シェケルですが私がそれを買える只一つの
場所である入植地では99シェケルかかります。

私たちの家は四部屋、小さなベランダ、台所が二つと浴室三つからでき
ています。昔は二部屋と台所が一つ、浴室が一つでしたが、家族が増え
孫たちがさらに多くなったので、家を増築したいと思いました。私たち
はエルサレム市に家につなげて一部屋か二部屋作らせてほしいと申請し
たのですが、市は私たちの申請を拒否しました。弁護士(AS)に相談する
と弁護士は思い切って建ててしまいなさい、ただし木製かアスベストス
の屋根にしてね、とアドバイスしてくれました。私たちは思いきってト
タン屋根のセメント造りの家を建てました。

私たちの生活すべてが制限されています。家族が快適に生活できるよう
に家を増築したくてもできないのです。動物も飼えませんし、家の裏に
ある、私たちと入植地を隔てる土地で植物を育てることもできません。
土地は沢山あるのですが何のためにも使えません、そこに建てることも
植えることもです。それから検問所が私たちの生活を惨めなものにして
います。これが私の生活です、これが私の悲劇です、私と私の子どもた
ちの。どう対処したら良いのかわかりません。私たちに何が起こるかわ
かりません。私の将来そして私の家族、特に病気の二人の娘の将来をと
ても心配しています。」

原文
A 2009 report on Israel’s human rights violations against
Palestinian women
www.wclac.org/english/publications/book.pdf

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