TUP BULLETIN

[記事] 「冬の兵士」証言集会へ 藤澤みどり

投稿日 2009年9月24日

出典  Impaction インパクション170号(2009年8月15日発売)

加害者が語る悲惨な戦争の実態
「冬の兵士」証言集会へ
イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実

藤澤みどり(TUP 冬の兵士プロジェクトチーム)

8月6日、証言集『冬の兵士』が全国の書店に並んだ。一読ロマンティックな印象のタイトルとは裏腹に、「イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実」の副題を持つこの証言集では、苛酷な軍事占領の実態が、加害者となった若者たちの口を通して次々に明かされていく。64年前のこの日、世界初の核爆弾を広島に投下した米兵は、無辜の市民の大量殺戮と向き合うことはついになかったと伝えられているが、この夏、日本の書店に降り立った年若い米兵たちは、血に汚れた自らの手を公にかざすことで、世界を永遠に変えようとしている。

「冬の兵士」は、2004年に発足した反戦イラク帰還兵の会(IVAW)が、2008年3月に開催した証言集会(公聴会)の名称である。ベトナム戦争時に開催され、全米に反戦気運を呼び起こすきっかけのひとつとなった同名の集会に習ったものだ(IVAWウェブサイト:http://www.ivaw.org/ )。数十人の退役および現役兵士による証言は、独立系メディア、パシフィカ・ネットワークによって全米に同時中継された後、1冊にまとめられた。
その世界初の訳書をTUP(Translators United for Peace)の有志20名が手がけた。

TUPは2003年、イラク戦争前夜に誕生した反戦市民による翻訳集団である。反戦と平和に関する海外の情報を日本語に訳出し、TUP速報という無料のメールマガジンで配信して来た。発足以来メンバーは入れ替わってきたが、新しいメンバーも志すところは同じだ。日本のメディアが取り上げない情報や論考を訳出し、それを反戦行動や教育に役立ててほしいと願っている。

証言集『冬の兵士』の翻訳もそうした活動の延長線上にあり、翻訳から訳注の執筆、軍事用語やアラビア文化のリサーチ、校閲まで、すべてを共同作業で行った。メンバーには翻訳の専門家も数名いるがほとんどは別の生業を持っている。高校の英語教師であるメンバーは、自ら教材を作成し、兵士の証言を授業に取り入れた。タクシードライバーのメンバーはラップトップを助手席に置き、客待ちの合間を縫って推敲を続けた。(TUPウェブサイト: https://www.tup-bulletin.org/ )。

翻訳に取り組むあいだ、わたしたちは何度も泣いた。証言を放送で聞いて泣き、映像を見て兵士たちのあまりの若さに泣き、訳しながら、推敲しながら、かれらが背負わされたものの巨大さに泣いた。そして、そのたびに、これをひとりでも多くの人と共有しなければとの使命感を強くしてきた。

冬の兵士集会のあと、IVAWは会員数を増やし、小規模の冬の兵士集会がこれに続いた。各地で開催された集会のひとつにドイツでのものがあり、英軍の兵士も証言したという。昨年の大統領選では、民主党と共和党の党大会開催地でデモンストレーションも行った。海外で開催される証言集会にIVAWのメンバーが招かれる機会も増え、そうした集会のひとつがこの9月、日本で開催される。

9月15日から25日、冬の兵士製作委員会の招きにより、ふたりのIVAWメンバーが来日する。アダム・コケッシュ元海兵隊三等軍曹(27歳)とリック・レイズ元海兵隊伍長(29歳)だ。コケッシュ元三等軍曹は、ファルージャ攻撃に参加するうちに米国の政策の誤りに気づき、イラク戦争に反対するようになった。名誉除隊となったが、軍服を着て反戦行動をとったことが反軍行為とみなされ、除隊後に伍長に格下げされた。冬の兵士集会での証言が書籍に収録されている。

レイズ元伍長にはイラクとアフガニスタンの両戦場で服務した経験がある。オバマ大統領がアフガニスタン増派を打ち出したことを受け、政策の見直しを訴えるために仲間とともに「アフガニスタンを再考する帰還兵の会」を創設、4月には上院外交委員会で証言した。

両名は来日後、16日に東京で院内集会と記者会見に臨んだ後、17日の京都を皮切りに名古屋、大阪、広島、沖縄、東京での証言を予定している。証言集会の詳しい日程等は冬の兵士製作委員会のウェブサイトをご覧いただくか、メールで問い合わせを (http://wintersoldier.web.fc2.com/wintersoldier.html 担当は石田貴美恵:冬の兵士日本ツアー・コーディネータ)。

この集会で特に注目したいのはアフガニスタンに関する証言だ。イラクについてさえ、軍事占領の実態が知られていないためか、日本では「イラク戦争は終わった」という見方をする人が少なくない。アフガニスタンに関する情報はさらに少なく、実際のところ、米英中心のNATO軍によって何が行われているか、ほとんど関心さえないように見える。

アフガニスタンにおける米英軍の戦死者数は、それぞれ1日平均ほぼ1名だ(2009年7月)。5万8000名の兵員が配置された米軍はまだしも、わずか8300名の英軍でこの数値は高く、すでにイラクでの6年間の全戦死者数を上回ってしまった。戦死の多くが路傍爆弾に因るものであることから、ひとりの戦死者の背後には少なくとも数名の重篤な負傷者の存在が想像され、さらに多くが外傷性脳損傷に因り、帰国後の生活に支障を来すだろう。アフガニスタン人の被害者数はイラクと同様、考慮されていないが、たとえ数えようとしたところで、過去30年間、ほぼ継続して戦火にさらされていたアフガニスタンではまともな人口調査さえなく、死者数の推測すら困難だろう。このアフガ
ニスタンにオバマ大統領はさらに1万人の兵士を送り込むという。

イラクとアフガニスタンのもっとも大きな違いは被害を伝える言葉の数だ。首都カブールの外を取材する記者の数はごく限られ、イラクには無数にあった現地ブログも電子メールによる外界との接触も、アフガニスタンでは無きに等しい。誰も見ていないなか、5月、米軍の一度の空襲で140名以上の村人が殺された。米軍はタリバン掃討と発表したが、アフガン当局の調べによれば死者のうち90名以上が18歳未満、25名が成人女性だ。アフガンスタンでは兵士の目撃談がイラクよりいっそう重要だ。兵士と被害者以外、だれもそこにいないのだから。

(注 原稿入稿後に発売日が変更になりました。変更後の発売日は8月18日です)